件(くだん)の話は江戸時代だけのものではない。第2次世界大戦に件が現れて、「この戦争は負ける」といったという噂があった。(1)

『知っておきたい地獄・冥界・異界と天国』

山北篤     西東社   2009/5

<異界>

<死後、人の魂はどのような道程を経るのか>

<冥界に行くまでの過程>

・異界とは民俗学や人類学の用語で、人が死後に行く世界のことを指す。フィクションなどでは亡霊や鬼が生きる不気味な死後世界と描かれることもあれば、次元の違う世界、同じ世界でも価値観が全く違う人々が暮らす場所として使われることもあり、さまざまだ。

<その他の死後世界>

・日本神話の常世の国は古代日本の「あの世」のことを漠然と指す言葉であり、その過程に焦点を当てたものではない。また浦島太郎の行った竜宮城が常世の国と見なされることがあることからもわかるように、そこは死者の国と言うより、この世と違った法則で異なる世界と理解したほうがいいかもしれない。ニライカナイなどもそういった側面が強い。

<神が宿り、死者が還る場所>

<異界として山 修行の場としての山>

・柳田国男「山の人生」には、明治から大正にかけて、山で神隠しにあった話が紹介されている。少年がいつのまにか行方不明になり、家族がいくら探しても見つからない。不意に、天井に物が落ちる音がしたので行ってみると、少年が天井裏に倒れていた。聞けば、神(天狗)に連れられて木の上や空中を飛び、方々の家を回ってご馳走を食べてきたという。当時、こんな話が全国各地の山々に伝わっていたのである。

<仏教 輪廻転生から逃れられない 天上界>

<天上界は全部で27層ある>

・仏教でいうところの神、いわゆる天には数多くの種類があり、天ごとに住む世界が異なる。仏教的な世界観では大地の中心に須弥山と呼ばれる山がそびえ立っており、一般的にはこの山の中腹の上から先が天上界だとされている。そして、天上界は須弥山の上空に層をなして重なり、全部で27層があり、上に行けば行くほどその天は広くなっていく。だが、この27層もある天も、輪廻転生する世界にすぎない。これを「三界」ともよんでおり、下から順に「欲界」「色界」「無色界」という三つに分類する。

・欲界とは欲にとらわれた世界のことで、六道でいうところの地獄道と同じく欲望を断ち切れない者が住む世界である。六欲天ともいい、次のような六天からなっている。

●四大王衆天  三十三天に住む帝釈天に仕える四天王が暮らしている。住人の寿命は500歳。

●三十三天 善見城がある。帝釈天が住む。住人の寿命は千歳。

●焔魔天 閻魔が住む場所。住人の寿命は2千歳。

●兜率天 将来、仏となるべき菩薩が住み、弥勒菩薩がそこで説法をしているとされる。住人の寿命は4千歳・

●楽変化天  楽しみが思いのままに満喫できるという場所。住人の寿命は8千歳。

●他化自在天 欲界の最上位にあたり、欲界の天主大魔王である波旬の住処。住人の寿命は16千歳。

<キリスト教の異界 リンボ(辺獄)>

<無垢な魂が行くところ>

・リンボ(辺獄)とは、「縁」を意味するラテン語に由来し、地獄と天国の中間にある霊魂の住む場所を指す。

<ダンテが描くリンボ>

・ダンテは神曲の地獄で、地獄の第一の谷にリンボを置いている。そこは、地獄を円形に取り巻くアケロン川の内側にそって広がっており、死者たちは高貴な城に住んで、とくに幸福でないが罰を受けることなく暮らすことができる。

<日常生活の中の異界>

・勝利の時に行われる胴上げにも、異界が関わっている。胴上げとは、足を地面に触れさせないことによって、その者を日常から外し、神聖なものとする儀式である。

 よって、この世とあの世、現世と異界といった二つの世界をつなぐ働きがあるのだ。

運動会のハイライト、綱引きも、もとは宗教神事だ。たとえば、年の初めに農民と漁民が綱引きをし、農民が勝てば豊作、漁民が勝てば豊漁と占う。

 また、綱は、その姿から龍を想像させるため、綱自体を龍の形につくることも多く、その際綱引きとは、異界から龍が訪れ、神事を行うことで村を祝福し、再び異界へと帰って行くという機能をもった神事なのだ。

