エーテル界の人類の源郷か?神の国だろうか?


by karasusan
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2018年 01月 28日 ( 3 )

『母であるあなたに気づいてほしいこと』

木村藤子  主婦と生活社    2014/9/12

<先祖の霊障>

・たとえば、私が、お悩みについて、「それはご先祖の障りではありませんよ」とお伝えすると、「もちろんです。先祖の障りだなんて、そんなばかなことはありません。私は、自分のどこを直せばいいのか、それを教えてもらいたくて来たんです」というようなことをおっしゃる方がとても増えてきたのです。これは、とても喜ばしい変化だと思っております。

 ご先祖様が霊障と勘違いされる方も以前は多く、このような誤解をなんとかして解きたい、これも私に課せられた役目であると思い定めておりました。

そこで、すぐに霊障を疑ってしまうのは、古いジンクスや拝み屋とも称される霊能者の誤ったアドバイスなどに問題の根っこがあるということを、私は非難されるのを覚悟のうえで、これまでの拙著ではっきり申し上げてきたわけですが、それを多くの方々が理解してくださってのことと深く感謝しております。

・その方法というのは、悩みや不幸を招いている真の原因は自分の欠点や間違った考えにあると気づき、その誤りを直すことです。

 この「気づいて直す」ことについては、これまでにも書籍や講演などを通じて繰り返しお伝えしてまいりました。その積み重ねによって、「気づいて直す」ことの重要さについては、多くの方々に理解していただけている、という感触を少なからず得ております。

<結婚のご縁>

・また、結婚相手はカルマによる運命で決まっているのですが、本人が自分のカルマを知っているか否かは別として、悪縁の場合、それをかわすことができるか否かを聞きに来る方も多いように思います。

 そもそも夫婦とは、共有するカルマを生まれ持った魂レベルでの修業仲間とも言え、結婚後に様々な問題を生じるのは、それをふたりで乗り越えることで、共に魂を磨くため。そのために一緒になるわけです。

・また、結婚というのは俗に言う赤い糸でつながれたご縁とも言えるのですが、その相手は、ひとりだけの人もいれば、ふたり、3人と複数の人もいますし、中には様々な理由から、ひとりもいない方もいます。

 本人は赤い糸をつかむつもりでも、年齢を気にして焦ったり、理想が高すぎたり、相手の心を見ずに上辺の条件ばかりに目がいってしまうと、間違って黄色い糸の人を選んでしまうこともあるようです。

 ご縁というのは本当に不思議なもので、大恋愛をして交際を続け、あとは結婚式を待つばかり、といったふたりの関係が、結婚式を目前にして破談になってしまうようなことがありますが、これは結婚するご縁ではなかったということです。

<生涯独身という生き方>

・生涯、未婚のまま過ごすという人が、昨今は男女ともに増えてきているようですが、それも人生のひとつの形なのではないかと考えています。

・ただ、独身女性の場合は、ある程度の年齢になりますと、結婚していないことや子どもを産んでいないことに、どこか負い目を感じたり、これからのひとりの人生に不安を感じることもあるようです。

<嫁姑問題>

・女性が抱える普遍的な悩みのひとつに“嫁姑問題”があります。

 昔に比べるとお姑さんと同居するお嫁さんは減りましたが、同居しない場合でも、盆暮れや正月など、家族が一同に会する機会がありますので、そんな場での数少ない接触からも嫁姑のトラブルが起きたりすることもあります。

離婚について

・離婚の悩みで私のものを訪れる人は、本当にたくさんいらっしゃいます。

・つまり、離婚すること自体をお互いにひとつの修業として選び、今の人生で出会って結婚するカップルもいるわけです。

・いずれにせよ、結婚はゴールではなくスタート。カルマを共有するがための、まさに新たな出会い(お互いの家族も含めて)なのです。

・そして“和合すること”“協力すること”“感謝すること”“尊重し合うこと”を大切にしていってください。

 私がこのように言えるのは、毎日繰り返される相談の中、神様との会話から私自身も学ぶことができるためだと思います。

<兄弟姉妹との関係>

・同じ“共存し合うカルマ”を背負っているわけですから、それをも乗り越えるべき試練、避けられない修業ととらえて乗り越えていくことができれば、兄弟姉妹やその家族が強い絆で結ばれていくのですが、血のつながった近い関係である分、理解力や判断力が不足な場合、一度こじれてしまうと修復が難しくなってしまうことも往々にしてあります。

