カッパと天狗仲間の烏天狗は、顔が似ているので、先祖は同じ仲間ではないかという者もいるようだ。(2)

『もののけの正体』  怪談はこうして生まれた

原田実   新潮社     2010/8

<人を食らう者としての鬼>

・なにしろ正史として編纂された『日本三代実録』にも、次のような怪談が記されているくらいだ。光孝天皇(在位884887)の御代に宮中の武徳殿を歩いていた女房が物陰から現れた美男子に誘われて行方をくらまし、やがてばらばらにされた手足が見つかった。つまりその美男子の正体は人を食う鬼だったのである。

・また、平安時代の権力者にとって、鬼は便利な装置だった。権力者同士の争いに巻き込まれての死者や行方不明者が出た場合、それを「鬼の仕業」にしてしまえば、誰の責任も追及せずにすませてしまえるからだ。この時代、「鬼に食われた」という形で噂された失踪者の中には権力者の間の暗闘の犠牲者も含まれていたものと考えられる。

<定型化していく鬼>

・渋川版御伽文庫の挿絵に登場する鬼は、人間に化けているもの以外は、上半身裸で頭に角を生やした男として描かれている。おそらくこれが私たちが思い浮かべる鬼の原型だろう。版本としての御伽草子の普及にともない、鬼のビジュアル・イメージの定型化は一気に進んだ。

<天狗――天狗の鼻はなぜ高い?>

・また、日本神話で天孫降臨を最初は邪魔し、のちには道案内をかってでたという神・猿田彦が天狗の仲間とみなされた影響もあるだろう。猿田彦は巨大な鼻を持つ神として伝承されていたからだ。

・こうして江戸時代には、天狗の定番、特に大天狗は長い鼻で羽団扇を持った山伏ということになり、昔ながらの鳥の頭で羽が生えた天狗は、天狗界でも下っ端の烏天狗ということになった。

<天狗に弟子入りした少年>

・『仙境異聞』によると、寅吉が仕えた天狗は常陸国・筑波山系に属する岩間山の大天狗・杉山僧正だった。篤胤は天狗の暮らしぶりについてもいろいろと質問している。たとえば天狗の好物は山中でとれたイチゴやブドウなどの果物を岩穴の中で熟成させたもので上澄みの汁を飲んだ後、そこに沈んだ塊を練り固めて常備食にするのだという。

 また、天狗の羽団扇は空を飛ぶときの舵取りに用いられるだけでなく、他の魔物や猛獣を打ちすえるのにも役立つ。天狗はその羽団扇を使いこなすための修行を積むから、みな武術をきわめているのだという。

 

・篤胤は国学者として、また神道家として記紀などの日本神話を重視していた。神話の世界では、神々が黄泉国(死後の世界)と地上の間や、高天原(天上にあるとされる神々の世界)と地上の間をしばしば行き来している。

・記紀神話に関して、江戸時代には、神話はたとえ話を含んでいるからそのすべてが事実というわけではないと説明した学者もあれば、神々の世界のことだから、人の世で起きないことが起きてもおかしくない、と説明した学者もいた。ところが篤胤はそのどちらの道もとらなかった。

 

日本神話はすなわち史実であり、神々は人間の祖先である。したがって、神話の世界で神々が体験していたことなら、現代の人間もまた体験できるはずだ。篤胤はこのように考え、現代(当時)において人が目に見えない世界と往来した実例を捜し求めた。天狗界と往来するという寅吉はその篤胤の希望に応えたわけである。

・なお、篤胤は天保14年(1843)に世を去ったが、その後、彼が開祖となった平田神道の流れをくむ神道家の間から、天狗界に関するレポートがつぎつぎと発表される。参沢宗哲『幸安仙界物語』『幽界物語』1852年)は和歌山藩士で寅吉同様、天狗に弟子入りしていたという島田幸安からの聞き書きである。また、明治の神道家・宮地水位(堅盤)(18521904)も幕末期に異界に出入りして天狗の教えを受けていたという。後年、水位が若かりし頃の見聞にもとづき、日本のみならず中国や西洋の天狗界の消息について記したメモ書きが『異境備忘録』であり、明治20年(1887)頃にいったん水位自身が編集した本が門人に書写される形で広まった。

