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第1印象は巨大な男で、身長180センチほど、肩幅90センチほどもあって、体重はおそらく130キロはあるだろう。頭からつま先まで焦げ茶色の、先端が灰色の毛で覆われていた。(1)

『未確認動物UMAを科学する』

モンスターはなぜ目撃され続けるのか

ダニエル・ロクストン 、ドナルド・R・プロセロ  学同人  2016/5/21

<ジョージア州の「ビッグフット」>

200879日、インターネットやテレビのメディアは、政治のニュースや有名人のスキャンダルといったいつもの記事と並んで、ジョージア州北部の森でビッグフットの死体を見つけたという2人の人物の記事で大騒ぎになっていた。

・そうして多くのビッグフット「専門家」に、この生物の実在を証言することで、ウォーホルの言う「15分間の名声」をもたらした。

・結局、815日、ビスカーディ、ダイアー、ホイットマンは、記者会見を開き、氷漬けされたビッグフットの死体を検証用に展示した。標本が解凍されてみると、死体は本物ではなく、ハローウィン用のゴム製サスカッチのコスチュームに偽物の毛をつけたものに詰め物をして、ビッグフットに見えるようにしたものだった。ダイアーとホイットマンはすぐにその発見がまったくのいんちきであることを認め、アトランタのWSBテレビに対して、「コスチュームはインターネットで買い、それに道路で轢かれた動物の死体と食肉処理場の廃棄物を詰めた」と話した。

 嘘が明らかになると、主要メディアでは話は立ち消えになったが、ビッグフット「研究家」世界の人々は、この大失敗をめぐっていがみあっていた。

ビッグフット あるいは伝説のサスクワッチ

<人食い鬼>

・『ビッグフット、その他謎の霊長類の野外観察案内』という本は、サスクワッチ支持の、変わっているが興味深い本で、世界中の目撃証言に伝えられる、人間に似た様々な生物を数多く記述しようとしている。現代の目撃者はきまってビッグフット的な生物を、身長が3.6メートルか4.5メートルか6メートルと伝えていることを知ればきっと驚かれるだろうが、多くの読者は、この案内の著者が、怪物グレンデル(アングロサクソンの叙事詩『ベオウルフ』に登場する)を、「謎の霊長類」として載せていることを知れば、のけぞるかもしれない。これはとんでもないこじつけに見えるが、重要な真実をつきとめる助けになる。つまり、人類型モンスター、人食い鬼、野人の空想物語は「ビッグフット」の標準的な姿が登場するより何千年も前から、ほとんどすべての文化に共通だったということだ。巨人伝承が人間の物語に普遍的な特色であるというのは自然なことで、要するに、巨人はいちばん簡単に想像できるモンスターなのだ。つまり、人間自身を大きく、強く、野生化すればよい。

 アメリカ先住民は、世界中の他の民族と同様、人食い鬼や野人の物語を語る。今日、多くのビッグフット・ファン(ビッグフッター)は、こうした古くからの物語を、逆に現代のビッグフットの概念に結びつける。

・ビッグフッターは、人食い巨人の話とおとなしいビッグフットの話とのずれを、必要に合わせて別の隠れた霊長類の種を考案するだけで解決することがある。ローレン・コールマンは、「北米東部では、人間に似た毛むくじゃらのヒト科の特定の変種が存在すると言われている。これは攻撃的な行動を見せる………少数の人間様動物研究者が、この未知の霊長類を「のっぽ」あるいは「顕著人類」と名づけているし、「東部ビッグフット」と書いた人もいる。はっきりしていそうなものは、実際には典型的なビッグフットの東部の地理的品種で、もしかすると亜種である」と書いている。

<目撃事例集>

<ウィリアム・ロー —―史上最も重要なサスクワッチ事例か

・ハリソン・ホットスプリングでのメディアの過熱が収まる頃、ウィリアム・ローという新たな目撃者が、今までは最初の現代的サスクワッチ目撃例と認識されている劇的な話を携えて報道機関へ向かった。

