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震災後、青森のイタコの元には、死者と「対話」しに訪れる被災者が相次いだという。(1)

『霊魂を探して』

鵜飼秀徳  KADOKAWA  2018/2/22

癒えぬ心の傷、宗教界「相談を」(産経新聞 2012/1/18)>

・「『お化けや幽霊が見える』という感覚が、東日本大震災の被災者を悩ませている」という書き出しで始まるこの1000字ほどの記事は、被災地における霊魂現象と、鎮魂供養を実施している宗教家の活動を取り上げたものだった。全国紙で「霊魂現象」を取り上げるのは異例のことだ

・しばらく後、私は被災地に赴いた。

津波で流された子どもが家を駆け回っている姿を見た

行方不明になっているおばあちゃんが枕元に立って『早く見つけてくれ』と語りかけてきた

 こんな体験談が聞かれた。

 現地では仏教の僧侶やキリスト教の牧師が一緒になって、「鎮魂行脚」を続けていた。お経と讃美歌の声が、混然一体となって被災地に響き渡る。しばらくして、被災地には霊魂現象を調査する研究者や大学生も現れた。

幽霊でもいいから、(亡くなった人と)会いたい」肉親を亡くした被災者は、そう語った。

 震災後、青森のイタコの元には、死者と「対話」しに訪れる被災者が相次いだという。

柳田國男が見出した死後の魂の居場所

民俗学の大家、柳田國男は死後の魂がどのように浄化されていくかについて、以下のような考えを述べている。

 日本人の死後の観念、つまり「霊魂」は永久にこの国土のうちに留まって、そう遠方には行ってしまわないという考えがある。霊魂は死後しばらくはムラやイエのまわりをうろうろしているが、49日をもってホトケとなる。さらに盆や彼岸、正月、年忌など繰り返しの供養を経て、次第に霊魂の「個性」は失われていく。つまり、ケガレの「浄化」である。弔い上げが済めば、霊魂はいよいよ祖霊となる。そして、山のカミとなり、春には山から降りて田に恵みを与え、秋の収穫を迎える頃、山に戻っていくーー。

 こうした、最終的には死者の霊魂は山へ向かう、という考え方を民俗学では「山中他界観」という。よって、山は神域として位置付けられる。

・本土で見られる山中他界観は、琉球地方に行けば、「海上他界観」になる。死者は海の向こうの理想郷、ニライカナイに向かい、我々が生きる社会に豊穣をもたらしてくれるとされる。琉球では死後7代を経て、こちらもやはり祖霊になる。

霊魂観の薄れと寺院消滅の関係

・筆者がつくり出した造語だが、昨今「寺院消滅」とも言われる。地方都市にある寺を維持、継承していけなくなっているのだ。その背景には、都市部への人口の流出(核家族化)、高齢化、死生観の変化、歴史的経緯など様々な要因がある。言い換えれば、現在、日本仏教は構造転換期にあるというのだ。

シャーマンは今もいるのか

霊媒師、拝み屋、カミさま

・宮崎県高千穂町では毎年秋から冬にかけ、夜通しで神楽を奉納する「夜神楽」が行われる。国の重要無形民俗文化財にも指定されているこの神事は、山の神や五穀豊穣をもたらす水源の神、家々の氏神など、様々な神を招く「神降ろし」を舞で表現している。

 地域の神社などで見られる神楽は、「神を楽しませる」との文字通り、神を招き、神と交流する祭りである。この神楽には、生身の人間が依代となって神霊の意思を伝える(神懸かり)の古態を見ることができる。神霊が乗り移るとされているのは、伝統的に巫女である。

・明治初期、国家神道体制を推し進める新政府は神仏分離を皮切りに、修験道や陰陽道などの呪術系雑宗を禁止に追い込んだ。この宗教分離政策は、日本の伝統的な習俗を大きく毀損させるものになった。

