常識的に考えれば、国家予算が余った場合、政府は国民の支持を得ようと減税に動く。2百年後のために余剰金を積み立てることを、果たして国民が許すかどうか。(1)

『松下政経塾とは何か』

出井康博    新潮社    2011/9/12

<「幸之助新党」の真実>

・百億円使うようなことで事が成るのやったら、安いもんですわ。――松下幸之助

・このころ、日本は混乱状態にあった。73年に第一次石油ショックが起き、翌年にはロッキード事件で田中角栄内閣が総辞職した。そして75年、不況が深刻化し、完全失業者は2百万人を突破した。こうした状況を前に、各界の幸之助人脈が集まったのだ。

政経塾は、あくまで21世紀を見据えてつくられた政治家養成機関

・「日本の生活人大連合を自民党で代表させる時代は過ぎています」。

・恐らく幸之助は、真々庵の密議から国民運動を起こし、その流れで新党結成を目論んでいたのだろう。しかし、誰も乗ってはこなかった。以降、幸之助の周辺で、極秘に新党設立への準備が進められていく。

<無税国家と国土創成>

以前から幸之助は、政治に経営感覚を導入せよ、と繰り返し述べていた。つまり、税金の無駄遣いをなくせ、ということだ、国を企業に見立て、総理大臣にも経営者としての意識を求めた。強いリーダーシップや行政の効率を求めるという点では、「脱官僚支配」にも通じるだろう。

 同じく立党宣言には、「日本国民大衆党」という新党の名称も記されている。

・一方、新党の方針としては「当面の実現10目標」が以下のように掲げられた。

  1. 所得税一律5割減税の実施――そこで現行のすべての所得税を毎年5%ずつ減税し続けて10年後には一律5割減税してもなおいままで以上に円滑な国家運営が可能な方策を早急に確立する。

  2. 建設国債の発行――わが国の財政は破綻寸前の危機に瀕している。これを救う道は思い切った行財政改革断行以外にない。その断行に必要な資金を調達するために利率2%の建設国債を必要に応じて発行し、財政を立て直し、わが国を永遠に発展たらしめる方策を早急に確立する。

  3. 無税国家、収益分配国家の実現――今日、多額の積立金をもち、そこから相当の金利収入を得ている民間企業があることからすれば、国家経営においても同様なことが可能と考えられる。現に世界には、税金をとらない国、とらないに等しい国もある。余剰金の積み立てによる無税国家、収益分配国家を実現する道を早急に確立する。

  4. 新国土創成事業の展開――現在の日本の“諸悪の根源”は、人口の割りに国土が狭すぎるということであろう。これを解決する道は、山岳森林地帯の一部をならし、海を活用して、人の住める新しい国土を創成する以外にはない。この新国土創成を今後2百年にわたるわが国の国家的大事業として、21世紀から展開する。

  5. 政治の生産性の向上――真の民主主義政治は、本来、金と時間のかからないもの。にもかかわらず、物価、賃金の上昇率に比し国費の伸びが極端に大きいのは、民主主義の本質が正しく理解されず、わが国における政治行政の生産性がきわめて低いからである。行政の抜本的改革など、人間の本質にのっとった実践的臨床的方策を講じ、早急に政治の生産性の大幅向上を実現する。

  6. 日本的民主主義の確立――現在の日本の民主主義は、各自が権利のみを主張して義務を果たさない勝手主義に陥っている傾向が強い。真の民主主義は、国民としての義務と責任を伴った、お互いの共同生活の調和向上に結びつくものではならない。わが国の風土特質に則し、伝統精神に根ざした真の日本的民主主義を早急に確立する。

  7. 多様な人間教育の実施と教員養成機関の設立――人間それぞれ顔形がちがい、能力がちがう。その千差万別の人間に画一的な教育を施しても人は育たない。“万差億別”の新しい人間教育こそ肝要であろう。

