理由は、簡単。各国の政治家の多くが、黄金の拘束衣を身にまとっているためだ。(1)

『黄金の拘束衣を着た首相』

なぜ安倍政権は緊縮財政・構造改革をするのか

三橋貴明   飛鳥新社   2015/2/6

<「コトラーの競争地位別戦略」>

1410月時点で、日本国民の実質賃金は「所定内給与」で16カ月連続、「きまって支給する給与」では、何と18カ月も「対前年比下落」の状況が続いている。新たに発足する第3次安倍政権は。果たして「黄金の拘束衣」を脱ぎ捨て、国民の「豊かさ」を追求する実質賃金引き上げ政策を採れるだろうか。正直、その可能性は低いと断ぜざるを得ない。黄金の拘束衣とは、まさに本書のテーマであるが、ここでは、「国民の所得(実質賃金)のためではなく、グローバル資本のための政策を実施させるために、各国の政策担当者に着せられた呪い」とでも、ご理解頂きたい。

 

・筆者は、現在の日本の政界について、「コトラーの競争地位別戦略」のチャートを用いるとわかりやすいと考えている。

・それでは、リーダーに「差別化戦略」を掲げて挑むべきチャレンジャーは、果たしてどこの党なのか。それが、問題なのだ。現在の日本の政治の問題は、与党よりも「チャレンジャー」たる野党、つまりは国民が政権を任せることを「考えても構わない」野党が存在していないことなのである。

 果たして、民主党はチャレンジャーだろうか。民主党の役割は、個人的には日本において「二大政党の夢」を崩壊させた時点で終わったと考えている。2009年までの日本では、一応、「二大政党制」が模索されていた。すなわち、当時の民主党は「自民党に代わりうる存在」として見なされていたのだ。

 実際に、政権交代し、いかなる事態になったのか。改めて書くのもバカバカしいわけだが、現実問題として我が国の政界には、与党に「挑戦」できるチャレンジャーが存在しない。結果、有権者に十分な選択肢が与えられていない。

・少なくとも現在の日本において、「黄金の拘束衣を着た男」に率いられたリーダーに挑むべき政党は、黄金の拘束衣を身にまとっていてはならないのだ。すなわち、デフレを深刻化させる財政均衡主義から脱却し、さらには国民を貧困化させ、同時に所得格差を拡大させる構造改革系の政策を否定する政党でなければならないのである。

<黄金の拘束衣を着た男>

<どんどん貧しくなる日本国民>

・デフレの原因は「総需要の不足」である。そして、総需要とは「名目GDP」そのものだ。安倍政権は、20144月に消費増税を強行したことで、97年(橋本龍太郎政権時)の消費税増税期同様に、我が国の名目GDPを「再び」縮小の方向に導いてしまった。しかも、今回は前回よりも名目GDPの「縮小開始」の時期が早い。

1997年、橋本政権が消費税を増税した時期は、曲がりなりにも実質賃金が増え続けていた。すなわち、国民が豊かになりつつある状況で、増税をしたのが橋本政権なのである。家計貯蓄率も10%近く、当時の日本の家計は現在とは比較にならないほど「余裕があった」という話になる。

・それに対し、日本の実質賃金は、2012年、13年と連続して下落した。第二次安倍政権が誕生して以降も、日本国民の貧困化は継続していたのである。アベノミクスの活況に沸いた2013年すら、4月を唯一の例外に、我が国の実質賃金は下落を続けた。

 さらに、家計貯蓄率は何と1%を切っている。もちろん、家計貯蓄率が下落した理由の一つは「稼ぎ」が少ない年金受給者の増加ではある。それにしても、「実質賃金の下落と、家計貯蓄率の低下は無関係」などと断言できる人はいないだろう。当たり前だが、実質的に所得が縮小し、次第に貧乏になっていくと、国民は貯蓄に回すお金の余裕がなくなっていく。