 しかし、民間レベルでの呪術・巫術のニーズは衰えることはなく、科学万能主義社会となった今でもなお、各地で宗教的職能者は活動している。青森のイタコ、沖縄のユタはその典型だろう。あるいは祈祷、除霊、霊視を請け負う「拝み屋」「カミさま」などの存在も、しばしば筆者の耳に届けられる。

イタコにすがる震災遺族

2011311日の東日本大震災後は、遺族からの依頼で犠牲者の口寄せをすることも多かった。松田は旅館などの宿泊施設に出張して、口寄せをしたという。非業の死を遂げた肉親の声を聞きたい、行方不明のままの親族が成仏できているのか知りたい――。すがる思いでイタコの口寄せに耳を傾けた被災者は確かに存在した

 それも震災から6年が経過し、今では震災がらみの相談は減ってきた。

残されたわずかな正統派のイタコ

20年ぶりの亡き“母”との邂逅

恐山イタコに長蛇の列

「昭和40年代、青森県内には100人ほどのイタコがおりました。しかし、イタコの世界は高齢化や後継不足で、現在、正当なイタコは6人だけになっています

イタコの発祥の歴史は、実はよく分かっていない。江刺家は、死者の霊魂を呼び寄せる「口寄せ」自体は、縄文時代から存在したのではないかと推測する。

 ここ南部地方で活動するイタコの場合、室町期後期、下北半島を納めた八戸南部氏が、霊場として恐山周辺を整備すると、修験者(山伏)に混じって「お山参り」をしはじめたのが始まりだという。修験者がイタコをめとることも多かった。そのため、修験道とイタコとの間には強い親和性がある。

・その昔は麻疹(はしか)にかかって、失明する子どもが多かった。東北では、そうした子どもでも食べていけるようにと、親や親族が師匠となるイタコを探して、弟子入りさせていった過去がある。

 明治初期には津軽と南部を合わせて、イタコを名乗る盲目の女性が500人はいたようだ。真正のイタコであることを証明する場合、一人前になる時に師匠から与えられる「オダイジ」と呼ばれる守り筒がその証拠になる。松田も口寄せの際には紐でくくったオダイジを背負う。

 こうして見ると、イタコ社会は、社会的弱者の受け皿として機能してきた側面がある。だが、1970年代以降は、麻疹ワクチンの定期接種が実施され始め、麻疹の罹患率が劇的に減少。「イタコになる条件」を備えた女児の絶対数が減っていることもイタコが後継難にあえぐ原因となっている。

・八戸ではイタコのことを「かか様」と親しみを込めて呼ぶ。市内では、半世紀ほど前までは町内に1人はイタコがいたという。地域の寺院や神社のように、イタコはごく身近な存在だった。だから、畏れられる存在というより、「地域の母親」としてイタコは愛され続けた。

 ここで少し、シャーマン(霊媒師)の呼び方について、説明しておきたい。青森では正統なイタコのことを「かか様」のほかにも、「オカミサン」と呼ぶことがある。しかし、この時の「カミ」は「神」ではない。あくまでも「地域の母親」のニュアンスが込められる。

・「今は、DVDなどでイタコの口寄せの映像が手に入るため、その技術をマネしようと思えばできないこともない。イタコの弟子筋を名乗って、首都圏などで口寄せのマネごとをやり、客から何万円も取る詐欺まがいも横行しています

 ちなみにイタコの口寄せの料金は恐山では4000円、自宅であれば3000円が相場だ。

生者にとっての口寄せ

・死者の霊魂を降ろす時の感覚についても聞いてみた。

霊が私の中に入ってくる時の感覚は実は私もよく分からない。なぜなら、口寄せの最中は私の体は自分であって、自分のものではないから。仏様に自分の体を貸しているんです。だから、霊告の姿、形を取るというよりも言葉で降りてくる感覚です。でも時には仏様の姿を視ることもあります。仏様が亡き人を連れてくる………

東日本大震災後は、ある旅館の部屋を借りて一晩中、口寄せを行ったことがあるという。ある男性は、妻と娘を津波で亡くした。屋根伝いに避難したが逃げ切れずに、波にさらわれた。

