金星の神々は地球に到着するやいなや、イニシエーションのためのフリーメーソン本部を設けた、といわれます。(7)

『よくわかる宇宙の神秘とUFOの謎』 

 (清家新一)(日本文芸社)(平成5年)1993/9

(清家博士が教える宇宙の仕組みと未確認飛行物体の真相)

<異星人の平均寿命><寿命に比例した科学技術の進化>

・これは、ウラナイドからの通信である。いずれも『同乗記』に出てくるウラナイドをさしており、次のように記されている。

水をもってきてくれた女性は、身長1メートル57センチで、皮膚はたいそう美しく、よく均整のとれた両肩の真下まで金髪が波をうってたれている。目はもっと金色をおびており、やさしく楽しそうな表情をたたえている。相手は私の心を全て読みとぅ手いるのではないかという気がした。透き通るような皮膚には少しの傷もなく絶妙な美しさをたたえ、しかも引き締まって温かく輝いている。顔もみごとに整っていて、口は小さく真っ白な歯が美しく揃っている。年齢はずいぶん若く見えた。20歳をさほど超えていないらしい。長い先祖の指のついた両手はすらりとしている。二人とも顔や指の爪などに全然化粧をしていないことに気がついた。それでいて、二人の唇は、自然のままの真紅色を呈している。(・…中略)後になって、彼女は、我々が、金星という名で知っている惑星の住人であることを知ったが、この名前をカルナと呼ぶことにしよう。

<地球製円盤製造のすすめ>

<自動車を超えた乗り物の出現>

・またトヨタや日産は21世紀において次第に円盤を造る会社となっていくことだろう。これからは、特に自動車の先をいく乗り物を考えない限り、自動車会社の発展は望めないといってもよい。現在のように地上をエンジンで走る原始的な車ではなく、空間移動用の自家用飛行艇ともいえるものが、最初に日本でできるはずである。これは地球の大気圏内専用の飛行艇であるから第6の力を使わずとも反重力の装置で十分に製作可能である。コンパクトなサイズで小回りがきき、しかも、重力に対する反発力で飛行するために墜落の心配もまったくない。その頃には私も、自家用飛行船で全国各地を飛び回り、『巨大母船における制御装置のあり方』などと銘打った講演をしていることだろう。現在、すでにホンダから講演を依頼されています。故本田宗一郎氏は円盤に大変興味を持っており、円盤を作りたかっていた。はたして、ホンダが一番先に円盤(または新しい乗り物)を作るようになるだろうか。興味のつきぬところである。

『よくわかる宇宙の神秘とUFOの謎』 

 (清家新一)(日本文芸社)(平成5年)1993/9

(清家博士が教える宇宙の仕組みと未確認飛行物体の真相)

<銀河連邦の存在><異星人による指導と励まし>

・一番難しいのは銀河連邦の規約を踏まえた人類への指導であろう。

・それぞれの惑星では歴史も違い、文明一つをとっても地球時間でいうところの2000年から3000年の開きがあるといわれている。高い文明の惑星から見れば、地球に代表される低迷文明の星などは、直接手をくだしてしまったほうが、ずっと彼らの業務を簡単に遂行できるはずである。しかし、それは銀河連邦の規約では許されてはいないのだ。低迷文明の星といえども自ら進歩していこうとする意志と可能性を秘めている。

<異星人とのコンタクト><謎の手紙>

・新しい宇宙艇が飛来してきますが、これは1987年に建造された、たいへん優れた宇宙艇であります。プレアデスから、3分で来ることができます。8人乗りのスペース・シップですが、約22メートルの直径です。高さ7メートル、推進力は光子ビーム、プラズマ電磁エナジー、エーテル波、重力、イオン、そして新しい方法によって推進します。この方法は、船体のまわりに陽電子を発生させ、その陽電子に太陽から出る重力波の一種を反応させるものであります。

『よくわかる宇宙の神秘とUFOの謎』 

 (清家新一)(日本文芸社)(平成5年)1993/9

(清家博士が教える宇宙の仕組みと未確認飛行物体の真相)

昭和32年の大学の学生のころからウラニデスとの宇宙人とのコンタクトがあった

・私のもとへ届く通信によると、地球上に飛来するUFOはやはりプレアデス星団からのものが多い。彼らの科学技術は大変、高度であり、動植物や人間などクローン(複製品)を短時間でつくることができるらしい。彼らは、地球人の我々が認識している以上に、地球や地球人類に対する情報データを数多く収集している。なかには地球人そっくりに変身して、人類に紛れて生活をしている宇宙人もいるらしいのだ。