 古くは、綱を持って村を練り歩くという儀式だったのが、だんだんと今の綱引きの形に変化していったのだという。

・神事と言えば、独り相撲もよく知られている。目に見えない神や精霊を相手に、相撲を取る。

 結果はさまざまだ。神を勝たせて喜ばせ、その好意を得るというものもある。三番勝負で、一勝二敗と、惜しくも負けると、神は非常に喜ぶのだという。逆に、神に勝ち、勝利によって神に命令するという形で豊作を得るというものもある。

<異界への飛翔>

・肉体から抜け出した魂は、通常なら死後の世界に行くはずだが、違う物語もある。

<火星での大冒険>

・普通なら、死ぬと肉体から魂(?)が抜け出して異界へ行ってしまう。

 ところが、ほとんど同じ状況で、別世界へと行ってしまうのが、エドガー・ライス・バロウズの『火星シリーズ』だ。

 第1巻の『火星のプリンセス』において、主人公の元南軍大尉ジョン・カーターは、とある洞窟の中で肉体から離脱して、火星へと飛翔する。そして、火星で、波乱万丈の活躍を遂げるのだが、その理由が、火星は地球よりも重力が低いので(この辺は妙に科学的)、地球で育った彼は、火星人よりも遥かに強靭な力を発揮できるからなのだ。

 火星へは魂だけで飛んできたのではないのかと、突っ込みを入れたくなる。

 

・だが、火星に到着してしまうと、もはやどうやって来たのかは忘れられ、彼はその自慢の肉体で敵を倒し、美しいプリンセス(そう。火星には地球人と同じ姿の火星人が住んでいるのだ)を助けて、大活躍する。

 彼の活躍は純粋に肉体的なもので、霊的な活躍は欠辺もない。だが考えてみると、死後の世界で、地上と同じような生活をしているという神話は、世界各地に存在する。

 『火星シリーズ』も、その手の神話の系譜を継いだものだと考えれば、一応納得できる。

<二種類ある天国 パウロの黙示録の天国>

<第三にある「永遠の天国」>

キリスト教における天国については、新約聖書の外典『パウロの黙示録』にもその記述がある。

・キリスト教の伝道者だったパウロが、天使に連れられて死後の世界である天国と地獄をめぐり、そこで見聞したことが描かれている。そこでは、「一時的なもの」と「永遠のもの」という二種類の天国と地獄があることが語られており、こうした考え方は中世ヨーロッパの地獄観に大きな影響を及ぼしたとされている。

『パウロの黙示録』によれば、永遠の天国が存在するのは七層からなる天界の第三天。そこには善人しか通れない「黄金の門」があり、パウロはここで「死を経ずに天に移された」と旧約聖書で語られているエノクや預言者エリヤらと出会う。エノクはパウロに、神が人々に天国を約束し準備しているのにもかかわらず、第三天を訪れる資格を持つ人間が非常に少ないことを嘆いている。

<第一天にある「一時的な天国」>

・一方、「一時的な天国」があるのは、天界の最下層である第一天である。第一天は青空で、二百人もの天使たちが星の動きや天候などを司る場所でもある。そして、そこには天への入口があり、近くにはアケロン湖と黄金に輝く約束の地が存在する。この「約束の地」とは世界が終末を迎えたときに出現し、その後一千年間にわたってキリストに支配される、いわゆる千年王国の土地である。そこにはキリストの都があり、イザヤやエレミヤなどの旧約聖書に登場する預言者たちが住んでいた。また都の北側にはユダヤの祖とされるアブラハムやその子イサクなどがいた。

 そして、このキリストの都こそが『パウロの黙示録』がいう一時的な天国なのである。『パウロの黙示録』では、世界が終わりを迎え、キリストが再臨して地上を支配するようになると、この第一天が吊り天井のように降りてきて「地上の楽園」になるとされている。

