(タチッシュ) 山の怪。山原地方。夕方、山から杖をついて下りてきて、子供をさらっていく。非常に力が強くて、村の若者でもこれと相撲をとって勝てる者はいない。(2

『女神イシスの降臨』

古代エジプト神話の謎に迫る

大川隆法   幸福の科学出版   2011/8/9

<女神イシスの正体は、琴座、ベガ星出身の神秘の女神であり、古代エジプトの実在の歴史上の初代の王とも呼ばれているホルス王の母でもある>

・また、「オシリスの復活信仰はイエスの復活信仰の原型であり、古代エジプトに流れる、この神秘思想がキリスト教に流れてきた」という考えもありますし、「転生輪廻の思想も、このあたりから始まっていて、それが仏教に入っている可能性もある」という考えもあります。

・ハトホルとこのイシスとを、ほとんど同一視するような見方もあります。

<夫であるオシリスの腹違いの妹だったイシス>

<オシリスとイシスの子ホルスはエジプトの覇権を確立した>

<天照大神(あまてらすおおみかみ)とイシスの深い縁>

・天照大神は日本担当、イシスはエジプト担当として下りた。

・天照大神とイシスは「ベガの女王」。

・プレアデスは“顕教”ベガは“密教”を担当している。

・ケンタウルス座α星人の中には、映画「猿の惑星」に出てくる、猿が人間になったような外見の者もいる。

『妖怪文化入門』

  小松和彦      角川学芸出版   2012/6/22

<異人・生贄>

<「異人」とはなにか>

・「異人」とは、一言で言えば「境界」の「向こう側の世界」(異界)に属するとみなされた人のことである。その異人が「こちら側の世界」に現れたとき、「こちら側」の人びとにとって具体的な問題となる。つまり「異人」とは、相対的概念であり、関係概念なのである。

 ところで、「こちら側」の人びとが想像する「異人」は、おおむね次の四つのタイプに分けられる。

①ある社会集団(共同体)を訪れ、一時的に滞在するが、所用を済ませればすぐに立ち去って行く「異人」。こうした「異人」の例として、遍歴する宗教者や職人、商人、乞食、観光目的の旅行者、聖地への巡礼者などを挙げることができる。

②ある社会集団(共同体)の外部からやってきて、その社会集団に定着することになった「異人」。こうした「異人」の例として、戦争や飢饉などによって自分の故郷を追われた難民、商売や布教のために定着した商人や宗教者、共同体を追われた犯罪者、「異国」から奴隷などとして、強制的に連行されてきた人びとなどを挙げることができる。

③ある社会集団(共同体)が、その内部の成員をさまざまな理由で差別・排除する形で生まれてくる「異人」。前科者や障害者、金持ちや貧乏な人などが、この「異人」の位置に組み入れられることが多い。

④空間的にはるか彼方の「異界」に存在しているとされているために間接的にしか知らない、したがって想像のなかで一方的に関係を結んでいるにすぎない「異人」。海の向こうの外国人や、はるか彼方の「異界」に住むという「異神」たちが、こうした「異人」のカテゴリーを形成している。

・こうした種類の「異人」たちが「異人」とみなされた社会集団の問題になってくるのは、当該集団がその集団としての「境界」を意識し、その集団の構成員とそれ以外の人びとを区別しようとするときである。人びとは「我々の集団・仲間」を作り出すために、その<外部>に「異人」を作り出すのである。この「異人」を媒介にして集団は結束し、その「異人」に対処する作法を編み出し、ときには歓待し、ときには差別や排除に及ぶことになる。

・異人論の先駆的研究として位置づけられる研究は、折口信夫のマレビト論であり、岡正雄の異人論であろう。

 折口の「マレビト」概念は彼自身が厳密な定義をおこなっていないこともあって難解であるが、その概念は二重構造になっていると思われる。一次的なマレビトは来訪神のことであり、二次的マレビトが共同体の外部から訪れる祝福芸能者のたぐいとして想定されている。共同体の人びとはこれと祝福芸能者を「神」そのもの、もしくはその代理人とみなすことによって歓迎し、その祝福を受けることで共同体の繁栄が期待されたのであった。すなわち、共同体の来訪神信仰との関係のなかで「異人」を理解すべきであるということを示唆したわけである。

