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「UMA河童」の正体は異星人グレイか!?(2)

『日本化け物史講座』

 原田実   楽工社   2008/2/1

<カッパ>

・航海安全 水難消除 河童渡来之碑

 ここは千五六百年前、河童が中国方面から日本に来て住みついたと伝えられる浦である。この2個の石はガラッパ石と呼ばれ三百五十年前 木の橋石であった。或日いたずら河童が附近の人に捕えられた時この石がすり減って消えてしまう迄いたずらはせぬと誓い年に一度の祭りを請うたので住民がこの願いを諒とし祭を当日の五月十八日と定めてオレオレデーライタ川祭と名づけ祭りを行っている

 昭和29年 八代市中島町内会 中島史蹟保護会 オレオレデーライタ祭団(熊本県八代市本町 八代川支流・前川の堤防にある石碑の碑文)

<ガラッパ――カッパの原型>

・九州の熊本県八代には、45世紀頃にはガラッパが渡来した、という伝説があります。ガラッパは、カッパの原型となったとされる化け物です。

 伝説によると、もともとガラッパは中国の黄河にいたが、仁徳天皇(4世紀後半に在位)の時代に日本にやってきて有明海に入った。ガラッパの数はたちまち増えて九千匹にもなり、その大将は九千坊と呼ばれたといいます。ガラッパたちは千年以上も人を水の中に引きずり込むなどの悪事を働き続けたため、加藤清正(15621611)によって退治されてしまいます。九千坊は今後人を襲わないと誓約して、以来、八代では川での水害や水難事故がなくなった、という話です。

・このように、政治的に重要であった九州には、実は八代に限らず、やたらとカッパの伝承が多いんです。ガラッパ九千坊の他にも、宮崎県のヒョウスンボーとか、佐賀県・福岡県のヒョウスベなど、カッパの原型になったと思われる化け物の話がたくさんあります。佐賀では、かつてカッパは人を水に引き込んでいたが、近世になると領主の鍋島家にそれまでの罪を謝り「これからは人をとらない」と約束したという、八代の話と似た伝説もあります。

・しかもカッパに関連した海外、特に中国がらみの話も多い。たとえば薬屋の創業者にカッパが傷薬の処方を教えてくれた、あるいは薬屋の創業者がカッパから傷薬の処方を盗んだなどの売薬の由来譚です。こうした話は全国各地に分布していますが、特に九州地方に多いですね。これは、実際には中国から伝わった薬に関する技術を、独自の薬法であると主張したかったためにカッパの話にすりかえた、と考えられるわけです。中国人から教わった、と言うよりカッパから教わったと言った方が、独自性を主張できるし神秘性も増しますからね。

・というわけで、現代人にもお馴染のカッパの原型は、古代にまで遡るのではないかと考えられるのですね。もちろん、八代のガラッパがそのまま現代人がイメージするカッパになったわけではありません。ガラッパに類した「水の怪」の伝説は日本史の比較的早い段階から全国各地に広まり、それぞれの土地でそれぞれの名前を与えられていました。たとえば、青森でカッパを意味するメドチとか、アイヌ語のミンツチなどは、明らかに蛟(みずち)が原型です。蛟はもともと蛇の姿の水の神のはずでしたが、現在ではカッパの一種にされています。

・このような「水の怪」たちの伝説が全国にあり、そうした下地ができていたところに、江戸時代中期以降になって印刷技術が発達し、それによって江戸で印刷された黄表紙本などが広く全国で読まれるようになる。そしてそれぞれの土地にいた水の怪が、江戸方面の方言だった「カッパ」という名で呼ばれるようになっていくわけです。一説には、カッパを意味する方言は4百種以上あるとされます。逆にいえばこれは、全国各地の4百種以上もの水の怪が「カッパ」という名前の化け物にとりこまれたことを意味しているのです。そしてこの時期に、呼称の統一と並行するかたちで、頭の皿とか背中の甲羅といった現代人がイメージするカッパの姿形が整えられていったわけですね。

<小子部栖軽(ちいさこべすがる)――王権の矛盾を引き受けるトリックスター>

・次は5世紀中盤、雄略天皇に仕えた小子部栖軽が雷神を捕まえた話です。この話は、平安時代に書かれた説話集『日本霊異記』の冒頭に出てきます。

 ある時、宮中で天皇と皇后が同衾していたところに、小子部栖軽が知らずに入ってそれを見てしまった。天皇は照れ隠しに、一度、雷というものを見てみたいものだと言った。小子部栖軽はそれを受けて飛鳥のとある丘に行き、実際に大きな蛇の姿の雷神を捕まえてきた。何せぴかぴかと光ってやたらと音を立てる大きい蛇が宮中に運ばれてきたわけだから天皇も驚いて、すぐ山に返してこいと言った。以来、雷を捕まえた丘を雷丘と呼ぶようになった。

