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いずれにせよこの貴重な報告はより多くの、いや全ての人間たちによって共有されるべきものに違いないと思う。(1)

『「正論」  平成28年6月号 』

『東日本大震災秘話  石巻のタクシー  石原慎太郎』

・震災から三カ月ほどしての初夏のある夜遅く石巻駅の前で客待ちしてつけていたタクシーの運転手の車に真冬みたいな分厚いコートを着た若い女性が乗り込んできた。

行く先を訪ねたら「南浜まで行ってください」

「南浜って、あそこはもうほとんど更地で誰もいませんけどいいんですか。どうして南浜へ行くんです。そんなコートを着てて暑くないの」

 質したら、くぐもった声で、

「私死んだのですか?」震えた声で聞き返してきた。

「ええっ」おどろいた運転手が身をよじり後ろを振り返って見たらその姿は消えていた。

・「いやありそうな話だな、何でも余所の会社の車でも季節はずれの着物を着た客を乗せたという話を聞いたぜ、幽霊の気持ちもわかるよなあ。あんただって娘さんを亡くしているんだろうが」

・石巻の別のタクシー会社の運転手も駅待ちしていて同じような体験をさせられた。夏の8月に男の客が自分でドアを開けて乗り込んできた。20歳くらいの若い客だった。真夏なのに分厚いダッフルコートを着込んでマスクをしていた。

・「日和山」と一言答えた。言われるままに走って日和山に到着し客に促して後ろを振り返ってみたら客の姿は消えていた。

・ある町のタクシー運転手は8月の深夜車の回送中手を上げている人影を見、車を歩道に寄せて着けると相手は小学生くらいの小さな女の子だった。何故か季節外れのコートを着込み帽子をかぶりマフラーをし、ブーツを履いていた。

・「お家はどこなの」運転手が答えに頷いてその辺りまで来たら、「おじちゃん有り難う」言うのでドアを開け、その手をとって引いて降ろしたら頷いて背を向けた途端その姿が目の前で煙みたいに消えてしまったと言う。

・「噂ではお前と同じ目に遭った奴はあちこちの会社にいるそうだぜ、何年たっても子供は親に会いたいんだろうな、良い事をしてやったと思うことだな」

・こうした話を聞き取りをして回った当事者は、運転手たちの多くがあちこちで同じ目にあっていると聞かされ、こうした噂に自分の体験をあてはめているように思われる、と記している。

・ということでこの小文は私の小説などでは決してない。これは東北学院大学の震災の記録プロジェクトチームの『呼び覚まされる霊性の震災学』という記録を目にした私の感動を元にした、彼らの多分あまりに報いられることの無かろう貴重な報告を、私以外のより多くの人々に共有してもらいたいとの願いからものしたものだ。

・ベルグソンや小林秀雄は、人間の備えた『想念』の働きによる不可知な現象について肯定し説いているが、私も老年になり人間にとって最後の未来であり、最後の未知である『死』についてしきりに想わぬ訳には行かぬこの頃だが、最後の未来の後に、はたして来世なるものが在るのかどうか考え迷っているが、この報告は大きな啓示の一つとなりそうな気がしている。

 いずれにせよこの貴重な報告はより多くの、いや全ての人間たちによって共有されるべきものに違いないと思う。

『日本よ、再び』

石原慎太郎   産経新聞出版   2006/4/10

水俣病判決

・さる1015日に行われた関西在住原告団の水俣病被害訴訟への勝訴判決を大きな感慨を抱きながら聞いた。司法は事件確認後48年にしてようやく、正当な文明批判としてあの悲惨な出来事に関する国と県の責任を認めたのだった。

実はこのはるか以前、環境庁長官時代に私は、水俣病に関する国の責任を初めて閣議で唱えたが完全に封殺無視された。ちなみに閣議をリードする官房長官は厚生大臣の経験もある園田直氏だった。

・日本の高度成長は、繊維産業と言う手近な手立てでの追い上げから始まったが、良質の繊維製品のためには媒体にするアセトアルデヒドという物質の大量生産が不可欠であり、「チッソ」水俣工場は当時その生産の決定的シェアを保有していた。そしてその工場から排出される多量の有機水銀が前代未聞の悲劇を招来したのだ。

・しかし、調べれば調べるほど当初の目論見は外れて、有機水銀の汚染障害の信憑性が顕在化してきた。その段階で繊維産業の停滞を恐れた通産省からの圧力がかかり、それを不満とする委員の辞任が相次いで、委員会は分裂解散し、それまでの調査討論をまとめていた報告書は姿を消してしまった。それについてかってNHKが『失われた報告書』という特集番組を作ったこともある。