 つまりは、97年時とは異なり、国民が貧困化し、余裕を失った段階で増税を決行したのが、安倍政権なのである。

 ちなみに、20144-6月期の民間最終消費支出は対前期比でマイナス5%だった。5%という民間の消費の落ち込み幅は、信じられないかもしれないが、統計的に比較可能な94年以降、最大だ。94年以前にしても、ここまで凄まじい消費縮小は確認できない。

 

安倍政権は、戦後「最も消費を減らした政権」という、不名誉な座に就いた可能性が濃厚なのである。

今後の経済政策について、大胆な政策転換をしなければ、安倍晋三内閣は「橋本龍太郎内閣」と並び、国民を貧困化させた悪名高き政権として歴史に名を残すことになるだろう。

 「大胆な政策転換」とは、政策を全面的にデフレ対策に転換しなければならないという意味で、1510月に予定されていた消費税再増税の延期だけでは不十分だ。消費税率10%引き上げを174月に伸ばしても、安倍政権下で日本経済がデフレから脱却できる日は訪れない。

<世界中で「自国民貧困化政策」が進められている>

安倍晋三内閣総理大臣も、結局のところ「黄金の拘束衣」を着た政治家の一人に過ぎなかった。黄金の拘束衣にからめとられた政治家は、間違った経済学(厳密には、現在の問題を解決できない経済学)に影響され、政策を誤る。

 より具体的に書くと、デフレの危機が迫る、あるいはデフレの渦中においてさえ、「デフレ促進策」を取ろうとするのだ。結果的に、国民を

貧困化に追い込み、国内の所得格差を拡大し、社会を不安定化させる。

・デフレーションとは国民を貧しくするのみならず、安全保障を弱体化させ、さらに「国家の発展途上国化」を推進する経済現象だ。いかなる国民国家の施政者といえども、自国を発展途上国化する政策など、採用するはずがない。

 ――と、言いたいところだが、現実には日本のみならず、世界の多くの国々で、自国民を貧しくし、発展途上国に落ちぶれさせるデフレ促進策が推進される。なぜなのだろうか。理由は、簡単。各国の政治家の多くが、黄金の拘束衣を身にまとっているためだ。

グローバル化とは「黄金の拘束衣」を着ること

・アメリカのジャーナリスト・コラムニストであるトーマス・フリードマンは、著作『レクサスとオリーブの木』(草思社)において、グローバル化が進展し、政府の政策が国際的に一律化され、選択肢が制約される状況について、「黄金の拘束服」という比喩で説明した。日本では「拘束服」よりも「拘束衣」の方が一般的であるため、筆者は「黄金の拘束衣」という表現を採用させてもらう。

 「黄金の拘束衣」について理解すると、なぜ安倍政権が外国人投資家向け政策ばかりを推進するのか、本質が見えてくる。

・結果的に、政権や与党の政治家たちは「株価」に引きずられた政権運営に乗り出さざるを得なくなる。すなわち、経済政策の重点が「国民の所得」ではなく、日本でいえば「日経平均」に置かれてしまうのである。

・「現在のグローバリズム」の本当の姿は、基本的に、「発展途上国への直接投資と証券投資」の問題であることがわかる。すなわち、国境を超えた資本移動の自由化だ。

<発展途上国化(フラット化)する世界と日本>

とはいえ、「黄金の拘束衣」を身に着けた政府がグローバル化路線をひた走ると、国民は貧困化する。というよりも、そもそも構造改革やグローバル化とは、先進国の国民の実質賃金を「グローバル市場において、価格競争力がある」水準に下げることなのである。国際的に価格競争力を持つようなレベルに、国民の人件費を引き下げる。すなわち、「底辺への競争」だ。

 「底辺の競争」の悪影響を、日本の近隣諸国の中で最も被っているのが実は台湾である。

<誰も気付かない安倍政権の功績>

・その代表的な手法が「政府紙幣の発行」だ。もっとも、筆者は個人としては政府の通貨発行に反対している。理由は、そもそも「中央銀行の国債買い取り」と「政府紙幣発行」の経済効果は同じであり、さらに政府紙幣の場合は「回収」が困難になるためである。