・その後、栖軽が亡くなった時に生前の事績が人々の語り草となり、「生きて雷を捕えた小子部栖軽」と褒め称えられた。これに怒った雷神が小子部栖軽の墓に落ちたところ、そのまま動けなくなって、天に帰れなくなった。そして栖軽は「死してからも雷を捕らえた」という具合いにさらに賞賛された、というお話です。

・小子部栖軽は雄略天皇に仕えていた臣下ですから、これは雄略天皇にまつわる話でもありますね。雄略天皇を「倭の五王」の武とみなす説があることは前節でふれました。また日本国内においても、雄略天皇は王権の基礎を作った天皇として伝承されていた節があります。それほどの重要人物だからこそ、雄略天皇の御製(皇族の作った歌)は『万葉集』の冒頭を飾り、また『日本霊異記』も冒頭に雄略天皇の話をもってくるわけです。

・また、王権の基礎を作った重要な天皇というのみならず、雄略天皇は、異世界との接点にしばしば立ち入る人物としても伝承されています。記紀神話によれば、天皇が猟のために葛城山(現大阪府・和歌山県境の山)中に入った時に、前方から天皇の行列とそっくりな行列が出てきてかち会った。そこで名前を聞いてみると、それは善きことも一言、悪しきことも一言で決める一言主之大神だと名乗った、というエピソードがあります。『古事記』では相手が神と知って雄略天皇の方が畏まったことになっていますが、一方の『日本書紀』では、雄略天皇と一言主とが轡を並べて、その友情を確かめ合った、という形で語られています。

・雷丘などという、天上と結びつくような名を持つ場所で、異界のものを呼び出す存在、栖軽はいうなればシャーマンでもあったのではないかということです。古代世界においては、王権は地上を離れた向こう側の世界とつながっていてこそ地上の支配も可能になる、という認識がありました。小子部栖軽は、地上の王権と異界とを仲介する役割を帯びた人物であった可能性が高い、そしてだからこそ、トリックスター的な役回りをも負わされたと考えられるのです。

『あなたもバシャールと交信できる』

坂本政道   ハート出版   2010/12/10

<バシャールとは、どういう存在?>

<惑星エササニの生命体>

・バシャールはエササニという星に住んでいる地球外生命体です。エササニとは、Place of livinglight (生きている光の池)という意味です。彼らの世界は、喜びと無条件の愛に満ち溢れる世界とのことです。

 そこには彼らは、数億(人)位いて、その総称をバシャールと呼んでいます。ちょうど我々を地球人と呼ぶようなものです。住んでいるのは、恒星ではなく惑星です。

・方向としては地球から見てオリオン座の方向です。もちろん、太陽系外の惑星です。地球から500光年ほどのところにあるShar(シャー)という星の周りを回る第3惑星のことです。

・残念ながら地球からは見えないと言われています。暗すぎて見えないというよりも、我々とは、微妙に次元、あるいは、「密度」が違うためのようです。

・地球は、そして人類は「第3密度」であるのに対して、バシャールとエササニ星の宇宙人は「第4密度」です。

・その惑星から数百人?が宇宙船にのって地球にやってきています。現在、彼らは地球の上空にいて、アメリカ人のダリル・アンカという人を通して、チャネリングをしています。

<グレイの子孫>

・バシャール自体はどういう生命体なのかというと、実はグレイと呼ばれる宇宙人と地球人の間に生まれた混血だということです。では、グレイとはどういう存在なのでしょうか。ご存じの方も多いと思いますが、グレイはアーモンド型の黒い目をしたちっちゃい宇宙人で、悪いイメージがあります。ネガティブなタイプだといわれています。

・ちなみに宇宙人はポジティブなタイプとネガティブなタイプ、それにニュートラルなタイプがいるとのことです。ポジティブなタイプの霊は、プレアデスに住む生命体(プレアデス星人とかプレアデス人)です。アークトゥルスやシリウスの生命体、こと座の生命体の一部もポジティブです。ネガティブなタイプには、こと座やオリオン、シリウスの生命体の一部がいます。