  8. 政治家及び官吏の優遇――言うまでもなく政治は国家の安定発展、国民の幸福を左右する重大な役割を担うものである。その政治に携わる政治家及び官吏の処遇は今日、必ずしも適切とは言い難い。社会がますます多様化し、政治が複雑化するなかで、政治家及び官吏の責任の重大さは倍加している。その責任の大きさにふさわしく、政治家及び官吏を優遇することが、よき政治が行われるために必要なことと思われる。その実現の方途を研究し、方策を講じ、早急に実現する。

  9. 生きがいを高める社会の実現――国民がそれぞれの仕事に天分を見出し、その特質を存分に生かしつつ喜びと感激をもって働き、しかもその成果が共同生活の向上に有効に生かされるところに真の繁栄社会がある。政治、経済をはじめ治安、国防、社会福祉その他、社会各面のあり方に再検討を加え、お互いの働きがい、生きがいを高める社会を構築する。

  10. 国際社会への真の寄与貢献――世界の中の日本という広い観点に立って、国際社会に真の寄与貢献ができる精神大国、経済大国を実現する。

・最も目をひくのが税金の問題である。外交問題については最後の部分で抽象的な概念を提示しているだけだが、税金の話になると俄然、具体性を帯びてくる。

・「昭和38年から今日までの20年に、効率の高い政治、行政を行って、年々10%の余剰金を捻出し、それを積み立てつつ年利5%の複利で運用してきたとすれば」、当時の年間の国家予算を上回る50兆円が国に蓄えられていた。しかし、効率の悪い国家経営をしたばかりに、財政赤字は累計で100兆円にも膨れ上がってしまった――。幸之助新党の神髄は、国家財政の危機を救え、という点に集約されるのだ。

・しかし、常識的に考えれば、国家予算が余った場合、政府は国民の支持を得ようと減税に動く。2百年後のために余剰金を積み立てることを、果たして国民が許すかどうか。また、仮に無税国家が実現したとして、納税の義務のない国民と政府の関係が健全なのかどうか、という疑問も湧く。無税国家と並んで政策の柱となった「新国土創成事業」にしろ、田中角栄の「列島改造論」を思い起こさせる、高度成長型の発想である。

<政経塾の選挙スタイル>

・この山田の戦いと共に、政経塾で「伝説」となっている選挙戦がある。87年(昭和62年)4月、野田佳彦が立候補した千葉県議選がそうだ。

 野田は、ちょうど山田が選挙活動を始めた853月に卒塾していた。それから選挙までの2年間は苦労の日々だった。選挙に備えて地元の津田沼駅前で「よろず相談所」をオープンしたが、訪れる人はほとんどいない。顔を売るため、政経塾の学科で覚えた「リングテニス」というスポーツのサークルをつくったりもした。

 家庭教師、タウン誌の営業、山登りのポーターなど、様々なアルバイトで食いつなぎながらの生活だった。

・そして迎えた選挙戦の最終日、津田沼駅前で行ったマラソン演説は、今も政経塾で語り草となっている。朝7時から夜8時まで13時間にわたってマイクを握り続けたのである。

 定数7名に14名が立候補するなか、野田は4位で当選を果たした。

<悲しい目をした男>

・幸之助が新党で打って出るはずだった897月の参院選で、自民党は大敗を喫した。消費税導入への非難とリクルート事件、さらには時の首相・宇野宗佑の女性スキャンダルも選挙直前に発覚したからだ。議席を66から36へと減らした自民党に対し、「マドンナブーム」に乗った社会党は改選前の倍以上である46議席を獲得して、参院で与野党の逆転が実現した。

・幸之助が亡くなって6年後の95年、『悲しい目をした男 松下幸之助』という本が出版されている。筆者は元毎日新聞社で、経営評論家の硲宗夫。巷に溢れる幸之助への礼賛本とは違い、第二夫人や三人の隠し子の存在にも言及した同書は、紛れもなく一級の評伝である。出版直後、反響を恐れた関係者が買い上げたため、書店から消えてしまったという逸話があって、今もなぜか絶版となっている。

 タイトルは1962年、幸之助が米「タイム」誌で表紙を飾ったときの記事から取られた。確かに幸之助の私生活に目を向けると、彼が成功を遂げてなお「悲しい目」だった理由がおぼろげながら見えてくる。