「苦しかったか」「今、どうしているのか」

 口寄せをしながら、妙海自身も涙を流していたという。男性も泣き崩れ、しばらくは立てない様子だったが、落ち着きを取り戻すと、「もやもやしていたものがあったが、吹っ切れた」と話してくれた。

隆盛を誇る沖縄のシャーマン

沖縄のあちこちにいるシャーマン

・沖縄に仏教が伝わったとされるのは13世紀後半、飛鳥時代の6世紀に仏教伝来した本土よりも、かなり遅れた。その後、15世紀に尚巴志(しょうはし)が琉球王国を樹立させると、時の権力者に庇護されたのが臨済宗と真言宗であった。

 日本本土では17世紀以降、幕府主導で一村一寺体制(ムラの寺)、つまり檀家制度が敷かれていく。檀家制度は現在まで維持されており、多くの寺院は境内墓地を抱えている。本土の寺院の経営基盤は墓地収入である。

 一方、琉球では15世紀から19世紀までの約450年にわたって王制国家が続いた。王国では檀家制度は導入されず、寺は王国から俸禄を受給され、官寺の扱いになった。

「ユタ」とは、沖縄や奄美諸島で古来より活動している民間のシャーマン(霊媒師)である。

 ユタの発祥の時期は不明だが、8世紀とも9世紀とも言われている。ユタは「人々を惑わす」として王国時代以降、4度、「ユタ狩り」の迫害を受けた歴史を持つ。最後の弾圧は昭和初期の戦時体制下で実施された。だが、ユタは戦後も生き延び、近年はスピリチュアルブームの追い風も受け、若いユタが増えている、との情報もある。ユタは、迫害の歴史に見られるように社会的地位は決して高くないため、最近の若いユタは「スピリチュアル・カウンセラー」などと名乗るケースも見られる

・沖縄の宗教的職能者はユタの他にも。ノロ(祝女)がいる。ノロの多くは世襲によって継承されてきた神職(女性祭司)であり、ムラの祭祀を司ってきた存在だ。ノロはユタのように、個人クライアントを見つけて商売をすることはないが、神霊と交流する点では土着の宗教的職能者といえる。

 両者の住み分けとして浄(神の領域)の部分を担うのがノロで、不浄(市の領域)に関わるのがユタとされている。しかし地域差があったり、祭司がユタを兼ねる場合もあったりして、厳密に定義するのは難しい。

地域の相談役、ユタ

・沖縄では「医者半分、ユタ半分」という言葉がある。これは、西洋医学で病気を治療するのは医者だが、ユタの見えざる力によっても身体・精神的に治癒を期待する沖縄の人々の習慣をたとえたものだ。

沖縄のユタは、青森のイタコと比較されることが多い。確かに死者を呼び寄せる「口寄せ」や、「占い」「祈願」を請け負うことは共通している点だだが、霊的な職能を得るための習得過程、その属性、霊界との交信の手法などはかなり異なる。

ユタの場合はある日、突然に「神霊の啓示」がやってくるのだ。沖縄における神霊の存在を説明するのは難しいが、沖縄ではニライカナイ(海の彼方にある桃源郷)の神や、御嶽などに降臨しムラを見守る祖先霊が認められる。祖先霊は墓場にも存在する。

 ここで学問的に整理すれば、イタコは修行・憑依型、ユタは召命・憑依型と分類できそうだ、「召命」とは神の啓示のことだが、召命があるのがユタの特徴だ。

 この神霊の啓示を、「カミダーリ(神垂れ、神懸かり)になった」などと言う。カミダーリになった者は唐突に奇声を発し、あるいは踊り狂うなどの身体異変(トランス状態)を示す。親や親しい人間が心配になって病院に連れて行くが、一向に解決しない。そこで、ユタのところで見てもらうと、「この子はユタになる運命だ」と告げられる――。