事実上、ローの接近遭遇談が現代的なサスクワッチを生み出し、この未確認動物に、現在の標準的な外見と行動を与えた。

1印象は巨大な男で、身長180センチほど、肩幅90センチほどもあって、体重はおそらく130キロはあるだろう。頭からつま先まで焦げ茶色の、先端が灰色の毛で覆われていた。しかし近づいてくると、乳房があったので、雌だということがわかった。腕は人間の男の腕よりも太くて長く、膝のあたりまで届いていた。足は人間の男よりも横幅があって、爪先で幅が13センチほどあり、かかとに向かってぐっと細くなっていた。歩くときはかかとから下ろしていて、足の裏の灰褐色の皮膚あるいは獣皮が見えた。……頭は前頭部より後頭部のほうが高くなっていた。鼻は横に広く低かった。唇と顎は鼻よりも前に出ていた。しかし、顔の中の口、鼻、耳のまわりの部分だけを残して覆う毛のせいで、人間というより動物の方に似ていた。その毛は、後頭部のものでさえ、23センチ以上の長さのものはなかった。首も人間のようではなかった。私が見たことがあるどんな人間よりも太くて短かった。

<ロジャー・パターソンとボブ・ギムリン――ビッグフット映像>

19671020日、ロジャー・パターソンとボブ・ギムリンというカウボーイが、ビッグフットの写真を撮りに森へ入り、すぐに撮ってきた。

 カリフォルニア州北部ブラフクリーク、つまり数年前にレイ・ウォレスの建設現場で見つかった巨大な足跡から「ビッグフット」伝説が始まったのと同じ土地の明るい秋の日中に撮影された、ぼやけた手持ち撮影の16ミリフィルムは、砂利だらけの浅い川をしっかりとした足取りで渡っていく毛むくじゃらの2足歩行の人のような姿を示していた。雌のサスクワッチと言われた(その胴に大きな乳房らしいものがあったことから推定された)この大柄な生物は、倒木、灌木の茂み、木々、堆積物の向こうへと去った。歩くときに、撮影者に向かって威嚇するように振り返った。

・もう1点。パターソンはビッグフット映像で大いに稼いだ。捏造したくもなると言えるほど稼いだすればかどうかは主観的なことだが、ふだんは金欠だったパターソンからすれば、明らかに大収穫だった。パターソンの兄弟の回想では、「ある日、映画で手に入れた10万ドルの小切手を取り出して見せていた。その当時には相当な額だった」

 映画を売り出して配給するために、パターソンは義理の兄弟のアル・ディアトリーと組んだ。ディアトリーは、パターソンのフイルムから長編なみの映画を作るための資金を集め、巡回興行にかけた。町から町へ移動し、映画館を賃借りして、私的に上映して稼ごうということだった。毎回、一大イベントとして上映を大々的に宣伝して、劇場を有料の観客で満員にした。

<目撃談>

いずれにせよ、何千という人々が、ビッグフットを見たと言っているという事実が残る。誰もがその目撃者の多くは嘘は言っていないことを認める。では目撃者は森でいったい何を見たのだろう。

 決して解決されない場合も多い。私は目撃報告全体を「データベース」と呼ぶ慣習に従ってきたが、この慣習は目撃報告の根深い混乱を覆い隠している。数十年もかけて愛好家によって集められた遭遇談は、並外れてばらつきが大きい。そのため、合成してビッグフットを構成したり、有益な統計学的情報を抽出したりする試みが失敗する。

 まず、多くの報告が断片的だ。

<見聞違い>

・ビッグフットに遭遇したという目撃者の話にある根本的な問題点の一つは、人は話をこしらえるということだが、人は間違うというもっとも大きな問題もある。グローヴァー・クランツが記すところでは、「十分な想像力があれば、同じような大きさ、形のどんな対象でも、サスクワッチと見ることができる

・ビッグフットの熱烈なファンが示す典型的な反応では、間違いやすい類似があることはあっさり否定される。「この可能性が否定できない場合はあるが、サスクワッチ、熊、ハイカーが違うことは見るからにわかる」と、クリストファー・マーフィは書いている。ジョン・ビンダーナーゲルはこう断言する。「アメリカクロクマもハイイログマもサスクワッチと誤認される常連ではあるが、そういう場合はまれで、1秒、2秒と続く目撃例や遭遇例ではありそうにないのではないか」。

