きりんといってもジラフではない。中国でいわれているのは、キリンビールのラベルに貼ってある、あの「麒麟」である。(1)

『水木しげると行く妖怪極楽探検隊』

荒俣宏   角川書店   2004/8/6

<日本のピラミッドと神の声>

・わたしが挑んでいる山は、広島県の奥の奥、庄原というところにそびえる葦嶽山だ。通称“日本のピラミッド”。しかも、自分をここへ導いたのは、妖怪学の泰斗として世に隠れもない水木しげる大先生だ。大先生は、だいぶ先のほうから、「コリョマタ、がんばれ」と吠えまくっておられる。当然だろう。この山頂に、戦時中日本軍がわざわざ破壊し抹殺してしまった幻のストーンサークルがあるはずだからだ。

 もちろん、こういうことになるには予兆があった。世界のあらゆる不思議に好奇心を燃やしつづけてきたわたしにとって、古代から伝わる地球各地の聖地は、人類史最大の謎を秘めたスポットである。なぜ富士山は神聖なのか、なぜ出雲には神々が集まるのか、なぜ岩木山は死んだ人の魂を天にのぼらせるのか。そうした聖地と魂とのかかわりが解明できれば、人間がはぐくんできた霊的文明の起源も分かるはずだ。

・そんなときだった。19973月、出雲から真南に下った中国山地の一角、三次市というところから奇怪な依頼が迷いこんだ。水木大先生に、三次妖怪城なるアミューズメントパークを建ててほしい、というのだ。

 水木大先生は飛びあがって驚いた。なぜなら、そのとき大先生は「週刊文春」に頼まれて、江戸時代に三次に出現したという多数の妖怪に関する挿絵を描きだしていたからだった!

 不肖アラマタが同誌に連載することになった伝奇小説『帝都幻談』には、三次で実際に起きた怪事件“稲生物怪録”が登場する。江戸の国学者平田篤胤によって「中国文化の影響をまったく受けていない。真にオリジナルな幽霊界の報告」と折り紙をつけられた実録ものだ。

 三次に住んでいた16歳の少年稲生平太郎が、比熊山から出てくるさまざまな妖怪と一ヶ月間対決し、ついに妖怪側を降参させたという実話である。その妖怪がどんなにユニークだったかは、問うまでもない。絵巻が残っているので一目瞭然だ。

 水木大先生は「妖怪に呼ばれたな」と思い、三次へ出向き、問題の比熊山に登った。このあたりは古代の砂鉄の大産地で、おびただしい古墳が発見されているように、2千年前は大文明地だった。しかもここは江の川に馬洗川、さらに西城川などが合流し、なんと卍の形をつくっている!風水スポットなのだ。

 その瞬間、大先生は天の啓示にぶつかった。なんと目の前に2千年前の古い砦とたたら湯が浮かびあがった。「幻視」だ。その幻を見たとき、大先生は急にひらめいた。ひょっとしたら、ここが原出雲ではないのか。太古、出雲は海ではなく山にあったのではないか、と。

 そのとたん、電光のようにひらめいたのが、どこかで読んだ話だった。“日本のピラミッド” 葦嶽山(あしたけやま)のことだった。今から2万年前に築かれた人工の霊山と噂され、神武天皇の陵墓があるともいわれる山、あれは、この近くではなかったのか?

 日本のピラミッド、超古代の遺跡は、妖怪が出た町、三次から車でほんの2030分、庄原にあった。大先生はすぐに案内してもらい、ピラミッドの山頂で奇跡的な巨石遺物に対面し、思わず、

「ここが原出雲の聖山だったか!神は、縄文以前の出雲にさかのぼらないと霊のことは分からない、といいたかったのか!」

・――そんなわけで、わたしたちは葦嶽山に挑んだ。地元研究家・森永真由美さんのガイドを得て、歩くことおよそ2時間。ついに山頂に達した。この葦嶽山は、どこから見ても三角形に見え、頂上もまた一辺34メートルほどの三角形をした平地になっている。10人も上ると身動きがとれぬほど狭い。

 さっそく風水用の羅盤で方位を測った。頂上の形はおおむね直角三角形になっており、直角をはさむ二辺がほぼ南北、東西に向いている。

「方位がきっちりしています。古代につくられた聖なる人工物の要件を満たしてますな」

 と、わたしたちはうなずきあった。頂上には半ば土に埋もれた石が、いくつかある。これが旧日本軍により破壊されたストーンサークルの残骸である。ストーンサークルの中心に「太陽石」と呼ばれる聖石もあったが、軍はこれを持ち去ったという。