・バシャールによればグレイというのは、本当は宇宙人じゃなくて、「パラレルワールドの地球に住む人類」です。パラレルワールドでは、この世界と併存する世界のことです。

・そして、時空間を超えてこの地球にやってきて、人類をアブダクション(誘拐)し、受精して、子孫を作りました。それがバシャールだということです。

・ですので、バシャールの先祖というのは、グレイと我々人類ということになります。

<地球のまわりに集まる地球外生命体たち>

・バシャールたちは、今アメリカのセドナという場所の上空にいます。ただし、何度も言いますが、宇宙船自体も第4密度ですので、セドナに行って上空を見上げても通常は見えません。

・このように、いろんな宇宙船がいろんなところにいるわけですが、ほとんどがポジティブ側の宇宙人たちです。ネガティブ側もいますが、比率としては101くらいだそうです。

・ポジティブ側は連合を組んでいるようで、ル-ルがあるようです。そのルールというのは、2012年までは地球人類に直接的には干渉しないというものです。

『もののけの正体』  怪談はこうして生まれた

原田実   新潮社     2010/8

<人を食らう者としての鬼>

・なにしろ正史として編纂された『日本三代実録』にも、次のような怪談が記されているくらいだ。光孝天皇(在位884887)の御代に宮中の武徳殿を歩いていた女房が物陰から現れた美男子に誘われて行方をくらまし、やがてばらばらにされた手足が見つかった。つまりその美男子の正体は人を食う鬼だったのである。

・また、平安時代の権力者にとって、鬼は便利な装置だった。権力者同士の争いに巻き込まれての死者や行方不明者が出た場合、それを「鬼の仕業」にしてしまえば、誰の責任も追及せずにすませてしまえるからだ。この時代、「鬼に食われた」という形で噂された失踪者の中には権力者の間の暗闘の犠牲者も含まれていたものと考えられる。

<定型化していく鬼>

・渋川版御伽文庫の挿絵に登場する鬼は、人間に化けているもの以外は、上半身裸で頭に角を生やした男として描かれている。おそらくこれが私たちが思い浮かべる鬼の原型だろう。版本としての御伽草子の普及にともない、鬼のビジュアル・イメージの定型化は一気に進んだ。

<天狗――天狗の鼻はなぜ高い?>

・また、日本神話で天孫降臨を最初は邪魔し、のちには道案内をかってでたという神・猿田彦が天狗の仲間とみなされた影響もあるだろう。猿田彦は巨大な鼻を持つ神として伝承されていたからだ。

・こうして江戸時代には、天狗の定番、特に大天狗は長い鼻で羽団扇を持った山伏ということになり、昔ながらの鳥の頭で羽が生えた天狗は、天狗界でも下っ端の烏天狗ということになった。

<天狗に弟子入りした少年>

・『仙境異聞』によると、寅吉が仕えた天狗は常陸国・筑波山系に属する岩間山の大天狗・杉山僧正だった。篤胤は天狗の暮らしぶりについてもいろいろと質問している。たとえば天狗の好物は山中でとれたイチゴやブドウなどの果物を岩穴の中で熟成させたもので上澄みの汁を飲んだ後、そこに沈んだ塊を練り固めて常備食にするのだという。

 また、天狗の羽団扇は空を飛ぶときの舵取りに用いられるだけでなく、他の魔物や猛獣を打ちすえるのにも役立つ。天狗はその羽団扇を使いこなすための修行を積むから、みな武術をきわめているのだという。

・篤胤は国学者として、また神道家として記紀などの日本神話を重視していた。神話の世界では、神々が黄泉国(死後の世界)と地上の間や、高天原(天上にあるとされる神々の世界)と地上の間をしばしば行き来している。

・記紀神話に関して、江戸時代には、神話はたとえ話を含んでいるからそのすべてが事実というわけではないと説明した学者もあれば、神々の世界のことだから、人の世で起きないことが起きてもおかしくない、と説明した学者もいた。ところが篤胤はそのどちらの道もとらなかった。

・日本神話はすなわち史実であり、神々は人間の祖先である。したがって、神話の世界で神々が体験していたことなら、現代の人間もまた体験できるはずだ。篤胤はこのように考え、現代(当時)において人が目に見えない世界と往来した実例を捜し求めた。天狗界と往来するという寅吉はその篤胤の希望に応えたわけである。