<異人・生贄・村落共同体>

・すなわち、「異人」をめぐるテーマを検討していくと、その一角に「生贄」のテーマが現れ、逆に「生贄」のテーマをめぐって考察を進めていくと、その一角に「異人」のテーマが現れてくるからである。そして、この二つのテーマを媒介しているテーマが、「人身供犠」(人身御供)もしくは「異人殺害」という説話的・儀礼的モチーフであると言えよう。

・旧来の神に代わって山王社に祀られることになったのは、いかなる「神」なのだろうか、ということである。ここでの文脈で言えば「農耕神」としての山王神ということになるだろう。「しっぺい太郎」の昔話でいえば、外部からやってきた旅の僧などの「異人」や「人間の側の犬」が、そこに祀られていることになるはずである。

<「異人」と「家」の盛衰>

・その物語の一つが最近まで民間に流布していた、次のような物語である。これを私は「異人殺し」伝承と名づけた。「異人殺し」伝承は、怪異・怪談そして恐怖といった要素がたっぷり詰まった伝承である。

 旅人(六部や座頭、巡礼、薬売り)が、とあるムラのとある家に宿を求める。その家に泊めてもらった旅人が大金を所持していることに気づいた家の主人が、その金欲しさに、旅人を密かに殺して所持金を奪う。この所持金を元手にして、その家は大尽になる。だが、殺害した旅人の祟りをうける。

『山神を見た人びと』

 高橋貞子   岩田書院   2009/3

<東北文化史の古層へ>

・今では有名になった『遠野物語』ですが、当時これを評価したのは泉鏡花と芥川竜之助くらいで、多くの人は趣味本位の書物にすぎないと見ていました。しかし、この発刊が機縁になって、地方に埋もれた文化への見直しが始まり、やがて民俗学が生まれました。人々の語る伝承の比較によって日本人の歴史がわかるというのは、まったく新しい学問の誕生でした。

・遠野で、『遠野物語』が再発見されたのは新しく、昭和45年(1970)ごろからでした。岩手国体の実施に当たって、地域の文化を観光資源として活用することが図られましたが、その年はちょうど発刊60年にあたっていました。その後、遠野では民俗学資料に重点を置いた博物館、佐々木記念館を核にした伝承園、柳翁宿と柳田の隠居所を含むとおの昔話村、南部の曲がり家を移築した遠野のふるさと村といった施設を整備しました。

・『昔なむし』の巻末にある「岩泉地方の昔ばなしとわたくし」には、幼少時に昔話を聞いた思い出から、家業と子育てをしながら採集と執筆を行った様子が書かれています。店先や汽車の中が聞き書きの場であり、夜中や早朝が原稿用紙に向かう時間だったのです。書くことへの執念と信頼が、こうした貴重な資料集を生みだしたのです。

<山の神に出遭った人>

・岩泉の向町の佐々木亥之松(いのまつ)さん(明治生)は、20歳だったある日、山仕事で山中に入りました。奥山まで行ったとき、いきなり樹の間から顔の真っ赤な大柄の人が出て、ずいと顔を合わせました。「あ、あー」とおどろいた亥之松さんは、後退りました。ところが、相手は亥之松さん以上におどろいた様子で、うろたえながら樹の蔭に隠れました。

・さあ、亥之松さんは転がるようになって家に戻ると、

「その顔はらんらんとして燃える火のようだった」

と家の人に話したきり、40度の高熱を出して寝込んでしまいました。

 高熱はなかなか下がりません。亥之松さんは重態でした。あまりのことに家の人は、神子さまに、ご祈祷を頼んでお宣託を聞きました。

 お宣託は、

山中で出遭った顔の赤い人は、山の神だったのです。

山の神は<木調べ>のために山中を歩いておられたのです。人間に見られてはならない姿を見られて、山の神もおどろかれたのでしょう。亥之松さんの病は、40日間病床に臥せば恢ります」

と、告げました。

 そのご、ほんとうに亥之松さんは40日間でもと通りの健康体にもどって、そのあと長生きをして生涯を終えました。

<山男にさらわれた娘>

・田野畑村田代の南という家に、名をハツエと呼ぶ美しい娘がおりました。ある日、ハツエは、手籠を持って春菜を摘みに出かけたまま、突然、姿を消しました。

 家族はもちろんのこと、村中が総出となって探しましたが、ついにハツエを見付ける「ことはできませんでした。ところが、その日から十数年たったある日、村のまたぎ(狩人)が山中でハツエを見ました。