間違いはあるものだ――原野に入って行く誰にでも。見るときの状況は変動し、理想的な状況はない。時刻、季節、周囲の茂り方、天気、人間の側の違い(眠さ、経験、予断、恐怖、視力など)、すべてが一体になって、人の目撃者としての信頼性を下げる。人間がたとえわずかでも間違いうるかぎり、あとは数の問題だ。十分な時間があれば、見る回数も十分になって、ひどい間違いを生むことになる。北米で毎年、何百万という人が動物を見る。幹線道路を横切る鹿、ごみ捨て場をあさる熊、樹木の間を移動する形のよくわからない何か。北米にいる人々は誰でもビッグフットがいるかもという考えを知っているので、動物を目撃する総数が莫大となれば、その中にはサスクワッチと遭遇したという話が出て来ることは、この世にサスクワッチがいなくても、ほぼ確実である。

<足跡>

・今度は「ビッグフット」という当の言葉をもたらした証拠の話だ。巨大な足跡が北米のあちこちで(もちろん世界中でも)見つかっている。ジョン・ミューズは、この説得力のある痕跡の証拠がなければ、サスクワッチは伝説、嘘、幻想の類の中に放り込んでもいいかもしれないが、「そうした手軽な説明のいずれも、地面についた窪みにはあてはまらない。何かがそれを作ったとせざるをえない」と考える。アニメで見られるような明瞭で巨大な足跡については、2通りの説明しかない。人間による捏造か、本物のサスクワッチによるものか。

<毛髪とDNA

・ビッグフットのことを初めて考える多くの人々にとっては、答えは明らかに見える。ビッグフットの毛髪やDNAを調べればいいではないか。サスクワッチの毛髪、糞、体液は、かなりの回数、採集されている。実際、多くの有望な試料が専門家によって分析され、DNA配列を読み取られている。

 今までのところ、すべて不合格だった。がっかりする結果だが、悪い話はそれだけではない。ビッグフッターが本物のサスクワッチの毛髪をいくつか発見したとしても、その毛髪を検査すれば謎は解決というわけにはいかない。

<捏造>

ビッグフット研究にとって大問題なのだが、捏造は必ず起きるさらに悪いことに、ビッグフット神話の展開全体にわたり、それがあたりまえだったし、今もそうだということだ。基礎となる事例のほとんどはおそらく作為だったし、足跡の例や目撃者の話は大部分が捏造だった。

 基準標本がないので、サスクワッチは2本の柱のみで支えられる(また定義される)。花形の事例とそれ以外のすべてである。いずれかのレベルでデータベースに捏造が混じってしまうと、ビッグフット支持者にとっては壊滅的な問題となる。支持派にはきっぱりとした選択がつきつけられる。サスクワッチ仮説を捨てるか、まったくの憶測や信仰に依拠するか、データベースから捏造を追放するための本格的な努力をするか。

<いたずらの分離>

・偽造の中には、本人の地位を高めるためのものがある(ビッグフットを探せば必ずあまりにも見事すぎる証拠を発見する場合など)。ただのギャグという場合もある。金儲けのための場合もある(ロジャー・パターソンとボブ・ギムリンによる映像の捏造と思われるものに唱えられている動機)。偽造がいわゆる「花ゲリラ」、「フラッシュモブ」、ある種の「落書き」になぞらえそうな場合も珍しくない。つまり大胆さと見る者を当惑させることが特徴の匿名のアート作品ということだ。