『日本幻獣図説』

湯本豪一  河出書房新社   2005/7/21

<予言獣>

幻獣のなかには未来を予言し人間に伝えるものたちがいる。彼らは「予言獣」と呼ばれる。しかし、「予言獣」という言葉は必ずしも一般的ではなく、具体的に何を指すのかイメージがすぐには浮かばない人もいるだろう。それくらい、「予言獣」はまだまだしられていない分野といえる。

 しかし、それは今まで予言獣に関する資料があまり発掘されていなかったからで、予言獣が重要でないというわけではない。

 むしろ、予言獣は人間とコミュニケーションをとる幻獣としてきわめてユニークな存在で、予言獣を調べることは幻獣の本質を知るうえで大きな意義を有すると思われる。

件(くだん)

<出現のとき>

・さて、一口に予言獣といっても一様ではない。もっともよく知られているのが体が牛で顔が人間という件だ。件の予言は決して違うことがないことから、江戸時代の証文の最後に「如件(くだんのごとし)」と記すのは、そこに書かれた内容に相違なく、それを必ず守るという意味だという説明がなされることがあるくらいだ。薬の商標に件の姿を用い「如件」と書かれたものもあり、これなども間違いなく効能がある薬だとアピールしている広告といえよう。それくらいに件の予言は違うことはないという話は浸透していたのである。

件の話は江戸時代だけのものではない。第2次世界大戦に件が現れて、「この戦争は負ける」といったという噂があった。明治時代にも、件を信じて大騒ぎをするといったことが記録されている。

・明治時代に入っても、コレラや赤痢で毎年のように多くの人が命を落としていたため、流行の年などは誰もが恐れおののいていた。こうした背景があって、この記事のような出来事が起こったのだ。噂を信じて皆が7つの石鳥居を潜ろうとし、それが不可能だとわかると鳥居建立を話し合う。石鳥居建立には相当な費用がかかると思われるが、地域を挙げてそれを実行しようと真剣に協議しているのだ。20世紀もあと数年に迫っている時代にこうしたことがあったとは驚きだが、それほどに件は人々に信じられていたという証でもある。

<江戸時代の記録>

・図1は丹波国(京都府)に出現した件を報じたものである。それによると、図に描かれた姿の件が天保七年(183612月にも出現し、その翌年から豊作が続いたと記されているとも説明しており、件の言い伝えが長い時代を経て生き続けていたことがわかる。文末には、件の絵図を張っておけば家内繁盛、病気除け、大豊作となるめでたい獣だと記しており、冒頭のタイトルも「大豊作をしらす件と云獣なり」とある。すなわち、ここではとくに予言したわけではなさそうだが、吉兆の幻獣として位置づけられているのである。

・図2は、慶応三(1867)年4月上旬に雲州(島根県)の在方で生まれた件で、豊作と疫病の流行を予言して三日で死んでいったものと記されている。

・しかし、件が予言する幻獣だということは、周知の事実だったといえよう。件の出現が吉か凶かはそれを受け入れる人々の心情と世の中の状況によって受け入れる人々の心情と世の中の状況とによって一定ではないということなのだろう。

・件の訛りなのだろうか、クタへ(クダベ)という人面獣が越中(富山県立山に現れたという記録も伝えられている。図三はこうした記録の一つである。山に薬草採りに入った男の前に出現して、山に久しくすむクタヘと名乗り、45年のうちに何ともわからない病が流行すると予言して、自分(クタヘ)の姿を描いて難を逃れるように告げたという。

・言い換えれば、件はあえて説明する必要がないほど広く知られた幻獣だったといえるのではないだろうか。予言といえば、すぐ頭に浮かぶ幻獣が件だったのである。

アマビコ

<アマビエの登場>

・京都大学附属図書館に一枚の瓦版が所蔵されている。この図七の図版は、1970年に刊行された小野秀雄の『かわら版物語』にも紹介されているので以前から知られていたが、その後、妖怪をテーマとした博覧会が全国各地で開かれるようになって出陳され、多くの目にふれられるようになってきた資料だ。

肥後(熊本県)の海中から出現したアマビエなる幻獣で、豊作と疫病流行を予言し、自分(アマビエ)の姿を描き写して人々に見せろと言い残して海中に姿を消したというものである。関連資料が発見されなかったこともあり、この瓦版が紹介されるときは、書かれてある内容と描かれた幻獣がアマビエだということくらいしか解説がなされなかった。肝心のアマビエとはいかなる幻獣なのかといったことに言及されることはなかった。

