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監督は子どもの頃、本当にUFOに遭遇したことがあるそうです。光が束になって舞い降りてくる光景はとても神々しく、これをなんとか再現したいと思って制作したのが『未知との遭遇』や『E・T』だったのです(2)

『世の中大転換に生きる50枚の重要カード』

中丸薫 船井幸雄     徳間書店  2011/3/12

<地球を支援してくれている惑星連邦のさらなる援助!>

・私たちの銀河系は12のセクション、あるいはセクターに分けられています。私たちの太陽系はセクター9に位置しており、このセクターには数百もの他の太陽系が含まれています。銀河司令部としても知られるアシュター・コマンドは、私たちの銀河内の数ある星系や次元からやってきた数百万もの宇宙船やボランティアたちから構成されています。銀河司令部は惑星連邦の一部で、銀河系のこのセクターを守っています。彼らの目的は、この惑星規模のアセンションの現サイクルを通じて地球を支配することにあります。

・アシュターは、私たちのセクターを担当する惑星連邦の司令官です。シルバー・フリート(銀艦隊)は私たちの太陽系を監視し、シャスタ山の内部にスペースポート(宇宙船基地)を持っています。シルバー・フリートは、主に地底都市から来た人々で構成され、テロス出身のアントンがその司令官です。

・アメリカ政府はテロスやその他の地底都市の存在を古くから知っており、特に1950年代以降、テロスやシルバー・フリートの情報にアクセスするため、内部に入り込もうと試みてきました。

『妖怪たちのラビリンス』    西洋異界案内

菊池章太   角川学芸出版   2013/2/23

<怪奇現象を求める心>

・心霊写真を撮影する方法はたくさんある。

明治時代に圓了が見抜いたとおり、故意ではなく偶然にできてしまう場合もある。両面に白いフワフワしたものが写っているのを心霊写真だといってよく見かけるが、たいていはレンズに逆光が入ったときに起きる光の乱反射である。フレアと呼ばれる現象である。写真屋さんならば見てすぐにわかるしろものだという。

・というわけで、昔も今も心霊写真になんらかのからくりがあることはどうやらまちがいなさそうだ。百パーセントからくりがある、と言い切ってしまう人もいるが、どうも筆者はそこまで断定する勇気がない。断定したくない気も、じつを言えば少しだけある。

・心霊写真の話を大学でしたときの学生の感想には、「おかげですっきりしました」というのがいつもある。「家族で写真をとると、いつも手とか足とかが余分に写っています。SDカードごとお祓いをしてもらったほどです、これで安心です」などというのもあった。かと思うと、「夢がこわれた」というのもあった。

<宇宙人はとっくに来ている>

・最後に突然だが、宇宙人はいるだろうか?

・こんなにでかい宇宙のなかで、地球にしか生命体がいないなんてよほどへんな気がする。ただ、いるとしても地球人が考えるような形態ではない気もする。形があって目に見えるということ自体、すでに人間の発想ではないか。電波みたいな生命体、といってもすでに私たちの理解の範囲に入ってしまっている。

 なんらかの生命体がいるにせよ、それは私たちの想像をまったく超越した次元で存在するのではないか。そんなのが円盤に乗ってやって来るなんて想像しにくい。乗り物がないとだめというのも地球人の考えることだろう。

・目にも見えず、耳にも聞こえずに侵入してくるかもしれない。もうとっくに来ているかも。

 私たちは心霊写真をこわがっている人や宇宙人を信じている人を笑うことはできる。でも、きちんとした情報収集も検証しないで「そんなバカなものありっこない」と頭ごなしに決めつけるとしたら、それは目クソ鼻クソを笑うというやつだ。無批判に頭から決めてかかるというのは、信じやすい心を持っているのとどっちもどっちだと思う。

 でも、どちらかといえばすぐに信じてしまう方に、筆者は近い。

というわけで、宇宙人の到来に胸をときめかせながら、今日も妖怪学の研究にいそしむのであった。

<大学の講義で妖怪>

・大学の講義で妖怪?本気で?