・これは到底許されることではないが、高度成長、国家繁栄という美名の下に、行政の力ずくで実際に行われたと思われる。初めて現地を視察した当時の園田厚生大臣が当時の「チッソ」の江頭豊社長にことの隠ぺいのためのどのような条件を提示したかを、社長の甥にあたる亡き江藤淳から引退後の佐藤総理の家で詳しく聞いたものだ。

・後になってある人から「それは甘い。役人は一旦作って手にした資料を絶対に焼いたり捨てたりはしないものだ」といわれて反省させられた。彼の言う通り学者の見極めた水俣病の真因を記した件の報告書はきっといまだにどこかに隠されたままでいるに違いない。

・しかし、今回の最高裁の判決は恐らくそういった決定的な証拠を手にせずとも、この文明の現況においての文明工学的見地からある悲劇の少なくとも悲劇のいたずらな拡大の責任者は行政であったことを正当な文明批判として裁断したと言える。

しかし、水俣の悲劇は今後も形を変え、恐らく世界の随所で反復され続けるに違いない。2004年11月1日)

『永遠なれ、日本』

中曽根康弘、石原慎太郎  PHP 2001/8/2

中国が分裂するのは時代の必然―石原

・時間が神様と言うのは、まさにその通りだと思います。

・ただ、中国は現在、世界で唯一残っている帝国です。帝国というのは強力な軍隊、経済力を背景に違う民族、違う文化、違う宗教を強引に統一する国家形体です。ローマもそうだったし、モンゴルもそうでした。ソビエトもそうだし、小さい規模ではユーゴもそうでした。それが崩壊するとリージョナリズムが極端な形で露出してきて内紛が起こるというのも通例です。

・しかも台湾の場合、海を隔てているという事もあり、あれを「不可分の領土」とする中国の主張をとても是とすることはあり得ない。

・私は、将来的に中国はソビエトが崩壊して連邦国家になったように、6つくらいの独立国家になると見ています。それが地域、地域に住んでいる住民にとっても幸せなことでしょう。そのことを北京が受け入れることが人類全体の歴史の生産的な展開のために必要だと思います。

・彼らからチベットの実情を詳しく聞いています。北京政府はいまチベットに対し、民族融合の名のもとに民族浄化してめちゃくちゃなことをしている。このような帝国主義的な発想で自らの正当性を保証しようという北京政府を私は到底許せない。

・いわば「地球で一番遠いところ」にある土地ですから、北京のやることも見過ごされているが、もしチベットみたいな状況のバルカン一帯で起こりでもしたら、NATO軍が出動して、大変な騒ぎになるに決まっている。

・地球環境や人口問題を考えたときも中国というのは大きなマイナス要因になっている。いまや人間は地球で「一番数の多い哺乳類」でネズミよりははるかに多い。日本は例外ですが、これがどんどん繁殖してかつ文明を追及するとすれば、食糧問題はもちろん地球環境がどんどん破壊されてしまいますよ。

・人文、理経を超えて、いわゆるレベル以上教養知識のある研究者たちに「今日まで続いてきた人間の文明が文明としてあと何年存続すると思いますか」と訊いたものですが、実に60パーセントの人が「560年」と答えている。別の言い方でいえば、「孫の孫の代くらいまで」という答えが圧倒的に多かった。

1980年にはやったファッションとしての終末感覚ではなく、本気でこの問題に取り組まなければならないと思う。

『平和の毒、日本よ』

石原慎太郎   産経新聞出版   2012/7/30

<新しい移民法を>

・日本の人口の減少は大分以前からしられていたことなのに、現在この事態になっても移民政策について根本的な議論が見られぬというのはおかしい、というより政治家たちの時代認識の欠如、危機感の欠如というよりない。

・私は議員時代から大幅に移民を迎え入れる体制を法律的にも整備すべきだといってきたが、仲間内での反応は極めて乏しい、というより顰蹙さえ買ったものだった。反対論の根拠は、日本は日本人と言う単一民族で形成されている国家であって、そこへ多くの異民族を迎え入れると国家社会のアイデンティティを損なうことになると。

・しかし、日本の国民が単一民族から成っているなどというのは基本的に間違った歴史認識で、我々の民族的ルーツは実は東西南北あちこちにあるのだ。

・アメリカは一時合「衆」国とも呼称されたが、日本はまさにアメリカをしのいで古い合衆国なのだ。特に徳川時代の長きに及ぶ鎖国の結果、限られた国民の間で徹底した混血が行われ、大脳生理学が証す通り、異民族間の混血による大脳生理としての独特の酵素の活発な働きで優秀な人材が輩出し、「元禄」に象徴される文化の成熟をみた。

