2014年 02月 17日
道教における家神は子どものように背が低いとされ同じように小柄であるということから日本の座敷童子は道教の家神と同じと言えるかもしれません。
『日本人が知らない本当の道教』
三多道長 講談社インターナショナル 2009/7/27
<依頼心を捨てれば「御陰様」の力が発動される>
・こうした依頼心の強い人達は、残念ながら神様の助けを得ることはできないでしょう。不幸を避けるには、まず自分の力で予防することが大切です。
・道教的な生き方の基本は個人にあります。まず自分がどう生き残るか。これが一番大事なことです。次に大事なのが自分がどう幸せになるかです。まずは自分が凶を避け幸せになってこそ、自分の家族や周りの人達を幸せにできるからです。
実際に凶を避けて幸せになる。そのプロセスを体得することが何よりも重要なことです。そうすることによって「人縁美麗」という、いい意識で、いい感情で人と接し、相手のいい縁と連鎖反応を起こすことができます。
<天運をつかむ吉凶禍福の原理>
<あらゆるものに正邪がある><危険の多い神霊の世界>
・神霊の世界に近づいていくこと自体は、古来の日本を考えればごくごく自然な回帰のように思えます。しかし、一方では神霊の世界は、いいものもいれば悪いものも混在する玉石混交の世界ともいえます。
道士や霊媒師の中にも、陰の神や陰の霊といった邪霊と取引をしたり、供養することで見返りを受けたりする者もいるほどです。
ですから神霊の世界に近づくことは、「御影様」といった吉の効果を期待するだけではなく、実は大変な危険を伴うものであるということを自覚していかなければならないと思います。
<道教のダークサイド>
・陰の神や陰の霊は神としての官職を持たず、無縁霊ですからきちんとした供養も受けられないため、空腹でお金もありません。
・神ではない彼らは天界の法律の制限を受けないため、供養すれば喜んでどのような願いにも必ず応じてくれます。
<道教の神、日本の神><霊界への贈り物>
・道教の神と日本の神との大きな違いは、道教にはもともと人間だった神様が多いことかもしれません。神も霊も物質でない気体でできた存在であり、その中で官職を与えられた霊が神になります。
実は道教では鬼は霊の総称で、神の位をもっていない霊はすべて「鬼」です。先祖霊も鬼なのです。日本では鬼は邪を代表するもの、悪い存在とされていますが、道教では鬼は官職のない霊全般を指します。
<鬼とつきあう秘術><降霊を使いこなす方術「養鬼」>
・道教の秘術には、役鬼法、養鬼法などと呼ばれる鬼つまり霊を操る技術が存在します。道教の使い魔「式神」を使った危険な邪法です。
・「養鬼」とは、霊を自らの支配下に置いて、さまざまな目的達成の助けとすることを言います。
・したがって、養鬼法では原則的に子供の霊を使役し「養小鬼」と呼ばれる除霊使役術を使います。私達道士は「養小鬼」では聞こえがよろしくないので善財童子とか招財童子と呼んでいます。
<神とつながるために><道士の修行>
・道士の行う霊的修行のひとつに「走霊山」というものがあります。これは神様を自分自身に降ろし、神を体に乗り移らせて印や法を教えていただくなど、神とコンタクトして行う修行法です。
<陽の人の特徴>
・陽の人の特徴は、同じように仕事をする際でも、利己的欲望より「素晴らしい仕事をして社会の役に立ちたい」「人に喜んでもらいたい」など、「他」の繁栄、周囲の人や物事がよくなることを考えて取り組みます。
<女鬼の棲む家>
・家神は家を護り、繁栄をもたらしてくれる神様として知られています。ある時など、ご機嫌な様子で屋敷内を歩いているところをこの家の娘さんに目撃され、さらに娘さんと目まで合ってしまい、大層ビックリした様子で慌てて物蔭に隠れたそうです。どうやら自分が人間に姿を見られているとは思いもしなかったのでしょう。
・道教における家神は、子どものように背が低いとされ、祭祀に用いる机も卓袱台(ちゃぶだい)ほどの高さです。そこに香炉、三杯の酒、骨付きの鶏肉、豚肉(トンカツやトンテキなど)、焼き魚、ご飯、汁物などを供え、お箸もつけて祭祀するのが一般的ですが、同じように小柄であるということから、日本の座敷童子は道教の家神と同じと言えるかもしれません。
家神は陰の神様に属し、お祀りする時間の陰の時間である午後3時から5時の間に行われます。また引越しの際には必ず家神の祭祀を行います。
・一家が家神を目撃するようになったのも、引っ越しの祭祀が終わった後でした。もしかしたら引っ越しのご挨拶に喜んで家人を護るために出てきてくれたのかもしれません。このご家族は除鬼のいる家から、吉をもたらしてくれる吉宅に移りすることができたのです。
<あらゆる災いから無縁の人生へ><人は天地の縮図である>
<心身が「静」になり、五感を超えた感覚が目覚める>
・肉体と霊(この場合は自分の霊)は陽と陰、表と裏です。肉体が休めば霊が目覚めます。心と身が「静」の状態になると、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の五感を超えた感覚が目覚めてきます。
道教では、この感じる感覚「感」を大変大切にしています。
「感」が目覚めてくれば、いい人、いいこと、いいものと、反対にそうでない人、こと、ものが感じられるようになってきます。
・日常においても、心身を少し「静」にしてみると、事の吉凶や、他人の持つ気がよい気か邪気かの違いがわかるようになり、自分にとって小人か貴人かの区別もついてきます。
・私達はこの感覚をリセットするために、日々5分であっても打座を欠かしません。静かな場で良質の香を焚き、目をつむって体の機能を鎮めます。