誰もみなそう言う。筆者の勤務する大学では120年前に妖怪学の講義が行われていた。それが3年前に本気で復活したのである。毎年千人を超える受講希望者がおり、関東一円にある大学の5つのキャンパスを結ぶテレビ中継で行われている

・新しい時代の妖怪学は何をめざすべきか、試行錯誤の連続である。最初は妖怪学の創始者である井上圓了の時代を出発点として、歴史をさかのぼりながら日本の妖怪現象をたどってみた。

・筆者は大学で妖怪学を講義している。冗談だと思うかもしれないが、正規の科目である。単位も認定するのである(もちろん単位を落とす学生もいる)。

・勤務する大学では明治時代にすでに妖怪学という講義が行われていた。創設者である井上圓了がみずから担当した科目であった。

 井上圓了は哲学者である。文明開化の世に哲学をひろめようとした。

いた時代である。不思議なことが妖怪のしわざと考えられていた時代である。哲学という合理的な知のいとなみをめざす圓了は、迷信を打破し、妖怪を撲滅しようとくわだてた。そのために限界を研究し、不思議な現象の解明をめざしたのである。

<ゾロアスター教の徹底ぶり>

・その点でもっと徹底しているのがゾロアスター教である。古代イランの宗教であるゾロアスター教では、世界は善と悪というふたつの原理から成り立っていると考える。これは世のなかを動かしていく原理だから、神ではない。けれども神殿の壁などに神さまのような姿で表されてきた。

・善の原理は光をつかさどっている。アフラ・マズダーという。

悪の原理は闇をつかさどっている。アフリマンという。

 アフラ・マズダーは、この世界が百パーセント善に満ちた世界になるまで、アフリマンに対して戦いをいどみつづける。悪を完全に滅ぼし尽して、光に満ちた大地を完成させ、完全無欠な善の世界を実現させる。その時まで戦いはやむことがない。

・悪は悪で、この世界が百パーセント天然まじりっけなしの真っ黒な闇の世界になるまで、善に対して戦いをいどみつづける。

・人間として生まれたからには、この戦いに身を投じるのがあるべき姿である。戦いこそが人間の使命にほかならないのである!

<光と闇がきわだつところ>

・この話、何か思い出さないか?

 ゾロアスター教は今から三千年も前にイラン高原で生まれた。紀元前六世紀にはペルシア帝国の国教になり、中近東一帯にひろまった。その後、七世紀にイスラム教が成立すると、この地域はたちまちイスラム化していく。

 現在イスラム教が信仰されている地域は、もともとゾロアスター教が浸透していた地域だった。イスラム神学のなかにはゾロアスター教の思想が深く根をおろしている。

 善の実現という聖なる目的のために人は戦いつづける。聖なる戦い、すなわち聖戦の思想はここにみなもとがある。

 戦うことが人間のつとめだという西アジアの考え方は、東アジアに暮らす私たちにはおよそ理解を超えた考え方だ。

<あけの明星の転落>

・天使にいろいろ名前があるように、悪魔にもたくさんある。有名なのがルチフェルである。中世のラテン語で「あけの明星」を意味する。聖書にこうある。

「あけの明星よ、おまえはどうして天から堕ちたのか。おまえは心の中で言ったのだ。『おれは天に昇り、神の星より上に、いと高きもののようになろう』と」

 あけの明星である天使が身のほどもわきまえず、神さまよりも高いところに昇ろうとしたのである。もっと上へ行けるとうぬぼれた。そのあげくたたき落された。この世に恐るべきものがあることをわきまえなかつた。その思いあがった根性が転落の原因だった。悪事にもいろいろあるが、窃盗や横領ではなく、高慢が最大の罪とされたのである。