・松下電器がスポンサーを務めたテレビ時代劇「水戸黄門」が大好きだった幸之助は、印籠を手にした黄門様に自らを重ね合わせていたのではないか、と硲は思う。

「結局のところ、幸之助は自分流に世の中をつくり変えたかっただけ。崩れゆく日本をどう救うか、という問題提起はあっても、具体的な答えはなかった。対人関係では必ず臣下の礼を取らせ、対等の関係というのを認めない。家族に対してすらそうだった」

 幸之助が起業したとき、共に苦労したのが妻と義弟の井植歳雄である。戦後、幸之助と袂を分かち、三洋電機を創業する井植は、硲にこう漏らしたことがある。

「兄貴のところは新興宗教や」

 結局、井植が亡くなるまで、二人の確執が解けることはなかった。婿養子で、松下電器の二代目社長となる松下正治との関係もまた、冷たいものだった。

「右手にそろばん、左手に政治」をモットーにした幸之助は、片方のビジネスでは大成功を遂げた。しかし結局、政治という分野で思いを遂げるには至らなかった。国民運動は構想段階で挫折し、新党も結成には至らなかった。唯一、形となった政経塾にしろ、幸之助は行く末を見ずに逝った。

・政経塾は79年、世界でも珍しい「政治家養成機関」としてスタートした。「地盤、看板、カバン」を持たない若者を政治家にしてやろう、というのである。裸一貫から立身出世を遂げた「今太閤」松下幸之助らしい発想だった。

 しかし、その試みは容易ではなかった。最初の10年間で塾から誕生した国会議員は、祖父の代から政治家だった逢沢一郎(一期・自民党衆院議員)ただ一人。89年、創設者の松下幸之助が亡くなると志願者が激減し、政経塾は存亡の危機に直面した。それを救ったのが、細川と日本新党ブームだった。

 93年の衆院選の結果、一気に15名の塾出身者が国政に進出。日本新党の7名に加え、選挙後に誕生する細川政権で連立を組む「新生党」や「新党さきがけ」に所属、もしくはその応援を受けた者がほとんどだった。

<祭りの後で>

<近親憎悪と世代間のギャップ>

・落下傘候補の場合、有権者への知名度が低いため、候補者にとってのリスクは高い。その点で、政経塾出身者はタフである。知名度を上げるため、ノボリとマイク一本で朝の街頭演説をする姿は、山田宏や野田佳彦が選挙に立って以来の伝統である。政経塾で毎朝、「成功の要諦は成功するまで続けるところにある」という幸之助の言葉を唱和していた彼らには、一度や二度の落選を恐れない強さもある。また、20代、30代といった若さも有権者へのアピールとなるだろう。

・自民党関係者には、「塾出身者が民主党に多いのは、自民党から出たくてもすでに選挙区が埋まっているから」との声がある。確かに、国政選挙で自民党候補となる塾出身者は、身内に関係者がいたり、現職として移籍したケースが大半だ。だがそれは、自民党の候補者選定が硬直化している証でもある。小選挙区で自民党候補の空きが出た場合、公認されるのは相変わらず二世もしくは関係者ばかりで、前職とは縁のない新人候補が出馬できる可能性は限りなく低い。その結果、塾出身者のみならず、最近では官僚出身者までも民主党へと流れている。

<政経塾が日本を悪くする>

・塾出身者に定着した負のイメージについて、塾出身者の一人からこんな指摘があった。「私を含めて、とにかく人に認められたいという欲求が強い。皆が『とにかく自分』なので、集団行動も苦手です。何度も新党の結成を試みながら失敗したのも、その辺りが影響していると思います」

・「幸之助さんが存命だった最初の10年は、政経塾にも革命集団志向があった。しかし日本新党のころからは、すっかりブランド化してしまった。今の政経塾は、権力を持たない者が成り上がるための装置に過ぎない」