・現在の安倍政権にとって、「財源」は政策のボトルネックにはならない。何しろ、デフレーションという強い見方がいるのである。

 デフレが継続する限り、政府は財源を「日本銀行の通貨発行」に求めて構わないのである。後は、日本銀行が発行したマネタリーベースを放置するのではなく、政府が「国民の雇用、所得」を生み出すように支出し、デフレ脱却を目指せばいいのだ。すなわち、財政出動の拡大だ。

 とはいえ、筆者から見る限り、安倍総理大臣は黄金の拘束衣をガチッと着込んでしまっている。現実には政府の財政支出が拡大されるどころか、我が国は緊縮財政路線を着々と歩んでいる有様だ。つくづく、勿体ない話である。

<黄金の拘束衣の「黄金律」>

・人類史上空前のカネ余り状態であり、かつ国債が100%自国通貨建て、日本銀行が国債を買い取ると、政府の実質的な借金が消滅する日本国であるが、なぜかムーディーズに限らず、大手格付け会社は極めて我が国に冷たい。

・格付け会社の「意向」に沿い、ペナルティを避けるためには、国債を「国際金融市場」に発行している各国の政府は、フリードマンの言う「黄金の拘束衣の『黄金律』」を採用しなければならない。『レクサスとオリーブの木』によると、「黄金律」とは、以下の政策パッケージである。

・経済成長を推進する第一エンジンに民間セクターを置く

・インフレ率を低く抑え、物価を安定化させる

・官僚体制の規模を縮小する

・可能な限り健全財政に近い状態を維持する

・輸入品目への関税を撤廃するか低く下げる

・外国からの投資に対する規制を取り除く

・割当制度と国内の専売制を廃止する

・輸出を増やす

・国有産業と公営企業を民営化する

・資本市場の規制を緩和する

・通貨を他国通貨と交換可能にする

・国内の各産業、株式市場、債券市場への門戸を開放し、外国人による株の所有と投資を奨励する

・国内の競争をできる限り促進する

・政府への献金やリベートといった腐敗行為をできるだけ排除する

・金融機関や遠距離通信システムを民営化する

・競合する年金オプション、外国資本による年金、投資信託という選択肢を国民のまえにずらりと並べ、選択させるようにする

まさに、我が国が長年かけて受け入れてきた「構造改革」のメニューそのままである。

・無論、国家の資産のみならず、国内企業にもまた、グローバル資本が流れ込む。97年のアジア通貨危機でIMF管理に陥った韓国は、まさに上記の「黄金律」を強制された結果、国内大手銀行のほとんどが外資の手に落ちた。さらに、サムスン電子や現代自動車、ポスコといった大企業も、株式の50%前後を外資系に支配されている。

・結果、政府が外国資本、さらには格付け会社の意向に逆らうことが難しくなり、国民は経済的主権を失う。

<実質賃金を下げる政策を「やらない」ために>

・「TPPで外国農産品との競争に負け、日本の農家が廃業したならば、即座に別の職に就けばいい」などと平気で言ってのける。セイの法則が成立していない環境下で競争を激化させ、労働者の仕事を奪うと、単に失業者が増えるだけだ。失業者は消費や投資を減らすため、総需要(名目GDP)は縮小し、デフレは深刻化する。

・「人手不足の環境で、国民や政府がモノやサービスに適切なお金を支払うことに納得する」環境が生じたとき、初めて実質賃金は上昇に転じる。

『円高・デフレが日本を救う』

   小嶓績   ディスカヴァー携書    2015/1/31

<アベノミクスは失敗したのではない。最初から間違っていただけだ>

・円安・インフレを意図し、達成した。唯一の問題は、アベノミクスの達成により日本経済が悪くなったことである。

<人に価値を蓄積させるような政策に絞って、それを全力で行う>

・これは、賃金の上昇をもたらすことになる。賃金の継続的な上昇は、企業の利益を吐き出させることでは持続しない。日本経済のためにならない。単なる移転であるから、日本全体としては何の意味もないのだ。