<名前の由来>

・この記事に書かれた「あま彦」の特徴の三本足は図七に描かれたアマビエのそれと一致するばかりでなく、肥後国に出現した海中に住む光を発するものということまで酷似している。豊作と疫病流行を予言したことも同じだ。

・すなわち、私の結論として「アマビエ」という名称の幻獣は最初から存在せず、「アマビコ」が正式名称であると思うのである。

<アマビコという読み方>

・ちなみに、私は「アマヒコ」と呼ばず「アマビコ」と濁った読みをしている。これについて少し私見を述べておきたい。明治時代の新聞は漢字にルビをふっていることが多く、「アマヒコ」としていたりするものがあるが、当時の新聞は地名や人名といった固有名詞でも、正式名称とは違う読みでルビをふっていることは珍しくなく、よく調べたうえで正しい名称を採用するのではなく、読者が読みやすいように単にルビをふることが一般的に行われている。

・もう一つの理由は「アマビコ」という名称にある。『画図百鬼夜行』に「幽谷響(ヤマビコ)」という妖怪が描かれている。犬のような猿のような不思議な格好をした妖怪だ。「幽谷響」には「やまびこ」とルビがあるが、読みは「ヤマビコ」で、濁らなくて書かれていても濁って読むことは一般的に行われていた。ヤマビコとは山で人間に応答する妖怪で、いわゆる「こだま」現象から生まれたものであろう。

・私はこのヤマビコという名称と同じような使われ方としてアマビコなる名称が生まれたのではないかと推察している。すなわち、ヤマビコが山の声であるのと同様に、アマビコはもともと「天響」と書いて天の声を伝える幻獣を意味していたのではないだろうか。

<海生か陸生か>

・図七に描かれたアマビコは三本足という特徴を持っている。

・それに対してアマビコには三本の“足”が備わっているのである。これは陸を歩くことができる特徴を示すもので、アマビコが陸生へと変質する可能性を物語っている。陸生へと変質したアマビコはその姿も変化していったと思われる。

 口絵七を見ていただきたい。ここに描かれたアマビコは四足の普通の動物のような恰好をしている。

・この記事には、図10の天日子の絵が添えられている。この絵は口絵七と同じように四足の動物で陸生を窺わせるが、出現の状況からもそれが裏付けられる。すなわち、出現した湯沢ということだが、ここは新潟県の山間部で、群馬県や長野県に接しており、日本海と隔絶された地方である。

<アマビコの系譜>

<山童>

・アマビコと密接に関係があると思われる予言獣に、山童とアリエが確認できる。

・図13がその山童である。図の右上に「山童」と書かれているのでこれが山童であることがわかるが、一般的な山童とは姿が異なり、この図だけで判断するとしたら恐らくは山童と認識できないだろう。とくに異なるところは、三本足を有することである。

・ほかにもアマビコとの共通点が認められる。前出の明治15年の『郵便報知新聞』の記事のなかに、「猿に似たる三本足の怪獣」という記述がみえる。この「猿に似たる三本足の怪獣」とは山童の姿のように思える。

<アリエ>

・アリエなる幻獣については、明治9年6月17日の『甲府日日新聞』で確認できる。

・記事には、図14が添えられている。幻獣の名はアリエとなっている。前述の山童は、一般的な山童像とは異なるものの、“山童”自体は既知のものだ。それに対してアリエという幻獣の記録は、今のところこの記事と、それを引用した明治9630日の『長野新聞』でしか確認できていない。

・記事に戻ると、いくつかの重要な記述が指摘できる。アリエとコンタクトを取った人物が柴田某ということがその一つ。そして、話全体の内容も、熊本という場所もアマビコとの関連性を窺える。この幻獣がアマビコと名乗っていれば、一連のアマビコ情報の一つとして考えられるのだが、実際はアリエであってアマビコではない。となると、アリエとはいかなる疑問がおこる。この疑問を解くには、アマビコと同様に名前の由来が重要でないかと思い、その語源などをいろいろ考えてみたが、まだこれといった解答を見出していない。アマビコはまだまだ解明されていないことが少なくないのが現状なのだ。