・また別の手紙も届いている。スペースマンより、ドクター清家へ!プレアデス星人よりー私達の星団には、人類が拠点としている三つの星があります。エラ星、フリートス星(大変明るい気分に満ちた惑星との接触)、カーネス星であります。

私達の多くはフリートス星で、カーネス星には、他の星から来た友人たちが住んでいます。リラやベファ、そのほかの多くの友人たちが行き来しています。

『人類はなぜUFOと遭遇するのか』

  (カーティス・ピーブルズ)(ダイヤモンド社)2002/7

<レムリアの記憶>

・シェーバーは手紙が注目されたことでパーマーに感謝し、さらに「未来人への警告」と名づけた長く散漫な手紙を書いて送ってきた。パーマーは彼から届いたこの長い手紙を、さらに3倍に引き伸ばしたうえ、タイトルを「レムリアの記憶!」と変えて、「これは真実の物語である」と銘打って宣伝を始めた。妄想に満ちたシェーバーのこの陳腐な話を真実の物語と決めつけて売り出したのは、オカルト好みの読者を取り込むことによりライバル誌を蹴散らそうと考えたパーマーの策略であった。

・この物語は12000年前、レムリアに生きていたというシェーバーの過去世について述べたものであった。

・失われた大陸、アトランティスとレムリアは15万年まえ、アトラスとタイタンと呼ばれる宇宙生物の植民地とされていた。その頃、重金属から作り出される有毒な放射線が、太陽から流れだし始めていた。その放射線は、有毒エネルギーと見なされ、アトラスとタイタンは自らを守るために地下へと避難して、巨大な秘密都市を築くことになった。だが、それでも有害な放射線は彼らに危害を加え出し、結局、彼らは、地球を離れることとなったのであった。

・声の主は人類ではなく、通常の現代人とは全く異なる生き物だということが分かった。彼らは、地下深くに存在する巨大な洞穴の中に住んでいた。巨大な力を持つ邪悪な存在たちということが、彼らの心の中から読み取れた。これらの声の主は一体何者か?

・それを理解するのに数年を要したが、最終的に解明ができた。私は、彼らの住んでいる場所や、その生活様式、彼らの邪悪な考えなどに気づき、彼らもまた、私が気付いたことを悟った。彼らは、「恐れ」という感情を、その原動力としているため、彼らは、私のことをまた恐れたのだった。

・ここで、「彼ら」と呼んでいるのは、地下都市へと逃げ込んだ退化してしまった邪悪な人造人間デロスのことである。デロスは。アトラスとタイタンが残していった装置を起動させ、その装置が放った放射線を放ってしまぅたために、短躯で知能の低い種族へと変わってしまったのであった。デロスは、さらに、人々の心の中を読むためにこの放射線を使用し、人々の気を狂わせていたのであった。つまり、この世にはびこる全ての悪と災いがデロスによるものだったのである。

・シェーバーは、最終的にテロスという名の誠実なる人造人間に助けを求め、地下都市へと下っていった。テロスもまた地下都市で生きてきたのだが、デロスとは違い彼らの理性は放射線によっても汚染されていなかった。

・とにかく、シューバーの物語に対する反響は大きかった。1945年末には、(アメージング・ストーリー)誌の発行部数は25万部に伸びた。それまで1カ月に4050通だった投書は、一気に500通まで跳ね上がった。もっとも、手紙の多くは、空に奇妙な物体を目撃したとか、地球外生命体に遭遇したという内容だった。

・宇宙船が地球を訪問しているという事実を世界各国の政府首脳が知らずにいると思っているのならそれは間違いだ。

『人類はなぜUFOと遭遇するのか』

  (カーティス・ピーブルズ)(ダイヤモンド社)2002/7

<空飛ぶ円盤を発明した男><レイモンド・A・パーマー>

・彼の少年時代は、辛く悲惨なものであった。パーマーは「パルプ雑誌」に逃避した。パルプ雑誌とは、その名の通り、安手のパルプ紙に印刷されたカラフルで、けばけばしいカバーの雑誌のことである。パルプ雑誌の記事は、雀の涙のような原稿料で請け負うライターたちによって、次から次へと量産されていた。

・そして、弱冠28歳の時、(アメージング・ストーリー)誌の新しいエディターに選ばれると彼は10代の少年向きにこの雑誌を模様替えし雑誌の厚さも200ページから250ページへと増やした。