 そうではなく、働き手が労働力としての価値を高めれば、企業にとっても価値が高くなるから、高い賃金を払ってでも雇いたくなる。そうなれば、企業の製品の価値も上がり、利益も増え、賃金も上がる。

 これこそが、真の好循環である。

これが、真の成長戦略であり、アベノミクスの代案だ。

個人的には、代案などと比べられるのは本当は不満だが、ここに対案として提示したい。

<円高・デフレが日本を救う>

・本章では、最後に、本書のタイトルでもあり、私が今、どうしても本書を世に問わなければならなかった理由である円高・デフレの必要性について、ここまでの議論と重複する点も多いが、改めてまとめて述べることにする。

・今、日本に一番必要なのは、円高だ。

 自国の通貨の価値を高める。これが、一国経済において最も重要なことだ。通貨価値とは交易条件の基礎であり、交易条件が改善することは、一国経済の厚生水準を高める。つまり、豊かになる。

<通貨価値至上主義の時代>

・かつて19世紀までは、これは常識であった。

 古代において、国家権力を握る目的は通貨発行権を得るためであり、通貨発行益、いわゆるシニョレッジを獲得するためであった。

 歴史を経て、シニョレッジの安易な獲得が難しくなった近代は、通貨価値を高めることが重要となった。発行益を得ることができる通貨発行量が限られているのであれば、その単位当たりの利益を高める。すなわち、高い通貨価値を維持することが国家の利益を最大化するうえで最重要となったのである。

 しかし、いつの時代にせよ、通貨価値は最も重要なものであった。シニョレッジは、<通貨発行量×通貨価値>だから、あえて価値を下げる国家はなかった。価値が下がっていないように見せかけて、大量発行することに邁進したのであった。

<通貨価値、資産価値、成熟経済>

・このように見てくると、通貨を安くすることが自国の利益になったことは、例外的な場合を除いては、歴史上なかったと言える。大恐慌時や一時的な大不況に陥ったときの緊急脱出策として選択肢になる場合があるだけであり、しかも、それは一時的で、長続きはしない。

 ましてや、21世紀の現在の成熟国において、ストックである資産価値についても、将来へ向けての投資についても、そして、フローの輸出に関しても、すべての軸において、通貨は強いほうが望ましい。

・現代における経済成熟国の最適戦略は、通貨高による資産価値増大およびそれを背景とする新興国など世界への投資である。それにより、さらに自国の資産を増大させ、さらなるシナジーなどを加え、資産価値を通貨価値の上昇以上に増大させることを目指す。

<国富の3分の1を吹き飛ばした異次元緩和>

・日本の国富(負債を除いた正味資産)は、2012年度末で3000兆円ある。これを1ドル80円で換算すると、37.5兆ドルだ。1ドル120円なら、25兆ドル。33%の減少だ。3分の1が失われたのである。そんな経済的損失は、これまでに経験したことがない。

たとえば、12.5兆ドルの損失とは数百年分の損失である。

<円安で輸出が増えない理由>

・円安に戻して輸出で世界の市場を制覇するというのは、1960年代、あるいは1980年代前半の日本経済の勝ちパターンに戻りたいということだ。それは不可能であるというより、望ましくなく、圧倒的に不利な戦略である。

<円安の企業利益≦他部門の損失>

・人口減少で日本経済が衰退する前に、金融政策により40%日本経済は小さくさせてしまったのだ。

 どうしたらいいのか?

「円高・デフレで日本を救う」のである。

<円高は日本を救う>

・手段としては、具体的にどうするか?