<間近な周囲の、かっての民族的ルーツの国々から大幅に新しい日本人要員を迎え入れるべき>

・EUはすでに同じ試みを展開し成功の道をたどっている。民族的に歴然と異なるトルコ人移民との摩擦に悩むドイツのような例もあるが、かっての共産圏東ヨーロッパからの移民に関しては、一時的な労働力の偏在現象もありはしたが結果として地ならしされ東西ヨーロッパの新しい成熟の基盤が出来つつある。

・そうした民族交流の文明原理を踏まえれば、日本が新しい移民法によってアジアの近隣諸国に大きく門戸を開くことでアジアの発展成熟に拍車をかけることになるにも違いない。著しい人口減少によってさまざまな問題を抱える日本の国家社会にとって、かっての民族的ルーツであった国々から、新たな同胞を迎え入れることで我々が失うものはありはしまい。

 それに比べて、現行のかたくなな閉鎖主義を維持することで、我々が現に何を失いつつあるかを考え直したらいい。

・入国管理の杜撰さは新しい社会混乱を育みつつあるが、実はその根底には日本独自の奇妙な閉鎖性がある。ならば法律的に大幅な門戸解放を行い、その施行には厳密な審査を行う方が結果として優秀な新しい同胞の獲得造成に繋がるのではなかろうか。

・人材に対して国を開くといった姿勢なくして、一体我々は我々だけでこの国をこのまま維持発展させることができるのだろうかということを、そろそろ本気で考える時と思われる。

『日本の力』 

石原慎太郎、田原総一郎    文芸春秋   2005/3/30

<武器輸出こそ最大の安全保障だー石原>

・日本は、対外交渉で全くブラフができず、ブラフをかけたこともないから、いうべきこともいえない。実は外交こそブラフや嘘で構築されていて、不透明なものです。ただ、あのころはアメリカとの関係はまだ経済摩擦ですんでいた。しかし、いまは完全にアメリカの奴隷になってしまった。三塚とか橋本とか、財務の分からない大蔵大臣たちがビッグバンだ、ビッグバンだとはしゃいでやった結果、どうなりましたか。

・私は、そのあと、『宣戦布告「NO」と言える日本経済―アメリカの金融奴隷からの解放』という本を書いた。あんな硬い本でも50万部ぐらい売れました。

・アメリカの国務省は日本の外務省を東京ブランチ(支部)といい、財務省を東京支店と呼ぶ。いまだに実質的に金利を決めているのはアメリカです。

・私は、アメリカとのいろいろな経験で考えるけれど、日本は何より武器輸出原則をもとにもどさなければいけませんね。日本は素晴らしい武器をつくる能力を実際にもっているということを外に示すことは最大の安全保障です。

<自民党は相撲のとれない土俵をつくってしまったー石原>

・しかし、それらの前段に、その法を行う側、政治からの説明がほとんどないに等しい。彼らにしてみればいろいろ口にしているつもりでも、それは所詮、役人の世界で彼らにコントロールされている政治の世界に限られた言葉で、生活感覚に響いてはこない。国民の人生観に伝わるものがほとんどない。

・国民に「なるほど、ああ、そうか」という思考を強いる力を出す言葉の能力がまったくない。要するに、太政官制度以来の中央集権統治、「依らしむべし、知らしむべからず」の本質がまったく変わっていないのです。自民党というか与党は、それを是認し続けてきたのですね。政治に関して、政策の説明に始まって、こんなにレトリックの貧しい国というのは珍しい。

<自民も民社も「親切・軽税党」とうインチキはやめないー田原>

・どこの先進国も、たとえばスウェーデンのような“親切・重税党”、つまり福祉は充実させるが、その代わり税金は高いという大きな政府か、“冷酷・軽税党”、すなわち福祉はそこそこだけど税金は軽い、アメリカのような国かのどちらかです。

・日本は国民負担が先進国中一番、少ない。自民党は国民に嫌われないように、親切で軽税という矛盾した政策をとってきました。その無理をしたツケが740兆円という公債の残高、つまり国の借金です。

・自民党は結成以来、一貫して、文字通り「親切・軽税党」です。しかし、バブルがはじけて景気の低迷が長期化し、歳入が減り続けて、このままいけば自民党は「冷酷・重税党」にならざるを得ない。それを「親切・軽税でいく」などというのは無責任極まりない発言です。それとも、実態についてまったく無知である、ということなのでしょうか。