・日本に限らず、世界の古代人は、おおよそ5千年ほど前に、石と霊魂とを結びつけた不思議な文明をつくりあげた。聖地に大きな石を立てて印とするのだ。石は、神の依代となる。また死者の霊を封入する家ともなる。

・その証拠が『古事記』に語られている。イザナミが死んで黄泉の国へ下ったとき、イザナギは妻が恋しくて横泉まで追って行った。しかし、見るも無惨に腐り果てた妻の姿を見て、夫は恐怖のあまり地上へ逃げる。この世とあの世の境にある黄泉比良坂(よもつひらさか)まで逃げたところで、イザナギは千引の岩を立てて道を塞いだ。そしてふたりはこの石の両側で相手を直接見ることなく会話したという。

 この神話は、巨石信仰の本質をみごとに伝えている。まず、あの世とこの世の境に立てた石であり、この石を通じて死者と生者とが対話することが注目される。また境に置かれた石は、のちに塞の神とか道祖神と呼ばれ、安全を守り多産を実現する霊石ともなる。

・ギリシアにはペロポネソス半島とエーゲ海を中心に、たくさんの聖地がある。デルフォイ、アテナイ、デロス島、ロードス島などだ。フランスの古代聖地研究家ジャン・リシェは、こうした聖地を探訪していて、在る事実に気づいた。それは、各聖地が一本の線でつながることだった。おまけに、どの聖地も神託や予言が行われるシャーマンの土地だった。人間が神と対話できる場所こそ「聖地」なのだ。

・夢は、その疑問に答える形で展開した。リシェは夢の中で、大きな石像の背後をみつめていた。ふいに、その石像が時計まわりにまわりだし、顔を向けた。それはなんと、光と太陽の神アポロンであった。

 リシェはまだ夢の中にいる。こんどは地図をひろげていた。地図をみると、デルフォイとアテナイには、ともに大神アポロンを祀る神殿があるではないか。この二地点に線を引き、ふと先を延長させてみた。すると、線がデロス島の上を通過した。ここはアポロンが生まれた島だ。さらに延長すると、アポロン崇拝の中心地ロードス島にぶつかる。そのほかの線は、パルナッソス山やイーダ山やカルメル山などギリシアでもっとも神聖な山々をもつないでいた!

 こうして史上有名な聖なるライン「アポロン・ライン」は発見された。のちにこれをヨーロッパ側にも延長させると、フランスの有名なモン・サン・ミシェル、イギリスのセント・マイケルズ・マウントなどにぶつかった。ミシェルあるいはマイケルも光の天使ミカエルに由来し、その源はアポロン神にあったのだ。だから、アポロンの線なのである!

 近年、このアポロン・ライン上では、神がかりする巫女、啓示を受けた聖人、高名な芸術家、オカルティスト、そしてUFOまでもがすさまじい比率で出現していることが分かった。以来、ヨーロッパの聖地研究は従来の考古学や民俗学とはまるで別の、霊学的段階にはいった。

<中国の妖怪「瑞獣」-わたしたちを護る良い兆しの前触れー>

・隣の中国でもそのような怪物を専門にみつける人々がいたが、考え方はヨーロッパとはまったく違う。中国では、世の中をよくしてくれるシンボルとして怪物が出ると考えていた。怪物は怖いどころか、やさしくて親切な存在なのである。わたしたちを護ってくれるのである。日本もそうなのである。ヨーロッパでは、天変地異が起こるシンボルとして怪物が出てくるということで恐れたのが、中国と日本では怪物が出てくると世の中に何かとてもいい兆しがあると考えていた。まったく正反対なのだ。

 そこで、そのような怪物たちに「瑞獣(ずいじゅう)」という名前をつけた。「瑞」とは、良いことが起こってめでたいという意味で、この獣を多くの人が探したのだ。その中で中国でまだ一回か二回しかみつかっていないといわれている最大級の瑞獣の一つに「きりん」がいる。きりんといってもジラフではない。中国でいわれているのは、キリンビールのラベルに貼ってある、あの「麒麟」である。