<河童――水神はどこから来たか?>

<河童の起源は古代まで遡るか>

・河童というのは古くて新しいもののけである。その伝説上の発祥ははるかな古代にまで遡る。

 現在は『遠野物語』などの影響もあって、河童といえば東北というイメージを持つ人も多いだろうが、実際に河童に関する伝承が濃密に伝えられていた地域といえばまず挙げられるのは九州だ。

 たとえば熊本県八代市には次のような伝説がある。

球磨川支流で八代市街地を流れる前川。この川にかかる新前川橋のたもと周辺はその昔、徳淵津という船着場だった。そして、その徳淵津跡の堤防上には一つの石碑が建っている。これが通称「河童渡来の碑」だ。その碑文に曰く――、

「航海安全 水難消除 河童渡来之碑  ここは千五六百年前河童が中国方面から初めて日本ニ来て住み着いたと伝えられる場所である」(原文ママ)

 この石碑は昭和29年(19546月、八代市中島町内会・中島史蹟保護会の連名で建立されたものだ。ちなみにこの地方では河童のことを「ガラッパ」と呼ぶ。

・『本朝俗諺志』『和訓栞』など、江戸時代の文献によると、ガラッパが黄河から渡来してきたのは仁徳天皇の御代のことだった。『日本書紀』によると仁徳天皇の在位は西暦313年から399年、つまり4世紀のことである。仁徳天皇が実在したかどうか、実存したとしても『日本書紀』の紀年が信頼できるかどうかはさておくとして、碑文の「千五六百年前」は、まさに伝承上の仁徳天皇の御代に相当している。

 

・それら江戸時代の文献に記された伝承によると、八代に住みついたガラッパの群れは、大いに栄えその数9000匹を数えた。その頭領は九千坊と呼ばれた。九千坊と配下のガラッパは長年にわたって、田畑を荒らしたり、人をさらったりと悪事を繰り返した。そのため、彼らは加藤清正公の怒りに触れて退治され、その後は二度と悪事は行わないと誓ってそのまま八代に住むことを許されたとも、筑後川に移住して久留米の水天宮の眷属になったとも伝えられている。いずれにしろ、それ以来、熊本・八代では水難の害はなくなったという。

<畏怖の対象からひょうきん者へ>

・河童といえば誰もが思いだす特徴、頭には皿、その周囲に垂れる髪、背中にはカメのような甲羅、嘴のようにとがった口、人間の子供のように小柄な身体つきで泳ぎが上手、愛嬌があり、相撲をとるのが大好きで、食べ物はキュウリを好む・・・そうした要素は実は、江戸時代に定着したものだ。

 

18世紀前半、江戸時代中期までの河童に関する記録や図では、全身毛むくじゃらの猿のような姿とされているものが多く、嘴や背中の甲羅はない。頭頂にも窪みがあるとされる程度で、立派な皿があるとまでは書かれていないことが多い。その典型は正徳2年(1712)に刊行された寺島良安の百科全書『和漢三才図会』に収められた「川太郎」の絵である。

 

・また、「カッパ」という呼称が全国に広まった時代もやはり江戸時代中期のようだ。河童を意味する方言は一説に全国で400種以上もある。

 先に述べたガラッパは熊本・宮崎・鹿児島の各県で用いられているものだが、他にも、ミンツチ(北海道アイヌ)、メドチ(青森)、カワソ(石川・島根、他)、カシャンボ(和歌山・三重)、ガタロ(奈良・大阪、他)、エンコウ(広島・高知、他)、シバテン(高知)、スイテング(福岡)、ヒョウスベ(佐賀・長崎・宮崎、他)、ケンムン(鹿児島)、キジムナー(沖縄)と枚挙にいとまがない。

・「カッパ」もそうした方言の一つで、もともとは関東地方で用いられたものだった。江戸の出版物が地方でも読まれることで、関東方言にすぎなかった「カッパ」がさまざまな水神の眷属や水の怪の総称とみなされ、その特徴を次第に共有するようになっていったわけだ。言い換えると400種以上もの河童の方言は、もともと400種以上も存在した水神の眷属や水の怪が江戸中期以降、「カッパ」の呼称に統一されていったその名残と考えられる。

