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最大のUFOは長方形だった。その長方形の長い一辺は1600メートルほどあり、短い一辺はその半分(800メートル)くらい。(1)

 

『終末へのカウントダウン』  スペースプログラムが予言する

韮澤潤一郎  たま出版  2015/11/17

<主の降臨は準備された>

・発見された「死海写本」によると、周辺の要塞化されたエッセネ派修道院が、イエスやヨハネの養育に使われる前に、「義の教師」がそれらの組織の成立に尽力したことが記されている。つまり2000年前のイエス・キリスト降臨に備え、準備活動をした賢者である指導者がいたのである。こうした人物はスペースプログラム、つまり宇宙的な計画遂行のために、ほかの星からやってきた宇宙人だったと考えられる。

 同様なことが、ケイシーのリーディングが述べた1936年の「主の再臨」に先立つ数十年前から起きていたことが明らかになる。

・場所は、ダライ・ラマ13世が住んでいた、チベットのポタラ宮殿である。

 1899年のこと、8歳になる少年が何者かの導きによってアメリカから一人で留学した。この少年こそ、アメリカが水爆実験を開始した1952年、モハーベ砂漠でUFOから降り立った宇宙人と会見したジョージ・アダムスキーである。なぜ彼は幼少のころにチベットなどに送り込まれたのだろうか。両親はポーランドからの移民で、彼を含め5人の子どもを抱えた、いわば生活困窮者であるにもかかわらず、なぜなのかという疑問が残る。

・アダムスキーが両親と共にアメリカに移住してきたときは、わずか2歳だったが、小さいころから物事に対して特殊な感性を持っていたという。そして豊かではない生活の中で、この時代に子ども一人でアジアへの長距離旅行ができた裏には、未知の人物のサポートがあったからだと述べている。

・しかし、アダムスキーのチベットでの修行が始まって3年目に障害が発生する。イギリスが植民地統治のために軍隊を侵攻させてきたのである。19048月に3000人のイギリス軍がチベットに入り、1500人のチベット人が死んだ。それをあらかじめ察知した守護者たちは、その1年前に彼を帰国させている。修行半ばでアメリカに帰ってきたアダムスキーに対し、スペースプログラムにもとづいてサポーターたちは一つのアイテムを彼に与えたという。それがクリスタル・ペンダントで、遠隔透視やテレパシーによるコミュニケーションの未熟さを補うため、アダムスキーは若いときから講演をする際には、このクリスタル・ペンダント、すなわち想念増幅器を胸に着けていた。

 アダムスキーは親しい側近者に「自分は子どものころから宇宙人と会っていた」と話していたという。

<現代におけるスぺースプログラムの実行>

・アダムスキーがモハーベ砂漠のデザート・センターで宇宙人に会ったのは1952年である。このときの体験を彼は『空飛ぶ円盤実見記』に書いているが、この本には秘密にされた部分が存在していることになる。このときの宇宙人(仮称)オーソンは、イエス・キリストだったのである。そのとき、アダムスキー自身ははっきりそのことを認識していたはずである。

<「終わりの時」に起きる地球の大変動>

・ケイシー・リーディングの8節にある内容は、衝撃的である。

「地球はアメリカ西部で裂け」「日本の大部分は海中に没する」という。また「北欧は瞬時に変化し」「アメリカの東海岸に陸地が出現する」とある。さらに「北極と南極に大異変が起こる」と「熱帯の火山噴火を誘発し、その後に地軸が移動する」のである。

 これらの予言は、リーディングの前後の部分は切り離され、この8節だけが単独で、日本でも1961年ごろに「日本沈没予言」として書籍の中に取り上げられるようになった。しかも、これらの大変動が起きる時期が「1958年から1998年の間に生じる」と訳されていたので、「1998年までにすべて終わっている」かのように取られてしまったのである。正確には「1958年から1998年の間に始まる」であるから、それ以後どこまで続くかは明示されていないのだ。

・「この艱難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。そのとき、彼は御使いたちを使わして、地の果てから天の果てまで、四方からその選民を呼び集めるであろう」は、いったいどういうことが起きるというのだろう。まさにこの事件はスぺースプログラムの最重要問題であり、ジュネーブ会議で提起された宇宙開発の目的に関連することだと考えられる。

<「終わりの時」のスペースプログラム>

・この時代に「キリスト再臨」を出迎えたヨハネ・ペヌエルたるアダムスキーは、宇宙人開発がスタートした理由として、二つのスペースプログラムとしてのテーマがあったことを指摘している。