 偽造する人の多くは、超常現象研究家がばかに見えるようにしようと、あるいは研究者やメディアの方法論にある欠陥を暴露しようと意図的に試みている(見る立場によって、破壊的だったり建設的だったりする)。このジャンルで広く取り上げられた例が、1988年にあった「カルロス」の捏造で、オーストラリアの報道メディアが、アメリカからニューエイジのチャネラーとされる人物が到来したことを知らされた。実際には懐疑派の著述家ジョームズ・ランディによる芝居のために雇われた大道芸人だった。メディアによるカルロスの報道は懐疑的な調子だったが、これを報じたオーストラリアの大手報道メディアで、この超能力芸人について何らかの経歴調査を相当な注意を払って実施したところはなかった。そうしていれば、この人物がまったくの虚構であることがすぐに明らかになっていただろうに。このことは、CBSのドキュメンタリー番組「シクスティ・ミニッツ」オーストラリア版でランディの協力者が全国放送で捏造を暴露したとき、大きな困惑をもたらした。怒った人も多かった。

・この種の捏造検査(「客のふりをした覆面調査員」とか「おとり」の捏造)は、ビッグフット界ではよくある。ランディが「カルロス」の芸につぎ込んだほどの資源はいらない。煉瓦職人のレイ・ピケンズが1971年に何度か偽造のビッグフットの足跡をつけた話を思い出そう。必要なのは、靴につけた木製の足だけだった(これはささやかな復讐だった。あるビッグフット研究者がピケンズやその友人を「田舎者」と言ったとき、ピケンズは最初の偽の足跡を作ろうという気になったという)。もっと最近の例では、ジョン・ラエルという若い映画人が、2010年、偽のビッグフット動画を作り、それをユーチューブで流した。それが捏造であることが明らかになったのは、ビッグフットが文字どおり急所を蹴り上げられる、わざと子どもじみた形にした続編が出てからだった。私がこの件について尋ねると、ラエルは私に、「『本当に信じている人たち』を騙して、明らかに偽物だとわかるものを本物だと信じさせたかった」と言った。「本当に信じている人々に自分が信じていることにいくらかでも疑問を抱く気になってもらうため」だという。

<ビッグフットの逆説>

ビッグフットの謎の中心には、一つの逆説がある。サスクワッチを見ている人は多いのに、誰も見つけることができないのはどういうことか。これはビッグフットを唱える人々にとっては、きわめて落ち着きの悪いジレンマだ。サスクワッチは居場所をつきとめられないほど少ないのか。それならば、見る人も少ないはずだ。また、ありふれていて広く行き渡っている目撃談はだいたい正確なのか。しかしそれなら科学がとっくに標本を特定しているはずだ。

 支持派には死骸がないことがこの分野の問題の中心だということを承知している。この問題は日がたつごとに深刻になる。サスクワッチ時代が始まった頃なら、懐疑派にもうちょっと待ってくれと言っても通じた。ジョン・グリーンは40年前にこう思っている。「サスクワッチ問題の決着のつきかたとしていちばん可能性が高いのは、狩猟をしている人が一頭しとめることだ」

<●●インターネット情報から●●>

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)より引用

<ビッグフット>

ビッグフット(英:bigfoot)は、アメリカ合衆国・カナダのロッキー山脈一帯で目撃されるUMA(未確認動物)、または同種のUMAの総称である。先住民(インディアン)の間に伝わるサスクワッチ、サスカッチ(英:Sasquatch)と同一視される場合もある(後述)。

概要

身長は2 - 3m、体重は200 - 350kg。二足歩行し、歩幅は1 - 1.5m。足跡は大きなもので約47cm。筋骨隆々で、全身に褐色または灰色の毛が密生している。顔には毛が生えておらず、鼻が低く、目が落ち窪んでいる。強烈な体臭を放つとされる。

「猿人やギガントピテクスの生き残り」などの説が挙げられているが、実在についてはアマチュア・学界問わず、長年の論争がある。アメリカでは広範囲にわたってビッグフットの足跡が報告されており、その石膏型は膨大な数に上っている。学会での高名なビッグフット実在論者には、アイダホ州立大学の解剖学・人類学准教授のジェフリー・メルドラムがいる。メルドラムはビッグフットについて、「私は科学的な証拠によって、この未確認生物が実在していることを確信しています」と述べている。否定派の意見としては「北アメリカに生息するハイイログマの誤認」や「狂言」ではないかとの見解が多数を占めている。猿人説にしても、北アメリカに猿人が渡ってきた化石証拠はなく、説としては論拠が乏しい。