・もう一つ、「白澤(はくたく)」というのがいる。これも中国でまだ12回しか見かけられたことがない。この白澤が出ると、世の中が平和になると信じられ、多くの人がこの獣を探した。白澤のシンボルは、体に8個ないしは9個。目玉がついていること。その目玉がぎょろぎょろと四方八方をながめるという、体じゅうが目だらけの鹿に似た動物である。これは中国では12回出た記録があるものの、日本ではたぶんまだ出てきたことがないと思う。霊界にいる動物なので、めったに出てこない。これから現世がよくなる前兆として、ちょこっと出てくるというすばらしい妖怪なのだ。

<日本における中国型・ヨーロッパ型の妖怪>

・たとえば、富山は白澤(はくたく)の仲間が何度か目撃されているという非常にラッキーな県といえる。その妖怪は、立山のあたりだけに住んでいる妖怪で、名前を「くたべ」と言う。お年を取られた方は聞かれたことがあるかもしれない。目玉がいくつかある白澤と同じような姿をした、なんとも正体不明な怪物である。

 どんなときに姿を現すかというと、天変地異が6年か7年続くその少し前に、富山の人々のために、聖地、聖なる場所で立山の奥の方から下りてくる。こちらはちょっとヨーロッパ的で、警告する妖怪といってもいいだろう。心優しい、いつも敬虔でまじめに暮している人達の前に現れ、「わたしはくたべという。わたしは富山の人々に警告に来た。世の中は悪くなるから、すぐに今見ているわたしの姿をあなたは絵に描きなさい。絵に描いて、それを村じゅうに配りなさい。もらった人たちは、それを家の前に貼りつけておけば、ここはくたべの住んでいる場所だからというので、災難が去ってしまう。だから、くたべの絵をたくさん貼りなさい」

という命令をして、また山の中に帰っていくのだそうな。

<妖怪はこわいー柳田国男の『妖怪談義』からー>

・近代にあって妖怪をまじめに人間社会と文化の問題としてとらえようとした先達の一人に、有名な民俗学者、柳田国男がいる。この人は、妖怪を「こわい存在」「おそろしい存在」と考え、夕暮れになると人界に混じって活動する霊的存在、正体不明の異神として、畏怖の対象にした。そして、神隠しや災害にまつわる多くの妖怪話を収集した。柳田は日本全国の妖怪を調査したが、わたしの生まれた東京などでも妖怪の話は随分聞かれたものだった。わたしが決定的に妖怪っておもしろいな、少し調べてみようかと思ったきっかけがあった。それは、柳田国男が著した『妖怪談義』という本を読んだことである。文庫本でとても薄いので一日もあれば読めるが、これはなかなかすごい内容の本といえる。

<柳田は妖怪を怖いものと定義づけた>

・わたし自身にも「夕暮れ」のこわさは思い出がある。人も物も見えなくなっていくこわさは、ちょうど、海で遊んでいて満潮になりかけたことに気づくのが遅れ、沖の岩の上にとり残されたときのゾッとするこわさに似ている。危険の境界線というわけだ。

 夕方は「たそがれどき」という言い方をされる。この「たそがれ」を柳田国男は非常に上手く説明をした。「たそがれ」は、「たはそれ」という言葉から来たというのだ。「おまえはだれだ」という意味だ。「たそ」は「だれだ」、「かれ」は、「あの人は」で、合わせて「たそがれ」。あるいは、「あの人はだれ」という意味から「かはたれ」とも呼ばれる。つまり、顔を見ても暗いから分からない、そのような時間帯を指す。そうした時間帯に妖怪がやってくるのだ。

<妖怪と道>

・ところで、先ほど少し触れたが、妖怪と道とには大変深い関係がある。東海道五十三次にしても、さまざまな旅をしていると妖怪に出会う話がたくさんある。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも、死人の魂を喚びだす話や、宿屋のお化けの話が出てくる。お化けや幽霊も一緒になって、とにかく旅に出れば妖怪に出会うといっても過言ではない。現に、柳田国男は妖怪研究を民俗学としてスタートさせたが、その著書である『遠野物語』を見ても、やはり東京から遠野のほうへと旅をして、その旅で不思議な話を聞くという形式で物語を記している。わたし自身、旅をする、あるいは道を行くということは、妖怪と大変関係が深いという事実を、ふとしたきっかけで知るようになった。