 ハツエは、ごつごつとした岩の上に座って、長い髪を櫛でとかしていました。またぎはおどろいて、「ハツエではないか」と、声を掛けました。

 ハツエもまたぎを見ると、おどろいた様子で、なつかしそうに涙をはらはらと流しました。やがて、

あの日、山男にさらわれて山女になった。あのころのハツエではない。今は山女なれば、おいらに出会ったことをだれにもしゃべるな。もし、しゃべったら、われの命は無いと思え

 こう言うと、さいごは恐ろしい形相となって威しつけました

またぎは、

「だれにも一切しゃべらない」

と、約束をしました。ハツエは、

「約束を破れば、3年のうちにお前は死ぬぞ」と、更に威しました。

またぎは秘密を抱えて山を下りましたが、心の中は平らではありませんでした。だんだん体の調子まで悪くなるようでした。こらえかねたまたぎは、ついにある日、ハツエと出会った一部始終を、村のだれかに話しました。

 またぎはだんだんやつれてきて、青白くなって死にました。山女に出会って3年以内のことでした。

<人身御供とヒヒ>

・遠い昔のことです。小本海岸の波鼓が舞のあたりに巨大な松の古木があって、その枝に強そうなヒヒ(マントヒヒの異称)が腰掛けていました。そこは浜通りとして人びとの往来するところでした。

ところが、よく人隠しがあって、突然、人が見えなくなってしまう騒ぎがありました。

「なんでもあのヒヒが人を食うらしい」と、人びとは恐れました。

 村人たちは相談の結果、若い娘を人身御供にヒヒに差し出して、ご祈祷をすることになりました。

若い娘は毎年一人ずつ、裸にされてヒヒに供えられました。のちにその娘たちの魂を鎮めるために「人殺神社」が建立されましたが。明治以前に廃社になったということです。

<天狗山から鼓の音>

・小川の国境峠に天狗山があります。海抜654メートル。昔から天狗の隠れ住む山と伝えてきました。

今でも国境集落の人びとは、

「トン、トン、トン、トン」

と、天狗山から鳴り出す鼓の音を聞いています。

 やがて鼓の音は、集落を囲んで立つ峰から峰をわたり歩いて、

「トン、トン、トン、トン」

と、鼓の音を聞かせるといいます。

 鼓の音は、四季も時刻も関わりがなく、いつ、どうともなく聞こえ出すようだと、国境の人びとは気付きました。

「きっと、天狗様は、ご自分の所在を知らせたくて、鼓を打つのだろう」と言い合って、鼓の音を聞くと、どんな仕事をしていても手を休めて戸外に集まり、天狗山を眺めるということです。

<天狗に殺された12人の神楽団体>

・天狗森は、猿沢の奥にあって、昔は天狗が隠れ棲んでいた深い森でした。近くの与一屋敷では、あるとき神楽宿をしたのですが、朝には、12人の神楽団体全員が死んでいました。与一屋敷の人は全員無事でしたが、この一大事に気付きませんでした。

・その夜、真夜中の与一屋敷に天狗が舞いおりて、神楽衆の一人ひとりの口に息を吹き込んで殺したのでした。人間は天狗に息を吹き込まれると、即、死ぬといいます。その方法は、天狗は鼻が高いので、人間の頬に頬を近寄せて息を吹き込むと伝えていました。

 猿沢の武田博さん(昭和4年生)は、少年時代に与一屋敷跡に行ってみました。そのときの与一屋敷跡には、土台石や腐った建築材が見えたので、そんなに遠い出来事ではないと思ったそうです。

<ツチグモと呼ばれた種族>

・遠い昔、この地方をはじめて開拓したころ、われわれと別にアイヌとツチグモがいました。アイヌは狩猟をして山で暮らしていましたが、ツチグモは極端に小さい体で、山野に穴を掘ってその中に隠れ住んでいました。

 穴の入口に木の葉や草を被せていましたが、とても獰猛でアイヌや村人が通ると、いきなり襲って穴の中に引きずり込んで、猟物や食料を奪い、衣類を剥ぎ取りました。ツチグモはとても怖かったということです。