『ニッポンの河童の正体』

飯倉義之  新人物往来社    2010/10/13

<宇宙人グレイ説>

・さまざまな河童の正体説の中でも極北に位置するのが、この河童=宇宙人グレイ説である。UFOに乗って地球に飛来し、NASAと取引をしてエリア51に潜んでいるという宇宙人・グレイ。彼らは、1メートル20センチ程度で、メタリックな灰色の肌をし、釣り上がった目と尖った顎が特徴である。彼ら悪の宇宙人グレイこそが太古から日本に出没していた河童であり、河童に尻子玉を取られるとはUFOにさらわれての人体実験、河童駒引とはつまり現在のキャトル・ミューティレーションのことだったのだ、というのがこの説である。

・宇宙人という正体不明の存在を河童という正体不明の存在の正体にするというのは、つまり何も判明していないのと同じだというのがこの説の最大の弱点である。

 宇宙人・グレイと河童の不思議な符合は、人や家畜を害するものに対する想像力のありようは、文化が違ってもどこかで似ることがある、と考えた方が合点がいくのではないか。

・このグレイ説は雑誌『ムー』誌上で人気を博してさらにもう一段階の進歩を遂げ、実は宇宙人だと思われているグレイは地球固有の異次元吸血妖怪で、アメリカ軍はそれを知りつつ本当の宇宙人のカモフラージュに妖怪・グレイを用いているのだとされる。

・世界中でチャパカプラとかスワンプ・モンスターと呼ばれて人や家畜を害しており、さらに彼らはプラズマを操って河童火を燃やす力があり・・・とまあ、八面六臂の大活躍である。この説に従うと、「妖怪だと思われていた河童の正体は、実は宇宙人だと思われていた妖怪である」ということになる。複雑さは増したが、何も言っていないことは同じと言うことになるだろう。

<河童で町おこし><町中の妖怪たち>

・日本では各地域に伝わる妖怪伝承をもとにした町おこしが行われている。近年では、鳥取県境港市の「水木しげるロード」が人気を博している。

<札幌市奥座敷定山渓温泉>

・札幌市奥座敷定山渓には、「かっぱ淵」の伝承がのこされている。ある青年が豊平川で急に何かに引きずり込まれるようにして淵の底に沈み、発見できなかったが、一周忌の夜、父親の夢枕にその青年が立ち、「私は、今、河童と結婚して、妻や子どもと幸せに暮らしていますから安心してください」といって消えたという伝承である。札幌市奥座敷定山渓温泉は、この「かっぱ淵」の伝承をもとに、河童で町おこしを行っている。

<岩手県遠野市>

・岩手県遠野市は、「河童のふるさと」として有名である。遠野市には、柳田国男『遠野物語』に河童の伝承が多くみられるように、河童にまつわる伝承が数多く残されている。

<宮城県加美郡色麻町>

・色麻町には、「おかっぱ様」として有名な磯良神社がある。

<千葉県銚子市>

・銚子市には大新川岸の河童伝承がある。昭和601985)年に、「銚子かっぱ村」ができた。

<東京都台東区「かっぱ橋本通り商店街」>

・「かっぱ橋本通り商店街」では、かっぱ像や、かっぱの絵の看板をたくさんみることができる。

<広島県南区段原>

・猿猴川は、猿猴(エンコウ)」という河童の名称がつけられているとおり、河童がいたと言う伝承がある。

<熊本県天草市栖本町>

ガワッポ(河童)の伝承が残されている。

<福岡県久留米市田主丸町>

・河童の総大将の九千坊が筑後川に棲んでいた伝承がのこされている地域である。

<河童愛好家による全国ネットワーク><河童連邦共和国>

・日本全国で河童の町おこしをしている地域や河童愛好家の人々が集まり、「河童連邦共和国」というネットワークがつくられている。

『河童・天狗・神かくし』

 (松谷みよ子)(立風書房) 2003/4

<河童には、昔から日本全国で土地特有の名称があった>

<河童の名称>

(北海道)  コマヒキ、ミンツチ(アイヌ)

(東北地方) オシッコサマ、シーッコサマ、カッパ、カァパ、カァパコ、カッパァ、カワワラス、カッパァ、ガワダロウ、ザンビキワラシ、セッコウサマ、メドチ、メドツ、メットウチ

(関東地方) カッパ、カッパノコ、カワッパ、カダロー、ガタロ、カワワラワ、ネネコ、封(ホー)