<『東海道中膝栗毛』にみる妖怪>

・その例を記している江戸時代の代表的な作品に『東海道中膝栗毛』という弥次さん、喜多さんの旅行話を綴った作品がある。今日では小学生から中学生まで読めるように分かりやすい物語に書き直されているので、どなたも読んだことがあると思うのだが、よく読んでみると、弥次さん、喜多さんは年じゅう魂や神様、またお化けや妖怪に出会っている。話の中では、とくに静岡県や小田原の付近からすでに妖怪が出始めている。

 

・最初に妖怪に出会うのは弥次さんのほうである。どのような妖怪かといえば、亡くなった奥さんの霊だ。子供向きの再話ではカットされているかもしれないが、弥次さんの奥さんがお化けになって出てくるシーンがある。もちろん姿が出てくるのではなくて、いたこ、口寄せの巫女の口を通じて、恨めしいと言うために出てくることにはなるが。「あんたのせいで病気になって早く死んじゃったじゃないの。若い頃にいいべべを買おうと思って、こつこつ貯めてきれいな着物を買ったと思ったら、あんたが質屋に入れて博打に使っちゃったじゃない。どうしてくれるのよ。早くいらっしゃい、あの世へ」と、催促にくるという話が載っている。これは、じつにこわい。弥次喜多でも、お化けはこわい。おもしろいことに、『東海道中膝栗毛』にはお化けの話がたくさん記されているのだ。

<妖怪接触の記録ホルダー・稲生平太郎>

・そしてもう一人、平田篤胤は決定的な人物に出会っている。この人物は日本でも最も多くの妖怪に出会った記録ホルダーだと思う。もちろん実在の人物だ。広島に三次というところがあって、そこに稲生平太郎(いのうへいたろう)という少年がいた。やはり寅吉と同じように少年で16歳のときに、71日から晦日まで、毎日毎晩、妖怪に絡まれたり攻撃を受けた。そのたびに妖怪をやり過ごしたり、追い散らしたために、とうとう妖怪側のほうも出す駒がなくなってしまい、最後に妖怪大将、山本五郎左衛門(さんもとごろうざえもん)というのが出てきて、「あんたはすごい、30日間いろいろな妖怪を出したけれども全然驚かなかった。もう参りました。われわれはこれからあなたのもとを去ります。もうこの日本では悪さをしません。許してください」と言って去っていったというのだ。

 これは物語ではなくて実話だとされている。三次に行くと今でもその跡が残っていて、血はつながっていないが、稲生平太郎の子孫に家督はつながっているから、ほんとうに実在したのである。この人物が記録ホルダーであろう。おそらく百以上の妖怪と毎晩のように対峙した。

<篤胤の結論>

・平田篤胤は江戸で稲生の絵本を手に入れ研究をつづけ、ついに妖怪の世界のリアリティを解明することに成功した。かれが出した結論は興味深い。現代の妖怪の世界の感性と非常に近いのだが、今まで妖怪の世界は山の上や深い海の中にあり、海坊主のように海の中から出てきたり、空の雲の中、あるいは魔界や黄泉の国や地獄から出てくると思われていたのだが、篤胤は寅吉や平太郎の聞き書きを続けた結果、きわめておもしろい結論を次の三点にまとめている。

 第一点は、妖怪たちがすんでいる幽冥界、幽界はわれわれの世とはほとんど重なっている。さらいいえば、両者のあいだにあまり違いはないと述べていることだ。なにしろ、向こうも浅草のりを食べているわけであるから、ほとんど一緒の世界である。ただ、重なっているにしても、おたがいに少しフェーズが違うので、たまたまうまく出会わない。場合によってはぱっとそれが一致して重なり合ったとき、妖怪の世界とこちらの世界が自由に行き来できるようになる。稲生平太郎のように毎日出会うこともできるし、寅吉のように連れていかれて向うの世界で修行をしたり、成長を促されたりすることもできる。

 そのように、この世と妖怪たちがすんでいる世界は非常に一致している。それゆえ、柳田国男が言った「たそがれどき」に妖怪が出てくるという話とも関連する。同じ空間に重なっていれば、昼と夜が替わるときに出入口があくことも十分に考えられるわけだから。

第二点は、妖怪の世界に出会う一つの要因として、われわれの心の持ち方、あるいは心の特殊な能力によると述べていることだ。つまり、現代の精神医学のようなことを言っているのである。その証拠に、篤胤は寅吉などに聞き書きをするときに、かならず脈を取り聴診器を当てている。「大丈夫かな、この人は熱に浮かされているんじゃないだろうか」と、体の健康をチェックした上で話を聞いているのだ。