 「一つは、地球人類の宿命ともいえる、戦争のための国家維持や、戦争があってこそ維持する経済システムから脱却するために、宇宙開発に人類のエネルギーを投入させることだった。月面への有人飛行であったアポロ計画はその端緒として成功しかかったが、大気圏を出ると、宇宙空間でも月面でUFOの出現が続いて、宇宙人たちとの交流を成立させえない政府は、計画をストップしてしまった。

・もう一つは、最も重要なことなのだが、「終わりの時」に必要になる、惑星移住規模の宇宙船を地球でも作る技術を構築させることだったという。つまり「終わりの時」とは、このわれわれの太陽系がそろそろ終わりかけていることを意味しているのだ。まず太陽に異変が起き、連動して各惑星も居住に適さなくなってくることを警告していたのである。

・この地球の躍進に対し、宇宙人たちは太陽系の状態について地球側に明確に説明する必要性を感じていたのであろう。そのための国際会議がメキシコで開かれたのである。

 

・そこは、ホテルや温泉が併設され、大勢の出席者を収容できる半円形のメイン・ホールになっていた。この広い施設の建設には、メキシコ政府の関与があったことがうかがわれるのだ。氏の調査当時には、ホールの入口に「天使の館」というネームが掲げられていたが、その意味は「ここに世界中の政府関係者を招待し、この太陽系の惑星から集まった宇宙人たちと会談させる計画があったこと」だと古山氏は言う。

 1964518日にアダムスキーは、メキシコシティから西に200キロメートルほどいった「サンホセ・プルア」の山間に建設されたばかりの真新しい会議場に到着した。当然、12年前に砂漠地で2000年来の再開を果たした金星人オーソンも来ていたはずで、彼はこの会議の主賓だったかもしれない。また、アダムスキーがのちに、終末のしるしである「あらゆる民への証しとして、全世界に述べ伝えられる」(マタイ24-14)が成就したかのように世界各地を講演したときに、そこで出会った多くの宇宙人たちも顔を出していたに違いない。

 この会館の建設を推進した当時のメキシコ大統領であるロペス・マテオス氏も来ていただろうし、彼が呼びかけた各国の首脳や大使級の人物も列席したはずである。

 国連からは当時の事務総長のウ・タント氏の秘書だったロバート・ミューラー氏が来ていたと思われる。彼は、講演ではっきりと「より高い惑星の文明へと導いてくれる関与者」について述べており、2000年前にキリストが言ったように「宇宙空間からの使者たちが宣言した世界」が現れることを認めているからである。また、ウ・タント事務総長は「UFO問題が、ベトナム戦争の次に国連が直面する重要事項になるだろう」と発言したことがのちにニュースになっているところをみると、このプルアでの惑星会議を知っていたに違いない。

 アポロ計画を必死で推し進めていたケネディ大統領は、少なくとも側近者を出席させただろうし、アメリカ航空宇宙局の重要なセクションのメンバーも参加する必要があったに違いない。アポロ計画には多くの宇宙人が技術協力していたといわれるからだ。

<最大のUFOは長方形だった>

・「4つの光体は、長方形の巨大な構造物の四隅に位置していることがわかりました。その長方形の長い一辺は1600メートルほどあり、短い一辺はその半分(800メートル)くらいです。そこは私の飛行場エリア内で、離着陸する航空機の距離や大きさ、そして速度などを私は正確に認識できるのです……。長方形をなすその物体は、私たちとの距離が30キロメートルほどになったあたりから徐々に速度を落としているように見えました。はじめは時速4800キロメートル(マッハ4=ジェット旅客機の5倍)くらいでしたが、やがて私たちの近くに来たころには、一般の旅客機ほどの速度である時速480キロメートルくらいになっていました。それはセルデンの丘の頂上北部の地表から900メートルくらいの高さを通り過ぎていました……」

7個の光体が一直線に並んで飛行してきたあと、弓なりになってアーチ状に変わっていったかと思ったら、数秒後には垂直に立ち上がり、縦の一直線に配置が変わっていったという。つまり、水平に飛んできた長方形UFOは、停止してから、ランプの数を増やしながら身をひねるようにして垂直に立ち上がったことを意味するのだ。

 

・そして次の瞬間には、垂直の7個の光列を持つ2本の柱状になっていったという。これは、1枚として構成されていた長方形物体が、二つにはがれて2枚になったことを示している。これによって非常に興味深い構造が明らかになるのだ。