 明星が悪魔の正体である。ルチフェルを英語読みすればルシファー。

<悪魔祓いの代償>

・フランス中西部にルーダンという古い町がある。1632年にこの町の修道院で修道女たちに悪魔が憑いた。

 悪魔憑きはキリスト教の国では別にめずらしいことではない。21世紀の今も悪魔に憑かれたとうったえる人が大勢いる。ただ、このルーダンの悪魔憑きの場合は、修道女のほとんどがいっぺんに悪魔に憑かれてしまったのである。集団悪魔憑きであった。

 フランス中から悪魔祓い師が何人も派遣された。大がかりな儀式がくりかえされたが、修道女たちの悪魔憑きは一向におさまらなかった。

 そこで悪魔祓いの本家であるイエズス会に要請がくだる。ジャン=ジョセフ・シュラン神父が派遣されることになった。

・シュラン神父はそれまで行われていた仰々しい悪魔祓いの儀式をしりぞけた。修道院の小さな部屋でジャンヌの語る言葉に耳をかたむけ、ともに神に祈る。そしてともに悪魔と戦う。そういう方法を選んだ。現代のカウンセリング療法にも似た密接な方法をこころみたのである。

<「少女のころからずっと」>

・ルーダンの悪魔憑きも映画の題材となっている。1961年のポーランド映画『尼僧ヨアンナ』である。舞台はポーランドに変えてある。

<クリスマス・イブの幽霊>

・ディケンズはイギリス文学を代表する作家のひとりだが、彼の作品には幽霊がけっこう出てくる。『クリスマス・キャロル』はその典型である。原作のサブタイトルに「幽霊物語」とあるくらいだ。この作品が書かれたころ心霊主義が普及しはじめた。心霊写真の登場はそれから少しあとになるが、霊という見えないものの姿を視覚的に表現するうえで、この作品があたえた影響はたいへん大きかったと思う。

『UFOと地底人』 

ついに明かされた異星人と空洞地球の真実

  中丸 薫    GAKKEN   2009/1

<作家とテレパシー>

・SF作家のアイザック・アシモフはニューヨークの私の家で話している時に、突然、こんなことを言い出した。「あなたみたいな神が信じられて永遠の生命が信じられるなんてうらやましいですね」

・「あら、でもディケンズさんは、夢の中で小人が出てきて、不思議な物語を話してくれたので、起きてすぐにそれを書き留めたらーそれがあの名作『クリスマス・キャロル』になったそうですよ」

・そういうと彼は驚いたような顔をしてこういった。

そうなんですか。でも僕の場合は夢じゃなくて、現実に出てくるんですよ」「え?」その言葉に私は、思わず耳を疑った。詳しく聞いてみると、アシモフがタイプライターの前に座ると、実際に5~6人の小人が出てくるのだ。そして周囲でいろいろなことを話してくれるというのだ。

・「僕はそれをタイプライターに打っているだけ、書くだけなんです」

私は、「まさに、それこそが心の世界なんですよ」と言った。

「アシモフさん、どうやってそれをあなたのお好きな科学で説明できるんですか。説明できないからこそ、それを心の世界というのですよ。現にあなたは、そうやって366冊ものSF小説を書いたわけでしょう?」

『世界予言全書』

トニー・アラン  原書房  2011/9/22

<ハヌッセンの「予言」>

・エリック・ヤン・ハヌッセンは、当時ドイツで相当な名声を博した、舞台催眠術師であり千里眼だった。人気の占星術週刊誌も発行し、個人顧客向けコンサルタントも粉っていた。予言の的中率を上げるため、盗聴器を利用していたとさえいわれている。

 ユダヤ系という事実にもかかわらず、ハヌッセンはナチの中に人脈を持ち、ヒトラーに演説指導をしたとさえ伝えられている。ところが、彼にもナチの中に敵がいた――秘密国家警察ゲシュタポは、ハヌッセンのユダヤ人としての出自を知っていた。 

 