(中部地方) エンコ、カッパ、ガッパ、カーランベ、カースッパ、カゴウソ、カワ(ラ)コゾー、カワボウズ、カワザル、カワババ、カワコゾ(ウ)、カーラボーズ、カワヤロウ、

カワツズミ、カーカンパ、カワッパ、

カワウソ、カワダ、カーラボン、カワラ、カワコボーズ、ガワロ、ガウロ、ガォロ、ガワエロ、ガワイロ、ガメ、ガワラ、ガワタロ、コボッチ、シジン、シイジン、スイシン、スイジン、スジンコ、セーシン、セージン、テガワラ、ドーツン、ドチロベ、ドチ、ドチガメ、ヌシ、ミズシワッパ、ワワッパ

 (近畿地方) イ(ン)ガラボジ、ウンガラボーシ、エンコ、オンガラボーシ、カッパ、カワッパ、カワラ、カワソ、

カワタロ(-)、カワコ、カワコゾウ、カタロ、カワタラ、カシラ、カワンゴロ、カワコボシ、カワラコゾウ、カワロ、カンコロボシ、カワノトノ、ガタロ、ガワタロ、ガ(-)タロ(-)、ガァラ、ガウライ、

ガワッパ、ガイタロウ、ガロウ、ガロボシ、ガウラ(イ)、ガシャンボ、ガ(ッ)タラボ(-)シ、ガンタヲボシ、

ガイタルボーズ(カイダルボーズ)、ガラボシ、ゴウタロウ、ゴウタラ、ゴウラボ(ウ)シ、ゴウヲゴランボ、ゴボシ、ゴロボシ、シリヒキマンジュ、シリヌキ、シリコーボシ、スッポン、ドンガス、フンゴロボージ、

ヒョウスボウ、マロ、ヤマタロ、

『河童・天狗・神かくし』

 (松谷みよ子)(立風書房) 2003/4

<河童の名称>

<河童の名称は全国各地で色々だ>

(中国地方)

エンコ(ウ)、カワッパ、カワコ(―)、カウコ、カウゴ、カワソ、カワコボーズ、ガウロ、ガ(ッ)タロー、ガウコ、ゴンゴ、ゴーゴ、ゴンゴージ、テナガ、フチザル、川子大明神

(四国地方)

イドヌキ、エンコ(ウ)、カワウソ、カワラ、カタロー、カワランベ、カダロウ、ガタロ(-)、ガワタロ、ガワラ、ガァラ、ゴタロ、ゴタコ、ゴタラ、シバテン

(九州地方)

エンコ、オト、カワノト、カワノヌシ、カワノヒト、カワコ、カントン、カーダラ、カーボン、カワタロウ、カワンヒト、カワノト、カワノヌシ、カワノヒト、カワンチョロ、カワントロ、カワノトノ、カワントン、カワロ、カリコボ、カワッソ(ウ)、カワゾウ、カワッパ、カーッパ、ガーッパ、ガッコ、ガワッパ、ガーダラ、ガワタロ、ガンチョロ、ガワッパ、ガータロ(-)、ガントロ(-)、ガントン、ガーッポ、ガグレ、ガゴ、ガラッパ、ガワロ、ガラッポ、ガンバ、ガースッパ、ガーロ、ガタロ、

ガシタロ、ガワンタロ、ガワッパ、ガッタロ、ガァッパ、ガッパ、ガアラッパ、ガワンタ、コウラワロウ、

サンボシ、スイテング、スイテンボウズ、スジンドン、セコ、セコンボ、セココ、セセコ、セコボウ、ヒョ(ウ)スンボ、ヒョウボウ、ヒュ(ウ)スボ、ヒョイヒョイ、ヒュースベ、ヒョウス、ヒョウスヘ、ヘテゴロ、

ヘジコロ、ホグラ、ナサン、ミズシン、ミッツドン、ヤマワロ、ヤマンタロー、ヤマセコ、ヤマオロ、ヤマウロ、ワワッパ、ワラドン

(奄美大島)ガウル、ガワッパ、コーバチ、ケンムン(ケンモン)

(沖縄地方)カムロー、キジムン(キジムナー)、ブナガヤ

異星人遭遇事件百科 

(郡純)(太田出版)(1991年)

