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私たちが幽霊と呼ぶものは迷える魂ではなく古い時代の「記録」なのだと唱える人たちも現れた。(2)

<「車掌室に子どもが乗っていた」>

・開業して間もない新たな地下鉄A路線では、低学年の小学生と思しき男の子が頻繁に目撃されたことがある。

実際に見たというのは乗客からの情報で、駅員のなかには誰も見た者はいないのだが、毎日数件の目撃情報が届けられていた。その多くは、ターミナル駅のI駅から前後数駅の区間に集中しており、ほとんどが「車掌室に子供が乗っていた」という内容のものだった。

 この路線は下り線でI駅手前からワンマンになるため、車掌は不在となる。その不在のはずの車掌室に、子供が乗っていたというのである。

・この謎の子供は、開業から1週間の間に多くの目撃例が相次いだが、そのうちパタリと止んでしまい、今ではまったく聞かれなくなった。

 はたして車掌室に乗っていた子供はいったい何者だったのか……?

<寂しく佇む女子高生の霊>

・東京郊外のH駅には車両基地があり、その近くにある小さな踏切は小高い丘の上にある女子高の通学路になっている。ある雨の朝、通学途中の女子高生が基地に戻る電車に接触し、車輪に巻き込まれて即死した。

 ヘッドホンで音楽を聴いていたため、電車が来ているのに気づかなかったのである。

 それからというもの、雨の朝になると、決まって女子高生の幽霊が踏切脇に立つようになった。運転士の多くが目撃していたが、近くには山菜採りで山に入っていく近隣住民も多く、その姿を幽霊ではなく人だと思っていた運転士もいたため、その数を含めるとかなりの目撃例となった。

<死んだ友人からのメッセージ>

・しかし友人は興味深い話もしてくれる。

 たとえば死後の世界とは思っている世界とは違い、自殺や不慮の事故、不摂生など自己責任の病気で死んだ人は、天命の年齢になるまで現世に留まっていなくてはならないという。死後の世界のしくみは、死者同士の情報交換から得られたものらしく、死者が集う場所は現世の接点としていくつかある。

 それが現世でいう“心霊スポット”なのだ。彼ら死者は、生前行ったことがある場所であればどこへでも行けるという。

 もちろん壁も通り抜けられ、空も飛べる。その世界は案外楽しそうなもののように思えた。

『現代幽霊論』  妖怪・幽霊・地縛霊

 大島清昭     岩田書店   2007/10

<幽霊と妖怪>

・一方、「幽霊」と「妖怪」を区別する立場としては、柳田國男、諏訪春雄が挙げられる。

 日本民俗学の創始者である柳田國男は、最初に「幽霊」と「妖怪」を区別した人物である。昭和十一年に公表された「妖怪談義」で、柳田は「オバケ」と「幽霊」を明確に区別する指標を述べた。前もって知っておかなければならないが、柳田は「オバケ」「化物」「妖怪」という言葉を同じ意味で使用している。従って、ここでの「オバケ」は民俗学では「妖怪」という意味で捉えられている。

・柳田は「誰にも気のつく様なかなり明瞭な差別が、オバケと幽霊の間には有ったのである」として、①出現場所の相違、②対象となる相手の相違、③出現する時刻の相違、という三つの違いを提示する。①は「オバケ」が「出現する場所が大抵は決まって居た」のに対して、「幽霊」は「百里逃げても居ても追掛けられる」という。②は「オバケ」は「相手を選ば」ないのに対して、「幽霊」は「たゞこれぞと思ふ者にだけに思ひを知らせようとする」と述べ、③は「オバケ」が黄昏時に出現するのに対して、「幽霊」は丑三つ時に出現すると定義した。

・柳田の目的は「妖怪」を研究することで「信仰の推移を窺ひ知る」という、所謂信仰零落説の立場を取るものであった。実際、昭和二六年の民俗学研究所が編纂した『民俗学辞典』には、「妖怪」の定義として「多くが信仰が失われ、零落した神々のすがたである」と記されている。

 諏訪春雄は、柳田の定義に対して反証を提示した後、独自の「幽霊」と「妖怪」の定義を展開する。諏訪は「妖怪」も「幽霊」も「広い意味でのカミ(精霊)といえる」とし、「しかも正統に祀られていないカミである」という立場を取っている。