・ハヌッセンが19331月に、ヒトラーの占星図から運勢を読み取り、今月30日にドイツ政権を掌握すると正確に予言したとき、内部情報を入手していたにちがいないとの声が上がった。同じ批判は翌月にももちあがったが、その時ハヌッセンは驚くべき公表をしたのだった。226日付の新聞にその言葉が引用されている――「共産党員による血も凍る犯罪が起こる。燃え盛る炎が見える。世界を明々と照らす恐るべきたいまつが見える」。翌日の夜、予言は、国会議事堂放火事件という恐るべき形で現実のものとなった。ナチスは当然のことながら、共産党員がベルリンの国会議事堂の建物を焼き払ったとして非難したが、じつは左翼勢力一掃の口実として、ナチみずからの指示で放火されたのはほぼまちがいなかった。

・ハヌッセンが予言するにいたった経緯は、依然謎のままだ。交霊会の席上、同僚の霊媒師マリー・バウトラーが実際にその予言を行なったという憶測もある。いずれにしても、放火のニュースを事前に大々的に言いふらしたとして、激怒したナチ党員がいたことは明らかだった。数日後、ハヌッセンは公演へ出掛ける途中、取り押さえられ、自分の車の中に押し込まれた。その後、ベルリン郊外の森の中で、銃弾の穴だらけになった彼の死体が見つかった。

<近代の預言者ジョセフ・スミス>

1823年の17歳のスミスは、寝室で祈りを捧げているとモルモンという名の天使が現れて、その天使から地上に神の教会を復興するために選ばれた人間であると告げられた、と宣言した。4年後近くの丘で、その天使がスミスに、見知らぬ書体で「改心したエジプト人」と刻まれた黄金板を手渡した。黄金板と一緒に、ウリムとトンミムという2つの石も授かり、その石はスミスに言語を翻訳する不思議な能力を与えた。

 

1830年に出版されたスミスの努力の結晶は『モルモン経』で、行方が分からなくなったイスラエルの部族の運命が綴られていた。その部族は、キリスト降臨の何世紀も前にアメリカへ移住したという。この新しい啓示の預言者として、スミスは12使徒の身分に備わる権利も付与され、教会を設立・運営して、布教活動をする権限を神から授かった。

<約束された土地の幻視>

・物故した指導者ジョセフ・スミスに霊感を受けたモルモン教徒は、約束された土地を求めて集団移住を続けた。それを指導したのがブリガム・ヤングだった。18477月ヤングは、わずかな一団を山の上へ連れていき、そこから眼下に広がるソルトレークの谷の雄大な風景を眺望した。ヤングは、ここが選ばれた土地であると宣言し、ノーヴーでの幻視体験で、スミスが自分に自分たちが今いるこの山を示し、その山陰に理想の共同体を建設するよう指示したと主張した。今日エンサイン・ピークとして知られるその場所は、現在のソルトレークシティーの真北に位置している。

<ノストラダムス>

・ノストラダムスは世界の誰もが知る大預言者であり、世俗的な予言者である。だが、依然謎めいた存在だ。霊を呼び出す祈祷についていくらかほのめかしただけで、ノストラダムスは自分の予言法を秘密にした。ノストラダムスのような予言の伝統はこれまで存在しなかった。この予言者がどんな偉業をなしとげたか確かなところは誰にも分からない。

・高尚な思想家の代表は、学者で修道士のロジャー・ベーコンで、600年先に登場するエレベーターや飛行機を予見した。一方、自然児には、チェシャー州の阿呆ロバート・ニクソンやアメリカの「眠れる予言者」エドガー・ケーシーといった人物がいる。ロバート・ニクソンの千里眼の能力は、まったく自然発生的で制御不能だった。エドガー・ケーシーは、1960年代にアトランティス島の一部が海底から再び姿を現すと信じていた。

<眠れる予言者>

・アメリカの西部地域で大地が割れるだろう。日本の大部分は海中に沈没するにちがいない。ヨーロッパの高緯度地方は一瞬のうちに変貌を遂げるだろう。アメリカの東海岸沖に大陸が出現するだろう。