・過去、現在、未来を視野に入れて問題の原因を探り当て、兄弟姉妹の絆を切らずにつないでいっていただきたいと思います。

<親の介護>

・介護問題の深刻さは、介護される側もする側も、精神的にも体力的にも、大変な苦痛を伴うものと思います。

・介護のことを考えるときに忘れて欲しくないことは、“介護はされたくないと思いながらも、もしかしたら介護される側になり得る”ということです。

<老年期の心構え>

・心のお手入れをするには、まず、知識を得て学ぶことをおすすめしたいと思います。いろいろなジャンルの本を読んだり、映画を観たり、あまた、興味のある方の講演会に行かれるのもいいでしょう。

<素直な心を保つ>

・“素直な心を保つ”レッスンと聞いたとき、「そんなのは簡単だわ」と思う人が多いのではないかと思います。でも、これが意外と難しいのです。

<心を成熟させる>

・そして、人生そのものが修業の場ですから、60歳になったら、70歳、80歳になったら就業は終わり、ということはありません。死ぬまで修業は続くわけです。

・さらに言うなら、そもそも試練とは、その人を不幸に落とすために訪れるものではなく、その人が背負っているカルマ(前世を含めた過去の行いや言葉の過ち)に気づかせるためのもの、言い換えるなら、その人を幸せな方向へと導く幸福の種のようなものと言えるのです。

『奇跡を起こす 見えないものを見る力』

木村秋則  扶桑社    2011/9/30

私たちが知っていることは、ほんのわずかでしかない。大切なことは目に見えない

・そう気づけたのは、私がこれまで、「普段は見えないもの」と何度も出会ってきたからかもしれません。私が出会ってきたのは、龍、UFO、宇宙人など、人に話せば「何を言っているの?」と笑われるような存在です。

311東日本大震災前>

・龍について話したり本に書いたりするようになり、全国にいる龍の研究者や研究会からさまざまな資料や情報をいただきます。それによると、龍は動物のような肉体を持つ存在ではなく、ガス体だと考える説もあるようです。強いエネルギーが凝縮して「気(ガス)」となり、そのエネルギーが象徴する「龍」という存在として、人間の目に映るというのです。

 もしそうであれば、17歳のときに見た龍が細い松に乗っても枝ひとつ揺れなかったことが納得できます。また、私や友人が見たように、龍が水蒸気の集まりである雲に姿を変えて現れることもあるのではないかと考えられます。

津軽という土地が持つ力

津軽に住む人々の「心のふるさと」とも言えるのが、我が家の西に位置する岩木山、別名「津軽富士」です。

また岩木山では、先祖の霊と交信する「仏おろし」や、神と交信する「神おろし」も古くから行われてきました。津軽で「カミサマ」と呼ばれている中年女性の霊能者を通して、肉親の霊と話したり、神からの言葉を聞いたりする風習です青森には、全国的にも有名な「イタコ」と呼ばれる女性たちがいますが、イタコは、青森県東部の下北半島、特に恐山で活動しています。主に故人の霊を降ろすイタコとは違い、津軽の「カミサマ」は、故人の霊のほかに、神からのご神託を伝えるという役目を持っています。

 こういった伝統や信仰は、津軽人の心に深く根ざしています。その要とも言える岩木山には、「龍がすむ」という言い伝えがあるのです。

・境内の右手には、龍神様が祀られています。白地に紺で「白雲大龍神」と染め抜かれた幟に導かれて進むと、岩木山の湧き水でできたという池があり、そのなかに龍神様の祠が立っています。荘厳な拝殿とはまた違った趣のある、神秘的な空間です。

<畑に現れる不思議なものたち>

しばしば自宅近くや畑の上空に訪れていたのが、UFOです。

 無農薬栽培を始めた前後から、時々見かけるようになったのですが、最初に発見したときは家族や隣の人も呼んできて、みんなで確認しました。ですから、私の勘違いではありません。初めは、UFOは月が回転しているように見えました。