<政治家は文言に弱いから官僚は法律で縛り」つけるー田原>

・行政を官僚が主導し、政治家はその官僚に使われているというのが実態です。

・本来、政治家がこのシステムを壊さなければいけないのだが、政治家にその発想力がない。官僚は官僚でヒエラルキーが徹底しすぎたため、ラインが固定化してしまい、省をまたぐという複合的な発想ができない。

・そればかりか、彼らは、わけのわからないルーティンを全てにわたってつくりあげている。それが議会の効率までを低下させてしまっている。

・いっぽう本来はリアリストでなければならないはずの政治家は、とにかく文言に弱いうえ、法律に精通していなければ一人前ではないという倒錯した心理にあるから、彼らにその隙間を突かれて、引きずり回されてしまい、新しく物事を発想するにも時間的、心理的余裕がない。

・財務省の官僚は、「厚労省は、法律が読めない頭の悪い連中ばかりだ」と公言してはばからない。文科省など相手にもしない。政治家はそうした役人のしがらみにとらわれる一方、役人の権威を盲信してしまっている。

・役人が自分の省の持つ専門性こそが絶対と錯覚する限り、ものごとが複合的、合理的に組み立てられることなどありはしない。対外交渉の折にも、日本チームの中につまらぬ軋轢や溝がかまえられているから、相手に見くびられ、つけこまれるというケースが多々ある。結果、日本の政府の機能はチ-ムワークの悪いサッカーチームになってしまっている。

『地底の楽園{アガルタ神秘文明}へのナビゲーションガイド』

シャンバラのグレートマスター直伝!これがヴリル・パワーだ

カルロ・バルベーラ     ヒカルランド   2013/6/30

<ホピの警告―世界が見舞われる恐ろしい災難/3次世界大戦を勃発させる国々>

・第3次世界大戦を勃発させるのは、古い歴史を誇る国々(インド、中国、イスラム諸国、アフリカ)で、光(神聖な叡知と知性)を最初に受け取った民族です。

 アメリカ合衆国は、核兵器と放射能によって、その国土も国民も滅びます。ホピとその郷里のみが、避難場所となるオアシスとして残ります。対空避難所などの安全性には何の根拠もありません。

・「物質主義者のみが避難所を設けようとする。穏やかな心を持つ者は、すでに堅牢な生命の避難所にいる。悪には逃げ場などない。イデオロギーに則った世界分断に与せぬ者たちは、黒人であろうが白人であろうが赤色人であろうが黄色人であろうが、別の世界で生活を再開できる。彼らは、皆ひとつであり兄弟である」

・「戦争は物質とスピリチュアルな戦いとなるであろう。スピリチュアルな生命体は、物質的なものを根絶やしにすると、一つの力、すなわち、創造主の力のもと、一つの世界と一つの国家を築き上げるためにここに残ることになろう」

・こうした時代は間もなく訪れる。サクアソフー(青い星)であるカチナが広場で踊り仮面を取った時、そうした時代がやってくるのだ。カチナは青い星の象徴だ。星は未だ遠く見えないが、間もなく姿を現すことになろう。この時代は、ウウチム祭で歌われた歌で予示されている。

・ホピの予言では光を最初に受け取った民族が第3次世界大戦を引き起こす、と言われています。つまり、中国とパレスチナ、インド、アフリカの民です。戦争が始まれば、アメリカ合衆国は“灰の瓢箪(ひょうたん)”によって滅びます。灰の瓢箪は河川を煮えたぎらせ、大地を焼き尽くしながら落ちてくるのです。その後、大地には植物が何年も生えなくなり、どのような薬も効かない病が生じます。

・これは原爆か核の話としか考えられません。他にこのような現象を引き起こす武器はないのですから、核シェルターなど、使い物にはなりません。“穏やかな心を持つ者は、既に堅牢な生命の避難所にいる。悪には逃げる場などない。サクアソフー(青い星)のカチナが広場で踊り、仮面を取るとき、大いなる試練の時がここに訪れる”からです。

・ホピはまた次のような予言もしています。

『亀の島(アメリカ合衆国)は二度か三度ひっくりかえるかもしれない。そして海は手と手をつなぎ、空と出会うかもしれない』

 これは“ポールシフト”についての予言のようです。つまり地球の回転軸が移動してしまうのです。

『創』   201656月号

『ドキュメント 雨宮革命  (雨宮処凛)』

「幽霊」と「風俗」。311から5年が経って見えてくるもの

・一方、最近出版されている311をテーマとした書籍の中には、「5年」という時間が経ったからこそ、世に出すことができるようになったのだな、と感慨深い書籍もある。その中の一冊が『呼び覚まされる霊性の震災学 311生と死のはざまで』(新曜社)だ。