 まず、円安を止める。日本国内の資産価値が高まり、海外の投資家や企業に、不動産や知的所有権、企業、ノウハウ、人材を買収されるのを防ぐ。ストック、資産、知的財産の国外流出をまず抑える。

 次に、通貨価値を少しずつ回復していく。この過程で、海外の最貧国、あるいは低コスト労働の生産地と価格競争だけで生き残ろうとする企業、工場、ビジネスモデルは、現代の世界経済構造に適した企業、ビジネスモデルへの移行を迫られる。高い価値を持ったノウハウ、労働力、知的財産を安売りするのを止め、高い付加価値をもたらすものに生産特化していく。

 

・自国生産にこだわらず、日本でも海外でも生産する。海外労働力、海外工場をうまく使い、その生産から得られる利益の大半を知的財産による所得、あるいは投資所得、あるいは本社としての利益として獲得し、国内へ所得として還流させる。

 これは実際に、日本企業が現在行っていることである。リーマンショック以降、この流れは加速しており、実現しつつある。実は、現在の円安誘導政策で、この流れを政策によって止め、過去のモデルに企業を引きずり戻そうとしているのである。

 これを直ちに止める。

といっても何も特別なことはしない。円安を修正するだけである。

 この方向が進むと、国内生産量、工場労働者数は減る。しかし、生産量や国内工場雇用者数をとにかく増やそうとすることは、世界最低コストの労働力と永遠に競うことを意味する。

<欧米は強い通貨を欲している>

・しかし、円安を非難しない最大の理由は、欧米はもはや通貨安競争の枠組みにはないということだ。

 欧米は強い通貨を欲している。自国経済を強くするためには、自国の利益のためには、通貨が強いほうが圧倒的に望ましい。もはや資産のほうが重要であり、政治的に労働組合などがうるさいが全体では圧倒的に強い通貨を望んでいるから、日本が勝手に通貨を弱くしてくれるのは大歓迎なのだ。

 通貨を強くし、世界の魅力ある有形、無形資産を手に入れ、国力を強くしていく。経済を強くしていくという考え方だ。他国の通貨が安くなるのは、投資しやすくなるので、絶好のチャンスなのだ。

・日本ももう一度、遅まきながら、この流れに加わる必要がある。円の価値を維持し、高める。これにより、世界の資産、財を安く手に入れる。

 円高を背景に、世界中の企業を賢く買収し、世界に生産拠点、開発拠点、さらには研究拠点のポートフォリオを確立し、それを有機的に統合する。

 すでに大企業ではこれを行なっているが、中堅企業を含めて、この大きなグローバルポートフォリオに参加する。

・企業は人なりである。国家も人なり、地域も人なりだ。だから、人を、個人を徹底的に育てる。政府がそれを支える。

 マクロ経済全体では、円高で経済の価値を高め、強くする。ミクロでは、プレーヤーである人を育てる。人が育ち、成長する結果、経済全体も成長する。

 これが日本という地域の「場」としての力を強める唯一の道である。

<デフレは不況でも不況の原因でもない>

・社会は、第一には生活者の集まりである。消費者としての個人を支えるためのヴィジョンがデフレ社会だ。我々は、「デフレ社会」を目指す。

 現在、巷で使われているデフレ、デフレ社会、という言葉は本来の意味から離れている。間違って使われている。

 デフレとは不況ではない。デフレとはインフレの逆であり、物価が上がらないということであり、それ以上でも以下でもない。景気が良く物価が上がらなければ、それは最高だ。あえて無理にインフレにする必要はまったくない。

・所得が下がったのはデフレが原因ではない。デフレは結果である。

所得が下がり、需要が出ないから、モノが高いままでは売れないので、企業は価格を下げた。効率性を上げて、価格を低下させても利益の出た企業が生き残った。バブルにまみれて、高いコスト構造を変革できなかった企業は衰退した。

・さて、デフレ社会が望ましいのは、同じコストでより豊かな暮らしができるということに尽きる。所得が多少減っても、住宅コストが低ければ、経済的にもより豊かな生活が送れることになる。広い意味で生活コストを下げる。これが、生活者重視の政策であり、円高・デフレ政策の第二の柱だ。

 円高は、エネルギーコスト、必需品コスト、あるいはさらに広げて、衣料品やパソコンのコストを下げることになる。まさに交易条件の改善による所得効果だ。

<円高・デフレ戦略の王道>

・マクロ政策としては、円高を追究し、世界における研究・開発・生産ポートフォリオを効率よく確立する。場としての日本の価値を守るために、また発展させるために、日本の資産価値を上げる円高を進める。