・カミダーリになった場合、それを無視することはできない。ユタになることを拒み続ければ、体はますます不調をきたし、状態はさらに悪くなる。若者の場合は、数年間の「保留」は可能だが、いずれはユタにならなければならないという。ユタになることを受け入れ、神霊の指示のもと、聖地を巡るなどするうちに、体の調子は自分でコントロールできるようになっていくという。

ニライカナイに最も近い神の島

・久高島は、ニライカナイに最も近いとされる聖地である。

 琉球最古の歌謡集『おもろさうし』には、女神アマミキヨが登場する。アマミキヨは、太陽神から下界に降りて島づくりをするよう命じられた。女神が最初に降り立ったのがここ、久高島だ。最初に、久高島をつくり、さらに沖縄本島に聖地をつくった。

・絶えて久しい久高島のノロ。ノロだけではない。祭祀を続けている神女の高齢化も進み、このままでは行事もいずれ絶えてしまう憂き目にある。

 ところが2008(平成20)年、久々に久高島が沸き立つ出来事が起きた。

 普段は島外で暮らしている当時24歳の島出身のある女性が、島行事に出席するために帰省した。祭りの日に、体に変調が起き、トランス状態に入った。この女性は古くからの島言葉を知らなかったが、伝統的な久高の言葉を使って神の歌を歌い始めた。神女らは、「ファガナシーが憑依した」と驚き、喜んだという。

 ファガナシーとは久高島の始祖神とされ、神女に憑依すると考えられている。次回、イザイホーが再開されるかどうかは不明だが、島ではこの女性を次代の、祭祀の担い手にすべく手厚く教育をしているという。

 落日近い久高島の神人の伝統。だが、神が息づく島であることはいつまでも変わることはないだろう。

アイヌのシャーマン、トゥスクル

暗闇の中、トゥスクルの家を訪ねる

北海道のアイヌには「トゥスクル」と呼ばれるシャーマンが存在する。トゥスクルとはアイヌ語で「トゥス=呪術・巫術」+「クル=をする人」という意味である。

・トゥスクルが太鼓を使用して神と交信していたという江戸時代の記述があるという。

 現在、北海道内のトゥスクルの実数は定かではないが、ごく少数であることは間違いなさそうだ。

・山道は生まれつき、神と交信できる能力が備わっていたという。アイヌは、あらゆるものに神が宿ると信じている。森羅万象の神、それを山道は「カムイ」と呼んでいる。

<神に憑かれる>

アイヌとカムイの関連性は、それは日本本土における神・仏の関連性とは少し異なる。本土の神仏は、人間社会に対して絶対的に上位(常に崇められる存在)にあるが、アイヌのカムイは「対等」であるのが特徴だ。それはしばしば、「神への談判」という形で表現される。

・「アイヌの信仰では、人は誰でも1柱以上の神に守られています。これをトゥレンカムイ(憑神)と言います。どの人に何の神が憑くかはご縁次第です。トゥスクルは、特別な力を持つ憑神に守られており、その憑神の力によってトゥスを行います。憑神は後天的に憑くこともあります。ですから、トゥスクルになるかどうかは、どの憑神が憑くかによって決まりますが、憑神を『継ぐ』ということもあるようです。少なくとも樺太では、地域によってそういう考え方があったようです。トゥスを行うのは男性、女性両方がいます」

助産術、魔術を使うトゥスクル

・「二風谷地区では25年ほど前までは地域の人が病気になればまず、トゥスクルにみてもらうということがあったようです。トゥスクルは、“手かざし”や薬草を使った治療行為をしていた。また、トゥスクルの特徴として助産婦を兼ねていました。その他にも、占いなどもやっていました

 アイヌでは出産は神事であるととらえる。そのため、トゥスクルが助産婦を務めることもあるという。トゥスクルは「イコインカル」という助産術を使う。この場合、医学的な助産術だけではなく、透視や霊視なども駆使する。