<関東地方くらいの広さのある“エリア51”のエイリアンの動向は依然不明だ>

<エリア51では円盤が制作されている>

ラージ・ノーズ・グレイは、オリオン座のベータ星を母星とするいわゆるリゲリアン。地球には植民地の保護監査官のような立場。

・主な異星人の三タイプ

1、オリオン座のベータ星から来ているリゲリアン。通称“グレイ”。身長約1.2メートル、頭部が大きく皮膚は灰色、目はアーモンド型で、両腕は膝の下まで達する。指は4本で2本は長い。指先がかぎ爪、水かきがついている。

2、レティクル座のゼータ星から来ているレティキュラン。通称“グレイ2”。見かけはグレイと似るが頭と目の形がもっと丸い。

3、プレアデス星団から来ている“ブロンド”。金髪で背が高く白人と同じ姿をした異星人。

・ラージノーズ・グレイはその昔レティキュランに滅ぼされた種族なんだ凶暴でレベルが低い。惑星連合政府ではおもに辺地の警備任務についている。

・惑星連合政府というのはレティクル座政府が5百年前に設立した宇宙最大の連合体だ。レティクル座人が実質上牛耳っている。

・米政府と「ラージ・ノーズ・グレイ」が戦争状態にあったことは一度もない。戦争状態は彼ら異星人達の間であったのだ。

『異星人遭遇事件百科』

 (郡純)(太田出版)(1991年)

アイゼンハワー大統領が異星人と会見した

<衝撃を与えたクーパー氏の証言>

・元米海軍の情報部員のウィリアム・クーパーの証言には不正確な所がある。ラゾフスキー博士が、その正確さを保証するクーパー証言のMJ-12項目を、補足をまじえながらまとめてみよう。その内容は要約すると以下の骨子からなる。

1、1953年合衆国政府はロックフェラー財閥の秘密協力のもとに対UFO特別戦略セクションを設立した。

2、セクションの名称は、MJ-12。本部はメリーランド州某所。本部のコードネームは「カントリークラブ」である。

3、50年代半ばMJ-12は、る宇宙種族と極秘協定を結んだ。

4、極秘協定の相手方はオリオン座人。種族名は通称“ラージ・ノーズ・グレイ”である。

5、協定の内容は以下の通りである。

・異星人は地球上で生物実験をおこなう情報を許される。

・合衆国政府は実権を秘密裏に援助する。

・実験の対象は野生動物、家畜のみならず人間を含むものとする。

合衆国政府は実験の援助とひきかえに異星人の先進的なテクノロジーの提供を受ける。UFOの推進原理も含まれる。

・異星人は生物実験および自らの存在を地球人に知られないために必要な措置をとる、(誘拐対象者の記憶の抹消措置を意味する)

『河童よ、きみは誰なのだ』  かっぱ村村長のフィールドノート

大野芳   中公新書        2000/5

<河童の渡来>

・熊本県八代市には、「河童渡来の碑」がある。昭和20年代、球磨川畔に地元の有志によって建てられたものだが、れっきとした由来がある。

・いまから156百年前、中国は呉の国から九千坊という文武にすぐれた頭目に率いられた河童の集団が熊本の八代に渡来し、球磨河口の徳の津(徳淵)から上陸した。彼らは、球磨川や不知火海に住み着き、大陸の医学や土木、織物の技術を伝え、それがここから日本全国に広まった、とするものだ。

 徳淵にある碑文には、「河童は千五~六百年前中国から渡来した」とあり、「オレオレデーライタ」と刻まれている。

・そのころ日本は、応神天皇の時代(270310)である。

・実は、この渡来した九千坊たちには、後日談がある。勢力を増した九千坊たちは、乱暴を働き、川へ遊びにきた女子供たちをかどわかしたりした。ある日、川遊びに行った肥後領主加藤清正(15621611)の小姓が河童に引かれて死んだ。これに怒った清正は、「わが領地で乱暴狼藉をはたらくとは言語道断である。みな殺しにしてくれん」と、高僧たちをあつめて封じさせ、川に毒薬を流した。そして河童の嫌いなサルをあつめて攻めさせ、ついに九千匹もの軍勢をもつ頭目九千坊を追いつめた。九千坊は、封じた高僧たちに詫びを入れ、領内では悪さはしないと約束したが、清正の怒りは収まらなかった。清正から即刻領内から立ち去れと命じられた河童たちは、やむなく隣国の筑後久留米の有馬侯の許しをえて筑後川へ引っ越し、水天宮の眷属として仕えるようになった。