 さらに、同じ話を何度も繰り返して話させ、その人が創作、でっち上げを言っているのではないことを確認してもいる。それだけ詳しく科学的な例証で得た結果だということなのだ。そして、霊界とこの世はつながっている。決して遠い地下にあるわけでもなく、遠い天の上でもなく、ただ裏と表のような関係で重なり合っていると記している。

 

第三点は、わたしたちと妖怪とはおたがいに一つの世界に重なり合っているだけではなくて、効果やあるいは影響を及ぼし合っているということ。とくに、篤胤が究明したのは、現在の言葉でいうところの守護霊といわれるものだった。かれは長年にわたる研究の中で、わたしたちはこの世の中でうまくいったり、ラッキーになったり、あるいは不幸になったりすることがあるのだが、これは重なり合った妖怪の世界に、わたしたちを守ってくれている存在があるためだ、と結論づけた。この世にわたしがいれば、そのつながっているあの世にもわたしのあの世版がいる。このわたしのあの世版が、この世のわたしを守ったり、高めてくれていると考えたのである。

<●●インターネット情報から●●>

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)から

<白澤>

白澤または白沢(はくたく)は、中国に伝わる、人語を解し万物に精通するとされる聖獣である。

「澤」と「沢」は同字の旧字体と新字体(当用漢字体)であり、新字体を使う現代日本語では「白沢」を使うのが本則であるが、部分的に旧字体を使う書籍などで(新字体の文章中であっても)旧字体の「白澤」が使われることがある。

麒麟(きりん)や鳳凰(ほうおう)と同じく、徳の高い為政者の治世に姿を現すとされる。

東望山(中国湖西省)の沢に獣が住んでおり、ひとつを白澤と呼んでいた。白澤は能く言葉を操り万物に通暁しており、治めるものが有徳であれば姿をみせたと言う。

中国神話の時代、三皇五帝に数えられる黄帝が東海地方を巡行したおりに、恒山に登ったあとに訪れた海辺で出会ったと言われる。白澤は11520種に及ぶ天下の妖異鬼神について語り、世の害を除くため忠言したと伝えられる。

『礼記』によると、冬になると陽気を受けて角を生じるとあり、白い躰に陽を受ける姿を見て、白澤となったのかもしれない。

<●●インターネット情報から●●>

<妖火くたべ(くたべ) 妖火 >

 江戸末期に越中(富山)に現れた人面牛体で、腹部の両横にも眼があったと伝えられる。

 くたべは山に登ってくる人に対して「四、五年以内に原因不明の難病が流行り、多くの死者が出るであろうが、わたしの姿を見た物か、あるいはわたしの姿を絵に描き取り家に貼っておけば、その難を回避出來るだろう」と告げたと言う。

 容姿やこの逸話から、白澤と異名同妖であると思われ、くたべが越中に現れたことと関係してか、白澤は漢方薬の守護神とされ、一部で信仰の対象になっている。

 また同時期に発行された瓦版にはスカベと言う、「紅い腰巻きを着けた全身真黒な老婆で、四つん這いになり鼻を摘んでオナラをする」というモノが現れたという。明らかにくたべと空かしっ屁の語呂合わせであるが、江戸の両国や広小路で見せ物になっていたという記録も残っているらしいから驚きだ。

(文責:カメヤマ)

・参考文献:日本妖怪大全,カラー草紙 妖怪・土俗神

・属性:山

・出現地区:中部地方,富山県

・小説など:

・その他キーワード:

『宇宙連合の飛来』

 喜多要光  大陸書房  昭和50年

<地球文明と宇宙人>

<シリウス星人の地球入学>

・地球独特の生物の進化がすすんでいる頃、神の子と呼ばれる霊魂の大群が地球に移住して来て、ある形の肉体に宿った物が人類である。人間が他の哺乳動物と根本的に違うのは、そのためである。類人達の一種が大気圏外からやって来た霊に利用されて、人間の原形となったことは、間違いない。

人間はシリウス太陽系から集中された念波により、修養のため、苦しむ囚人として地球に送られて来た。人間の精神は神によって創られた聖なるものであるけれども、そのに肉体の重さという物理的な制約をうける。

・神の子達は、類人猿を妻としたのだ。そして、その子孫が洪水前の人類、すなわち先史原始人である。だからこそ、その肉体的な特徴は類人猿的、精神的な特徴はシリウス太陽系内の遊星から来た移住人達と同様なものとなったのだ。