 7個の光体は非常に明るく輝いていたといい、アレン氏は「一つの光体の大きさは月の4分の1ほどあった」という。

 夕闇を背景にして、光体の明るさが際立っていたため、本体の構造は認識できなかった。しかし、光体の配置の変化は物体の構造と飛行状況を明確に表現している。

<驚くべき方形UFOの機能>

2枚に分離して天空に立ち上がったこの物体の壮観さは、想像を絶するものだったに違いない。日本の最高層建築物であるスカイツリーの高さは634メートルだが、セルデンの空に巨大なイルミネーションを備えて立ち上がった長方形UFOは、その2.5倍もの1600メートルという高さになる。

 この巨大構造物はなんであろうか。証言者たちの話を総合すると、緊急時に備えたレスキュー用の輸送船ではないかと考えられるのだ。それも惑星規模の移住船といえるほどである。

『あなたはいまスターシードとして目覚める』 シリウスの超叡智③

パトリシア・コーリ  徳間書店    2011/9/28

4つのマスター種族とは>

・遠く離れた銀河にエンガンという惑星があります。

・ガイアよりもずっと長い歴史を持つエンガンは、幾度となく文明の衰勢を繰り返してきましたが、「スターシード・プロジェクト」が始まったころにも再び絶滅の危機を迎えていました。環境破壊の結果として海洋は干上がって大旱魃をもたらし、調和を失った惑星は持続不可能な状態となったのです。その後当然の結果として大勢の死者が出て人口が激減したためにエンガンは絶滅の危機に立たされました。

・そしてちょうどそのころ、評議会の長老たちから連絡を受けたエンガン星人は、「偉大なる実験」の最初の賛同者となったのです。こうしたいきさつで、エンガン星人の種は絶滅を免れて水源の豊富なユートピアに移り住むことになりました。そしてエンガン星人の遺伝子物資の特徴である優れた体力、生殖能力、生命力といった要素が遺伝子プールに組み込まれ、ヒトDNAにおいても極めて重要で優勢な遺伝物質となったのです。

 これが地球で言うところの黒人種であり、エンガン星人は黒色と関連付けられているのです。ホモサピエンスのエンガン星人的マスター遺伝子は地球の多様な生態系の中でも、彼らの故郷である乾燥した惑星を思い起こさせる高温気候の地域に播種されました。主な地域としては、アフリカ大陸、オーストラリアとその周辺の島々を含むオセアニア全域が挙げられます。

・第二のマスター種族である「アトル」は、銀河系の中心に位置する星の集まりであるプレアデス星団からやってきました。プレアデス星人は高度に進化した文明で知られていますが、彼らの子孫は地球では「レッドスキン(訳注:アメリカ先住民を指す差別語)」として知られています。

・彼らの現存する子孫たちは今でもチベット・ヒマラヤ地域、アンデス地方、ロッキー山脈など地球の高地に住んでいます。人種的には、イヌイット、チベット人、ペルー人、マヤ人、北米先住民が「アトル」の子孫です。

・第三のマスター種族は、あなた方の世界では「エイジアン(アジア人)」として分類されている人々です。彼らのルーツは太陽系のはるか彼方の惑星で、現在のNASAの望遠鏡による調査範囲のずっと外側にあるため、地球人はその存在について知りません。

・彼らの故郷の惑星の地球物理学的要素を最もよく再現できる生態系を探し求めた結果、この種族は1年を通して比較的高い湿度と気温を保てる音質のような気候の地域に播種されました。

地球では白人種と定義されている「エリエン」のルーツはオリオン星雲にあります。テクノロジーが進化した彼らの文明は、銀河間の移動といった難題を克服して遠方への宇宙旅行さえも可能にしました。

・オリオン星雲の中心星から数えて5番目にあたる彼らの星は、太陽光の量も少なく、比較的低温です。

・色素が少ないため肌が抜けるように白いので、ラーの強い放射線からほぼ完全に身を守る必要があったのです。

 ホモサピエンスのエリエン星人的マスター遺伝子は、あなた方の惑星においても最も寒くて暗い環境を必要としました。そうしなければ彼らは播種の初期段階を生き残ることさえできなかったでしょう。彼らは地球の両極間の温帯で培養されました。故郷の環境を最もよく再現した、斜めに差し込む太陽光と生存本能をかき立てるような過酷な地理的隔離が彼らには必要だったのです。