・パーマーは、読者の間に神秘主義の関心が高まってきていることを敏感に見抜いていた。失われた大陸とされている「アトランティス」や「レムリア」といったタイトルの付いた記事が雑誌に掲載されると発行部数が常に増えることに気が付いたのだ。彼は販売部数を引き上げるため、神秘主義をうまく利用する方法を模索し始めていた。そして、ちょうどそのころ、彼の手元に一通の手紙が届いたのだった。

『口語訳 遠野物語』

 (柳田国男) (河出書房新社)1992/7

山男は里人にとっては恐怖の対象である異人として語られていた。

<笛吹峠の山人>

・遠野郷から、海岸の田の浜や吉里吉里(きりきり)へ超えるのには、昔から笛吹峠という山道があります。山口村(土淵村山口)から、六角牛山のほうへ入る道で、海岸までの道のりも近いため、よく利用されていました。

 ところが、近年になって、この峠を越える人は、山中で必ず、山男や山女と出会うようになりました。この山人のうわさが広がると、それを伝え聞いた人々はみなおそろしがって、しだいにこの道を使わなくなり、人の往来はめっきり少なくなってしまいました。

 とうとう人々は、境木峠というほうに別の道を開き、和山を新しい馬次場(うまつぎば)として、いまではこちらの峠だけを超えるようになりました。

二里以上もの、回り道になります。

<笛吹峠>

・その昔から、耳を切るほどの冷たい風が吹くということから耳切峠と呼ばれる峠越えの難所でした。大槌からは海産物を、そして遠野からは米や炭を馬に積み、駄賃付と呼ばれた人々が往き来していたのですが、山男や山女に出会ったという話が増えてから不気味な空間として人々からこわがられてしまいました。車道になった今でも、通る車は多くありません。

『口語訳 遠野物語』

 (柳田国男) (河出書房新社)1992/7

<マヨイガ(ヤマザキの話)>

・金沢村は、白望山の麓にあたり、上閉伊郡の中でもことに山奥で、人の往来のあまりないところです。六、七年ほど前、この金沢村から栃内村山崎の某かの家では、娘の聟をもらいました。この聟が実家に行こうとして、山中で道に迷い、やはりこのマヨイガに行き当たりました。

 家のようす、牛・馬・鶏がたくさんいること、紅白の花が咲いていることなど、すべて前の話のとおりです。同じように玄関に入りますと、膳椀を用意している部屋があり、座敷には鉄びんの湯がたぎって、今ちょうど、茶を入れようとしているところのようにみえ、耳をすますと、どこか便所のあたりに、人が立っているような気配さえするように思いました。

 男ははじめ、ぼうぜんとしていました。が、後にはだんだん恐ろしくなり、栃内村へ引き返そうとして道をはずれ反対側の小国の里へ出てしまいました。

 小国村では、男からこの話を聞いても、だれ一人本気にする人はいませんでした。

しかし、遠野側の栃内村山崎のほうでは、

「それごそ、うわさに聞いたマヨイガだ」

「すぐ行って、膳椀でももらって来て、長者になるべす」

「さあ、聟殿、案内せじゃ」などと大さわぎになりました。

さっそく、聟を先頭に立て、大勢の人がマヨイガ探しに、山の奥へはいりました。

「このへんに、たしか門があったと思う」というあたりを、念入りに探しました。が、いくら探しても、そのような家はついに見つかりません。人々は、ただむなしく引き返すことになりました。

 その後、例の聟殿が金持になったという話は、いまだに聞こえてきません。

『口語訳 遠野物語』

 (柳田国男) (河出書房新社)1992/7

<山田の蜃気楼>

・海岸の山田では、毎年蜃気楼が見えます。いつも外国の景色だということです。

それは、見たこともない都会のようすで、道路をりっぱな馬車がひっきりなしにとおり、人の往来もびっくりするほど多いそうです。家の形など、毎年少しも違いがないということです。

<マヨイガ(三浦家の話)>

・小国の三浦某という家は、村一番の金持ちです。

しかし、いまから二、三代前の主人のころは、まだ家は貧乏で、妻は少し鈍い人でした。

この妻がある日、カド(門前)を流れる小川に沿って、蕗をとりに山へ入りました。が、よいものが少なく、いつの間にか、谷の奥深くまでさかのぼってしまいました。

 