1840年、ワシントン州スポケーンの白人宣教師が、アメリカ・インディアンの間に伝わる「毛深い巨人」についての話を記録している。その巨人はサケを盗み、強烈な臭いを残して去っていくとされる。カナダ西海岸部のインディアン部族は同様の生物をサスクワッチ、サスカッチ(Sasquatch)などと呼んで、現在でも聖なる生き物としている。しかし、それが近年目撃されているUMAとしてのビッグフットと同一のものを指すのかは不明である。「サスクワッチ(サスカッチ)」はコウィチャン族、またはチェハリス族の呼び名で、その意味については諸説あり、ウェンディゴとの関連を指摘する説もある。サリシ族による呼び名の「Sacsquec」は「人に似た動物」という意味である。

『未確認動物UMA大全』

並木伸一郎    学研   2012/2

<ビッグフット>

膨大な目撃例を誇る未確認動物界のチャンピオン

ビッグフットおよびサスカッチの目撃例はそれこそ膨大で、2006年現在で約2400件にも達する。

 この直立2足歩行する謎の獣人に関する報告は、アメリカの歴史と同じくらい古くからあり、記録に残る最初の事件は、18101月に発生している。

 ノースウエスト商事会社の外交員デビッド・トムソンが、オレゴン州ダレス付近のコロンビア川沿いを旅行中、これまでに見たこともない巨大な足跡を発見した。これが記録に残るビッグフットの足跡目撃第1号で、長さが約42センチ、幅は約24センチあった。

<グラスマン>

<目撃地域と形態>

・アメリカ、オハイオ州を中心にケンタッキー州、インディアナ州で目撃される獣人“グラスマン”は、推定体長23メートル、推定体重140450キロ、足跡の長さ3040センチ、ビッグフットによく似ているが、鉤爪状の3本指の足跡も発見されている。

 黒褐色、灰色もしくは白色の体毛に覆われた体は強烈な異臭を放ち、窪んだ赤い目をしている。金切り声を発し、しばしばトウモロコシ畑に出現する。

 知能が高く、草や木の枝で組まれたねぐらを作る。性格は大きな石を投げたり、イヌやシカを殺すなど攻撃的な面がある。瞬時に姿を消すという不思議な能力を発揮した事例も報告されている。ちなみに、グラスマンの名は、草(グラス)でねぐらを作ることからきている。

<正体の研究・考察>

<霊的存在、もしくはエイリアン・アニマル説>

実は足の指が3本という獣人の目撃報告はオハイオ州のみならず、ペンシルバニア州、ルイジアナ州など、なぜかアメリカ東部に集中しているという興味深いデータがある。しかもこれらの地域はUFOの多発地帯だ。

 さらに興味深いことに、アトキンス親子の証言によれば、グラスマンは、その巨体をかき消すことができるのである。そこで浮上してくるのが、“霊的存在”説だ。

 事実、地元の住民の間では、そのテレポーテーション能力や高い知能から、何らかの霊的な存在ではないか、と考えている人が多い。また、グラスマンの出現時、UFOの目撃も多発していることから、エイリアンがUFOに乗せて連れてきた“エイリアン・アニマル”ではないか、という説も唱えられている。

<イエレン>

<目撃地域と形態>

・中国の湖北省の奥地、神農架を中心とする標高1500メートル以上の山が連なる地域で目撃される獣人が、“イエレン(野人)”である。

 成体の体長は1.82メートル。体形は肩幅が広く、上体が発達しておりがっしりとしている。

<人間とイエレンの格闘記録がある>

・イエレンの目撃証言は、記録に残されているものだけで、すでに250件を超えている。それもごく一部の人が、稀に遭遇するのではない。神農架や周辺地区に居住する人間にとっては、「また出たのか」というほど頻繁な話なのである。省都の武漢から西へ走ること約200キロの宜昌から、さらに車で12時間以上という行程の秘境での出来事なので、中央には伝わりにくいだけなのだ。