・そして、シリウス星人は、思念を通じて物を創造する力を持っていたので、肉体を自分たちの思う通りに少しずつ変化させていき、長い年月の間に獣的な面が多くなって数々の怪物を作りだした。

ギリシア神話に出てくる蛇の髪を持つゴルゴン、半獣(ライオン)半鳥(ワシ)のグリフィン、半人半鳥のケンタウルス、蝶の羽根を持つ人間といってもほとんど獣と異なるところがなくなってしまった。この忌まわしいものを一掃するため、地球上に大変災を送る計画がたてられ、ついに大洪水が彼らに襲いかかり、純粋な肉体を持つものだけが、残されたのであった。

『秘密結社の事典』 (暗殺教団からフリーメイソンまで)

(有澤玲)(柏書房)  1998/12

<世界の中心>

・世界の中心を目指す探求、遍歴、巡礼の物語は、古代の神話や伝説に共通して見られる普遍的なモティーフでもある。此岸と彼岸の接点に位置し、万物の存在と流転をつかさどる世界の中心は、天地創造の原点に当たる究極の聖所であり、神勅という形で至聖のエネルギーを直接授かることができるので、その上に神殿が築かれることも珍しくはなかった。典型的な例がギリシアのデルフォイにあった。「アポローンの神殿」であり、その内陣に鎮座していたオンファロス(世界の臍)と呼ばれる霊石は、世界の中心の代名詞としても知られている。一方、ユダヤやイスラームの伝承に従えば、世界の中心はソロモン神殿の礎石とされるシェティヤーにほかならない。

17世紀には薔薇十字団運動が一世を風靡したため、諸国を漂泊する「不可視の」熟達者たちの本拠地を世界の中心に比定する伝説が幅を利かせるようになった。19世紀になると東洋趣味の影響もあって、熟達者たちの住まわる王国はインドかティベットの秘境にあるとする見解が定着し、オカルティストのサン=ティーヴ・ダルヴェードルや自称・冒険家のF・オッセンドウスキといった人たちが地下王国{アガルタ}の実在を自明の理とする蠱惑的な著書を刊行して世人を魅了した。

99万年の叡智(近代非理性的運動史を解く)

(荒俣宏)(平河出版社)  1985/9

<中央アジア地底王国幻想>

<アジアの中心(アガルタ・シャンバラ幻想の魔術>

<地底王国とシャンバラ=アガルタ伝承>

・近年わが国のオカルト史家にもにわかに注目されだしたテーマに、いわゆる<アガルタ=シャンバラ伝承>なるものがある。換言すれば、中央アジア地底王国幻想というところか。もっとも、日本ではロシアの神秘家ニコライ・リョーリフが上梓した著作『シャンバラ』の名のみ高く、これがリョーリフの本来めざした転生神カルキの誕生する聖なる領域というイメージを離れ、一部「地球空洞説」論者が提起したシャンバラ=地下の世界支配帝国仮説に一方的に引きずられている状況ではある。また、アガルタに関してはまだ本格的な論述があらわれていない。

・そもそも19世紀に至って、アガルタ=シャンバラ伝説がオカルティストの想像力に火をつけて以来、この神話は複雑な発展段階をたどり、霊的共同体の新しいモデルとなる一方、マクラレンが述べたとおり、「ヴリル力」という奇妙なエネルギーの源泉地とも考えられるようになった。そのために、このエネルギーをもとめて、ナチス・ドイツやロシアはアガルタ=シャンバラを軍事占領することさえ試みたといわれる。だがしかし、アジアの地底王国伝承とオカルト・パワーの両者は、なぜ、また、いつ、だれによって、このように結合されたのか。

99万年の叡智』 (近代非理性的運動史を解く)

(荒俣宏)(平河出版社)   1985/9

<アガルティの聖なる都市シャンバラの超科学>

<シャンバラ>

・アガルティには、シャンバラと呼ばれる市がある、との新しい情報を聞かされた。以後、リョーリフはアガルティという「地域名ないしは王国名」よりも、シャンバラなる「都市名」を好んで用いるようになり、1930年には聞き書きや彼の体験を集めた著書『シャンバラ』を出版した。これが主としてアメリカで評判となり、シャンバラの名はかってのアトランティスやレムリアと同じように魅力あふれる理想郷の代名詞となった。