・ふと気がついてみますと、目の前にりっぱな黒い門の家がありました。(おかしいな)とは思いましたが、門の中へそうっと入ってみました。広い庭には紅白の美しい花が一面に咲きほこり、よい香りがしてきます。鶏のたくさん遊んでいるかたわらをとおり、裏庭へ回ってみますと、そこには牛小屋があって、数多くの牛がおりました。また、厩には、なん頭ものみごとな馬がおり秣を食べていました。

 

・女はとうとう、玄関から家の中へ上がってみることにしました。一歩踏み込むと、開け放した次の間には、朱と黒のりっぱなお膳とお椀がたくさん用意されてありました。また、奥の座敷には火鉢があって、鉄びんの湯がチンチンとたぎっています。それなのに、どこまで行っても人影がありません。 ここまで来ますと、この気のよい女も(もしかして、ここは山男の家ではないか)などと思うようになりました。そう思い込むと、女は急におそろしくなり、谷川ぞいの道を、けつまずきながら、一目散に走って家へ帰り着きました。

「とど、とど、おれ、たいへんなもの見で来たや」

 

・女はさっそく、山の中の不思議な家のことを語りました。が、夫をはじめ家の者は、だれ一人として本気にしませんでした。

 さて、ある日のこと。女が、わが家の門前で洗い物をしていますと、川上から、赤いみごとなお椀が一つ流れてきました。あんまり美しいので、女は思わず拾い上げてしまいました。しかし、これを食器として使えば、きっとまた「きたない」と、家の人たちに叱られるに違いありません。女は、どうしても欲しくなり、これを拾うと、ケセネギツの中に、そうっとかくしておきました。米や麦を計る入れ物にするつもりです。

 

・ところが、このお椀で米や麦を計りはじめてからは、いつまでたっても、なくなりません。そのうちに、家の人たちもやっと気がついたようでした。不思議に思って女にたずねましたので、女もはじめて、川から拾い上げたことを打ち明けました。家の人の話がほんとうであることを知り、とてもびっくりしたのです。

 いずれ、この家は、このことがあってから好運に恵まれ、ついには、いまの三浦家のような大金持になりました。

 

・遠野では、山中の不思議な家をマヨイガといいます。マヨイガに行き当たった人は、かならずその家の道具や家畜、なんでもよいから、持ってくることになっているのです。なぜなら、その人に授けようとして、このような幻の家を見せるからです。三浦家の妻に欲がなく、なにも取ってこなかったので、このお椀は、自分から流れてきたのだろうということです。

<マヨイガ>

・山の奥深くに突然のように現われる無人の豪家。一度見た者は、二度と見ることはできないといわれている。

<門前>

・家の内と外との境界。門の前を流れる小川に沿って歩いているうちに、いつの間にか、山深く入り込んでしまったという話の設定自体が、マヨイガへの伏線となっています。

川上から流れてきたお椀を拾い上げるのも、この門前のことです。

 78話にも、「門の前」で死者の霊魂に出会う話があります。いずれにしても村の人々にとって「門前」とは、生と死、日常と非日常が往還する空間であって、語りのなかでは、重要なキーワードであったわけです。

<椀貸し伝説>

・山中を漂泊し、椀や盆、膳などを作って生計をたてていた木地師たちの手によって、全国に伝わっていった伝説。柳田国男は、このマヨイガから流れてきたお椀の話の源は、この椀貸し伝説にあると考えました。

 全国に分布する「椀貸し伝説」は、椀貸し淵など、川や池に流れてくることが多いのですが、それは竜宮信仰ともつながって、中国やインド、ドイツ、イギリスなどの話と比較されています。

『口語訳 遠野物語』

 (柳田国男) (河出書房新社)1992/7

<「山の神」の子>

・上郷村に、河ぶちのうちと呼ばれる家があり、早瀬川の岸に建っています。ある日、この家の若い娘がひとり、近くの河原に出て、石ころなどを拾っていました。すると、みなれない男がやって来て、ふところから木の葉やなにやらを出して娘にくれました。その人は、とても背が高く顔が朱のように赤い人でした。

 娘は、不思議なことに、この日から占いの術を使えるようになりました。その異人(いじん)はきっと山の神で、娘はその山の神の子になったのだと、みんな信じています。

<山の神乗り移る>

・山の神が乗り移ったなどといって、占いをする人はよくあり、附馬牛村にもいます。が、本業は木挽です。

 土淵村柏崎の孫太郎も、そんな占いをする一人ですが、以前は発狂して本心を亡くしていました。

ところがある日、山に入って山の神からその術を教わり、自分のものにしてからというもの、不思議に人の心中を読むようになり、みんなをびっくりさせました。

 