19341月にエドガー・ケイシーが、トランスで予言した大規模な地殻変動にかんする予言。実現しなかった。

・近年いささか評判が下降気味とはいえよく知られた予言者に、エドガー・ケーシーがいる。

・ケーシーは1877年、ケンタッキー州ホプキンズヴィル近郊の農家に生まれた。7歳か8歳のとき、森間の空き地に座っていると、まるでおとぎ話のように、眩い光が差してきて、どんな才能を授けて欲しいかとたずねる声が聞こえた。ケーシーはヒーリングの天分を望み、以後驚異的な治療の力をもつようになったといわれている。

・人々の話では、ケーシーは献身的な治療師で、患者に大いに役立ったという。それに比べ予言者としての記録は、今日色褪せて見える。生前は、1929年のウォール街の株価大暴落と第2次世界大戦を予言した人物として知られた。

・『超人ケイシーの秘密』は、1930年代中葉にケーシーがトランス状態でその概略を述べた、地球物理学上の物々しい警告の数々に的を絞って紹介している。警告は、地球が19581998年の間に、一連の大規模な地質学的大災害に見舞われることを示している。地球の極性軸が移動し、その結果地殻変動が起こって、大々的な規模で土地の移動を引き起こす。サンフランシスコは破壊され、カリフォルニアは大洋の中へ滑り落ち、北ヨーロッパや日本の大部分も同様となる。ニューヨークも最終的には破壊される。そしてケーシーは自分が2100年に地球へ舞い戻り、かつてマンハッタンだった瓦礫の中に降り立つ幻を見た。

・言うまでもないことだが、こうした出来事は現実には何一つ起こらなかった。そのうえ幸いなことに、もう一つの予言も実現しなかった。それは1999年に三度目の世界大戦が勃発し、文明の終焉が訪れるというものだ。

 ケーシーは、自在にトランス状態に没入するという、稀有な才能をもっていたかもしれないが、出版された予言の証拠を見るかぎり、潜在意識の幻視は未来へ直接つながる確かな道筋をもっていなかった。

<ポキプシーの千里眼>

・年月がたつにつれて、その名声が凋落してしまったアメリカの予言者に、もう一人「ポキプシーの千里眼」の異名をもつ、アンドルー・ジャクソン・デーヴィスがいる。エドガー・ケーシー同様、デーヴィスは幼少期に幻視を体験し、予言者としての道を歩み始めた。

・その想像の産物は、初期の機械文明のものと酷似していた。馬がなくても走る客車、プレハブ方式の建物、表音綴り字、それに、ピアノが曲を奏でるように、即座に人の着想を印刷できる装置――これはコンピュータを予想したなかなかの描写といえる。だが、デーヴィスは重大なミスも犯した。未来の生活は火星、木星、土星で営まれるだろうと考えたのだ。今日、彼の著作はほとんど読まれていない。

<太平天国への血塗られた道>

・西洋と同じく、中国にも千年王国を信じる革命家の伝統がある。そうした革命家は、危機の時代に地上に楽園を創設すると約束してきた。だが、洪秀全ほど社会に甚大な結果をもたらした革命家はいない。太平天国を創設する試みは19世紀中葉、中国中部の大部分を荒廃させ、推計2000万人もの人々が亡くなった。

 洪秀全は広東港に近い中国南部の貧農の出身で、両親は当時出世コースだった難関の官吏登用試験、科挙に合格することを望んでいた。ところが、秀全は試験に何度も落第してしまい、三度目の試験に落ちた後は村へ帰る途中、精神衰弱に陥り、数日間譫妄状態に苦しむありさまだった。意識が朦朧とするなか幻視を体験し、その幻が長い間記憶に留まることになる。

 

・幻の中で秀全は、髭の紳士の御前にいた。竜の図柄の裾の長い黒衣をまとい、つばの高い帽子をかぶったその人物から、自分の父だと告げられる。父は、地上の民に命を与えたのに、民は悪魔に導かれ道に迷っていると嘆いた。不正を正すべく、秀全に宝剣と金璽を授けた。秀全が悪魔排撃に乗り出すと、兄は金璽を高く掲げ、その輝きで悪魔の目を見えなくした。敵が降伏するや、秀全は再び天に迎えられ、父から道徳の教えを授かると、下界へ戻って人心の浄化を貫徹する使命を課された。