・なお、篤胤は天保14年(1843)に世を去ったが、その後、彼が開祖となった平田神道の流れをくむ神道家の間から、天狗界に関するレポートがつぎつぎと発表される。参沢宗哲『幸安仙界物語』(『幽界物語』1852年)は和歌山藩士で寅吉同様、天狗に弟子入りしていたという島田幸安からの聞き書きである。また、明治の神道家・宮地水位(堅盤)(18521904)も幕末期に異界に出入りして天狗の教えを受けていたという。後年、水位が若かりし頃の見聞にもとづき、日本のみならず中国や西洋の天狗界の消息について記したメモ書きが『異境備忘録』であり、明治20年(1887)頃にいったん水位自身が編集した本が門人に書写される形で広まった。

<河童――水神はどこから来たか?>

<河童の起源は古代まで遡るか>

・河童というのは古くて新しいもののけである。その伝説上の発祥ははるかな古代にまで遡る。

 現在は『遠野物語』などの影響もあって、河童といえば東北というイメージを持つ人も多いだろうが、実際に河童に関する伝承が濃密に伝えられていた地域といえばまず挙げられるのは九州だ。

 たとえば熊本県八代市には次のような伝説がある。

・球磨川支流で八代市街地を流れる前川。この川にかかる新前川橋のたもと周辺はその昔、徳淵津という船着場だった。そして、その徳淵津跡の堤防上には一つの石碑が建っている。これが通称「河童渡来の碑」だ。その碑文に曰く――、

「航海安全 水難消除 河童渡来之碑  ここは千五六百年前河童が中国方面から初めて日本ニ来て住み着いたと伝えられる場所である」(原文ママ)

 この石碑は昭和29年(19546月、八代市中島町内会・中島史蹟保護会の連名で建立されたものだ。ちなみにこの地方では河童のことを「ガラッパ」と呼ぶ。

・『本朝俗諺志』『和訓栞』など、江戸時代の文献によると、ガラッパが黄河から渡来してきたのは仁徳天皇の御代のことだった。『日本書紀』によると仁徳天皇の在位は西暦313年から399年、つまり4世紀のことである。仁徳天皇が実在したかどうか、実存したとしても『日本書紀』の紀年が信頼できるかどうかはさておくとして、碑文の「千五六百年前」は、まさに伝承上の仁徳天皇の御代に相当している。

・それら江戸時代の文献に記された伝承によると、八代に住みついたガラッパの群れは、大いに栄えその数9000匹を数えた。その頭領は九千坊と呼ばれた。九千坊と配下のガラッパは長年にわたって、田畑を荒らしたり、人をさらったりと悪事を繰り返した。そのため、彼らは加藤清正公の怒りに触れて退治され、その後は二度と悪事は行わないと誓ってそのまま八代に住むことを許されたとも、筑後川に移住して久留米の水天宮の眷属になったとも伝えられている。いずれにしろ、それ以来、熊本・八代では水難の害はなくなったという。

<畏怖の対象からひょうきん者へ>

・河童といえば誰もが思いだす特徴、頭には皿、その周囲に垂れる髪、背中にはカメのような甲羅、嘴のようにとがった口、人間の子供のように小柄な身体つきで泳ぎが上手、愛嬌があり、相撲をとるのが大好きで、食べ物はキュウリを好む・・・そうした要素は実は、江戸時代に定着したものだ。

18世紀前半、江戸時代中期までの河童に関する記録や図では、全身毛むくじゃらの猿のような姿とされているものが多く、嘴や背中の甲羅はない。頭頂にも窪みがあるとされる程度で、立派な皿があるとまでは書かれていないことが多い。その典型は正徳2年(1712)に刊行された寺島良安の百科全書『和漢三才図会』に収められた「川太郎」の絵である。

・また、「カッパ」という呼称が全国に広まった時代もやはり江戸時代中期のようだ。河童を意味する方言は一説に全国で400種以上もある。

 先に述べたガラッパは熊本・宮崎・鹿児島の各県で用いられているものだが、他にも、ミンツチ(北海道アイヌ)、メドチ(青森)、カワソ(石川・島根、他)、カシャンボ(和歌山・三重)、ガタロ(奈良・大阪、他)、エンコウ(広島・高知、他)、シバテン(高知)、スイテング(福岡)、ヒョウスベ(佐賀・長崎・宮崎、他)、ケンムン(鹿児島)、キジムナー(沖縄)と枚挙にいとまがない。