・その占いの方法は、世間の占い師とはまったく違います。書物などは見ずに、ただ、頼みに来た人と世間話をするだけです。そのうちに、急に立ち上がると、部屋の中をぶらぶら歩きはじめます。まもなく、頼みに来た人の顔は少しも見ないで、自分の心に浮かんだことを、ずばりと言います。が、まず、当たらないということはありません。

 

・たとえば、「お前の家の、板敷をとりはずして土を掘ってみろ。古い鏡か、刀の折れたのがあるはずだ。それを取り出さねば、近いうちに死人が出るか、家が焼けるぞ」というぐあいに言うのです。

 占いを頼んだ人が、家へ帰って掘ってみますと、それは必ずあります。このような例は、指で数えていては足りないほどあります。

『隠された聖書の国 日本』

 (ケン・ジョセフ・シニア&ジュニア)(徳間書店)2008/4

<醍醐本『聖徳太子伝記』(13世紀)>

・『日本史の中の仏教と景教』の著者、富山昌徳は、「醍醐本『聖徳太子伝記』(13世紀)には聖徳太子が死んで蘇った話が出ているだけでなく、本書全体の構成が『ヨハネ伝』を模したものと推定される」と書いています。さらに聖徳太子が、「片岡山で飢えた者に衣食を与えたという話」「それに続いて、その飢えた人がやがて死んで葬られたが、数日の後、復活して、ただ棺の上には衣だけしか残っていなかった」という話が『日本書紀』に載っていますが、これらも聖書を知っている人なら、「どうも聖書に似ているなあ」と思えてならないでしょう。

・キリストは、飢えた者に衣食を与えるなら決して報いからもれることはないと言い、それはキリスト自身に与えたのと同じだと教えました。そして、キリストが死んで葬られ、後に復活した墓には、ただ衣だけしか残っていなかったと、聖書は記しているからです。

一方、聖徳太子は「大工の祖」と仰がれ、「大工の守護神」とされています。同様にイエスの職業は大工でした。広隆寺でも、一月に「チョンナ初め」の儀式というのが今もあって、聖徳太子は大工の祖であるとしています。聖徳太子にまつわる後世の伝説は、このようにもともと基督教だったものが、数多く取り込まれているようです。

『お化けについてのマジメな話』 

(平野威馬雄)(平安書店) 1974

<淀川長治さんの話>

11月の末、横浜のお宅で語った体験話。淀川さんのお母さんが病勢悪化して、神経痛がひどくなり、大変な苦しみ方だった。背中をさすっていると、お母さんの顔に死相がありありと表われた。その瞬間、部屋の四隅に黒くて褐色でグレーで鳶のような烏天狗のようなものが立膝していたんです。12時半ごろ、あたりはシンとしていた。その中の一人が顔をあげて「お迎えに来ました」と言った。

・その場でつれて行きそうになったので、おもわず、あと6か月待ってくれといぅたが、6年か60年とかいえばよかったと、後になって後悔している。でもその時は、せめて1日でもと言いたいくらい・・・血のひくような怖さだった。あくる日から、お母さんの腰の痛みはとれたが、亡くなったのが5月末で、その時からちょうど6か月だった。

『お化けについてのマジメな話』 

(平野威馬雄)(平安書店) 1974

<黒柳徹子さんの話>

・『若い季節』をやっていたとき・・・盲腸が痛くなって入院していたの・・・手術するかどうかって、境目になったとき、とっても気分が悪くていらいらしていたの・・・そして、ふと、目をつぶると、変なおじいさんが出てきちゃうの。

ねずみ色の夏物の上下を着て、ソフトをかぶって、ステッキを持って、帽子の下から白とねずみ色の混じった髪の毛をはみ出して私の前を歩いている。

・ときどき振り向いてニッコリとわらうの。いやだなァ・・・・と、思って目を開いて、しばらくしてまた目をつぶると、今度は私が石垣の所なんか歩いていて、石垣に窓があって私がそれを覗くとむこうにあのおじいさんがいて、ニッコリと笑うのね。

・ 今度は井戸があるわけ、・・・それを私が覗くと、そのおじいさんが下にいるの。しじゅう気げんのいいおじいさんで、怖くはないけど、夢でもないのに連続してこんな人が見えるのはいやだなァ・・・と思ってたの。