<異次元の長さの「おわりに」>

・成長の時代は終わった。もはや経済成長を求める時代ではないのである。それは成熟経済だ。成熟とは何か。経済を最優先としない経済社会である。

・日本経済の昔の構造にとらわれ、昔のビジネスモデルに固執し、円安は日本にプラスという昔のイメージに支配され、日本経済が置かれている現実を直視しない。

<コントロールの誤謬。政策依存症候群。>

・人口が減少する。これはたいへんだ。じゃあ、移民を増やそう。子供を産ませよう――これは問題を裏返しているだけだ。問題の裏返しは解決にならない。

 人口が減少している原因は何なのか。人口が減少することはなぜ悪いのか。これを突き詰めて考えずに、人口減少という現象を嘆き、悲観し、右往左往しても、何も解決しない。ただ、対症療法を繰り返すだけでは、かえって問題を複雑化し、解決をさらに難しくするだけだ。

 年金問題が立ちいかなくなるから、若い世代を増やす。それは間違いだ。問題は、人口ではなく、年金制度にある。

<将来の経済状況の予想により左右されるような制度は、根本的に誤りだ。>

・GDPの増加率が、人口が減ると低下する。マイナスになる。労働力が減ると生産力が落ち、GDPが減少する。だから、人口を増やさないといけない。これは最悪の間違いだ。

・それも、政策で無理に増やすのではない。国のために増やすのではなく、子供を育てたい両親が実現できない障害があれば取り除く。政策にできることは、それだけであり、それで十分だ。

・アベノミクスとは、問題の裏返しそのものだ。

 異次元の金融緩和とは、現象への対症療法に過ぎない。一時しのぎに過ぎず、より大きなシステムリスクを呼び込む政策だ。

 昔の日本経済に戻ることはできない。円安で輸出して不景気をしのぐ時代は終わった。価格競争で通貨を安くして輸出を増やす時代は終わったのだ。フローで稼ぐ時代は終わり、これまで蓄積したストックの有効活用により健全な発展を図る。成熟する。それがヴィジョンだ。

 

・蓄積したストックとは金融資産だけでない。これまでのノウハウ、ブランド、いやそんなものをはるかに超えた、日本社会に存在する知的財産だ。それが社会の力だ。

 そして、その力は、個々の人間の中にある人的資本だ。それを社会で有機的に活かす仕組みだ。

<金融政策がまったく意識されない状態。それが理想だ。>

・だから、現状で言えば、ゼロ金利は継続する。しかし、量的緩和は縮小する。市場をびっくりさせることはしない。国債の買い入れはできる限り少なくする。しかし、スムーズに少しずつ減らす。ゆっくりと慎重に出口に向かう。財政も金融も影武者でなくてはならない。

・政府の政策は、社会政策に絞る。経済成長ではない。人を育てる。健全な人間を社会が育てる。その環境を整備する。

・リフレ政策に見られるような一挙解決願望。願望を持つ側も悪い。それに応えられるようなふりをする有識者、エコノミスト、政治家も悪い。両側で、日本経済の成熟を妨げている。

・所得水準は、これから平均ではそれほど伸びない。世界の競争は激しく、日本だけが勝ち残ることを無邪気に期待するわけにはいかない。生産の多くは途上国、新興国にゆだねることになる。国内の働き手は、国内サービス産業を中心に雇用を得ることになる。

 同時に、ストックの有効活用が進む。政府は、ストックの活用を助けるのが仕事だ。

・すべての個人、すべての企業が自分で責任を持って、自分の選んだ道を行く。コストの低い、しかし、環境の充実した、ストックの豊かな社会であることが、それを支える。

 政府は、その補助をし、制度を、社会システムを、修正して、社会の持続を支える。デザイナーとして日々修正をしていく。

 もちろん、経済成長という名のGDPの拡大は目指さない。この社会の結果としてそうなればそれでいい。

 これが21世紀から22世紀のヴィジョンだ。


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by karasusan | 2016-09-27 22:30 | その他 | Comments(0)