トゥスクルの口寄せ

・「私の父方の祖母もトゥスクルでした。幼い頃、祖母が太鼓を叩いて霊を降ろす儀式などもやっているのをよく見ていた」

 山道はそう明かす。トゥスクルは、イタコと同じように死者の口寄せもできるというのだ。

 北海道大学アイヌ・先住民研究センターの北原によれば、トゥスクルには『神』が憑くほか、『死者』が憑いて語ることもあるという。

アイヌの他界観

・「この世の暮らしの続きを過ごす場所で、天地や季節などがこの世のものと逆になっています。その他は、生前と変わらぬ暮らしをするとされています。ただ、死者は自分達では食料の生産ができず、子孫からの供物に頼って暮らしているともいいます。このため先祖供養は絶対に欠かしてはならないことになります。他界で一定の期間を経た死者は記憶を失い、赤ん坊として再び生を受けます

 つまり、この世の生活が終って、あの世に行けば、またそこから新しい生活が始まるという考え方だ。日本仏教では生者が死者に対して時間をかけて供養を重ね、最終的に極楽に往くことを目的にする。そして極楽は苦のない世界であると説く。日本の仏教とアイヌの他界観は大きく異なる。

・そして、アイヌでは埋葬後は、墓参りはしないのが決まりだ。

向こうの世界の神になるのだから、この世に戻ってきてはいけない。だから、生者が死者を振り返らせるようなことをしてはいけないという考えがあります。なので、墓は次第に森に飲まれ、自然と同化していくのです」

・「あの世を反転した世界とみなすことや、ヨモツヘグイ(あの世の食べ物を食べると、再びこの世に戻ることができないこと)の考えかたなどアイヌの他界観のなかには各地の民族で認められる要素がいくつかあるが、なかにはアイヌに特徴的な考えかたを認めることができる。たとえば、幽霊は異なる世界を訪れたときの仮の姿であり、異なる世界からの訪問者は目に見えないということである。つまり、死者が生者に対して幽霊と映るのと同様に生者は死者に対し幽霊と映るのである。幽霊はあの世で神となった死者の仮の姿にすぎず、恐ろしい超自然的存在ではないのである

『ニライカナイの風』

生魂のスピリチュアルメッセージ

上間司     角川学芸出版     2010/4/17

マブヤー

・マブヤー、もしきはマブイという言葉を聞いたことはあるでしょうか?

 もし、今この本を手に取ってくださったあなたがウチナーンチュ(沖縄人)であるならばよくご存じのことでしょう。ですが、それ以外の方には耳慣れない言葉だと思います。

 沖縄では、昔から人は7つの生魂を持って生まれてくると言い伝えられてきました。その生魂が「マブヤー」です。人は、7つのマブヤーがきちんと心臓におさまってさえいれば、心も体も健やかな状態で過ごせます。

 ところが、困ったことにマブヤーはとても不安定で、突然の事故やなにかでびっくりしたり、気が動転したりすると簡単に抜け落ちてしまうのです。

 そして、マブヤーを落としてしまうと、必ず心身に悪い影響が出てきます。原因不明の体調不良や病気、精神的な疾患に悩まされている人は、たいていの場合、マブヤーを落としてしまっています。

無駄な拝みや宗教にお金をつかうことはやめなさい

・私は、神人(神に仕える霊能者のこと)として活動し始めて以来、マブイ込みの大切さを知らないばかりに、しょいこまないでよい不幸を抱えてしまった人たちに数多く出会いました。そのたびに、真実を伝えることの重要性を痛感してきたのです。

 また、みなさんにお伝えしなければいけないのはマブヤーのことだけではありません。

 神や霊(祖先霊や地縛霊)、そして人の念や口災いなどが原因となって、様々な心身的症状や不幸な出来事が発生するということも知っていただかなければいけないと考えています。