私が思うこと、聞いたこと、考えること
・世界中の神々は、国ごとにさまざまな特徴があるようです。しかし、その神々も相似性や共通性があり、同一の異星人(神々)が世界中で、さまざまな名前で呼ばれているようです。たとえば、仏教の観音、菩薩、如来の区別は私たち一般人は、学者でもないので詳しくないのですが、宇宙人に対応すると、プレアデス星人、リラ星人、シリウス星人と対応するのかもしれません。中国や台湾の道教も豊富な歴史のある精神世界のようです。また道教が日常生活に生きている面もあるようです。子供の神様は世界中にいるようですが、異星人が小人から巨人タイプまでいるように身長は大小変化があるようです。
・インドの神々も多くの種類があるようですが、神と天使、堕天使、悪魔、アシュラ(阿修羅)、インドラ(帝釈天)と大きく異星人の種族ごとに分けれるようです。道教の家神も子供の神様のような日本のザシキワラシと似ているようです。
・『遠野物語』のザシキワラシは、映画や本にもなり有名です。現代でもザシキワラシの出る旅館があり、目撃者が多くいるようです。普通は異次元に存在するザシキワラシが、ふとしたことで人間の目に見えることがあるようです。幻覚かもしれませんが、見ている人は少なくないようです。子供の姿をとった神様の伝説は、世界中にあるようです。子供の神様には、誰でも心和むものがあるのでしょうか。ザシキワラシ(座敷童・座敷わらし)は、おかっぱ頭、童(5~10歳)で髪、顔が赤く(白いとも)、蔵・奥座敷の主で、時にはいたずらもするが、いなくなると家が没落すると伝えられます。
・「実は道教では鬼は霊の総称で、神の位をもっていない霊はすべて『鬼』です。先祖霊も鬼なのです。日本では鬼は邪を代表するもの、悪い存在とされていますが、道教では鬼は官職のない霊全般を指します」とのことですが、天界にも厳格な官僚制度があるようなのです。オリオン星人が非常に階級意識の強い種族だそうですが、何か関係があるのかもしれません。米国に登場した金髪碧眼のノルディックは位が高く、小柄なバイオ・ロボットのグレイを部下として使役しているともいわれます。「官職のない鬼(霊)」が問題を起こしているのかもしれません。神々にも厳格なランクがあるようです。
・ザシキワラシ(座敷童子)は今日でも目撃者のいる現代的なテーマでもあるようです。子供の幽霊・精霊(下は3歳程度、上は15歳程度)が異次元からでてくるのでしょうか。
『遠野のザシキワラシとオシラサマ』
(佐々木喜善)(宝文館出版) 1988/4
<奥州のザシキワラシの話><子供の時の記憶>
・私達は、幼少の時分、よく祖父母から炉辺話に、ザシキワラシの事を聞かせられたものである。そのザシキワラシとはどんなものかと言えば、赤顔垂髪(さげがみ)の、およそ5、6歳の子供で、土地の豪家や由緒のある旧家の奥座敷などに出るものだということであった。そのものがおるうちは家の富貴繁昌が続き、もしおらなくなると家運の傾く前兆だとも言われていたという。
・私達は、初めはその話を只の恐怖を持って聞いていたものであるけれども、齢がやや長けてくると、一般にこの種のものに対していだくような、いわゆる妖怪変化という心持ではなく、何かしらそのものの本来が私達の一生の運不運と関係があるので、畏敬の念さえ払うようになったのである。世間でもまたこの通りとか、何処の何某の家にそのものがおるといえば、他では羨望に表した、多少の畏服を感じ、また本元でも吉端として、ひそかに保護待遇に意を用い、決して他の妖異におけるがごとく、駆除の祈祷や退散の禁呪などは求めぬのである。
・またインターネット情報による『遠野物語』によると、
第17段(遠野物語)
旧家にはザシキワラシといふ神の住みたまふ家少なからず。この神は多くは12〜13ばかりの童児なり。をりをり人に姿を見することあり。土淵村大字飯豊(いひで)の今淵勘十郎といふ人の家にては、近き頃高等女学校にゐる娘の休暇にて帰りてありしが、ある日廊下にてはたとザシキワラシに行き逢ひ大いに驚きしことあり。これはまさしく男の児なりき。
同じ村山口なる佐々木氏にては、母人ひとり縫物をしてをりしに、次の間にて紙のがさがさといふ音あり。この室は家の主人の部屋にて、その時は東京に行き不在の折なれば、怪しと思ひて板戸を開き見るに何の影もなし。暫時(しばらく)の間 坐(すわ)りてをればやがてまたしきりに鼻を鳴らす音あり。
さては座敷ワラシなりけりと思へり。この家にも座敷ワラシ住めりといふこと、久しき以前よりの沙汰なりき。この神の宿りたまふ家は富貴自在なりといふことなり。
●第18段(遠野物語)
ザシキワラシまた女の児なることあり。同じ山口なる旧家にて山口孫左衛門といふ家には、童女の神2人いませりといふことを久しく言い伝へたりしが、ある年同じ村の何某といふ男、町より帰るとて留場(とめば)の橋のほとりにて見馴(みな)れざる2人のよき娘に逢へり。
物思はしき様子にて此方へ来る。お前たちはどこから来たと問へば、おら山口の孫左衛門が処(ところ)からきたと答ふ。これからどこへ行くのかと聞けば、それの村の何某が家にと答ふ。その何某はやや離れたる村にて、今も立派に暮らせる豪農なり。
さては孫左衛門が世も末だなと思ひしが、それより久しからずして、この家の主従20幾人、茸(きのこ)の毒にあたりて1日のうちに死に絶え、7歳の女の子1人を残せしが、その女もまた年老いて子なく、近き頃病みて失せたり。
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