 

・やがて、秀全は健康を回復し、帰郷すると学校の教師になった。そのわずか6年後のこと、あるキリスト教宣教師が書いた『観世良言』と題された布教用冊子を偶然目にする。この冊子を読んだことが、秀全の人生を一変させた。たちどころにあの不可解な幻の意味を、キリスト教の教義に見出した。父はキリスト教の天帝であり、悪魔退治に加勢してくれた兄はイエス・キリストだったと悟った。そして自分自身は天帝の次子であり、神聖な使命をゆだねられたのだ。中国にキリスト教を広めるだけでなく、国家を支配している悪魔を一掃するという使命を。

 霊感を得た秀全は、布教活動に乗り出した。その煽動的な言説に、人々は熱心に耳を傾けた。

<太平天国の乱>

 ほどなく秀全は、おもに貧困層の間で支持を集めただけでなく、政府に不満をもつ学生や重税に苦しむ農民や商人からも多くの支持を得た。一団は1851年、南部の永安市を占領し、ここを拠点に秀全はみずからを「天王」と宣言し、運動の目的は清朝打倒と偶像破壊であると布告した。

 1853年、洪秀全率いる太平天国軍は南京を手中に収め、その勢いは50万の軍勢に膨れ上がり、洪秀全は野望を達成できるかに見えた。1856年、清朝がイギリスの起こしたアロー戦争に巻き込まれて以降、ますます形勢有利が濃厚となった。

<ユートピアとその仲間たち>

・歴史的に見ると、未来にかんする合理的な考察は、いわゆるユートピア小説という形式で存在してきた。ユートピア小説は、著者の社会とは時代も場所もへだたった想像上の社会を描く。このジャンル名は、1516年に出版されたトマス・モアの小説『ユートピア』に由来する。

<共産主義の先駆的存在か>

・モアの『ユートピア』は農業国家であり、財産は共有化され民間企業は禁じられている。個人のちがいは社会階級ではなく、役職と長所に基づく。ユートピア島は各農場が中央をぐるりと囲むように建設され、どの農村の世帯にも40人以上が暮らしている。毛沢東の中国とは異なり、ユートピア島では農業集団は世帯で組織されている。労働時間は毎日6時間に制限され、自己改善に励む人々のために早朝に公開講義がある。食事は皆で集まって、啓発的な書物の朗読を聴きながら行なう。都会と農村の労働者を定期的に入れ替えることも行なっている。都会の人々が、土地に対する帰属意識を失うのを防ぐためだ。

・富や虚栄はあらゆる種類がさげすまれる。ユートピアでは、貴金属の人気が下がるよう、しびんは金や銀でできているし、宝石は子どもの遊び道具と見なされている。宝石で飾り立てた外国の大使が到着したとき、「まだ小さな子どもであるかのように」見えたため、嘲笑で迎えられた。衣服は質素で、見た目より耐久性重視で作られている。賭博はご法度で、弁護士も禁止されている。「言葉の駆け引きが減るので、それだけ真相も早く明らかになる」。恋人たちは、セックスの相性が悪くならないように、結婚前にお互い裸の自分を見せることが奨励される。しかし、婚外の性交渉は重罪を宣告され、罪を犯した者は「もっとも厳しい奴隷刑」に処せられる。

・しかし、その他の点でユートピアは、毛沢東思想とは著しく異なっている。生活の中心に宗教があり、信仰は理にかなったもので脅迫的なものではない。

<予言された全体主義>

・ベーコンと同時代に生きたイタリアのトンマーゾ・カンパネッラも、科学の可能性に魅せられた人物だった。カンパネッラの場合は、その情熱がやがて危険なものとなる。ドミニコ会の修道士だったカンパネッラは、新しい思想に関心を持ち、キリスト教会と対立を引き起こす。過激な思想から窮地へと追い込まれ、異端審問で有罪とされ27年に及ぶ獄中生活で、自著でもっとも有名な『太陽の都』を執筆する。