 東北学院大のゼミ生たちがフィールドワークを重ねて書いた卒論をまとめた一冊なのだが、その中には、震災後、宮城のタクシー運転手たちが経験した「幽霊現象」の話を追ったものがある。

 季節外れのコートに身を包んだ若い女性が告げた行き先に運転手が「あそこはほとんど更地ですが構いませんか」と尋ねると、「私は死んだんですか」と震える声で答え、振り向くと誰もいなかったという話や、やはり夏なのに厚手のコートを着た若い男性を載せたものの、到着した頃にはその姿が消えていたなどの話だ。

・このような「タクシーに乗る幽霊」に対しても、自らも身内を亡くした運転手たちは不思議と寛容だ。

「ちょっとした噂では聞いていたし、その時は“まあ、あってもおかしなことではない”と、“震災があったしなぁ”と思っていたけど、実際に自分が身をもってこの体験をするとは思っていなかったよ。さすがに驚いた。それでも、これからも手を挙げてタクシーを待っている人がいたら乗せるし、たとえまた同じようなことがあっても、途中で降ろしたりなんてことはしないよ」

 そう語るのは、津波で母を亡くしたドライバーだ。

「夢じゃない?」と思う人もいるだろうが、実際にメーターは切られ、記録は残る。不思議な現象は、事実上「無賃乗車」という扱いになっていることもある。

・さて、もう一冊、「5年経てばこういうことも出てくるだろうな」と妙に納得した本がある。それは『震災風俗嬢』(小野一光 太田出版)。帯にはこんな言葉が躍る。「東日本大震災からわずか1週間後に営業を再開させた風俗店があった。被災地の風俗嬢を5年にわたり取材した渾身のノンフィクション」

 本書を読み進めて驚かされるのは、311後、震災と津波と原発事故でメチャクチャな地で、風俗店はいつもより大忙しだったという事実だ。店によってはいつもの倍近い客が押し寄せたのだという。

・そう話した30代後半の男性は、子どもと妻と両親が津波に流されたのだという。妻は土に埋もれ、歯形の鑑定でやっと本人だとわかったということだった。

 一方で、風俗嬢たちも被災している。住んでいた街が津波に襲われるのを目撃した女の子もいれば、両親を亡くした女の子もいる。

・時間が経つにつれ、「311」を巡って、私たちの知らない側面が顔を覗かせるだろう。

 とにかく、あれから5年という月日が経った。あの時の、「言葉を失う」感覚を、一生忘れないでいようと思う。

『被災後を生きる――吉里吉里 大槌・釜石 奮闘記』 

竹沢尚一郎 中央公論新社   2013/1/10

<被災後の行動から理解されること、改善されるべきこと>

<被災者の語りは何を示しているのか>

・被災の直後に大槌町の人びとがどのように行動したかの生々しい証言を追ってきた。そのうちいくつかの話は、本当に彼らが危機一髪のところで助かっていたことを示しており、聞いているうちに私たちも手に汗を握ったり、感動のあまり思わず涙ぐんでしまったりするなど、他ではとても聞けそうにない深い内容をもっていた。そのような話を率直にかつ長時間にわたって話してくれたことに対して、深く感謝したい。

・とはいっても、彼らの体験を再現するだけでは、これまでに書かれた多くの書物と変わりがない。彼らの話を整理していくことによって、被災直後の人びとの行動の特徴として何が明らかになったのか、また彼らがそのように行動した理由は何であったのかを、明確にしていく作業が求められているはずだ。さらに、彼らがそのように行動したのは、個人的な理由からなのか、それともそこには制度的な問題が背後にあったのか。後者であるとすれば、それは今後どのように改善ないし修正していくべきなのか。そこまで議論を深めていかないかぎり、今後もおなじことがくり返されるであろうことは目に見えている。それであっては、今回の地震と津波の教訓を今後に活かしていくこともできなければ、津波で亡くなった方々に対する冥福にもならないだろう。

・そうした人びとの冷静さを可能にしたのは、三陸沿岸が過去から大きな津波をくり返して経験しており、そうした経験が年配者から語りつがれるなどして、非常時にどのように行動すべきかの情報があらかじめ刻印されていたためであろう。それに加えて、宮城県沖を震源とする巨大地震がくり返されていたことも忘れるべきではない。その意味で、情報が正確に提示され、広く共有されていたことが、今回の多くの人びとの沈着な行動の背景にあったと考えられるのだ。