 だが、実際には目撃報告は現地には山と積まれ、生の声が第三者により客観的に処理されている。

197451日、橋上人民公社清渓生産大隊の副隊長、殷洪発は、山系の林の中へ柴を刈りにいった。作業は順調に進み、人が近づく気配がしたときも、殷は見向きもせず、一心に鎌をふるっていた。

 ところが、何気なく顔を上げた彼は仰天した。長い毛を生やした大男が笑いながら手を伸ばし、彼を捕まえようとしていたのだ。

<イエレンの数々の痕跡や物証が収集された>

・「湖北省西北部奇異動物調査隊」。これが19773月に結成された。イエレン捜索隊の正式な名称だ。

 科学者、解放軍パトロール隊、地元の人民公社員などで構成され、人数は100名を超えていた。12の小隊に分かれた調査隊は神農架に分け入った。隊を待ち受けていたのは、埋もれていた目撃談の数々だった。

 たとえば、急にイエレンに体を強くつかまれ、身動きできなくなった話。ニヤニヤ笑っていたと語る男。スズメやイヌ、ロバの物真似をしていたと真剣に話す生産隊長。「ウーハイ」と叫ぶ、メスの小さいイエレンを見たという証言など、枚挙にいとまがなかったのである。

 調査隊の活動は半年に及び、イエレンとの遭遇こそなかったが、50件以上の毛髪、足跡、糞便の採取に成功した。この収穫はイエレン存在の傍証を固める点で、大きな前進だった。

・最も価値があったのは足跡だった。全体としては人間に似ているが、はるかに大きい。特徴的なのは親指が第2指より30度内側に開いていることだ。また前足の跡がなかったことで、イエレンがクマやサルとまったく異なると断定でき、現代生物学の常識の枠を大きく外れる存在であることが判明したのだ。

<中国科学院は「野人保護」のため調査を非公開に>

・徹底した聞き取り調査により、「イエレンと人間との混血が存在した」という秘話まで聞き出すことに成功した。30歳ぐらいの女性が、山中でイエレンにレイプされ、女の子を生んだというのだ。子どもは成長してもまっすぐ立てず、言葉も覚えず、野生そのままだったらしい。結局24歳まで生きて、事故がもとで死亡したと記録されている。

 その後、中国科学院は調査結果の公表に難色を示しはじめた。なかには「イエレン不存在説」を発表する研究員まで現れたのである。この動きは、イエレンの保護とその人権を認めたからではないか、といわれている。

 やがてイエレンに関する目新しい発表は、ぷっつり途切れ、現在、神農架一帯は外国人の立ち入りが禁止されている。

<化石霊長類ギガントピテクス進化説>

・「イエレンの正体は、進化した“ギガントピテクス”の可能性が高い」

 ヒトとサルの共通の祖先である始祖猿が進化する過程で、枝分かれしたものだというのだ。

<アルマス>

<目撃地域と形態>

・ユーラシア大陸北部の旧ソ連地域。その南部、コーカサス地方で目撃が多発している。人間ともサルともつかない未知の獣人。地元では、直立2足歩行するこの獣人を“アルマス”、もしくは“アルマスティ”と呼ぶ。

<旧ソ連科学アカデミーの調査>

・コーカサス山脈の北部地域、ロシアのカバルダ・バルカル共和国のクンジン村は「アルマスの村」として、現地では知らない者がいないほど有名で、古くから多数のマルマスが目撃されている。

・目撃者のなかには、「1930年代には、この村の近辺に住むアルマスは、すべて村の住民たちと共存共栄してきた」という者さえいるほどだ。

・同村の目撃者たちに関していえば、彼らはアルマスの存在をごくあたりまえのこととして捉えていた。そして、証言はきわめて具体的で、空想的な要素もまったく見られなかった。しかも、彼らが語るアルマスの特徴は、細部にわたって共通しているのである。

<最有力のネアンデルタール人説>

・アルマスは前述のように、目撃者の証言に一致する点がきわめて多いため、具体的な像が描ける。全身体毛に覆われている点では、ビッグフットなどに代表される獣人と同じだが、道具を使える点で大きく異なる。すなわち、アルマスはある程度の知能を有しているのだ。