『世界不思議大全  増補版』

泉保也     Gakken   2012/8

<ジョージ・アダムスキー  史上最大のUFOコンタクティ>

<驚異の宇宙旅行と素晴らしい宇宙船>

・アダムスキーは、その後数回にわたって異星人とコンタクトすることになるが、そのたびに彼は驚くべき体験をしている。

 1953218日、例によって彼は予感めいた衝動に駆られ、ロサンゼルスのとあるホテルに投宿した。

 夜になって、ロビーにいたアダムスキーにふたりの男が接近してきた。ふたりは普通の服を着ており、話す言葉にも何らおかしなところはなかった。

 しかし、彼らが握手を求めてきたとき、アダムスキーは異星人だとわかった。彼らは特殊な握手をするからである。

 ふたりはアダムスキーを車に乗せ、砂漠地帯に向かい2時間ほど走行。ドライブ中、ひとりは火星からやってきたといい、もうひとりは土星からやってきたと話した。

 車が砂漠に着くと、そこにはUFOが待機していた。近くには例の金星人がいて、アダムスキーをにこやかに出迎えた。不思議なことにこのとき彼は、英語を流暢に話せるようになっていたのである。

 アダムスキーは、彼らに仮の名前をつけ、金星人をオーソン、火星人をファーコン、土星人をラミューと呼ぶことにした。

・UFOは信じられないくらいの高速で飛行し、地上12000メートルの高度に達した。そこにはなんと、全長600メートルはあろうかという巨大な葉巻型母船が滞空していたのである。

・アダムスキーを宇宙旅行に招待したのは、偉大な指導者(マスター)と呼ばれる人物だった。

・土星型UFOは、上空に待機している母船に向かった。今度の母船には、20歳前後にしか、見えない人々が大勢いたが、彼らの年齢は、実際には30200歳以上にも達するという。

<コンタクティ  異星人からのメッセージを伝える人々>

・コンタクティの証言を「コンタクト・ストーリー」という。

<ハワード・メンジャー>

・アメリカ人。初コンタクトは1932年の夏で、金髪の金星人女性と会見。高校卒業後、陸軍に入隊してからハワイで黒髪・黒眼の異星人と出会い、太平洋戦争時の沖縄戦に従軍した折、沖縄で軍服を着た金星人と会見、「今後もコンタクトが続く」と告げられた。

・退役後の1956年にニュージャージー州プレザント・グローブでUFOを目撃して搭乗員の男女と会う。以後、金星や火星、木星、土星から来たという異星人と何度も会見し、UFOに同乗して金星や月の裏側にある基地を訪れた。妻も金星人の転生者だという。

<安井清隆>

日本人。岡山市で語学塾を開いていた1960423日の夜、満月の23倍はありそうな土星形のUFOを目撃。1週間後の30日午前4時すぎ、テレパシー通信を受けて戸外へ出たところ、3機のUFO編隊を組んで旋回しているのを目撃した。うち2機は姿を消したが、残る1機も導かれるようにあとを追った。

・UFOは総合運動場に着陸し、中から銀色のスーツに身を包んだ、2メートル40センチほどの長身でマスク姿の人間が現れ、両手を差しだしながら安井に近づいてきた。握手後、マスクをはずした男の顔は彫りの深いヨーロッパ系だったが、日本語で話しかけてきた。しばらく、会話を交わしただけで、最初のコンタクトは終わった。

・同じ年の10月30日、「富山県黒部市の宇奈月温泉近くの河原で待つ」というテレパシーを受信。11月1日の夕刻、黒部川で先に会見した男性と金髪の女性と遭遇した。男性はチュェレイと名乗り、それが母星の名でもあると語り、直径56メートルの小型円盤への搭乗を許された。円盤は15分ほどで白馬岳の頂上付近に到着。直径3040メートルの円盤に乗り換えた。内部は操縦室、食堂、倉庫、会議室からなっていた。

・その後コンタクトは中断し、再開されるのは1970年2月。岡山市郊外でチュェレイと再会し、円盤で白馬岳の基地を訪問。全長60キロはあろうかという葉巻型の巨大母船の映像を見せられた後に、その母船へ案内された。母船は恒星間飛行に用いられるもので、内部には森や湖、山などがあり、建物が立ち並び、小型円盤が飛び交っていた。1971年2月末には、その巨大母船に乗ってチュェレイ星を訪問した。が、その後テレパシー通信はぱったり跡絶えてしまったという。