・「シャンバラには人間の思いもよらぬ力や業績が無数に存在し、その秘密は人間に洩れぬよう厳しく護られている」つまり、アガルティの聖なる都市シャンバラには、核兵器に匹敵するようなすさまじい威力を持つ「力」が開発使用されている、というのだ。

<アガルタ>

<インドに人類超古代史の舞台を求める>

・ジャコリオがカルカッタで採取した多くの伝説の中には、ヒマラヤを遠く越えた北方にあるという地底王国の伝承もあった。その王国から、伸びる地下道はガンジスと結び、聖地に住むのは偉大きわまりない賢者であるという。そして、ジャコリオは、この聖地をアガルタと呼び、これを「エジプト、インドよりもさらに古い文明の中心地」と説明した。

『荒俣宏の不思議歩記』

荒俣宏   毎日新聞社    2004/11/1

<蜂須賀正氏の有尾人調査>

・平成15413日、東京の立教大学で「蜂須賀正氏(はちすかまさうじ)生誕百年記念シンポジウム」が開かれた。永らく忘れられた人物だったので、まことに喜ぶべき復権である。正氏(190353年)は阿波蜂須賀十八代当主だった一方、鳥類学者として華々しい業績を残した。日本人ばなれした冒険貴族でもあった。

・それで思い出したのが、正氏は昭和3年にフィリピン探検を敢行した際、帝大の松村瞭博士から奇妙な調査を依頼された逸話がある。いわく、「フィリピンのどこかに尾のある人間がいるので、これを研究できたら世界的に珍しい報告になるでしょう」。

・かくて正氏は有尾人発見という無茶なミッションを負って出発した。鳥類採集やアポ山登頂など多くの成果をあげたこの探検にあって、正氏は最初のうち有尾人調査にもずいぶんと力を入れたようである。30年前にフィリピンで撮影された証拠写真を入手していたので、自信もあったようだ。その他、マレー半島、ボルネオ島、ニューギニアでの有尾人情報を手にしていた。

・じつは昭和初期、日本には密かな有尾人ブームが起きていた。端緒となったのは、大正期に開催された大正博覧会、つづいて平和記念博覧会にもお目見えした「南洋館」だった。南洋への関心を高めるべく、見世物に近い物産紹介が行なわれたが、その一部に有尾人まで加えた南方の風俗を含んでいた。数年前にわたしは、平和博のときと思しい南洋館発行の絵ハガキに、「ボルネオ、ダイヤ族有尾人」なる写真を発見して、驚きのあまりのけぞった記憶がある。その解説に、正氏が入手したのと同じような、アジア各地の有尾人目撃情報が載っていた。

・しかし正氏の探検隊は、進展とともに純粋な博物学調査に謀殺されていったし、正氏自身もマラリアに罹って以後は有尾人への関心を弱めた。ただ、日本の一般市民は、みごとなキングズ・イングリッシュを身につけ、狩猟の技にもたけ、自家用飛行機で飛び回る破天荒な正氏を、あいかわらず「怪人」扱いしつづけた。たとえば、昭和14年に小栗虫太郎は『有尾人』と題した秘境冒険小説を発表。正氏が実地調査したアフリカ中央部に有尾人「ドド」を出現させた。正氏は絶滅島ドードーを研究し、「ドド」と表記していたから、モデルは正氏その人と思しい。

<平田篤胤の広い関心>

・平田神社に保存されてきた教材の中に、絵軸がいくつも残っている。どれも、晩年の篤胤が最も力を入れたテーマ「幽冥界」と「神代」を解決するのに用いたものだ。霊界だの神の時代(古)だのは、これを目撃した人がいないわけだから、『古事記』などの古典を講義しても、文章だけではどうしても限界がある。そこで篤胤は「物」を用いることを始めた。江戸後期には考古学も進展し、各地で古物の発掘が盛んになっていた。時代の遺物と考えられるものが、文字も含めて発見されていた。篤胤は実物を示しながら講義し、「神代文字」も実際に使ってみせた。神代のことを実物を介して説明したことで、門人たちの理解は画期的に向上したにちがいない。