・にもかかわらず、以上の話が明らかにしているのは、多くの人びとが地震後ただちに避難行動をとったわけではないという事実だ。つね日頃から用心を重ねていた徳田さんでさえ、車で自宅から避難し、安全な場所に達するのに20分を要している。一方、他の多くの人の場合には、家のなかを整理したり重要書類を取り出したりするなどして、避難開始が遅れている。

・地域的・地理的に見ると、吉里吉里の住民の多くが地震後すぐに避難を開始したのに対し、大槌町や安渡の人びとは避難が遅れる傾向にあった。

・また、大槌の町方では津波直後に出火し、プロパンガスが爆発するなどして大火災が生じたために、救助活動がほとんどできずに多くの人命が失われている。そのことは、町方の死者343名、行方不明者325名と、行方不明者の割合が多いことに反映されている。

・これは大槌町にかぎられるものではないが、情報に大きな混乱が生じていたことも今回の被災の特徴であった。地震直後の午後249分に気象庁は大津波警報を出したが、マグニチュード9.0というわが国では前例のない巨大地震であったために、地震計が振り切れるなどして正確な測定ができず、岩手県沿岸部の予測値を3メートルとして発表した。その後、午後314分には岩手県沿岸部の予測値を6メートルにあげたが、大槌町では停電でテレビが消え防災放送も機能しなくなったために、最初の数字だけを覚えている人がほとんどだ。また、津波が襲って沿岸部の市街地や集落がほぼ全壊状態になっていたことを、おなじ市町村でも内陸部に住む人は知っていなかったし、となりの市町村ではなおさらであった。そうした情報の混乱や欠如が、人びとの避難行動を遅らせ、救助活動を阻害させたであろうことは否定できまい。

・さらに、勤務中あるいは職務中であったために逃げ遅れて、津波に巻き込まれた人が多いのも今回の被災の特徴であった。海岸から300メートルほどしか離れていない海抜ゼロメートル地帯に建てられていた大槌町役場では、役場前の広場で対策本部会議を開こうとしていた町長や幹部職員が津波に巻き込まれて亡くなったことは、新聞報道等でよく知られている。しかしそれだけでなく、その時役場のなかでは他の職員が勤務しており、その多くが津波に巻き込まれて亡くなったり、あわやというところで助かったりしたことは、赤崎さんの話からも明らかだ。さらに、停電で操作できなくなった水門を手動で閉めようとして亡くなった消防団員や、避難者や避難の車両を誘導したり、歩くのが困難な方を救助しようとして水にさらわれた消防団員や自主防災組織の役員が多いことも、先の話のなかで多くの人が指摘していた。

・他にも今回の地震後の避難行動や被災の特徴といえるものがあるだろうが、私としては以上の点に注目して、これからの議論を進めていきたい。まず、それを一点一点整理しておく。

――過去に何度も津波が襲来した土地であり、今回も大地震と津波が生じることが十分に予告されていたにもかかわらず、避難行動が遅れる傾向があった。とりわけ高台に住んでいた人の多くが避難しなかったり、避難行動が遅れたりして、津波に巻き込まれて亡くなっている。

――車で避難した人が多く、徒歩で逃げたのは一部にとどまった。車で避難した人の一部は渋滞で停車しており、そのまま津波に巻き込まれて亡くなった人が大勢いる。

――大槌町では津波後すぐに火災が発生したために、直後の救助活動を十分におこなうことができず、死者・行方不明者の数が増大した。

――被災直後に停電が発生し、ほとんどの地域で災害放送や携帯電話が不通となったこともあり、情報が混乱して正確な情報が伝わらず、避難行動や緊急救助活動が阻害された。

――役場で勤務していた職員や、水門を閉めようとして亡くなった消防団員など、勤務中・職務中に津波に巻き込まれて命を落とした人が多かった。

 これらの点はいずれも防災上・基本的かつ致命的な点というべきだ。それゆえ、今後に予想される災害に備えて防災・減災を考えていくには、その一点一点について原因を究明し、対策を検討していくことが必要なはずだ。

<地震後の避難が遅れたのはなぜか>

・以上のデータから何が理解できるのか。確実にいえることは、今回の地震がきわめて大規模であり、しかも三陸沿岸のような津波の常襲地帯で、大規模地震の到来が予告されていた土地であるにもかかわらず、多くの人が自宅から逃げずに亡くなっているということだ。理由はさまざまだろう。自宅が高台にあったために、ここまでは津波がこないと過信して巻き込まれたか。あるいは高齢その他の理由で、そもそも逃げることができなかったか。貴重品やペットを取りに戻って流されたというケースがかなりあることも、私が聞いた話から明らかになっている。その理由はどうであれ、多くの人が地震の直後に逃げないで亡くなっているという事実は、基礎的事実として確認されなくてはならない。