結局、ツチグモは絶滅したのですが、ツチグモを退治したのはアイヌでした。

『プレアデス星訪問記』 

上平剛史  たま出版   2009/3

<宇宙太子との再会>

・それは、私が故郷である岩手県に住んでいた16歳のときのことである。

<葉巻型巨大宇宙船へ>

・「葉巻型母船は長さ4キロメートル以上で、太さは一番太いところで、直径78百メートル以上あります」

・「この母船はひとつの都市機能を持っており、ありとあらゆるものが備わっています。生き物のような船であると言っても過言ではないでしょう」

・なんと、これでも中規模程度の母船らしい。10キロメートル、20キロメートル、さらにそれ以上の大きさの地球人類には想像もできないほどの巨大な母船も存在するという。この母船では縦横およそ50メートルおきに道路が設けられ、階層は最も厚いところで4050層になっているそうである。母船の中に公園や山河まであるらしい。この母船で生まれ育ち、一生を過ごす者もいるそうである。

・宇宙人にはそれぞれ母星があるが、母船には母星の都市機能が備わっており、母星の社会がそのまま存在している。母船の惑星としての役目を果たすため母船が故郷となる者もいて、そういった者は、ある意味で、母星で暮らしている人間よりも精神的に進化しているらしい。

・「この母船には我々プレアデス星人だけでなく、様々な星人が協力のために同乗しています。地球人類がグレイと呼んでいる宇宙人もいます。もっともグレイは我々が遺伝子工学、バイオ化学、宇宙科学を駆使して造ったロボットでしたが、今では宇宙や特定の星の調査など、さまざまな分野で活躍しています。他にも爬虫類、鳥類、魚類、昆虫、植物などの生態から進化した人間もいます」

・「この母船は、最大収容能力は5千人ですが、現在は4千人くらいでしょう。ただ、乗せるだけならば、1万人は乗せられるでしょうが、常時生活して長く滞在するとなると5千人が限度です。食料やその他の問題がありますからね。この母船には、ここで生まれた子供たちを教育する係もちゃんといるのですよ。子供達が大きくなれば、母星の学校や他の進んだ星へ留学する場合もあります」

UFO研究家で有名な韮澤潤一郎氏も「微に入り細に入る教訓的宇宙オデッセイであり、近頃には珍しい詳細な本物の体験記であると思う」と記している。

・だれしも、ある時夢での宇宙をさまよったこともあるのだろうが、本書によって、しばし宇宙旅行を楽しまれることをおすすめする。

『遠野物語事典』 

(石井正巳) (岩田書院)2003/7

<山の神>

背丈は「丈高き」「背高く」。顔色は、「顔は非常に赤く」「顔は赤く」「顔はすてきに赤く」「面朱のような」とある。眼の光は、「眼は輝き」「眼の光かがやける」背が高く、顔が赤く、眼が輝くという点でパターン化している。

「山男」

・遠野郷の民家の子女にさらわれる者が多く、特に女に多いという。「女は、恐ろしい人にさらわれたが、その人は、背が高く、眼の色は凄く。生んだ子供を持ち去ってしまうものの、仲間と連れ立って食物を持って来てくれるという」。「山里で髪の長い美しい女を撃つ」証拠として、黒髪を持ってきたが途中で眠くなり、背丈の高い男が取り返して立ち去ったと見ると眼が覚める。その男は山男だろうという。

「山女」

・「山女は、ぼろぼろの着物を着ているが、色白で長身、長い黒髪を持ち、あでやかである。幼児のいる母親でもある。飛ぶように走ったり、記憶をなくさせたりする特異な力を持つが、銃弾には倒れる。人恋しいかのように里人の前に現れるが、その特異な力や叫び声、大きな笑い声のため、里人にとっては、非常に恐ろしく、恐怖で病死する者もいる。

山女が現れる場所は、遠野地方の東にある六角牛山。白望(白見)山などの山中である。六角牛山は、女神が住んだと信じられた遠野三山の一つである。

『日本人はなぜ狐を信仰するのか』

松村潔     講談社   2006/2/20

<日本中にいる稲荷狐>

・稲荷神社は、日本全国で十数万社あるとされる神社の中で、そのおよそ3分の1を占めると言われているから、膨大なシェアである。無格社さらに個人的に設置された屋内の社などもいれると、国内で一千万を超えているという話もある。江戸時代の「伊勢屋、稲荷に犬の糞」ということばは稲荷神社があまりにも多いことを示したものだが、いまでも各家庭に稲荷神社が残っている地方もある。誰でも身近なところを歩くと、必ず稲荷神社を見つけることができる。有名な稲荷神社の門前には稲荷神社を作るための大小さまざまのキットを販売している店が必ずあるので、予算と好みにあわせて、家内に稲荷神社を作ることもできる。稲荷の勧請は許可が不要なのが特徴でもあるので、今日からでも稲荷神社を設営できるのである。