<ロシアン・イエティ>

・ロシア北部を中心に、各地で目撃される獣人が“ロシアン・イエティ”である。体長約2メートル、燃えるような赤い目、全身に剛毛が生えている。ロシア国内におけるこれらイエティの目撃例は、1917年以降から確認できるだけでも、数千件におよぶという。

<人間との間に子どもをもうけたロシアン・イエティ>

・たとえば、19世紀中ごろに、アブハジア共和国で発見された「ザーナ」という雌のイエティの話は、特筆すべきものだ。なんとザーナは、数人の人間男性と肉体関係をもち、子どもまでもうけたというのだ。そして、ザーナが生んだ子どもたちもまた、人間たちとの間に子どもをもうけたのである。アブハジア共和国の首都スミフから約80キロ離れたトウヒン村に住む人々は、今でもザーナのことを覚えているという。

<ヨーウィ>

・“ヨーウィ”は、サルと人間の中間的な特徴を備えた獣人であり、オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ州沿岸部から、クィーンズランド州ゴールドコーストにかけた一帯に棲息するといわれている。なかでも、シドニー西方のブルーマウンテン周辺は、目撃多発地帯として有名だ。

・原住民のアボリジは「オーストラリア大陸全域で、2種類のヨーウィが存在している」と主張する。ひとつめの、よりサルに近い小型獣人タイプは、草食・肉食両方の食性をもつが、道具を使ったり、火を起こしたりすることはない。そして、もうひとつの大型猿人タイプは、間違いなく火を起こす技術を身につけているという。

<ヒバゴン>

<目撃地域と形態>

広島県比婆郡西城町、同郡比和町、庄原市の中国山地にある比婆山連峰は、比婆山を中心に1200メートルクラスの山々が連なる森林地帯だ。このうち、主に西城町を中心とした地域に出没する獣人タイプの未確認動物がいる。それが“ヒバゴン”である。体長1.51.6メートル。体重は推定約80キロ。

 人間に似た頭部の形は逆三角形で、約5センチ長さの、逆立ってバリバリした茶色の剛毛が生えている。鋭い目つきに大きな耳。手は小さめで、体は筋骨隆々としている。全身が褐色もしくは黒い毛で覆われている。左足をひきずるようにして歩くのが特徴だ。

 知能は人間並みと思われるが、性格は臆病で、人間に危害を加えたり、農作物を荒らすなどの被害は報告されていない。

・ところが、人々がヒバゴンの存在を忘れ去ろうとしていた6年後、今度は広島県の東端、福山市山野町に、再び怪物が出現したのである。

<山野町に新たな怪物“ヤマゴン”登場>

<第3の怪物“クイゴン”登場!>

・その後、広島県御調郡久井町(現三原市)で、新たな目撃事件が起きた。ヒバゴン、ヤマゴンに続く、第3の怪物が出現したのである。

<正体の研究・考察>

<エイリアン・アニマル説>

・余談になるが、19749月から11月にかけて、広島県の東部一帯でUFOフラップ(UFOの集団目撃事件)が発生した。そのため、このヒバゴンがUFOから落とされた“エイリアン・アニマル”ないしは“ペット”だったのではないか、という仮説が一部のUFO研究家の間で唱えられた。一見、荒唐無稽に聞こえるが、実はこれは、突飛な仮説ではない。

 というのも、アメリカなどではUFOの出現と同時に、毛むくじゃらの怪物が現れる、という事件がしばしば起きているからである。なかには着陸したUFOの内部に、怪物が姿を消した、といった事件さえ起こっている。

 ヒバゴン出現のニュースはアメリカにも伝わっており、「ナショナル・エグザミナー」紙は、「ヒバゴンは原爆の副産物だ!」という記事を掲載して、日本に獣人が棲息していたことを大々的に報じている。

 この仮説が単に突飛なだけではない、もうひとつの理由は、広島のUFOフラップが終焉を告げると同時に、ヒバゴンもプッツリと姿を見せなくなってしまったことにある。一考に値する仮設かもしれない。