・では、彼らはなぜ逃げなかったのか。くり返し述べてきたが、高台に自宅があったために、ここまでは津波がこないと過信して津波に巻き込まれた人が大勢いるのは事実だ。その意味では、津波の恐ろしさを周知徹底して、迅速な避難を呼びかけていくという作業はどこまでも必要だろう。

・制度的な問題として第一にあげられるのは、気象庁が発表した大津波警報の過ちだ。気象庁が最初に発表した3メートルという数字が住民の意識のなかにインプットされてしまい、避難行動を遅らせていたことは私が集めた証言からも明らかだ。何人もの人が、3メートルの津波であれば6.5メートルの防潮堤でふせぐことができると考えて、避難しなかったと証言しているのだから。これは早急に改善されるべき点だが、これについては情報の課題の箇所で検討する。ここで取りあげるのは、津波の浸水予測図、いわゆるハザードマップの問題だ。

・岩手県と大槌町が発表していたこのハザードマップが決定的に間違っていたこと、そのために多くの死者を出す一要因となったことは明らかだといわなくてはならない。間違いの第一は、今回の地震の予測をあまりに低く見積もっていたことであり、第二は、事実の誤認が多く含まれていることだ。たとえば大槌町のハザードマップでは、町方の避難指定場所であった江岸寺は明治と昭和の津波の浸水区域の外側に記載されている。しかし明治の大津波では、浸水が寺の庫裏の根板から1メートル20の高さに達していたことが過去の記録に明記されている。にもかかわらず、それが浸水区域外として記述されていたのはなぜなのか。間違っていることが明らかであるとすれば、誰が、あるいはいかなる部局が、なにを根拠として、このハザードマップを作成していたのかが解明されなくてはならない。それがおこなわれなかったなら、今後もおなじ過ちがくり返されるだろうからだ。

<ハザードマップはなぜ間違っていたのか>

・役所が指定した避難所が津波に襲われて大勢の人が亡くなったケースは、大槌町や釜石市だけでなく、陸前高田市でも宮城県三陸町でも見られている。であれば、役所の出していた想定が多くの箇所で間違っていたことは明らかなのであり、その想定がどのようにして作成され、役所はどれだけの情報をあらかじめ提示していたのか、その全過程が公表されることが不可欠だろう。情報をできるだけ正確に、かつ広く住民に提供するというのは、防災にかぎらず行政が銘記すべきことの第一であるのだから。

<車で逃げた人が多く、徒歩で逃げたのは一部にとどまったこと>

・このように、自宅や勤務場所の近くに避難ビルが適切に配置されていれば、徒歩での迅速な避難が可能になって、多くの人命が救われることができる。

<情報の混乱や途絶があり、被害を拡大したこと>

・被災後に出された情報の内容や伝達方法に関し、今回の震災は大きな課題があることを示した。まず気象庁の津波警報だが、沿岸部の住民の多くは、気象庁が最初に出した岩手県で3メートルという予測値だけを知り、避難行動の目安としていた。その意味で、気象庁の出したこの情報は、人びとの迅速な避難行動をうながすというより、むしろ逆にそれを阻害する要因として働いていたのは明らかだ。

<被災後すぐに火災が発生したこと>

・一方、火災に関しては別の問題がある。先の白澤さんの話にもあったように、車はすぐに発火するという問題だ。彼によれば、大槌町では火のついた車が水に流されて漂い、火をつけてまわったので町方全体が火の海に巻き込まれたというのだ。

<勤務中に津波にさらわれた人が多かったこと>

・大槌町では老朽化した役場の倒壊の危険性があったために、地震直後の役場の前の広場に机を並べて、災害対策会議を開こうとしていた。そこを津波が直撃したために、危険を察知して屋上に逃げようとした町長をはじめとする幹部職員の多くが水に流されて亡くなった。と同時に、役場のなかでは職員が避難もせずに勤務していたのであり、彼らもまた建物のなかで津波に呑まれてしまい、役場職員140名のうち40名もが尊い生命を失った。

<津波がまちを襲う>

・マグニチュード9.0というわが国の観測史上最大規模の巨大地震とそれが引き起こした津波は、東日本の太平洋岸に大きな被害をもたらした。なかでも岩手県の三陸沿岸中部に位置する大槌町は、今回の震災で最大の被害を出した市町村のひとつだ。