<疫病追儺と福徳招来>

・加藤清正に追われた九千坊のその後である。九千坊の一族は、熊本から筑後国(福岡県)久留米の有馬氏の領地へ移動した。棲家として与えられた筑後川のほとりには、水天宮があった。平家が滅亡するときに道連れになった安徳天皇と外祖母平時子(二位尼)、そして生母の建礼門院徳子、それに日本神話の最初に登場する天御中主神(伊勢神宮に深い関係がある)が祀ってあった。その水天宮の眷属として落ちつき場所を得たのである。

渡来人である九千坊たちは、あらゆる知識を駆使して安産、火災よけ、水難よけ、福徳招来の霊験を発揮した。眷属にすぎなかった河童は、やがて神として信仰され、水天宮信仰は、河童信仰とさえいわれるように出世した。

<須佐之男命と牛頭天王>

・京都八坂神社の社伝によると656年に新羅の牛頭山における素戔嗚尊の神霊を迎え祭り、667年に社殿を建立したものという。しかし、<二十二社註式>などには、876年に常住寺の僧円如が神の宣託によって牛頭天王を、今の社地の樹下に移し祭ったのを起原とし(天竺の祇園精舎の守護神たる牛頭天王を祭ったので祇園社と称すると伝えられる)、そののち藤原基経が威験に感じて精舎を建立した。これが今の社壇であるとみえている。

・主祭神は、須佐之男命。またの名を牛頭天王という。

・また、高知県で河童を<シバテン>と呼ぶところから、インドの<シヴァ神>を連想した。須佐之男命の荒々しい性格に似た破壊の神である。別名パシュパティといい、ネパールでは雨乞いと豊穣の主祭神とされる。しかし、水牛にまたがるその神の和名は「大威徳明王」と呼ばれ、姿形は似ていないのである。

 もし、<河伯=神農=牛首=牛頭天王=須佐之男命>となれば、故に<河伯=須佐之男命>になり、一挙に解決するはずなのに、最後の一線が超えられないのである。

((インターネット情報) 九千坊本山由来記 昭和31年  福岡河童会発行「九州の河童」所載)

<九千坊物語>

・いまは昔、河童の先祖はパミール山地の一渓水、支那大陸の最奥、中央アジア新琵省タクラマカン砂漠を流れるヤルカンド川の源流に住んでいました。寒さと食糧不定のため、河童たちは二隊に分かれて大移動を開始しました。一隊は頭目貘斉坊(ばくさいぼう)に率いられて中央ヨーロッパ、ハンガリーの首都フタペストに到着し、この地に棲息しました。頭目九千坊は、瑞穂の国日本をめざし部下をひきつれて黄河を下り黄海へ出ました。そして泳ぎついたところは九州の八代の浜です。仁徳天皇の時代、今からざっと干六百年の昔です。九千坊一族は、球磨川を安住の地と定めました。

<加藤清正に追われた九千匹の河童の大移動。尻小玉を抜いたばかりに>

・三百三十年前、肥後の国の城主は加藤清正でした。清正の小姓に眉目秀麗な小姓がいました。清正寵愛の小姓に懸想した九千坊は、約り糸をたれていた小姓を水底に引きずり込んで、尻小玉を抜いて殺してしまいました。清正公は大いに怒り、九千坊一族を皆殺しにせんと九州全土の猿族を動員することとなりました。関雪和尚の命乞いによって球磨川を追放された九千坊一族は、水清く餌豊富な筑後川に移り、久留米の水天宮(安徳天皇と平清盛と時子二位局とを祀る筑後川治水の神)の御護り役となりました。幕末、有馬家高輪の下屋敷内に水神様が祀られ、九千坊一族は、その近くの海に移り住みました。文化年間、有馬家は、水神様をお江戸は日本橋蛎殻町へ移し水天宮を祀りました。すると九千坊の-族も、日本橋へ転居し隅田川へ。ところが何しろ、九千匹の河童ども。中には色好みの河童もいれば、食い気ばかりの河童もいました。人畜にいたずらをする河童もあれば、水中交通道徳を守らない河童もいます。頭目九千坊より破門されたこれらの河童たちは、全国の川に散っていきました。