<子どもの頃見た狐の嫁入り>

<狐の姿をまねる>

・昔から西欧人は、日本人の稲荷に対する姿勢に違和感を抱くようだ。キリスト教国からきた外国人たちには、キツネを尊敬したり“崇拝”したりできるなどと考えることを、頑として拒絶することである。彼らにとって、宗教という言葉は、唯一の、人間の形を具有した神の崇拝にしか、あてはめることができない。それは、キリスト教の全能的支配によって“原始的”と言われるあらゆる形の自然力崇拝が、ほとんど完全に滅ぼされてしまったからである。

<母と狐は一体化したもの>

・狐はたいてい女性的。この中でとくに有名なものの一つが、陰陽師の安倍晴明の母狐であったという話である。

・英雄的な人物の母は異界の存在という神話の類型がここに生きているのだが、この話が長く残る背景として、日本人にとっての普遍的な母は、現世には存在せず、自然界の背後に深く埋もれているという構造になっていることがあげられる。倫理学者の菅野覚明は、しのだづまのような「他界妻」のモチーフが日本の民族文学の基本主題をなしているという折口信夫説に付け加える形で、日本人の心の構造には日本神話の伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)の物語の元型が根づいていることを強調する。

<動物は母なる自然からの使者>

・安倍晴明の母、葛の葉狐と、日本人全員の母イザナミが重ねられて、イザナミに会いたいと毎日泣いているスサノオと、母に会いたいと泣く幼少の安倍晴明がそのまま同一の構造で語られることになるのだが、こうした日本古来の集団的な精神構造は、当然日本人全員に訴えかけるものがある。狐はこうした日本の集団的な心の構造にすでに組み込まれた特別な意義を持つ記号であると考えられる。

<イザナギとオルフェウスの類似性>

・弓月君に引き連れられた秦氏が、新羅経由で日本に大量移民をしたという経緯もある。秦氏と行動範囲が近く、シルクロードを縦横に移動していたソグド人の絨毯も広隆寺に残されている。ギリシャ・ローマの神話が持ち込まれ、そのまま日本に伝わっても不思議ではない。

<秦氏とは何者か>

・秦氏は、巨丹(新疆ウイグル自治区ホータン)の生まれであると言われる弓月君が引き連れて3世紀に日本に渡来した氏族集団である。

1県を1千人として、総計12万人という膨大な人数が、日本側の援助もあって、3年間かけてやっと渡航し、はじめは九州北部に至った後、全国に広がっていったと伝えられる。大規模な移動だったので、歴史的にも資料はかなり残っており、とくに九州北部の宇佐地区や、京都の山城地方に多く関係資料が残されている。

 秦氏はさまざまな技術をもたらしたと言われている。たとえば九州北部・近畿の銅山と関係していると見られていることから、新羅系統の青銅技術、養蚕とセットになった絹織物の生産技術、芸術・算術・建築などである。

・全国の神社総数十数万社のうち、秦氏の神を祀る神社は八幡系4万社、稲荷系4万社、松尾、出石等その他加えて9万社。つまりは日本の神社とその信仰は大多数を秦氏が作ったと考えてもいい面がある。とくに京都の松尾大社は秦氏の氏社である。

<秦氏と稲荷の関係>

・肥後和男は、農耕民族の神である稲荷を秦氏が商売用のトレードマークとして利用したのではないかと述べている。たとえば、今日でも、動物のシルエットを企業のマークにしているものは多数ある。