・この本は、その311日から1年半のあいだに、吉里吉里をはじめとする大槌町と釜石市の人びとが、どのように行動し、何を語り、何を考えてきたかを再現することを目的として書かれたものだ。

・宮城県沖地震が30年以内に99パーセントの確立で襲うことが予想されていたにもかかわらず、その自身の規模と津波の予測が大きく間違っていたこと。しかも、地震の直後に気象庁が出した警報さえもが間違っていたこと。避難所に十分なそなえもなく、支援の手もなかなか入らず、住民自身の相互扶助と集団行動だけが秩序の空白を埋めていたこと。そしてまちづくりの現場では、住民の生活の質を向上させたり利便性を高めたりしようという配慮は行政の側にはほとんどなく、あるのはあいかわらず縦割り意識であり、数字合わせと表面的な効率性のみを重視する行政特有のロジックであること。これらのことを告発することもまた、本書が書かれた理由のひとつだったのだ。

『哀史 三陸大津波』  歴史の教訓に学ぶ

山下文男     河出書房新社  2011/6/17

<繰り返される『大量死』の恐怖  「東日本大津波」を体験して>

・すぐる3月11日(2011年)の東日本大津波は、死者2万人以上という過去の三陸津波史の中でも最大級の巨大津波であったことを示している。

・「三陸海岸は日本一はおろか、世界一の津波常習海岸」とまでいわれた恐怖の津波海岸。

 こうした難しい地域事情の中で、実際には観光への否定的影響を考え過ぎて住民への津波防災教育を中途半端、乃至は軽視してきたことが大被害の背景としてまず問題になる。

 岩手県の場合、これには誰よりも県当局と行政に責任がある。このことを率直に反省し、腰を据えて防災教育に取り組まなければ、将来、またも同様のことを繰り返すことになりかねないと私は心配している。

・三陸津波史の特徴は、強烈なパワーによる大量死と遺体の海の藻屑化、そして「体験の風化に伴う悲劇の繰り返し」だと言われつづけてきた。

・今回も、互いに助けあおうとしての共倒れ、津波のスピードと引き潮の猛威を無視した逃げ遅れ、一度逃げたのに物欲のため家に戻って折角の命を失ったケース(私の親戚などそのため二人も溺死している)等々、明治の津波や昭和の津波の後で数え切れないほど体験した悲劇がまるで新しいことでもあったかのように住民たちによって語られ、連日紙面を埋めている。

 今回こそ、こうした風化現象にはっきりとした歯止めをかけなければならない。

<哀史 三陸大津波>

<「津浪常習海岸」の「宿命」>

・三陸沿岸一帯を襲った明治以降の初めの大津波は、三陸沖を波源とする明治29年(1896615日の大津波であった。被害数は文献によって異なるが、比較的実数に近いと思われるものによると、死者は岩手県18158人、宮城県3387人、青森県343人、合計21888人。流出、倒壊、半壊戸数も三県で8200余戸に及んだ。

・次のものは、それから37年後の昭和8年(193333日の大津波で、前と同様、波源は三陸沖、この時も岩手県で2658人、宮城県で307人、青森県30人、合計2995人が死亡し、三県で約6000戸が流出・倒壊した。

・この間、明治30年(18978月をはじめ数度にわたる小津波があったと記録されているし、昭和8年の大津波後27年を経過した戦後、昭和35年(1960524日には、今度は遠く太平洋を隔てた地球の裏側の南米チリ沖を波源とする、いわゆる「チリ津波」に襲われている。この時も岩手県で61人、宮城県で54人、青森県で3人、福島県で4人、合計122人が死亡し、4000余戸が流出あるいは全・半壊した。

・「三陸沿岸地方は古来大津波に襲われることが頻繁」で、貞観11年(869)以来17回も津波に襲われている。これによると平均して60年余に一回襲われている計算になる。

1600年から1970年までの370年間の津波を専門的な方法で分析すると「三陸沖では35年周期」が顕著であると指摘している。

・実に三陸の太平洋沿岸は津浪襲来の常習地として日本一はおろか、世界一なのである。

<狂瀾怒濤一瀉千里の勢い>

・しかも、津波の波高は、低いところでも23メートル、810メートルは普通の方で、なかには20メートル~30メートルと、まるで今日の7階建てー10階建てビルのような高さの波であった。「山のような波」だった、と表現されているのも、あながち誇張とはいえない。


by karasusan | 2016-05-07 12:50 | その他 | Comments(0)