<お江戸を見切って筑後川へ>

・江戸というところは部下の統率上おもしろくない場所であると悟った頭目九千坊。有馬の藩主に許しを乞い、古巣筑後川に帰ってきました。筑後川は餌まことに豊富である上に、筑後川沿岸や、その支流巨瀬川畔の人々は、人情こまやかで河童に対しても親切であり、まことに天然の楽土。九千坊は部下の河童どもとここを安住の地と定め、九十九峯とも呼ばれる耳納山地が眺められる、水清き巨瀬川の田主丸馬場の蛇淵を本拠とし、今日に及んでいるとか。

「羽咋市 『宇宙とUFO、国際シンポジウム』の記録」{1991年}

<初めに不思議ありきー水産庁調査船「開洋丸」が遭遇した巨大UFO(永延幹男 博士) >

<1986年12月21日の遭遇>

・次は、カリフォルニア沖の海洋調査に向かう際、ハワイ、ウィク島を航海している時である。私は、乗船していなかったが、乗員7名が目撃し、データについて相談を受けた。まず、夕刻6時に3名がワッチに当たった時、レーダー上で左舷側に直径400mの物体を観測した。しかし、天候良で明るかったのに肉眼、双眼鏡では確認できなかった。その時はすぐに物体はレーダー圏(2030マイル)外へ去った。

・2度目は、次のワッチのグループが午後8時30分に目撃している。この時もレーダー上では観測されているのに、肉眼ではできていない。「ブォー」「ドン」という音を聞いている。時速5000kmで直角ターンをしたり、船の周囲を回ったり船の前方で「卵をつぶしたような強烈な光」が、12秒間光ったりしたそうである。

『遠野物語事典』

(石井正巳) (岩田書院)2003/7

<マヨイガ>

遠野では、山中にある不思議な家をマヨイガという。マヨイガは白望山(しろみやま)にある。黒い門があり、あたりは紅白の花が咲いていて、牛、馬、鶏がたくさんいる。家に上がると、膳椀の支度がしてあり、湯も沸いているのだが、人はだれもいない。

<河童(かっぱ)>

「川には河童が多く住めり」と明示される。この話では、河童とおぼしきものの子を、人間女が産んだ話が紹介される。女が河童の子を二代や三代の因縁にあらず産んでいるともされる家。

遠野には、河童が婿入りをして、子供を生ませたという家なども残っていた。

<異人>

「大男で、眼の光きわめて恐ろしい」人物が、人間が目をふさいでいるうちに消えてしまったという話。

「異人は山の神にて」とあり、「山の神」を異人としていることがわかる。

「遠野郷の民家の子女にして、異人にさらわれていく者年々多くあり」という話で、異人とされる者の外見や特徴は何一つ記されていない。「異人」とは、その姿形、容貌が普通の人間とは異なっている者を指していうのだろう。普通の人間が持ち得ない能力を持っていることもあったようだ。

『村落伝承論』    『遠野物語』から

三浦佑之        青土社  2014/6/24

<神隠しと境界――封じ込められる神>

・『遠野物語』には、山の中で山男や山女に出会うという猟師たちの体験談が満ち満ちている。それらの伝承に正面から立ち向かって山人論を展開させようという準備も勇気もないのだが、『遠野物語』の山人譚をみてゆくと、それらの話群には二つの傾向があることに気づく。一つは、山に入ってあちら側の者、山男や山女・大坊主・天狗などに出あう話であり、もう一つは、山の中で、以前に里からいなくなった娘に出あい山人との生活の様子を聞くという類の話である。

<1 神隠しに遭う女>

ある日猟師が、村から突然いなくなった若い娘に、山中で出あう。娘は、隠された後の山男との恐ろしい生活を語り、早く立ち去れ、誰にも言うなと言う。『遠野物語』の神隠しの話はどれもこのような語り方で、ほぼ一定の説話的様式性をもって語られている。たとえば、次のような話である。

A 遠野郷にては豪農のことを今でも長者と云ふ。青笹村大字糠前の長者の娘、ふと物に取り隠されて年久しくなりしに、同じ村の何某と云ふ猟師、或日山に入りて一人の女に遭ふ。怖ろしくなりて之を撃たんとせしに、何をぢでは無いか、ぶつなと云ふ。驚きてよく見れば彼の長者がまな娘なり。何故にこんな処には居るぞと問へば、或物に取られて今は其妻となれり。子もあまた生みたれと、すべて夫が食ひ尽くして一人此れの如く在り。おのれは此地に一生涯を送ることなるべし。人にも言ふな。御身も危ふければ疾く帰れと云ふままに、其在所をも問ひ明らめずして遁げ還れりと云ふ。         (『遠野物語』六話)