こうした、霊的なことが原因で起こるいろいろな症状を、私は「霊症」と呼んでいます。

霊症が起こると、日常生活に様々な困難が発生し、適切に対処していかないと大変な目に遭ってしまいます。

沖縄は、昔から拝みをする(ユタなどが祈願をする)ことが盛んな地です。大きな病気をしたり、予期せぬ不幸に見舞われたりした場合、すぐユタに相談し、原因を祓ってもらおうとします。実は私自身、神人として働き出すまでは多くのユタに助けを求め、拝みを繰り返していました。ですが、拝みが通ったことは一度としてありませんでした。その間、ユタに言われるまま多額の謝礼を払い続け、とうとう大きな借金を背負うまでになってしまいました。

・内地ではお金をつぎ込む対象が新興宗教だったり霊媒師だったりするだけで、同じようなことは日本、いや世界各地どこでも起きています。

 幸せになろうとした行為で借金を抱え、不幸になってしまう……。こんな馬鹿なことがあるでしょうか。

 一つだけ、はっきり言えることがあります。

 いくらお金をつぎ込んでも全く事態がよくならないのであれば、その霊能者なり宗教なりが本物かなのかどうか、今一度冷静になって考えたほうがよいということです。

・私は、神人として、どんな拝みをする時にも全パワーを注ぎ込み、問題の原因を根っこから解決してきました。拝みをする時には、神・霊・生魂が縛られている場所を探しだして、ポイントをつかみ、その場所で拝みを行います。一時しのぎのお祓いや無駄な拝所巡りは一切しません。

生魂(マブヤー)とはなにか

・「人は生まれてきた時、7つのマブヤー(生魂)を持っている

沖縄では、昔からこう言い伝えられてきました。

 このような伝承を持つのは、沖縄だけではないようで、古代エジプトでもやはり魂は7つあると考えていたそうです。

・マブイ込みは、なにも沖縄だけの習慣ではありません。内地でも、愛媛では魂のことをウブと言い、子どもがものに驚いて気が遠くなることをウブが抜ける、それを戻し入れるのをウブ入れと呼ぶそうです。

長寿県ではなくなってきた沖縄

・一般的に、沖縄は長寿県というイメージがあります。ところが、データで見ると必ずしもそうではないようです。

 厚生労働省が発表した2005(平成17)年の寿命に関する統計調査を見ると、都道府県別の平均寿命で、沖縄は女性こそ堂々の一位ですが、男性はなんと25位、しかも年齢別の平均余命を見ると若い人ほど順位が低くなっています。

沖縄はオバアだけが元気ってことか!」という声が聞こえてきそうですが、それもこれもオバアたちが今に至るまでマブイ込みの伝統をよく守ってきたからではないでしょうか。

・それゆえ現在のお年寄りにはマブヤーを落とすこともなく、元気で溌剌と暮らしていらっしゃるのです。お年寄りにマブイ込みが習慣としてしっかりと根付いていた結果と言えるでしょう。

 しかし、残念なことに、今や沖縄でもこの習慣は失われつつあります。特に若い人は「人に見られたら迷信深い人間と思われそうで恥ずかしい」という意識が働き、「今、マブヤーを落としてしまったんじゃないか」と思っても、マブイ込みをしないまま放っておくことが多いと聞きます。それと同時に、マブヤーの大切さも忘れられつつあるのです。

 そのせいでしょうか。最近は沖縄でも、原因がはっきりしない病気に苦しむ人が増えてきたように思われます。また、家族のひきこもりや無気力症に悩むご家庭の話もよく聞くようになりました。

マブヤーを落とすとどうなるか

・話を戻しますが、後日マブイ込みをしたH君は、マブヤーを入れたその日から目に見えて変化していったそうです。まず、言葉遣いから変わりました。そして、毎月のお小遣いも23千円程度になり、自分の要求が受け入れられないからといって暴れるようなこともなくなりました。マブイ込みをしたことで、心が落ち着いたのです。その変化は、周囲の人も驚くほどでした。