・しかし、神代はそれでよいとしても、霊界のほうは「物」で説明できない。なにしろ俗世とは別の空間であるから、幽霊や妖怪を捕えて展示するわけにもいかない。そこで篤胤が編みだしたのは、「絵」つまりビジュアルを活用する方法であった。篤胤は仙境や死後の世界を見て現世に戻ってきた「目撃者」を探し、その人たちから徹底した聞き取り調査を行った。仙境で暮らしたという「天狗小僧」寅吉などは、門人にして十数年にわたり調査を継続している。寅吉が伝える仙境の舞踏については、楽士、舞手の配置、見物人の並び具合、果ては楽譜にあたる音曲の詳細まで聞きだしている。

・これらの情報を絵画化し、ついに「見えない世界」の講義術を確立した。たとえば、仙境に住む「角の生えたイノシシ」を、仙界の住民が鉄砲で狩猟する光景を描いた画軸がある。日本一の鉄砲鍛冶、國友藤兵衛が寅吉に確かめたところ、仙人は空気銃を使うと聞いて仰天した。また、それまでビジュアル化されたことがなかった日本の神々の姿をも、篤胤は絵画化した。「高根様」と称する仙界棟梁の肖像は、まことに迫力に満ちている。記紀に語られる地上最初の陸地「オノゴロ島」を克明に描いた軸もあった。国学の教授法の革命だったと思う。

 篤胤を継いだ二代銕胤は、明治維新のあと大学校の開設を計画する役職に就いた。しかし、島崎藤村の『夜明け前』に見るごとく、絶望してすぐに新政府と距離を置いた。平田学派は幽冥界の主神、大国主命や、南朝の天皇にも敬意を払い、独自の神道思想を深めていた。しかも、その担い手は庶民が主体だった。

<稲亭物怪録を覗く>

・広島県の東側に三次という市がある。全国的には無名に近いが、二つの自慢がある。一つは、『忠臣蔵』の浅野内匠頭に嫁した阿久利姫(のちの瑶泉院)。もう一つは、1カ月間妖怪の来訪を受け続けながら耐え抜いた豪の者、稲生平太郎。2人とも三次の出身者で、郷土の誇りといわれる。わたしは『忠臣蔵』にも心惹かれるが、やはり時節柄、妖怪に食指が動く。

・三次市では稲生平太郎の妖怪話を市興しのテーマに据え、すでに「物怪プロジェクト三次」が進行していた。この平太郎は江戸中期に三次に住んだ実在の武士だ。三次藩はその頃廃藩になったあとで、宗藩の広島浅野家から禄を受けてはいたが、仕事もなくブラブラしていた。16歳の平太郎はある日、江戸帰りの相撲取り三ツ井権八に「三次の侍は意気地がない」となじられたことに反発。肝試しと百物語に挑んだ。

・ところが、これで比熊山から妖怪の一団を呼びこんでしまい、71日から1カ月間、毎晩のように妖怪の来訪を受ける結果となった。目玉のついた石、女の生首、割れた頭から出てくる赤んぼう、ぞろぞろはいりこんでくる虚無僧の群、浮きあがる畳、赤い舌でベロベロと舐めまわす大顔、果ては巨大な蜂の巣から黄色い液がボタボタ垂れてくる怪など、ゾッとするような物怪にたたられた。しかし平太郎はついに耐え抜き、妖怪大将を退去させた。この「実話」が広く流布したのは、なんといっても多くの絵巻が制作されたことに拠っている。20026月、県立歴史民俗資料館に寄贈された未見の絵巻『稲亭物怪録』があると聞き、ぜひとも見物したくなった。

・最後の場面、妖怪大将が退散する光景では、無数の妖怪どもがツバメのように長い尾を引きながら宙を飛んでいる。今まで見た平太郎の妖怪絵巻のうちでは最も詳しく、他の絵巻では図示されなかったシーンが続出する。

 さあ、エラいことになった。絵巻のタイトルも『稲亭物怪録』とあり、これまで使われてきた題、『稲生物怪録』とも異なる。他にただ一冊、同じタイトルの写本が慶應大学に所蔵されているが、ここに挿入されていた絵とよく一致する絵巻だ。つまり、これは別系統を構成する作品群の一つなのである。稲生平太郎の妖怪話は、江戸時代から、平田篤胤、泉鏡花、折口信夫など多くの人々を魅了してきた。いまだに実話だったのかフィクションだったのか、全貌が明らかにされていない。この新発掘の絵巻が新たな手掛かりとなり、世にも珍しい妖怪実見記の真相が解明されることを祈る。


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by karasusan | 2016-03-17 16:09 | その他 | Comments(0)