<予言獣の共通性>

<予言の意味>

・こうしてみてくると、アマビコを始めとした予言獣はそれぞれ独自の存在ではなく、何らかの関連があることが推測できる。ここで紹介したアマビコ、アリエ等々の予言獣の予言する事柄は、いずれも豊凶と病気の流行であり、さらに自分(アマビコ、アリエ等々)の姿を写して貼ったり見たりするようにとの除災法を伝授する。これは予言獣の本質を表している。すなわち、作物の豊凶は生きるための根幹に関わるもっとも重要なことであり、最大の関心事である。しかし、天候や災害などで結果を予測し難いのも厳然とした事実として人々の努力の前に立ちはだかっているのだ。“食”の問題を人智を超えた力にすがり祈るしかないからこそ、幻獣の予言は人々に大きなインパクトを与えずにはおれないのだ。いっぽうで、疫病の流行も生死に関わる厄災といえる。

『予言の日本史』

島田祐己    NHK出版新書    2014/9/10

・予言者の方は、未来を予知する神秘家で、その能力は疑わしいが、預言者の方は、神のことばを預かり、それを人々に伝える存在であり、神に選ばれている点で貴い人物だというのである。

人の顔に牛のからだをもつ予言獣・件(くだん)

姫魚は、人間の女と魚が合体したもので、世界中に存在する人魚の類であるが、同じ人面で角が生えているものの、からだは牛というのが、「件」である。人と牛が合体したというところでは、ギリシア神話に登場する人と馬が合体したケンタウロスに似ている。

 この件について、その姿を描き、説明を加えているものに、1836(天保7)年の瓦版がある。これには「大豊作を志らす件と云獣なり」という大見出しがついている。

この件は、183612月に、丹波国の倉橋山(現在の京都府)に出現する前、1705(宝永2)年12月にも同じく出現したと記されている。その際には、翌年から豊作が続いたというから、件の出現は吉兆として受け取られていることになる。

 最後の部分には、この絵図を家にはっておけば、疫病を避けることができ、一切の災いを逃れ、大豊作がもたらされると書かれており、姫魚の場合と内容が共通している。

・興味深いのは、件が正直な獣であるがゆえに、証文の終わりに「件の如し」と書くようになったとされている点である。

 たしかに、証文や手紙では、それまで書いてきたことに間違いがないと念を押す意味で、文末を「件の如し」で結ぶ。ここでは、そのはじまりが件という獣に求められているわけだ。当然ながら、これは俗説に過ぎない。

件は日本の敗戦も予言していた

・件が天保の時代に出現したのは、天保の大飢饉が起こり、人々のあいだで豊作が強く願われたことが関係するとされるが、この件と同種類の獣は、昭和の時代にまで生き延び、太平洋戦争にも出現している。

 1944(昭和19)年4月に警保局保安課が作成した『思想旬報』には、最近の流言飛語の傾向として次の例をあげている。「戦争の終局近しとする流言も本年に入り著しく増加の傾向を示し、而も其の内容は一、○○で四脚の牛の様な人が生れ此の戦争は本年中に終るが戦争が終れば悪病が流行するから梅干しと薤を食べれば病気に罹らないと云って死んだ」というのである。

 ここでは、件という言い方はされていないが、「四脚の牛の様な人」というのは、まさに件のことである。ほかにも、岡山県の阿哲郡哲西町(現在の新見市)では、人間と牛が合体したものが生まれ、「日本は戦争に負ける」と予言して死んだという話が伝わっている。

 神戸でも、牧場で奇妙な牛が生まれ、それが日本の敗戦を予言して死んだという噂が広まった。また、件と名指しされた噂としては、やはり神戸で件が生まれ、「3日以内に小豆飯かおはぎを食べれば空襲を免れられる」と予言したというのがあった。こちらの噂は松山市にまで広がっている。

<お産の神さまとして知られた中山みき>

・天理教は、教祖である中山みきの教えにはじまる。幕末に、みきはくり返し神憑りを経験し、やがては神のことばを取り次ぐ役割を果たすようになる。とくに、「お産の神さま」として知られるようになり、周囲には信者が生まれるが、その結果、みきをライバルと考える修験道などの民間宗教家から迫害を受ける。