神隠しに遭った女は、一度だけ村人の前に姿をみせて、それまでの恐ろしい生活を語るというのが、こうした話のきまった語り口である。『遠野物語』でこの話の次に並べられた第七話の話もほとんど同じかたちで語られているし、『山の人生』にも同様の話は数多く引かれている。ここでは、「長者の娘」と語っているが、これは不思議に出あう女たちに共通する。豪農や豪家など恵まれた家の女たちが狙われるのは、たぶん、神話的な、選ばれた家筋、神に血筋をもつ家の娘=神を迎えることのできる巫女的な存在としての女に繋がっているのが、これらの神隠し譚における娘たちだからであろう。巫女を説話的に語れば、美しく豊かな家の女というふうになるのが、説話表現の様式性である。出あった猟師がすぐに鉄砲を撃とうとすると語るのも、この類の話には多いのだが、そこには山中で不思議に出あった猟師たちの恐れの言語化があると読める。だから娘に出あって話を聞いただけで逃げ帰るといった類型化された展開をとる話が多くなるのである。

・女の語る境遇も、よく似た語られかたをする。いずれの場合も怖ろしいものの妻になっており、だから当然子供も生まれたという。しかしその子は「すべて夫が食ひ尽して」しまったと語る。第七話でも女は、「子供も幾人か生みたれど、我に似ざれば我子非ずと云ひて食ふにや殺すにや、皆何れへか持去りてしまふ也」と語っている。

・子供を食ってしまう(らしい)という共通した語り口をとるが、それは、「自分には並の人間と見ゆれど、ただ丈極めて高く眼の色少し凄し」(第七話)と語られている相手の男が、普通の男のようでありながら、ただの人間ではないということを語るための象徴的な描写だということを示している。たとえば、昔話で、山の中の一軒家に棲む山ん婆が囲戸裏に架けた鍋の中で赤ん坊の肉をぐつぐつと煮ており、押し入れのなかには人の骨をいっぱいに押しこんでいたなどと語るのと同じことなのである。

 もちろん、いつも一人で逃げ帰るのではなくて、勇気のある猟師が、出あった女を連れ帰ろうとしたというふうに語られる場合もある。

B 女は猟人に向って、お前と斯うして話して居る処を、若しか見られると大変だから、早く還つてくれと謂ったが、出逢って見た以上は連れて還らねばすまぬと、強いて手を取つて山を下り、漸く人里に近くなったと思ふ頃に、いきなり後から怖ろしい背の高い男が飛んで来て、女を奪ひ返して山の中へ走り込んだ。        (『山の人生』)

・一度山に入り、恐ろしきものの妻になった女は、二度と元の里にはもどることができないのである。ただ一度だれかに出あうのは、彼女たちが確かに怖ろしきものの妻であることの存在証明なのだ、と説話表現の面からはいえるだろう。

・殊に自分たちが大切な点と考へるのは、不思議なる深山の婿の談話の一部分が女房にも意味がわかつて居たといふことと、其奇怪な家庭に於ける男の嫉妬が、極端に強烈なものであつて、我子をさへ信じ得なかつた程の不安を与へて居たことである。即ち彼等は若し真の人間であつたとしたら、あまりにも我々と遠く、もし又神か魔物かだつたといふならば、あまりにも人間に近かつたのであるが、しかも山の谷に住んだ日本の農民たちが、之を聴いて有り得べからずとすることが出来なかつたとすれば、そは必ずしも漠然たる空夢ではなかつたらう。誤つたにもせよ何等かの実験、何等かの推理の予め素地を為したものが、必ずあつた筈と思ふ。

・相手の男は、人のようで人でなく、人里に出れば人に紛れてしまう(第七話)と語るように人間に近い存在で、そう語ることで山人への恐怖は増幅されているのだが、そのあたりのことを柳田はうまく表現している。そして、彼がこうした話の背後に「何等かの実験、何等かの推理の予め素地を為したものが、必ずあつた筈」だと考えたのは、<日本の先住民としての山人>の実在を考えていたからである。


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by karasusan | 2016-03-09 21:41 | UFO | Comments(0)