「まるで別人だね」と言われることもしばしばだったとか。今では、すっかりよい青年になったと聞いています。

鬱病になったMさん

・Mさんは30代の女性ですが、大学を卒業し、就職した頃から精神的に不安定になり始めました。始終やむことのないイライラから始まり、睡眠障害が起こり、とうとう鬱病を発症してしまいました。精神科には通ってはいましたが、抗うつ剤を大量に処方されるばかりで、よくなる兆しが見えるどころか悪化する一方でした。

 そして、完全なひきこもり状態になり、日がな一日ソファーに横たわってはゴロ寝するだけの毎日になってしまいました。

カカイムン

・神の苦しみや怒りは、そのまま負のエネルギーとなって周囲に発散されます。そのエネルギーはいわば神からの信号です。

 そういった信号が発せられている場所に人間が住んだり、商売を始めたりすると、神からの信号の悪影響を受けてしまい、必ずなにをしてもうまくいかないようになります。体や精神にもおかしなところが出てくるようになるでしょう。

 このような現象を、沖縄では「カカイムン(かかりもの)」と呼んできました(神だけでなく、人の霊に憑かれた場合も同様に表現しますが、その例はまた章を改めてご説明します)。

 カカイムンになると、言葉では言い表せないほどの苦しみを体験することになります。 私自身、霊能者として仕事を始める前、嫌というほどそれを味わいました。神や霊からの信号は無視したり抵抗できるものではありません。

 カカイムンの状態から脱するためには、信号を送ってくる神を特定し、昇天していただく必要があります。これが神の救い上げです。

・ところが、残念なことに、神を昇天させられるほどの力を持つ霊能者はそう多くないのです。「あなたはカカイムンだね」というところまで見ることはできても、根本的に解決させることができる方はほんの一握りと言ってよいかと思います。

 沖縄では昔より、カカイムンになった場合には、伝統的な巫女であるユタに頼ってきました。しかし神がどこにいるのか、何の神がついているのかきちんとわかるユタはいません。

 最近では内地でもユタを知る人が増えたと聞きますが、それでもあまりご存じない方がほとんどのことでしょう。

 簡単に言うと、ユタとは神や霊を見ることができる人です。霊媒師と言うと、内地の方にもわかりやすいでしょうか。一般的には女性が多いのですが、ごく少数男性もいます。

 ユタになる人は、サーダカンマリ(霊的なものを感じる力が強い生まれ)をしているのですが、みんなが同じだけ強いわけではありません。「足が速い」といっても、オリンピックレベルから学校の駆けっこレベルまであるようなものです。

 ですので、ユタによっては、今起こっている障りの原因はカカイムンということを察知できても、その正しい対処法まではわからない人が大半です。しかし、頼ってきた人を突き放すわけにもいかないのか、とりあえずは自分の知っている範囲で手探りの拝みをしてしまうのです。

カカイムンの状態で訪ねたら、ほとんどのユタは拝所廻りを勧めるでしょう。

 沖縄には、諸願成就のためにあちこちの拝所を巡るという習慣があります。

 拝所とは、神様が宿っているという御嶽や御城などのことを指し、洞窟のガマガマ、滝の滝々というほど、あちこちにたくさんの拝所が存在しています。そして、ユタはそれらの一部、または全てを回ることで、神の怒りが解け、カカイムンではなくなるといいます。

 ところが、実際には拝所廻りをして神の障りが解けたという話をあまり聞きません。なぜかわかりますか?