・また当時は、公の許可を得ずに布教活動を展開することは法律に違反した。そのため、みきや幹部が警察に逮捕され、拘留されることもくり返された。みきの場合には、89歳の高齢で真冬に拘留されたため、それでからだを壊し、90歳で亡くなっている。

・みきがお産の神さまとして周囲に知られるようになったのは、彼女が「おびや許し」と呼ばれる呪術的な行為によって安産を保証したからである。それは、妊婦の腹に三度息を吹き掛けるというものだった。おびや許しをはじめたことで、みきの周囲には信者と呼ばれるような人間たちが集まってきた。

 その後、みきは、その信者たちに「さづけ」を渡すようになる。さづけにはいくつかの種類があるが、「扇のさづけ」は、扇を手に持って正座し、神に祈願すると、その扇が自然に動き、それで神意を悟ることができるというものだった。

<なぜ天理教では「神」が「親」としてとらえられるのか>

・こうしたおびや許しやさづけだけなら、みきが行っていたのは、ほかの民間宗教家と変わらないレベルでも呪術的な行為に過ぎなかった。

 事実、みきの周囲に形成された宗教集団においては、最初、「天龍王命」という神が祀られていた。天龍王命という名称からして、民間信仰のなかの龍神の類かと思われる。

 ただし天理教では、天龍王命は、やがて転倫王命や転輪王命と呼ばれるようになり、最終的には天理王命へと行き着く。その過程で、龍神としての性格は失われていったようにも見えるが、後に述べる天理教独自の神話には蛇が登場するので、新たな形で龍神は生き残ったとも言える。

 注目されるのは、松下電器産業でも、本社や分社、あるいは工場ごとに龍神を祀っていることで、中心となるのは白龍、黄龍、青龍、赤龍、黒竜の5つの龍神である。ただ、これは天理教の影響ではなく、幸之助の宗教方面の顧問として影響を与えた真言宗醍醐寺派の僧侶、加藤大観のアイディアによるものだという。

 天理王命は「親神」とも呼ばれ、みきはその親神そのもの(親さま)と考えられていく。そもそも神が親としてとらえられるのは、天理王命が人類を生み出した創造神だからである。

<極めて素朴な「陽気ぐらし」の予言>

・天理教の教えでは、世界中の人々のこころが澄み切ったときには、石製の甘露台がそこに据えられ、その上におかれた平鉢に天から甘露が降ってくると予言されている。それを想定し、教会本部の中心部分は、天井が空いている。甘露が降ると、人間は病むことも、弱ることもなく、115歳まで寿命を保つことができるようになる。そこで天理教がめざす「陽気ぐらし」が実現されるというのである。この予言は、理想の時代の到来を告げるユートピア的なものである。

・天理教の教えは非常に素朴なもので、誰でも、をしい、ほしい、にくい、かわい、うらみ、はらだち、よく、こうまんの八つのほこりがついてしまうので、それを、ておどりをくり返すことではらう必要があると説かれる。こうした実践は、陽気ぐらしを実現するための手立てとして考えられている。

<天理教が巨額の献金を集めることができたわけ>

・評論家の小林秀雄の母親も天理教の信者で、彼は、初期に書いた小説のなかでそのことにふれている。その際の小林の姿勢は、天理教に対して否定的ではなく、むしろ好意的であるように読める。

 このように天理教は、一時爆発的に流行し、多くの信者を抱えるようになっただけではなく、実業家や文化人にも大きな影響を与えた。現在では、新宗教といえば、まず創価学会など、戦後に発展した教団のことが思い浮かぶであろうが、天理教はその先駆けとしての役割を果たしたのである。

<戦後日本の宗教にまで影響を与えた大本「立替之説」>

<予言から出発した教団・大本>

・分派を多く生んだ新宗教として名高いのが、大本である。大本の流れを組むものとして、よく知られているのが、成長の家、白光真宏会、世界救世教などである。この系列の教団では予言ということが重要な意味をもっており、分派についても、予言がその契機になっていたりする。