・「カッパ」もそうした方言の一つで、もともとは関東地方で用いられたものだった。江戸の出版物が地方でも読まれることで、関東方言にすぎなかった「カッパ」がさまざまな水神の眷属や水の怪の総称とみなされ、その特徴を次第に共有するようになっていったわけだ。言い換えると400種以上もの河童の方言は、もともと400種以上も存在した水神の眷属や水の怪が江戸中期以降、「カッパ」の呼称に統一されていったその名残と考えられる。

『ニッポンの河童の正体』

飯倉義之  新人物往来社    2010/10/13

<宇宙人グレイ説>

・さまざまな河童の正体説の中でも極北に位置するのが、この河童=宇宙人グレイ説である。UFOに乗って地球に飛来し、NASAと取引をしてエリア51に潜んでいるという宇宙人・グレイ。彼らは、1メートル20センチ程度で、メタリックな灰色の肌をし、釣り上がった目と尖った顎が特徴である。彼ら悪の宇宙人グレイこそが太古から日本に出没していた河童であり、河童に尻子玉を取られるとはUFOにさらわれての人体実験、河童駒引とはつまり現在のキャトル・ミューティレーションのことだったのだ、というのがこの説である。

・宇宙人という正体不明の存在を河童という正体不明の存在の正体にするというのは、つまり何も判明していないのと同じだというのがこの説の最大の弱点である。

 宇宙人・グレイと河童の不思議な符合は、人や家畜を害するものに対する想像力のありようは、文化が違ってもどこかで似ることがある、と考えた方が合点がいくのではないか。

・このグレイ説は雑誌『ムー』誌上で人気を博してさらにもう一段階の進歩を遂げ、実は宇宙人だと思われているグレイは地球固有の異次元吸血妖怪で、アメリカ軍はそれを知りつつ本当の宇宙人のカモフラージュに妖怪・グレイを用いているのだとされる。

・世界中でチャパカプラとかスワンプ・モンスターと呼ばれて人や家畜を害しており、さらに彼らはプラズマを操って河童火を燃やす力があり・・・とまあ、八面六臂の大活躍である。この説に従うと、「妖怪だと思われていた河童の正体は、実は宇宙人だと思われていた妖怪である」ということになる。複雑さは増したが、何も言っていないことは同じと言うことになるだろう。

<河童で町おこし><町中の妖怪たち>

・日本では各地域に伝わる妖怪伝承をもとにした町おこしが行われている。近年では、鳥取県境港市の「水木しげるロード」が人気を博している。

<札幌市奥座敷定山渓温泉>

・札幌市奥座敷定山渓には、「かっぱ淵」の伝承がのこされている。ある青年が豊平川で急に何かに引きずり込まれるようにして淵の底に沈み、発見できなかったが、一周忌の夜、父親の夢枕にその青年が立ち、「私は、今、河童と結婚して、妻や子どもと幸せに暮らしていますから安心してください」といって消えたという伝承である。札幌市奥座敷定山渓温泉は、この「かっぱ淵」の伝承をもとに、河童で町おこしを行っている。

<岩手県遠野市>

・岩手県遠野市は、「河童のふるさと」として有名である。遠野市には、柳田国男『遠野物語』に河童の伝承が多くみられるように、河童にまつわる伝承が数多く残されている。

<宮城県加美郡色麻町>

・色麻町には、「おかっぱ様」として有名な磯良神社がある。

<千葉県銚子市>

・銚子市には大新川岸の河童伝承がある。昭和601985)年に、「銚子かっぱ村」ができた。

<東京都台東区「かっぱ橋本通り商店街」>

・「かっぱ橋本通り商店街」では、かっぱ像や、かっぱの絵の看板をたくさんみることができる。

<広島県南区段原>

・猿猴川は、猿猴(エンコウ)」という河童の名称がつけられているとおり、河童がいたと言う伝承がある。

<熊本県天草市栖本町>

ガワッポ(河童)の伝承が残されている。

<福岡県久留米市田主丸町>

・河童の総大将の九千坊が筑後川に棲んでいた伝承がのこされている地域である。

<河童愛好家による全国ネットワーク><河童連邦共和国>

・日本全国で河童の町おこしをしている地域や河童愛好家の人々が集まり、「河童連邦共和国」というネットワークがつくられている。

『河童・天狗・神かくし』

 (松谷みよ子)(立風書房) 2003/4

<河童には、昔から日本全国で土地特有の名称があった>

<河童の名称>

(北海道)  コマヒキ、ミンツチ(アイヌ)

(東北地方) オシッコサマ、シーッコサマ、カッパ、カァパ、カァパコ、カッパァ、カワワラス、カッパァ、ガワダロウ、ザンビキワラシ、セッコウサマ、メドチ、メドツ、メットウチ