・カンパネッラが受けた苦難に照らして、彼の理想の都市がじつはひどくつまらない場所だというのは、大きな失望といえる。東洋のどこかの丘の上に建設された「太陽の都」は、修道院のような政策方針で運営されている。統治者は厳格な哲学者の「形而上学者」で、博覧強記であることから選出された。「形而上学者」には、3人の補佐官がいて、役職名はそれぞれ「力」「知恵」「愛」である。

 

・これらの人物が、市民生活をほぼ完全にコントロールしている。市民は私有財産に執着する危険を避けるため、命令で6カ月ごとに転居しなければならない。全員、まったく同じくるぶしまである白い長服を着る。服は月に一度洗濯し、年に4回取り替える。セックスは個人の快楽のためではなく国益のためのもので、厳しく管理されている。行政官が優生学の見地から、どの人がどの人と枕を交わすべきかを決定する。たとえば均整の取れた子どもが生まれるよう、太った男は痩せた女と、痩せた男は太った女と組み合わせるといった具合に。占星学者と医師が相談して、性交に最適な時間を決定する。「食物が完全に消化し、お祈りを済ませた」予定時刻に、幸運なカップルは寝室へと案内される。その部屋には「偉人たちの美しい彫像が並び、それを眺めながら、女性たちがよい子宝に恵まれるよう主に祈る」具合になっている。

・さらにカンパネッラの独創的な着想として、物語の都市の壁は芸術作品で装飾されている。数学の公式からさまざまな形の動植物まで、あらゆるものが描かれ、その傍らに解説が添えられている。楽天的にもカンパネッラは、どこもかしこも教育めいた広告で囲まれれば、子どもは10歳までに教育を完了できると考えた。少なくとも男子市民は「一番骨の折れる仕事が、一番賞讃に値する仕事と考えられている」ので、それ以後子どもは、逃れられない労働に明け暮れる人生を心待ちにするようになる。

 どんなに良心的なつもりで書いたとしても、太陽の都が全体主義であることに異論の余地はない。そして、全体主義の予言が現実のものとなるにつれて、総じて理想社会ユートピアは魅力を失う運命にあった。

<ガリヴァと火星の月>

・見事に的中した予言が、空想世界を描いたジョナサン・スウィフトの最高傑作『ガリヴァ旅行記』に登場する。この小説は1726年に出版された。空に浮かぶラピュタの、未来を先取りした科学を描き、スウィフトは、ラピュタの天文学者が「火星のまわりをまわる2つの小さな星、つまり衛星」を発見したと述べている。火星の2つの月フォボスとダイモスが最初に観測される、150年以上も前のことだ。2つの月は1877年、ワシントンDCのアメリカ海軍天文台に勤務していたアサフ・ホールが発見した。さらにスウィフトは具体的にこう述べた――2つの衛星は、それぞれ惑星の直径の3倍と5倍の距離の軌道で惑星のまわりをまわっており、一周にかかる時間は、それぞれ10時間と21.5時間である。実際には、公転半径が、惑星の直径のおよそ1.5倍と3.5倍であり、公転周期が、8時間と30時間である。

<ジュール・ヴェルヌと科学技術に馳せる夢>

・ヴェルヌが好んだ旅行手段は、想像力だった。科学者ではなかったが、当時の科学の進歩が切り開く可能性に心酔していた。ヴェルヌは時代の科学的知識を投影し、未来に何が待ち受けているか、驚くほどはるか先のヴィジョンまで思い描くことができた。

<フィクションの中の予言>

・ヴェルヌの予言は長大だ。一部にはこれから実現するものもある。1863年に第1『気球に乗って5週間』を出版したときから、ヴェルヌは飛行の可能性に創作のひらめきを得てきた。1886年出版の『征服者ロビュール』の物語の中心は、空気より重い飛行機械である。英雄は、その乗り物の製造に成功しただけでなく、快適に陸海空を走れる機械も発明する。『海底2万里』のノーチラス号は外洋航行可能な潜水艦で、その種の船舶を実際に建造できる科学技術が存在する。何十年も前に想像された。最初の原子力潜水艦登場の1世紀前のことである。