 大本の開祖となったのは出口なおである。女性教祖という点では、天理教と共通し、教祖の神憑りからはじまったところでも両者は似ている。

 

・なおが生まれたのは1836(天保7)年のことで、京都の福知山の大工の家の生まれだった。なおは、綾部の出口という家の養子になり、婿養子を迎え、8人の子どもをもうけるが、生活は苦しかった。なおが53歳のとき、夫が亡くなり、生活は困窮した。

 それがなおの神憑りに結びつくが、最初に神憑りしたのは、なおではなく、他家へ嫁いでいた三女で、長女がそれに続いた。これは、「集団ヒステリー」とも言えるもので、なお自身が神憑りしたのは彼女が57歳のときだった。腹のなかに強い力を発するものがあって、それが突然大きな声になって表に出たのである。

 当時、綾部周辺では金光教が勢力を拡大しており、なおは最初、自らに宿った神を、金光教の金神としてとらえ、「艮(うしとら)の金神」と呼んでいた。艮は、祟り神の潜む鬼門の方角である。祟り神が実は善神であり、それを表に出さなければならあにと、なおは考えたのである。

<弥勒信仰と大本の奇妙なつながり>

・そのなおの運命を大きく変える出来事が、翌年に起こる。それが上田喜三郎、後の出口王仁三郎の登場である。そのときの王仁三郎は、すでに修験道の修行を実践し、神霊と交わって、その力を活用する「鎮魂帰神」の方法を学んでいた。その点で、プロの宗教家であり、なおの五女、すみと結婚することで、教団のなかで発言力を増していく。

・なおは、王仁三郎の霊魂が、みろくの神の霊であるという神示を受けていた。みろくとは、第三章でふれた弥勒菩薩のことである。

<崩壊したのは世界ではなく教団の方だった>

・大本は、1919(大正8)年に亀岡城址を購入し、そこに大規模な道場を設けた。さらに「大坂日々新聞」を買収し、活発な宣伝活動を展開した。その結果、1919年に25000人だった信者は、1年のあいだに30万人に増えたとされる。ただしこれは、大本の側に言っていた数字なので、どこまで信憑性があるかは分からないが、急速に教団が拡大していたことは事実である。

・しかし、当然のことながら、終末論的な予言は的中しない。大本の場合には、立替え立直しが起こるはずの1921212日には、不敬罪や新聞紙法違反で警察による取り締まりを受け、幹部が逮捕、起訴されるとともに、神殿が破壊されるという「第一次大本事件」を経験する。崩壊したのは、世界ではなく、教団の方だった。

<なぜ長岡良子は天皇になろうとしたのか>

・もう一つ、戦後、大本の皇道主義的な側面、つまりは天皇信仰を受け継いで、特異な活動を展開したのが、璽宇(じう)であった。

 璽宇の教祖は、璽光尊と名乗っていた長岡良子(本命は長岡ナカ)である。本人は、皇室の血を継いでいると主張していたが、実際には岡山県の農家の出身だった。

 彼女は離婚した後、当時の東京市蒲田区(現在の大田区)で加持祈祷を行っていたが、大本から分かれた小田秀人が主宰していた「菊花会」という心霊現象を研究するグループに属していた実業家の峰村恭平が篁道大教を開くと、良子もそれに参加した。

・この篁道大教が璽宇に改称されると、そこには、大本と連携していた中国の世界紅卍字会道院の信者であった囲碁の名人、呉清源なども集まってきた。呉の妻が、峰村の親戚だったからである。峰村には病があったため、璽宇の教祖は良子が引き継ぎ、彼女は璽光尊と名乗るようになる。

 終戦直後の璽光尊は、人間宣言によって現人神の地位を退いた天皇に代わって、自分が世直しを行うと宣言した。ここには大本の影響が見られるが、璽光尊は、家具や日用品にまで菊の紋章をつけた上、独自の元号を定め、天皇そのものになろうとした。

 そして、呉清源の妻の中原和子が、妹とともにGHQに「出陣」し、マッカーサー元帥に璽宇への「参内」を呼びかけたりした。


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by karasusan | 2016-09-26 13:26 | その他 | Comments(0)