その夏、スタジオで私の劇団の先輩の女の方が、「私すごくこわいものを見たわ」っていうの。それはその人の妹さんが、危篤状態で入院した時いきなり目の前に変な人が出てきて妹さんを抱いたんだって。「やめてください、どこへ連れていくんですか」っていったら、ふっと消えたんですって。妹さんは、その間に静かに亡くなったんですって。死神にちがいないっていうから、私が「どんな人?」って聞いたら、ねずみ色の洋服でソフトをかぶぅて髪の毛をはみ出させている、おじいさんだっていうのよ。私が見たのを話したらその通りだって・・・・。

『お化けについてのマジメな話』 

(平野威馬雄)(平安書店) 1974

<僕がお化けに興味を持った理由>

・平野:「あまりにひんぴんとお化けの体験をまじめな、ちゃんとした人が聞かせてくれますし、ぼく自身も色々とお不思議なことを体験しておりますでしょう。・・・・ですから・・・どうしても、ひとつつっこんで、みんなで研究してやろうという気になったのです・・・。いや、現につい最近も、あるビューティショップの奥さんが、ぼくの知り合いの設計士に頼んで、ホテル・オークラのロビーで午後3時ごろ、いっしょにお茶を飲みながら色々とお設計について相談をしていたんです。そのうちに、その設計士が今日は気分が悪いから早く帰ると言いだしたのです。で、彼だけ早く切り上げ、ビューティショップの奥さんだけが後に残ったわけです。さて、それから間もなく、その夫人は家に帰りました。・・・・

・すると、家の者が、『今朝ほど、電話がありまして、Sさん(前記の設計士が脳卒中で、明け方にお亡くなりになったということです』というのです。夫人は、まさか・・・たった今、ホテル・オークラで、一緒にお茶を飲んで別れたばかりなのに・・・ソンナ・・・・バカな話って・・・・と、言って、一笑に付したものの、何だか気になるので、すぐ、その設計士の家に電話をしますと正にその通り、今日の午前5時ごろ、急死したというんです。それでは、死んだ人が、ホテルのロビーに来て、一緒にお茶を飲んだことになる・・・

・そこで、夫人は青くなって、また、車を飛ばし、オークラに行き、ロビーにいる人に、『あたし、さっき、誰かと一緒にここに来て、お茶を飲んでいたでしょう?』と、聞いたんです。すると、ロビーのボーイさんが言うには、『一緒においでになった男の方は、あまり口をおききにならないようで何か暗い感じの方でしたね・・・そして、この通りまだ、お二人で、お飲みになったコーヒー・カップなど、洗わずに、そのまま、おいてございます・・・』

と言って、二人前の飲みかすが台の上にのっているのを見せてくれたというのです・・・こういう馬鹿げた、全く常識では考えられないようなことが、ひんぴんとして耳に入ってきますので、これは考えなければいけないぞ・・・と、思ったんです」

『超怪奇UFO現象File』 

 (並木伸一郎)(学研)2008/1

<江戸時代の海岸に漂着したのは宇宙人か><虚舟>

・江戸時代のUFO飛来事件とおぼしき出来事を伝える記録がある。時は享和3年(1803年)224日午後、旗本の小笠原越中守の知行所に、常陸国の領内であるはらやどり浜の沖合に奇妙な船が漂着した。土地の漁民たちは小舟を漕ぎだしてその船を浜辺まで引いてきた。船は直径5.4メートル、上部はガラス張りで、鉄板を張り合わせた頑丈な造り。一 船内には異様な風体の女がいた。髪は赤く、言葉は通じない。女は、60センチ四方の箱を大事そうに抱いていた ー。これは1825年に滝沢馬琴がまとめた『兎園(とえん)小説』で『虚舟(うつろぶね)の蛮女』として紹介された話だ。

・事件の現場は茨城県鹿島灘海岸のどこかと思われるが「はらやどり浜」という地名が存在せず、郷土史研究家たちの間では、事件について報じる記録が他にもあり、『梅の塵』『鴬宿雑記』、瓦版が見つかっている。

いずれも、その女性と異船がどうなったかは明らかにされていない。興味深いのは船内に書かれていたという謎の蛮字だ。UFOコンタクティが証言する宇宙文字に酷似しているのだ。


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by karasusan | 2016-08-27 04:13 | UFO | Comments(0)