<幽霊と分身>

・「分身」と聞くと、私などは忍者かバルタン星人を想起してしまう。所謂「分身の術」である。しかし、ここで論じるところの分身は、「分身の術」のような特定の手法によって自らのコピーを創造することではない。一般的によく知られている言葉を使用すれば、「ドッペルゲンガー」という言葉もまた、それぞれの論者によって指示領域が異なるものである。「分身」や「ドッペルゲンガー」に深く関わる学問分野は、文字と精神医学が挙げられる。従って、文学では「ジャンル」の問題として、精神医学では病気の症状として、それぞれ指示領域を持っていることになる。殊に文学では、論者やアンソロジーの編者によってその集合の範囲は違ったものになっている。

・例えば、『書物の王国11 分身』(国書刊行会、1999年)は「分身」というテーマに沿って古今東西の小説や詩などとを収録している。ここで「分身」という射程には、自己像幻視、鏡と影、双子、二重人格、内なる他者、などが収められている。

<憑霊>

・憑霊(或いは、憑依)は、容易に定義できるような概念ではなく、民俗学や人類学、宗教学において様々な論者によって議論がなされている。しかし、ここではそのすべてを追うことはできないし、また、幽霊という本書の主題とも大幅にズレてしまうので、簡潔に触れておきたい。

 佐々木宏幹は「憑霊とは、霊的存在または力が人間その他に入り込み、あるいは外側から影響して、当事者その他に聖なる変化を生じさせると信じられている現象である」と述べている。

<場所に固定化した幽霊>

・「①屍体が存在する(した)場所に、幽霊は固定化する」といった場合、当然ながらその幽霊が固定している場所とは墓地や火葬場などが筆頭に挙げられる。そう考えると、これに該当するような事例は、極めてオーソドックスな幽霊と考えられる。

・大阪府貝塚市水間。昨年(1984年)お店でアベックのお客さんに聞いた話。夜、水間(観音さんや今東光さんで有名なお寺)の戦没者のお墓のそばに車をとめていると、ヘルメット(鉄かぶとのことか)をかぶって兵隊のかっこうをしている人が、スーッととんでいるみたいに歩いているのが見えた。他にも見た人が、よくいるという事だ。

・「学校の怪談」では、⒜に該当する事例として学校の建設される以前に、その場所が処刑場であったという事例を示したが、同様の事例は学校だけではなく、その他の建造物にも存在している。ここではその一例としてNHK放送センターに出現する幽霊を挙げておこう。

 渋谷のNHK放送センターに軍人の幽霊が出るというのは、有名な話。体験者は昔から、数えきれないくらいいますね。

・ここは陸軍の練兵場の跡地で、あの「226事件」の青年将校たちが処刑された場所なんです。昔、「幽霊が出た」という場所の頻度と、処刑された場所の関係を調べた人がいて、101スタジオという一番古いスタジオのあるあたりがどうもそうらしいと見当がつきました。

NHK横にある226事件慰霊塔には、兵士たち(複数)が靴音を鳴らしながら歩いている音が聞こえるらしい。

また、その近くにある小学校の校庭にもその兵士たちが現れるとか・・・。

・この事例では226事件で処刑された兵士たちが幽霊として出現しているが、幽霊となるのは日本人の兵士だけではない。次の事例は処刑場ではないが、米軍の兵士が幽霊となって出現するものである。

Iデパートの建っている所は、昔、米軍の病院があった所だったため、今でも閉店後には洋服の間から米軍兵(幽霊)が出てくる。

・ホテルや旅館、或いはアパートの一室において、そこで亡くなった人間の幽霊が出現する事例は枚挙に暇がない。また、病院において亡くなった患者の幽霊が長期的に出現する場合も、ここに当て嵌るだろう。

FBI超能力捜査官マクモニーグル』    「遠隔透視」部隊の現実

  (並木伸一郎・宇佐和通) (学研)       2007/2

<幽霊のハンス>

・幽霊もよく見る。亡くなった妻の母も会いにきた。陸軍時代、ドイツでも幽霊を見た。長旅を終えて新しい宿舎に着いた夜のことだ。洗濯をしようと地下に行ったが、どの部屋が洗濯室なのか分からずうろうろしていると、年老いたドイツの男性と出くわした。ドイツ人だと分かったのは、民族衣装を着ていたからだ。

・彼に『洗濯室はどこです』かと尋ねると『ああ、こっちだよ。ついて来なさい』といわれ、『ここだよ』と、部屋まで案内してもらった。私は、礼を言って洗濯を始めたが、目をあげると、彼の姿はもうなかった。