 答えは簡単です。

 そもそも、私が見てきた限りでは、拝所の施設に神がいらっしゃった例はありません。〇パーセントです

カカイムンの原因となった神の怒りを解く方法は二つだけ。神の場所を元通りにして人が立ち入らないようにするか、昇天させるかだけなのです。

 しかしながら、昇天させるだけの霊力を持つ霊能者にこれまで出会ったことはなく、ほとんどいないと言わざるを得ません。

 一柱でも多くの神を救い上げようと沖縄のみならず日本全国飛び回ってはいるものの、とても追いつかないような状態です。

 もし、他にもこの力を持つ人がいたら、即お会いしたいと心から願っています。そうすれば、もっと多くの神を救うことができますし、また無駄な拝みを繰り返し、あたら多額の金銭を失い、さらに苦しみを増やす羽目に陥っている人たちを助けることができるからです。

神から委ねられた仕事

・伝統的に言われてきたことや、俗説とは少し異なる話も多いので、中には戸惑いを感じられた方もおられるかと思います。

 特に、今まで何度もユタ買いをし、沖縄古来の祈願に親しまれてきた方には、驚くような話も多かったでしょう。きっと「拝所には神はいない」と言っただけでも、ひっくりかえるほどびっくりされたのではないかと思います。

 ですが、ここに書いたことは全て真実、間違いのないことです。神人として働く私の誇りに懸けて断言できます。

サーダカンマリとして生を享けて

・私の生まれ故郷は、沖縄北部の今帰仁。地元出身の父と、元々は那覇市久米の出身で、首里の玻名城親方の子孫が祖先である母の間に生まれました。8人兄弟の7番目でした。父は農業と工場経営、母は専業主婦をしていたごく一般的な家庭です。

 しかし、私の一門にはなぜか時々サーダカンマリとして生を享ける人間が出ていました。

ですから、親戚の中には日頃から熱心に祈願し、始終ユタを頼む一家もありました。

 でも、私の両親はそういったことに興味がありませんでした。いくら親戚に勧められても、全く関心を示そうとしません。むしろ、霊的なことは避けて通りたいようでした。

・沖縄の集落には、カミアシャギと呼ばれる建物があります。村の神を招いてお祭りをする時に使われる神聖な建物で、昔から人々の祈りが捧げられてきました。

 私の村のカミアシャギは、父が経営していた製糖工場に行く道の途中にありました。ですから、その前を始終通っていました。

 ある日のこと、私は母と一緒に、いつものようにカミアシャギの前を通りかかりました。

すると、伝統的な白い衣装を身につけた祝女(ノロ)がその前に立っているのが見えました。

「あ、ノロがいる」幼い私は、何気なく見たままの光景を口に出しました。すると母はいきなり、「お前、何を馬鹿なこと言っているの?そんな人はどこにもいませんよ?だいたい、ノロなんて言葉、どこで覚えたんです!」と怒り始めたではありませんか。

・「うん?お客様?」母はいぶかしげに外を見ました。ところが、驚いたことに先ほどまで立っていたお爺さんは、煙のように消えてしまっているではありませんか。

「またこの子はなにを言ってるの。誰もいないじゃないの」

 せっかくの昼寝を起こされた母は不機嫌そうです。このままでは叱られると思った私は、慌てて家中を探しましたが、やはり誰もいません。その気配で兄たちも目覚めたのか、部屋に戻るとみんな起きていて、「うるさいやつだな」と怒っていました。

「だけど、本当にいたんだもん。白い髭を生やした背の高いオジイで、羽織袴を着ていたよ」

そして、私はなんとなくそのお爺さんの屋号と名前を口にしたのです。その途端、それまで寝ていた父がパッと起き上がりました。

・「おい、これは普通じゃないぞ。その人は、司が生まれる3年前に亡くなったオジイのことじゃないか。それなのになんでこの子はあのオジイのことを知っているんだ?

 それから、私が見たオジイの姿を微に入り細を穿ち聞かれたのですが、私が見た通りの容貌を説明すると、ますます眉間のしわが深く

に眺めていました。

「………間違いない。司の言うのは、あのオジイだ」

 

・沖縄では、「ナティヌ アンマサヤ カミングヮー(なって苦しいのは神の子)」と言います。神人になっても苦労するだけ、先人は本物の神人が味わう苦しみを見て、そう考えたのでしょう。私の親も、我が子にそんな思いをさせたくなかったのかもしれません。


by karasusan | 2018-04-08 18:04 | その他 | Comments(0)