<ステファン・デナルデ>

・オランダ人実業家。1967年7月、オランダ南西部ウースタ―シェルトの沖合をヨットで航行中、海面に浮かんでいた異星人の宇宙船(水上艇)に乗り上げて異星人と遭遇し、乗船を許された。

身長150センチほどの異星人はヒューマノイド型ではなく、顔の真ん中に窪みがあり、手は鉤状で、全身が薄褐色の毛で覆われ、獣じみて見えた。

 会話はテレパシーでなされた。彼らの母星は、地球から10光年彼方にある惑星イアルガで、自転速度は地球よりも遅く、重力は地球の約3倍。窒素やアンモニアからなる大気は濃密で、大気圏の雲が視界をさえぎっており、太陽光は見えない。

・そのイアルガ星へ、小型の円盤から高空に滞空する大型円盤に乗り継いで案内された。イアルガ星は海が大部分を占め、陸地は島だけで、それらは鉄橋で結ばれていた。石油タンクのような形状をした集合住宅が立ち並び、ひとつの建物の直径は約300メートル、高さは約135メートルで、約1万人が居住できる。

 ほかに自動機械化された農園、恒星間飛行用の大型円盤の建造工場なども見学してから、再び円盤に乗って地球へ帰還した。

<R・N・フェルナンデス>

・メキシコ大学教授。原子力委員会のメンバーも務める科学者。19721114日、大学構内で異星人女性とすれ違った。身長190センチの長身で、瞳は緑色、黒髪の美女である。それより先、教授は女性の声で何かを訴えようとするテレパシー通信を受けており、異星人であると直感したのだった。

・その後、2度遭遇したものの、会話を交わすことなく迎えた1974年12月22日、彼女が「テレパシーでは通じないようなので、直接話にきました」と教授を尋ねてきた。彼女はアンドロメダ銀河からやってきたリアと名乗り、知的生命体の調査のために地球を訪れていると説明、近いうちに宇宙船へ招待すると約束した。

・それが実現したのは翌1975年4月22日だった。宇宙船は直径5メートルほどのドーム状円盤で、乗船するや、超高速で大気圏外に飛び出した。リアは宇宙空間に浮かぶ青い地球を見ながら、地球環境の脅威、遺伝子工学、反物質などについて語った。

・リアはその後、近い将来凶悪な異星人が地球に来襲する、という警告を残してアンドロメダ銀河へ帰っていった。

<宇宙飛行士が認めたコンタクトの事実>

・ならば、彼らの主張はすべて虚言や妄想の産物かというと、必ずしもそうではない。宇宙探査によってコンタクティたちの話が真実と判明したケースもあるからだ。

・かつてのアポロ計画にも注目したい。宇宙飛行士と管制センターとの漏洩交信記録から、「道」「ドーム群」「構築物」「トンネル」「テラス」などが月面に存在するらしいことが指摘されたからだ。それらはおそらくUFOの基地だろう。

・アポロ14号で月面に降り立ったエドガー・ミッチェルが2008年7月、「アメリカ政府は過去60年近くにわたって異星人の存在を隠蔽してきた」と爆弾発言したことも、コンタクティに有利に働く。地球へ飛来している異星人が人類との接触を試みないとは考えられないからであり、すべてのコンタクト・ストーリーを荒唐無稽と斬って捨てるわけにはいかないのである。

『女神イシスの降臨』

古代エジプト神話の謎に迫る

大川隆法   幸福の科学出版   2011/8/9

<女神イシスの正体は、琴座、ベガ星出身の神秘の女神であり、古代エジプトの実在の歴史上の初代の王とも呼ばれているホルス王の母でもある>

・また、「オシリスの復活信仰はイエスの復活信仰の原型であり、古代エジプトに流れる、この神秘思想がキリスト教に流れてきた」という考えもありますし、「転生輪廻の思想も、このあたりから始まっていて、それが仏教に入っている可能性もある」という考えもあります。