・私は、ドアと彼の間に立っていたから、彼が出て行くのに気付かないはずはない。不思議に思って、あちこち探したが見当たらなかった。

・同僚たちの部屋に向かう途中で、ふと当り前のことを思い出した。そこは情報関係の建物で、ドイツ人が出入りできるわけがないのだ。部屋に入って、『あのドイツ人は誰だ?』と聞くと『ああ、それは幽霊のハンスだよ』と、あっさりいわれた。部隊では有名な幽霊だったようだ。悪さをしないが、頻繁に姿を見せるという。

・現れたり消えたりしながら、アメリカ兵とのコミュニケーションを楽しむらしいのだ。その建物に取り付いているのだろう。ドアを開け閉めすることや、あるいは皆がいる部屋に入ってきたり、ポーカーをしているテーブルの脇でじっとしていることもあった。兵士の一人が怒って灰皿を投げつけたら、灰皿はハンスの体を通り抜けて壁に当たった。

太田千寿が解き明かす『霊界と天上界の大真実』

人類はサタンに騙されている  「消された記憶を取り戻せ!」

太田千寿  徳間書店     1996/8

<三島由紀夫氏が私のところに来た理由>

・亡くなった三島由紀夫氏が私のところに来たての状況は以前に詳しく書きました。しかし、三島氏がどういう理由で、地上に交信をしてくるようになったのか。さらには、どうして三島氏が地球を救うようになったのかはあまり触れていませんでした。私が知らされていたのは、次の三点です。

1、死んだ直後、指導霊に連れられて富士の裾野に行ったということ。

2、そこには生前「盾の会」のメンバーと何度も体験入隊した自衛隊がある場所だということ。

3、三島氏が生まれる前に、18回転生しているが、彼らは、いずれも富士山の裾野にいたということです。

・――私三島由紀夫は、死んで間もなく富士のホールにいた。巨大なホールであった。あたりは――面真っ暗闇、私の前に『私』と名乗る男女が18人現れたのである。(『空間を超えて道を行く神』)

・では、いったいなぜ三島氏が地球を救うのでしょうか。6年ほど前、三島氏から霊界に行くようになった背景が送られてきて、はっきりしました。なんと、驚くべきことに、そのメッセージによると、三島氏は死の直後、宇宙船に乗せられたというのです。そして、とんでもない出来事に遭遇したのでした。

<地獄からの生還>

・――UFOの中はすべてがガラス張りであった。鏡に映った自分の姿を見て、私は唖然と立ち尽くしていた。あれほど望んでいた背高のっぽになっていたのである。自分でもほれぼれするほどの男前、ギリシャ的な風貌。神が私の望んだとおりにしてくれた。何という奇跡だ。夢にまで見たこの姿。

・赤いボタンがいくつもある映像システムが何カ所も設置されている。『L』と記されているボタンを人差し指で押して見た。すると映像システムが一斉に動き出して、生前の私がはっきりと画像に映しだされている。

・そのとき、神々しき声がした。

『そなたは、この宇宙船で4年間、孤独に耐えるのだ。地獄に落ちたそなたの影は、20年かかって、地獄を制するであろう。もうすぐそなたの同胞が下界からやって来る。引田天功と田宮次郎だ。彼らがやって来たら三人で力を合わせて、この宇宙安寧のために働くがよい。そなたの心は私が全て見てきた。死に急ぎをしたな。しかし、そなたの死が無駄にならない日が必ず訪れる。それを信じて突き進むのだ。この宇宙船は、そなたのためにシリウスで作成したものである。天功と田宮が来たら、三人よく話し合いをして、月の空洞にある宇宙基地に移動するのだ。基地内には歴史上の人物がリーダーを求めて右往左往している。そなたはこの4年間で彼らのトップリーダーになれるよう、一時も無駄にしてはならない。時にはこうしてそなたに交信する。さらばだ』

神の声はこうして消えて行った。

・三島氏が自刃したのは昭和45(1970)年11月25日のことです。私がこのメッセージを受け取ったのは、平成2(1990)年ですから、ちょうど20年目のことです。

まさに清算期間の20年が終わった直後のことです。

<二つに引き裂かれた三島由紀夫氏>

・なんということだ。私が、『生前の私』と『宇宙人としての私』として分離されてしまったのだ。一人は記憶を持ったままの私であり、もうひとりは記憶を失ってしまった私なのである。記憶のある生前の私は、地獄の20年を過ごすことになり、そしてもう一人の私は、宇宙船に乗って旅立ったのである。