(関東地方) カッパ、カッパノコ、カワッパ、カダロー、ガタロ、カワワラワ、ネネコ、封(ホー)

(中部地方) エンコ、カッパ、ガッパ、カーランベ、カースッパ、カゴウソ、カワ(ラ)コゾー、カワボウズ、カワザル、カワババ、カワコゾ(ウ)、カーラボーズ、カワヤロウ、

カワツズミ、カーカンパ、カワッパ、

カワウソ、カワダ、カーラボン、カワラ、カワコボーズ、ガワロ、ガウロ、ガォロ、ガワエロ、ガワイロ、ガメ、ガワラ、ガワタロ、コボッチ、シジン、シイジン、スイシン、スイジン、スジンコ、セーシン、セージン、テガワラ、ドーツン、ドチロベ、ドチ、ドチガメ、ヌシ、ミズシワッパ、ワワッパ

 (近畿地方) イ(ン)ガラボジ、ウンガラボーシ、エンコ、オンガラボーシ、カッパ、カワッパ、カワラ、カワソ、

カワタロ(-)、カワコ、カワコゾウ、カタロ、カワタラ、カシラ、カワンゴロ、カワコボシ、カワラコゾウ、カワロ、カンコロボシ、カワノトノ、ガタロ、ガワタロ、ガ(-)タロ(-)、ガァラ、ガウライ、

ガワッパ、ガイタロウ、ガロウ、ガロボシ、ガウラ(イ)、ガシャンボ、ガ(ッ)タラボ(-)シ、ガンタヲボシ、

ガイタルボーズ(カイダルボーズ)、ガラボシ、ゴウタロウ、ゴウタラ、ゴウラボ(ウ)シ、ゴウヲゴランボ、ゴボシ、ゴロボシ、シリヒキマンジュ、シリヌキ、シリコーボシ、スッポン、ドンガス、フンゴロボージ、ヒョウスボウ、マロ、ヤマタロ、

『河童・天狗・神かくし』

 (松谷みよ子)(立風書房) 2003/4

<河童の名称>

<河童の名称は全国各地で色々だ>

(中国地方)

エンコ(ウ)、カワッパ、カワコ(―)、カウコ、カウゴ、カワソ、カワコボーズ、ガウロ、ガ(ッ)タロー、ガウコ、ゴンゴ、ゴーゴ、ゴンゴージ、テナガ、フチザル、川子大明神

(四国地方)

イドヌキ、エンコ(ウ)、カワウソ、カワラ、カタロー、カワランベ、カダロウ、ガタロ(-)、ガワタロ、ガワラ、ガァラ、ゴタロ、ゴタコ、ゴタラ、シバテン

(九州地方)

エンコ、オト、カワノト、カワノヌシ、カワノヒト、カワコ、カントン、カーダラ、カーボン、カワタロウ、カワンヒト、カワノト、カワノヌシ、カワノヒト、カワンチョロ、カワントロ、カワノトノ、カワントン、カワロ、カリコボ、カワッソ(ウ)、カワゾウ、カワッパ、カーッパ、ガーッパ、ガッコ、ガワッパ、ガーダラ、ガワタロ、ガンチョロ、ガワッパ、ガータロ(-)、ガントロ(-)、ガントン、ガーッポ、ガグレ、ガゴ、ガラッパ、ガワロ、ガラッポ、ガンバ、ガースッパ、ガーロ、ガタロ、

ガシタロ、ガワンタロ、ガワッパ、ガッタロ、ガァッパ、ガッパ、ガアラッパ、ガワンタ、コウラワロウ、

サンボシ、スイテング、スイテンボウズ、スジンドン、セコ、セコンボ、セココ、セセコ、セコボウ、ヒョ(ウ)スンボ、ヒョウボウ、ヒュ(ウ)スボ、ヒョイヒョイ、ヒュースベ、ヒョウス、ヒョウスヘ、ヘテゴロ、

ヘジコロ、ホグラ、ナサン、ミズシン、ミッツドン、ヤマワロ、ヤマンタロー、ヤマセコ、ヤマオロ、ヤマウロ、ワワッパ、ワラドン

(奄美大島)ガウル、ガワッパ、コーバチ、ケンムン(ケンモン)

(沖縄地方)カムロー、キジムン(キジムナー)、ブナガヤ


by karasusan | 2016-08-04 18:05 | その他 | Comments(0)