・ハトホルとこのイシスとを、ほとんど同一視するような見方もあります。

<夫であるオシリスの腹違いの妹だったイシス>

<オシリスとイシスの子ホルスはエジプトの覇権を確立した>

<天照大神(あまてらすおおみかみ)とイシスの深い縁>

・天照大神は日本担当、イシスはエジプト担当として下りた。

・天照大神とイシスは「ベガの女王」。

・プレアデスは“顕教”ベガは“密教”を担当している。

・ケンタウルス座α星人の中には、映画「猿の惑星」に出てくる、猿が人間になったような外見の者もいる。

『今がベストタイミング!』   すべてがうまくいく宇宙の法則

越智啓子 大和書房   2016/2/12

<ベストプレイスとベストタイミング>

・ベストタイミングが、特に「ベストな場所」=ベスト・プレイスで起きることがあります。

・ちょうど、その日の昼休みにインターネットで情報を得ていたホットニュースが役にたったのです。これもベストタイミングですね。

「知ってる?今イギリスとアメリカのテキサスで巨大UFOが現れて、大騒ぎになっているの!たくさんの人々が目撃をしているの。とにかく大きくて、全長1600m、幅が800mもあって、音もなく地上90mを猛スピードで飛んでいたそうよ。オレンジ色の光を放っていたって。あなたが将来遭遇しても平気で操縦できるように、知らせておくわね!」

その後、宇宙の法則である引き寄せの法則(自分の思いが現実を引き寄せている)について解説をしました。

<宇宙とつながるパワースポット>

・沖縄にはパワースポットと呼ばれる場所がいくつもあります。それも、宇宙とつながるパワースポットです。

 パワースポットとは、その名のとおり、パワーの出る場所です。「そこへ行くとエネルギーを感じる」「その場所で光の柱を感じる」「体が揺れる感じがして眩暈かとおもった」「そこに行ってからとても元気になった」そんな場所のことを言います。

・ たとえば、日本では、富士山、石づち山、剣山、位山、高野山、伊勢神宮、諏訪大社、熱田神宮、天河神社、沖縄の斎場御嶽(せいふぁうたき)などがあります。海外では、エジプトやメキシコのピラミッド、ペルーのマチュピチュ、北米のシェスタ山、アリゾナのセドナ、フランスのモンシャンミッシェルなどがそうです。

『未確認飛行物体UFO大全』 

並木伸一郎  学研パブリッシング出版  2010/1

<テキサス事件>

40名が目撃した超巨大UFO>

直径1600メートルの超弩級巨大UFO

2008年1月8日夜、アメリカ、テキサス、フォートワース南西にある町スティーブンビルやデルデン、ダブリンの住民たち多数が、巨大なUFOを目撃した。それは日没後の低空を黄色や青、そして白色のライトを点滅させながら、かなりのスピードで飛行していた。町は当然、大騒ぎになった。

・このUFOを目撃した人は40名。その証言を総合すると、「ウォルマート(アメリカ最大のスーパーマーケット)の店舗よりも巨大」というUFOの直径は約1600メートル。形は扁平、色はグレーで、表面は滑らかだった

UFOは高度約90メートルの上空をときおり空中で停止しつつ、機体に取り付けられた複数のライトを点滅させながら、まったく無音で飛行していた。その背後を、アメリカ空軍の戦闘機が追尾していたという。

・UFOの後を追うかのように、軍用と見られる小型のブラックヘリ3機と大型のブラックヘリ1機が、上空を飛行していたのである。UFOはその後、機体を45度に傾けたかと思うと、瞬時に音も絶えず飛び去ったという。

『宇宙人大図鑑』  

 (中村省三) (グリーン・アロウ社)  1997/2

<金髪碧眼の白人は、この世のものとは思えないほど美しい顔立ちをしていた>

<バーンサイド事件、英国、1980年11月13日>

<宇宙人の身体的な特徴>

・宇宙人は男女のカップルで、2人とも身長1メートル65センチ程度だった。どちらもブロンドの髪の毛を肩まで垂らしていた。肌の色が異常に白いことを除けば、2人の宇宙人は人間にそっくりだった。しかも、その宇宙人たちはこの世のものとは思えないほど美しい顔立ちをしていた。

<アダムスキー事件、米国カリフォルニアの砂漠、1952年11月20日>

<宇宙人の身体的な特徴>

宇宙人は身長165センチ程度で、肩までの長さの金髪をしていて、滑らかな肌で、髭がない。人間によく似ていて美しかった。

<服装>

スキースーツのような服を着て、腰に幅の広いベルトを巻いていた。底に奇妙なマークのついた靴を履いていた。

<宇宙人の行動>

宇宙人は身振りとテレパシーを用いてアダムスキーと意思疎通をした。その宇宙人は、自分を金星人だと自己紹介した(アダムスキーは彼にオーソンという名前をつけている)。


by karasusan | 2016-09-10 18:07 | UFO | Comments(0)