<白髭白髪の老人の出現>

・ところで皆様もすでにお気づきのことと思いますが、ここに出て来た「白髭白髪の老人」こそ、サタンのことです。「人間の記憶」を消すために奔走するサタンだったのです。

『「超常現象」を本気で科学する』

石川幹人 新潮社     2014/5/16

・本書は「幽霊はいる」とか「超能力は存在する」などと超常現象を肯定するためのものでもなければ、その逆でもありません。そうではなく、超常現象について、今現在、「実際に何がどこまで分かっているか」、「何がどのように謎なのか」を皆さんに紹介しながら、「いかに未解明の現象に取り組んでいくべきか」という「科学的思考」を身につけていただくことを第一にしたいと思っています。

本書は、あくまで本気の科学の本です。

・幽霊体験の背後には通常、「霊魂説」が控えています。人間の肉体には霊魂が宿り、死後に霊魂だけが肉体から離れて霊界へ行くが、この世に生きる私たちも、肉体から離れて浮遊している霊魂と、ときに何らかの交流や交信ができる、という説です。

・もとより実証されているわけではありませんから、霊魂説とは科学的にはまさに仮説にすぎないわけですが、体脱体験や臨死体験、霊視や憑依などの現象が、この霊魂説を支えるとされます。しかし、そうした諸現象を人間の通常の心理的・生理的現象がもたらした錯覚であるとする仮説も有力で、もちろん、霊魂説は決定的ではありません。

<心霊研究から超心理学へ>

・さて、では超常現象が科学の世界でどのように研究されているかというと、じつは古典型的な幽霊体験より、現在はいわゆる「超能力」へと注目すべき研究テーマが移っています。超能力とは、透視やテレパシーといった未知の能力の総称ですが、超能力と幽霊体験には、かなり共通するところがあります。幽霊体験の多くは、一種の超能力による事象として説明できますし、逆の説明もまた可能だからです。

 歴史的にも、19世紀末から幽霊体験を究明する「心霊研究」と呼ばれたものがありましたが、これが20世紀に入って厳密な科学的手法に則った研究に改められ、超能力研究へと展開し、「超心理学」と呼ばれる研究分野になったという経緯があります。

<幽霊と宇宙人は同じ?>

・ユングの超心理学への貢献は、シンクロニシティにとどまらない大きなものがあります。いわゆるUFOの目撃事例と、幽霊目撃事例の共通点を分析し、それらは心理的に同様の根源をもった超常的体験であるとその晩年に指摘したのです。UFOに乗った宇宙人などは幽霊とはまったく違うものという感じがするかもしれませんが、両方とも異世界から来た者という共通性があるのです。それにもし目撃者にキリスト教などの特定の宗教的背景があれば、幽霊との遭遇は悪魔に会うことに匹敵するので、「幽霊を目撃した」と主張するよりも、「空飛ぶ円盤を目撃した」「宇宙人に会った」と主張する方がまだ無難だということになるのです。ときには、金星人や地底人なども登場しますが、これは目撃者の無意識があたかもSF作家のように創作的に働いた結果でしょう。

・この指摘は、今日あらためて注目される状況に来ています。というのは、欧米では「宇宙人に誘拐」され、気がつくと宇宙船の中で手足を固定されて寝かされ、身体検査や手術を受けたという訴えが数多くあるからです。お気づきのように、これは、日本における「地縛霊のしわざによる金縛り状況」と同類の構図です。宗教的に地縛霊を持ちだせない場合には。似た効果の別の「実体」がつくられるのだと言えます。

日本でも、超能力者を自称する人々には、「宇宙人に会った」と主張する人が多数います。超能力だけでも信じてもらえないのに、さらに宇宙人にまで言及するのは控えた方がよいと私は思うのですが、かなりありありとした体験らしく、本人たちはまじめに主張します。私が懇意にしているある霊能者も、幽霊だけでなくUFOや宇宙人をよく見ると言います。そして、幽霊が過去の情報に関連するとすれば、宇宙人は未来の情報に関連しているという感触を述べています。これこそ、時間を超えたESP(超感覚的知覚)現象がこうした体験の背後にひかえていることを暗示しているのではないか、と私は思います。

ユングの深層心理学によると、無意識の知恵を意識に伝える「老賢人」という象徴的な存在があるとされます。個々人の内的世界では、老賢人が幽霊の形をとったり宇宙人の形をとったりして意識を支えているのでしょう。もし、その場面が明晰夢を見るようにありありとしていれば、それがその人にとっての「現実」であってもいいわけです。要はその「現実」に個人として、そして社会として、どれほど意味があるかが重要になるのです。


by karasusan | 2015-12-10 09:45 | その他 | Comments(0)