 もちろん、成り上がりが悪いわけではない。「地盤、看板、カバン」なしでスタートした塾出身者は、自らの知恵で成り上がるしかなかった。とりわけ日本新党ブーム以前は、政経塾には実績らしいものがほとんどなかった。そんな状況では、「結婚」までが立身の手段となっても不思議はない。

 玄葉光一郎(8期・民主党衆院議員)は地元福島県の知事・佐藤栄佐久の娘と結婚した。小野寺五典の場合は、気仙沼市長(当時)の婿養子となって姓まで変えた。95年(平成7年)の参院選に新進党から出馬した高島望(5期)は、「武富士」創業者・武井保雄の長女と結婚。義父となった武井が2003年、ジャーナリスト宅への盗聴事件で逮捕されたのは有名だ。

 考えてみれば、塾出身者が憧れる幕末期、政略結婚など日常茶飯事だった。幸之助にしろ、一人娘を伯爵の孫である正治と結婚させている。

 しかし、スキャンダルとなると事の次元は違ってくる。クリーンなイメージが売り物の塾出身者にも、これまで刑事事件に関係したものがいる。

 2003年の衆院選では、自民党から立候補し落選した中本太衛(10期)の選対幹部が買収容疑で逮捕された。1999年には、参院選で復活当選した同じく自民党の小野寺五典が、有権者に線香を配ったことで公職選挙法に違反、議員辞職に追い込まれた。また、山崎泰(7期)は東京都議を務めていた2000年、中小企業向けの制度融資をめぐる出資法違反で逮捕された。金融ブローカーから融資保証を依頼されて東京信用保証協会などに口利きし、見返りに謝礼を受け取っていたのである。こうした犯罪もまた、持たざる者が必死に成り上がろうとした結末なのか。

<レゾンデートルの終焉>

・周囲の反対を押し切って政経塾をつくった松下幸之助には、確かに先見の明があったのだろう。「普通」の若者に国政への道を開いたのは、紛れもなく彼の功績だった。かつての塾生たちが、大きなリスクを承知で政経塾に進んだことにも敬意を表したい。

・だとすれば、今、政経塾が存在する意味とは何なのだろうか。もちろん塾生となれば、政党の公認をもらって選挙に出られる可能性はずっと高くなる。塾出身というだけで、政党関係者から「金の卵」の扱いを受けられる時代なのである。

 だが、政経塾とは、その程度の存在だったのか。新しい時代を切り拓く「坂本龍馬」を生みだそうとして始まった政経塾が、逆に旧体制を維持する「新選組」隊士の養成機関となってしまうことはないのか。少なくとも私には、現体制下の政経塾で学んだ若者が政治を志したとしても、この国が良くなるとは思えない。

 松下政経塾は、すでにその役目を果たし終えたのではなかろうか。

もちろん、幸之助が好んだ「効率主義」ということで言えば、政経塾は大成功を収めたのだろう。70億円の原資で、現職に限っても30名近くの国会議員を輩出した。その数は、今後も間違いなく増えていくだろう。政経塾出身の総理大臣が出る日も、そう遠くないのかもしれない。幸之助は、政経塾の経営にも「神様」としての実力を発揮したのである。

・初期の塾生と幸之助のこんなやりとりが残っている。

「人間にはいろいろな欲望があり、食欲のようなものから、社会をよくしたいと思うことまで対象も異なります。その対象によって、欲求にも尊さの差ができるのか、それともすべての欲求は等しいのか、塾長はその点をどうお考えですか」

「私は、欲望は力であり、人間の活力であると思っています。だから尊いものであり、どれも格差はないと考えています」

・幸之助が塾生の理想とした坂本龍馬は、大政奉還の後を見越した新政府の構成メンバーに自らを含めなかった。そのことを西郷隆盛が訝ると、こう言ってのけたという。

「窮屈な役人になるより、世界の海援隊でもやりましょうかな」

 龍馬は地位などに固執しなかった。そこが龍馬の龍馬たる所以であった。

 思えば幸之助ほど、巨大な欲望を抱えて生きた人も珍しい。経営者としての成功では飽き足らず、日本という国を、自らの信じる姿につくり変えようとしたのである。PHPにしろ、また政経塾にしろ、幸之助にとっては手段に過ぎなかった。その生き様は、早世した両親、兄弟、さらには息子の欲までも、たった一人で背負っていたかのようだ。だからこそ、私利私欲とは無縁の生き方を貫いた龍馬に憧れたのかもしれない。