<なぜサルタヒコは醜いのか>

・稲荷大明神は、荷田氏の御神体である竜頭太やサルタヒコなどの混合であるが、歴史的に後でとってつけたようにサルタヒコを入れたことにその根拠を疑う人もいる。

・サルタヒコは現実に想像しにくい風体をしている。容貌は魁偉で鼻の長さは七咫。長い口髭をはやし、目は八咫の鏡のように爛々と輝き、身長七尺余の神通力のある神様である。咫というのは上代の長さの単位で、手のひらの下の端から中指の先端までの長さを言うのだから異様に大きい。一方竜頭太も、竜のような顔をして頭上に灯りを持つというから、これもなかなか想像のつきにくい姿をしている。

<辻の神様>

・辻の神様と言われているサルタヒコは、道ばたの地蔵菩薩とよく結び付けられる。ギリシャでは旅人の道案内の神様、あるいは越境の神はヘルメスである。商人merchantという言葉は、ヘルメスのラテン名メルクリウス(マーキュリー)からきていて、惑星の水星の作用とも結びつけられるが、ヘルメスはエジプトでは猿神のトートであった。サルタヒコ、猿丸、猿女など、この越境あるいは物質的、精神的両面での道案内的な役割の存在に、猿のイメージを使うというのは日本だけではないということである。ヘルメスの支配する商業というものも、基本的にはそれぞれの地域、あるいは専門分野を越境し、価値の置き換えをする流通産業をあらわしているので、秦氏が積極的に発展させていった。伏見稲荷の商売繁盛というテーマは、辻の神様としてのサルタヒコとかなり親和性が高いということも気にとめておきたい。

<管狐>

・土地神様のお使いとしての狐と関わるのにどういうことが行なわれていたのか。もちろんいまでも多くの人が行っているお供えを置くという方法もある。しかしこんなおとなしい手段でなく、もっと積極的に関わる方法として、わざと狐憑きになるという風習が長く続いた。また狐を使役するという考えも存在していたようだ。比較的よく知られているものに「管狐」というものがある。

・管狐は、毛皮を脱いで人の腹の中に住むと言われている。管狐に腹の中へ侵入された人は、腹の中から声が聞こえる。また腹に入った管狐は宿主が病になり死にかけると、腹を食い破って、次の宿主を見つけ出す。まさに映画の『エイリアン』そのものだ。

 ハワイの伝統宗教フナを参考にして現代版にリニューアルされた技法では、低自我は腹にいるので、それにジョージなどという名前をつけてコミュニケーションするというワークショップをしていたようだが、管狐が低自我なのか、あるいは低自我に、ブースターとして取り憑いた装置が管狐なのかはよくわからない。

・イギリスなどでは腹がすいたという時に、ブラックエンジェルが騒いでいると言い、胃あるいは腹はブラックエンジェルという象徴があてはめられている。

<霊狐>

・大正時代に活躍した心霊家、西村大観は、たいていの狐憑きは迷信であり、心霊的な「幻映」のあらわれに過ぎないというが、それでも霊狐そのものは存在すると主張している。霊狐というのは、実在の動物の狐とは違い、文字通り心霊的な狐であり、神様の代理として、人の夢の中にあらわれたりする。霊狐は管狐のように生々しい現世的な欲望を刺激するものではなく、伏見稲荷大社の狐のように知恵を授けたりするし、そもそもそのふさふさした尻尾が宝珠とみなされてもいた。

・管狐は、地域によってイヅナとも言う。長野県の飯綱山が発生地だからである。飯綱というと、「飯綱の法」という呪術などを思い浮かべる人もいるのかもしれない。というのも戦国武将の上杉謙信や武田信玄などは飯綱信仰で有名だからだ。

<現代では憑き物はこっくりさんに変換>

・問題なのはこのこっくりさんに熱中した小学生や中学生に、時々何かに取り憑かれたような現象が起きることだ。精神科の雑誌などでも、このこっくりさんに関する論文が掲載されることがあるという。

 神奈川の中学で起きた事件では、放課後のクラブ活動でこっくりさんをした後、ある女子が、「背中が重い、何かが乗っかってくる」と泣き出し、「霊が呼んでいる」と叫んだ後、部屋を飛び出して走り去る。もうひとりはコンクリートの壁に女性の影を見て、次に体が重くなり、「地獄へおいで」という女性の声を聞く。この二人目の女子は、4階にある教室の窓を開けて窓枠に登ろうとしていたところを、ようやく追いついた別の生徒に押さえつけられて部屋に戻された。一年後ほかのクラスで、やはりこっくりさんと同類のエンジェルさん占いをしたところ、狐の霊が取り憑いて普段とは違う声で喋り出すという女子が出てきたり、また憑依現象が続発して、精神科を受診したが、受信時は多重人格状態に陥り、症状が消えるまでは一ヵ月半の入院が必要だったらしい。