<カッパ>

・“カッパ”は川や沼、淵に棲息するという、妖怪型の未確認動物だ。北は北海道から南は沖縄まで、この妖怪にまつわる伝説は、日本全土で語り継がれており、古くから実在する生物だと考えられてきた。

<カッパは中国・唐から移住してきた?>

・熊本県八代市を流れる前川の徳淵ほとりには、「河童渡来之碑」がある。この石碑の由緒は古く、5世紀前半の仁徳天皇の時代まで遡るという。

 由来によれば、唐の時代、黄河の上流にカッパの一族が棲んでいた。あるとき、カッパの統領が移住を決心して、一党を引き連れて黄河を下り、日本海に出て、九州の大河・球磨川に棲みつくこととなった。その後、一族は繁栄し、9000匹にも増えたという。

 しかし、数が増えるにしたがい、人間にイタズラをする者も出てきた。そこで肥後(熊本県)の領主・加藤清正は九州中のサルを集めてきて、カッパたちを攻めた。

 さすがのカッパも、天敵・サルの攻撃にあってはなすすべもなく降参したのである。そして久留米の有馬候の許可を得て筑後川に移り棲み、やがて水天宮の使いとなったという。

 このように伝説に彩られているカッパだが、決して架空の存在ではない。その姿を実際に目撃したと語る人々が、数多存在しているのだ。

<ケンムン>

・鹿児島県の奄美大島には、カッパによく似た妖怪タイプの無確認動物“ケンムン”が棲息している。

 この怪物は頭に水の入った皿をのせ、全身が黒、もしくは赤色のサルのような体毛に覆われている。体長約11.3メートル。顔はサル(イヌ、ネコとも)に似て、髪はオカッパだという。まさにカッパもどきの生物だ。

 性格はイタズラ好きで気まぐれ、こちらが何もしなければおとなしいが、悪意をもって攻撃すると、必ず報復してくる。好物は貝類や魚。とくに、魚の目玉を好む。嫌いなものはタコと屁らしい。すみかは主に、ガジュマルの木の穴といわれる。

<キジムナー>

<アメリカ人形のような縮れ毛の怪奇動物>

・沖縄には“キジムナー”と呼ばれる怪奇動物が棲んでいる。人間の小さな子どものような体格で、ザンバラに垂らした真っ赤な縮れ毛、そしてサルに似た容貌など、ケンムンに非常によく似ているが、種類は異なると思われる。

 キジムナーは古木に宿る精霊と考えられている。とくに、ガジュマルなどの老木を好み、川岸や水辺によく出没する。好物は魚介類で、自ら海に潜って漁をすることもある。とくに魚の目玉が好物で、目玉だけがない魚の死骸があったら、それはキジムナーの食べ残しといわれるほどだ。

・また、人によって見えたり見えなかったりもするという。いささか妖怪じみた未確認動物だが、実際にこれを目撃した人は複数存在する。とくに第2次世界大戦前は、沖縄本島のいたるところで目撃されていた

 たとえば前田サエさんは1933年の11歳当時に、キジムナーを目撃した。それは「アメリカ人形」のようで、木の枝からぶら下がっていた。縮れた赤い髪は長く、手はやせ細って、肌が赤く、小さな歯は真っ白だった。

 ところが、いっしょにいたサエさんの友人には、奇妙なことに「その子」はまったく見えなかった。帰宅して母親に話し、サエさんは初めてそれが、キジムナーという怪物だと知ったのである。

<怪し火を現出させるキジムナーの正体とは?>

・那覇市在住の山城善光氏は。日本唯一ともいわれるキジムナーの研究家であり、1982年に『ブナガヤ』という、キジムナーに関する貴重な書を著している(「ブナガヤ」とは、国頭郡大宜味村におけるキジムナーの呼び名)。

 キジムナーは、第2次世界大戦における戦禍と戦後の近代化の波に巻き込まれ、すでに絶滅したと考える人も多いが、山城氏は同書で、ブナガヤ=キジムナーが戦後も目撃されていることから、現在でも山林の谷川地帯にひっそりと隠れ棲んでいると主張してやまない。


by karasusan | 2017-10-30 16:24 | その他 | Comments(0)