・坂本龍馬とまでは言わなくても、国民が政経塾に期待したのは全く新しい政治家像だったはずだ。既得権益とのしがらみがなく、無党派層と呼ばれる人びとの声なき声を代弁してくれる。有権者は塾出身者の立身出世を助けるために、彼らを政界へと送り込んだわけではないのだ。「欲望は力ですから、悪にも善にもなり得ます」

 そんな言葉を遺した松下幸之助が逝って15年。政経塾の弟子たちに乗り移った深い業は、日本をどこに導こうとしているのだろうか。

『松下政経塾が日本をダメにした』

八幡和郎   幻冬舎   2012/2/24

日本の政治はよくなったかといえば、むしろ「劣化」している

・政経塾ができたころ、講師を務めた堤義明は、「政治家になるには、『政治家の子どもに生まれるか、その娘と結婚する』『官僚になる』『労組とか宗教団体から出る』以外には難しい。それを打ち破るならよほど土性骨をいれてかからねば」と語った。そういう困難を乗り越えて、これまでの政治家とはひと味違う政治家群の排出に成功したのは間違いない。

<松下幸之助の弟子たち、天下を盗る~二世と官僚の王国を倒すも世直しの展望なし>

政治家二世や官僚より高い確率で国会議員に

・しかも、これまでの卒業生の総数は、わずか248人でしかないのに、現職の国会議員だけでも38人を占める。

<政経塾卒業生の成功率は驚異的ですさまじいばかりの政治エリートぶりである>

・とはいえ、あの偉大な経営者だった松下幸之助がこの国の未来を憂え、政治の貧困に絶望した末に、私財を擲って創立した松下政経塾の志に、卒業生は応えうる存在なのか。そう問われたとき、躊躇なく頷くべきレベルに達しているかどうかは、まったく疑問なのである。

<志はあっても政策に弱いという評判>

・松下政経塾出身の政治家については、もちろん、共通した長所もあるが、批判的な見方や厳しい評価もある。

1.専門知識・国際経験が不足しがち

・陣笠代議士としてなら十分に高いレベルかもしれないが、現代国家のリーダーには、インターナショナルな水準に合致する大学院クラスの知的訓練、国際人としてのコミュニケーション能力、グローバルに普遍性のある文化的素養も不可欠なはずだ。

1.実務経験に乏しく現場感覚が政策と結びつかない

・政治以外の実社会で働いた経験があったとしても、大学卒業後の短い期間における若手社員となどとしてのもので、管理職や経営者としての経験が抜け落ちている。販売店や工場での研修などの成果もあってか、現場感覚は豊かでマメだが、たとえば、中小企業経営者や管理的立場にある人の悩みなどを十分に聞いているわけではない。

2.志の高さと堂々たる国家観はあるがステレオタイプ

・よい国をつくりたいという志はあるし、愛国心などもしっかりしている。しかし、理念をステレオタイプに主張するだけなので、独創性があまり感じられず、自国の利益を主張する基礎となる過去の歴史などについての細かい知識や目配りに乏しい。

1.関心が外交など特定分野に偏るとともに政策に弱い

・興味がある分野が偏り、外交・国防・教育・環境などには、おしなべて強いが、経済政策などへの興味は希薄である。

<演説は上手だが政治技術がなく実行力に疑問>

⑤政治技術の不足とその重要性についての意識のなさ

 ・足して2で割る式の旧来のやり方に問題があるのは事実だが、現実の政治では、うまく交渉し妥結して、いかにして最大幸福を実現するかが問われる。そうでなければ、特定の集団、階層、地域などの利益ばかりが実現することになりかねない。ところが、政経塾出身の政治家は、自分の意見を主張するだけで、それを実現するための政治技術を軽視がちで、不得意でもある。