 

・ヴェルヌの想像力の産物の多くは、もっと最近の技術革新も予知していた。ある小説では、町議会議員がテレックスとEメールの機能をあわせもったようなシステムを使って、家庭にいながらにしてお互いに意見を交換する。ヴェルヌはエレベーターや動く歩道も予知し、「つねに室温が一定の」冷暖房装置が備わった、高度300メートルの摩天楼も思い描いた。

・晩年に向かうと、ヴェルヌは科学技術の悪用に関心が強くなる。1895年出版の『動く人工島』や死後出版された『サハラ砂漠の秘密』のような小説の中で、ヴェルヌは全体主義社会を予見した。テクノロジーが人々を解放するためではなく、奴隷にするために使われるのだ。破砕性爆弾、ミサイル、電波を流す拷問器具といった恐怖の数々が、ページのあちこちに登場する。そして悲しいことに、テクノロジーによるヴェルヌの若い頃の理想主義的な解放の夢が、先見性に優れていたのとちょうど同じように、この悲観主義的な悪夢も、まさに現実を洞察したものであることが判明した。

2889年のアメリカ>

・ヴェルヌのあまり知られていない著作の一つに、1889年アメリカの雑誌に掲載された一文がある。1000年後のアメリカの生活がどのようなものか、面白おかしく予言したものだ。まだヨーロッパ列強が、世界に君臨していた時代に執筆したにもかかわらず、ヴェルヌには、すでに超大国アメリカの姿がありありと見えていた。アメリカ大陸全土を支配下に置くだけではなく、イギリスを植民地にしていた。

・未来のアメリカ国内では、メディアの大事業家たちが「音声によるジャーナリズム」の帝国の最高位に君臨していた。ヴェルヌは、放送メディアを予見していたのである。さらに、遠く離れている人々が、お互いの顔を見て話ができる「音声写真電送機」と呼ばれる、ウェブカメラに似た装置も予言した。だが、環境にかんする予見はおおかたまちがっていた。ヴェルヌは、巨大広告が光線で空に映し出される世界を予見していたし、ものすごい田舎でさえも電線が巨大なクモの巣のように縦横に張りめぐらされると考えていた。

『カリスマへの階段』

 (コリン・ウィルソン) (青土社)1996/3

<多くの宗教の教祖には、天使との神秘体験があるようだ>

・モルモン教は、ヴァーモンド州生まれの農夫の息子ジョセフ・スミスにより1805年に創始された。スミスによると、モロニという天使が1823921日の夜に現れて、アメリカの原住民の歴史が刻まれた黄金の板一揃いが埋まっている場所―ニューヨーク州パルミラから6キロの丘の中腹―を教えてくれた。スミスが最終的にこれを発掘するのは、1827年のことになる。最初の弟子―農夫マーティン・ハリス―が寄付した50ドルで余裕ができると、スミスは銀の眼鏡「ユイリムとトウミム」の助けを借りてこれを翻訳し、1830年に「モルモン経」として出版した。(黄金の板は、天使モロニへ戻されたので、スミスのほかにこれを見た人間はいない。ただし、スミスは、その一部を紙に書き写し、弟子ハリスに命じ、これをアントンというニューヨークの学者に鑑定させたところ、文字は本物との回答が得られたと言う。)「モルモン経」の一部の「レヒの書」は弟子ハリスの妻により悪魔の作として火に投ぜられた。

・「改良エジプト語」で書かれた「モルモン経」は、5世紀にバベルの塔からやって来たヤレド人の入植からアメリカの歴史を述べると語っている・・・・・イエス・キリストは十字架で死んだ後にアメリカに現れて福音を説いた。

誰もスミスも詐欺師と信じて疑わない。


by karasusan | 2016-10-11 15:59 | UFO | Comments(0)