<仲介者的な存在>

・『ポイマンドレース』が語るもうひとつの重要な項目は、世界は神が作ったのではなく、神の作り出した「造物主」が創造したという項目だ。神は直接世界創造に手を染めていないが、神はアントローポスすなわち人と、そして造物主を作った。人は造物主の作り出した世界を覗きにやってくる。つまり人は世界を作らない。人が世界とかかわるには、その間に造物主が関与しなくてはならない。また反対に人が埋もれてしまって自力で脱出できなくなってしまった世界から、人が救済されるには、救済の仲介者としてのソフィアの助けが必要になる。しかしソフィアは人が本来戻ってゆく場所までついていくことは許されていない。

 こうした思想の中に、人と神以外の、神の代理人としての第三の役割というものが想定される。それは造物主であり、人を救済するソフィアである。これまで述べてきた、神と人の間には、必ず仲介者として狐などが関与しなくてはならないというものも、類似した話である。

<世界卵と蚕>

・伏見稲荷大社の祖である秦氏はそもそも蚕産業で財を成した氏族であり、富士山近辺の秦氏の痕跡を見るまでもなく、秦氏の足跡のあるところ蚕産業が拡がっている。京都の太秦はもともと秦族の本拠地ということで名づけられたわけだが、そこには秦氏の中でもっとも著名な秦河勝が直接関与した広隆寺がある。

<狐の本性>

・アヌビスに通底する動きを持った日本の稲荷狐は、基本的には、人とそうでないもののつなぎ、あるいは門の機能だが、かなり多層的な性質があるといわざるを得ない。本書では次のような内容を説明してきた。

1、狐は自然界=母の国への導きである。安倍晴明の母、葛の葉狐の伝承。

2、狐は死の領域への道案内である。中沢新一によると、稲荷のあるところ、たいてい墓所でもあった。

3、神道系では、穀物神であり、富をもたらす。秦氏の展開した商売の繁栄においての護り神である。

4、宝珠をくわえた霊狐は、修行者へ知恵をもたらす。

5、稲荷神社に祀られたサルタヒコの関連で、異なる領域のものを持ち込む越境の神。わたりをつける。

6、巫女と一体化して、妖術や呪術、性的な神儀に関与する。

7、通常の女性的なアイドルのような扱いも受けている。

8、原始宗教的稲荷においては、土地の力ゲニウス・ロキあるいは土地神のブースターとして活用され、たいていこれは万能な役割を与えられている。

9、狐憑きは、神様との仲介者として、預言をする。

10、管狐は、人を惑わすが、また物質的な御利益ももたらす。

11、仏教系稲荷では、女性力としてのシャクティが昇華され、女神として働くダキニの力を運んでくる。

12、カバラの図式で推理すると、生命力のリミッターをはずして、強力な推進力や達成力を与える。

13、エジプトのアヌビスと共通している狐は、死後の世界への導きとなる。

14、精神と物質の間の接続をする。狐あるいはアヌビスは、思いを形にし、また形に縛られた心を開放する方向の橋渡しをする。

15、玉藻前の伝説のように、この精神と物質の行き来が行き過ぎると、欲望にとらわれ、悪念に幽閉される。しかし極端に行けば行くほど、逆転も起きやすい。

16、狐とアヌビス、ガブリエルという関連では、過去に忘れた罪なども思い出させる。因果を明確にする。

17、秦氏の稲荷縁起から考えると、自分を世界に結びつけ、その環境の中で生きる道を作る。

18、猿女やエジプトのアヌビスの神官たちの関連で、魔除けなどにも関わる。衣服ということに、大きな関わりがある。

・そのうえで、全部をまとめて一言で言うならば稲荷狐とは「異界との接点」ということになるだろう。穀霊としての生産性というのは、異なる領域からわたしたちの領域に力が持ち込まれることで、創造を果たすのだから、これもまた異界との接点ということであり、死はこちらから向うへという創造のベクトルの逆回しだ。だから、生産性と死の門というのは表裏一体なものである。


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by karasusan | 2016-05-29 21:53 | その他 | Comments(0)