⑥演説は上手だが討論は下手

 ・スピーチが軽視される日本の政治風土にあって、国際的なスタイルに近い演説の水準を会得し、具体的な利益につながらないような高邁な理想や国家観を訴えるのは評価できる。しかし、違う意見の人と討論し、相手を説得したり、的確に反論することが上手だとはいえず、一方的な主張に終始したり、はぐらかしてしのぐ傾向がある。

⑦迅速対応に傾斜しすぎ軽率な発言が目立つ

 ・近ごろの日本社会全般の問題でもあるが、マスコミや世論を気にするあまり、急ぐ必要がない問題にあわてて対応しすぎて、軽率な発言、官僚などへの責任のなすりつけ、誤った方針の採用、バランスを欠いた対応をする傾向がある。企業イメージの確保が優先される民間とは異なり、政府は短期的評判より長期的視点を重視すべき存在である。

・だが、松下政経塾の卒業生たちは、「地盤・看板・カバン(資金)」のいずれもなかったので、しかたなく、街頭演説に頼らざるを得なかった。

『松下幸之助の遺言』

青野豊作  PHP   2010/11/27

<PHPと初期・政治啓発運動>

<松下幸之助と二つの政治観>

もっとも、その松下幸之助も、ごく短い時期、政治に多少なりとも関係したことがある。大正141925)年12月、31歳の時に大阪市連合区会議員選挙に出馬し、第二位で当選しているのである。

・松下幸之助は、敗戦後、亡国の時代様相を日々濃くしつつあった戦後混乱の下で、「自分が日本人として何をなすべきなのか」と自問自答を繰り返している。そして敗戦の翌年、昭和211946)年113日の『PHP研究所』の創設へとすすむのだが、この時点には松下幸之助の政治観もまた、「繁栄によって平和と幸福を」というPHP理念を根幹としたものになっていた。

<松下幸之助の政治観―二つの基本認識>

・人類はまだまだ進歩発展してゆく、すなわち、必ず、正しい政治理念にもとづく正しい政治形態をつくり出し、身も心もゆたかな繁栄の社会を実現することができる。そのためにもまず、人間の本質にもとづいた正しい政治理念の研究を急がなければならない。

・政治が人間のためにあり、人間の繁栄・平和・幸福のためにあるということは、政治理念もまた人間の本質にもとづいて打ちたてられねばならないということでもある。人間の本質をよく認識し、この本質に根差した政治理念なり政治形態を打ちたてなければならない。

<政治のための政治は本末転倒>

・世上、往々にして政治のための政治が行われているような印象をしばしば受けることがある。また、政治のための政治(注・政略と党利党略)を行うことが本当の政治家であると考えている人も少なからずいる。いわゆる政略と党利党略というものがこれである。もちろん、実際に政治を行っていくうえにおいて、場合によっては政略が必要なこともあるだろう。しかし、政治の真の使命を忘れた政略は、結局、百害あって一利なし。

<無税国家論から松下政経塾へ>

<崩れゆく日本をどう救うか・・・・>

<究極の政治改革論―「無税国家論」>

・無税国家論は、国の予算制度に会社経営と同じダム式経営を導入するというものである。即ち単年度主義の国の予算編成を廃して効率を徹底追及する予算編成に切り替え、節約した分を積立金、剰余金として毎年蓄積していくようにする。すると、いずれは積立金、剰余金のみで国の運用ができるようになって国民から税金を徴収しなくてすむようになるばかりか、ゆくゆくは余ったそれの運用益を国民に分配する、“収益分配国家”へと移行することもできるようにもなるーとするものである。

・発想の転換、それも奇想天外な発想(注・それは決して荒唐無稽な発想ではない)をもって生み出した、これまた松下幸之助ならではの究極の政治改革論である。無税国家論は発表と同時に大反響を呼んだ。

無税どころか、減税さえむつかしい状態

・「政府のやる仕事は、治安でんな、国防でんな、それから国の外交でんな。これでよろしい。生産に関することは全部民間にやらしたらええわ。政府は監督しとったら、それでええ。そうしたらそんなに人(注・公務員)要らんでしょう」

・「明治以来、国の予算というものは(単年度主義で)全部使い切りでしょう。しかし、例えば、毎年1割は残せと。(中略)もし明治初年から今日までやっていたら、どのくらい貯金ができたか。今のお金にして、少なくとも3百兆(円)。(中略)多かったら5百兆。これを複利でまわしたら、利子だけで(年間)25兆円になる。25兆円のお金があったら、税金は3分の1ですむわけだ。それがもし、1兆円あったら、利子が50兆円はいるわけでしょう。そうすると今年度の国税は34兆円だから、16兆円余る。16兆は分配できるわけですな。まさに“無税国家”加うるに“分配国家”になる。

<無税国家論から松下政経塾へ>

・無税国家論は当時、夢そのものの構想として受けとられた。実現するはずのない、文字通りの絵空事とされた。マスコミ、メディアもまた、大きくとりあげたものの、その実、現代のお伽噺として話題にしたにすぎなかった。

・松下幸之助は、私財70億円を投じて、松下政経塾を設立しているのである。むろん、これは「崩れゆく日本を救うために、日本人である自分が何をなすべきなのか」と自問自答した末の行動だった。

<松下政経塾に託したもの>

・ちなみに平成222010)年8月現在での、松下政経塾出身の政治家は国会議員38人、知事2人、市長・区長8人、地方議員24人。

<「開花21世紀」-幸之助の悲願>

・「ぼくは夢を描いとんのと違うんや、ほんとうに実現したいんや。ぼくが思い描いているような、ほんとうに素晴らしい日本をなんとしても実現したいんや

『わが師 松下幸之助』

「松下政経塾」最後の直弟子として

樽床伸二    PHP   2003年3月26日   

<後世の歴史家は松下幸之助をどう評価するか>

8百万部発行されたアメリカの『ライフ』誌は、松下幸之助が産業人であると同時に「思想家」であると紹介したが、私は、さらに「政治の変革者」として評価されなければならないと考えている。

・松下幸之助は、『ライフ』の誌上で「最高の産業人」「最高の所得者」「思想家」「雑誌の発行者」「ベストセラーの著者」と5つのタイトルが冠せられました。

<理想の日本が実現するのは2010年>

・松下幸之助にはたくさんの著書があるが、政治の改革者としては『私の夢 日本の夢 21世紀の日本』をまず第一にあげなければならないだろう。

 松下幸之助がこの本を著したのは昭和52年(1977)であったが、もともと「小説日本」というタイトルを考えていたと側近に漏らしていたように近未来小説の形を構想していた。

・「それは2010年の日本から始めるのや」松下幸之助が、こういうのを聞いて木野元会長は聞き返した。「21世紀と言うと、2001年から始められたらどうなんですか。なんで2010年なんですか」これに対する松下幸之助の答えが凄い。「ぼくは夢を描いとるのと違うんや。本当に実現したいんや。そのためにはこれから30年はかかる。それで2010年にしたんや

・木野元会長は夢と言う言葉を使っているが、そこには本当の松下幸之助の心、必ず30年後には実現してみせるという強い祈りがこめられていると思うと、書いている。

・松下政経塾が設立されるのは、その2年後であるが、一度は断念しながらも、おそらくこの段階で構想は煮詰まっていたのであろう。それにしても目標の2010年まで、あとの残りは7年である。

・松下幸之助はすでに亡くなり道半ばではあったかもしれないが、前述のように「2010年」を目途にしていたようであるから、草葉の陰で少しは微笑んでいたのではないかと思う。

・それが松下政経塾を“平成の松下村塾”たらしめることになるであろうか。そして、松下幸之助が「政治の変革者」として評価されることになるのであろうか、である。

・松下幸之助は、26年前の著書『私の夢 日本の夢 21世紀の日本』のなかでこれらの夢が実現するのは2010年だと記しています。だとすると、目標の年までは、わずか7年しかありません。


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by karasusan | 2016-03-02 10:37 | その他 | Comments(0)