地元で話題になり、「岩木山上空にUFO出現」と新聞記事が出たほどです。

・UFOが現れ始めた頃は、私も家族も興奮しました。しかし、もう数えきれないくらい見ていますから、今見ても驚くことはありません。

<そんな宇宙からの客人が、私の畑に降り立ったことが2度あります。>

2度とも彼らは2人組でした。身長は130センチほど、目が異様に大きく光っていたことを憶えています。

 初めて見たとき、彼らはリンゴの木の間をものすごいスピ―ドでビュンビュン動き回っていました。

「何だ!?」と思って目を凝らすと、人のような形をしています。でも、もし人だとすれば、横に貼り出したリンゴの枝にぶつかるはずです。ふたつの物体はぶつかりもせず、右へ左へ素早く動いています。

 走っているのではありません。わずかに浮いていて、横にササッと移動しています。体全体がクロ-ムメッキされた車体のように鈍く光っています。「これは、人間ではないな」と直感的に思いました。動くこともできず、見守っているうちに、しばらくして2人は消えました。どんな目的があったのでしょうか。UFOには慣れていた私も、さすがにこのときは驚きました。

UFOに乗せられて

龍を見たと言うだけでも随分驚かれますが、宇宙人に拉致されてUFOに乗ったというと、ほとんどの人が信じられないという顔をします。私自身、もし自分が体験していなかったら、人から同じ話を聞いても「夢でも見たんじゃないか」と思うでしょう。

・ベンチから左右を見渡すと、どこに壁があるかわからないくらい空間が広がっています。この建物のなかには、いったい何百人が住んでいるのだろうと、私はそう思いました。

 やがて、他の2人が次々に連れていかれました。ひとりになった私は手持ちぶさたになり、ベンチに立って窓の外を見てみました。夜なのか全体は暗くて見えません。しかし、明かりが横に数列並んでいるのが見えます。ビルが横に倒れたような建物です。地球の建物ではないようです。ホテルか何かだろうかと思っていると、宇宙人がやってきたのであわててベンチから降りました。

・そのときもやってきたのは、2人です。子どもの背丈ほどの彼らが大人の私を両脇から抱えるのですが、力が強いのでされるがままになるしかありません。私が立つと、彼らは私の腕を抱えて宙を浮くかたちになります。私は歩き、両脇の2人は床から浮いた状態で移動しました。

 途中にいくつかの部屋がありましたが扉はなく、のぞいてみると先ほどの2人がそれぞれ別の部屋で裸にされ、台の上に寝かされていました。ベルトで固定されていて、まわりをかなりの数の宇宙人が取り囲んでいます。

 みんな目だけが異様に大きく黒っぽい体で、男女の差も顔つきの違いもわかりません。彼らは手術に立ち合う医師のように台のまわりを囲み、目でスキャンするようにじっと横になった2人を見ていました。

・彼らは、もうひとつ興味深いことを話してくれました。「我々は、子どもでも250の元素を使うことができる」と言うのです。地球人が知っているのは120ほどで、実際に使っているのは2030にすぎないとも言いました。あとで調べてみると、確かに地球上で認識されているのは118。使われているのは2030種類だそうです。

 250もの元素を使って、いったいどんなものを作っているのでしょう。いずれにしても、彼らが桁外れの頭脳を持った生き物だということが言えるのではないでしょうか。

・不思議だったのは、彼らが壁やテーブルなどに触るとすべて透明になったことです。たとえば、壁を触るとガラス張りのようになり、向こう側が透けて見えるのです。触らなければ、ただの金属のように見えます。私が触っても変化は起きません。そのことひとつとっても、彼らの科学や技術は、かなり進んでいると私は思ったのでした。

<老人が見せた地球のカレンダー>

・心の大切さを教えてくれたひとつの出来事があります。といっても、体験と呼ぶにはあまりにも突飛なので、「ある幻想を見た」と言ったほうが正確かもしれません。

 まだリンゴが実らず苦労していた頃のことです。

 私は、ある部屋でひとりの老人と出会いました。肩から白い衣をまとってあごひげを生やしています。古代ギリシャの哲学者ソクラテスのような風貌です。石の椅子に座ったその老人は、私に手伝ってほしいことがあると言いました。

・「これは何ですか?」と私が尋ねると、老人は、このパネルは地球のカレンダーで、1年が1枚分だと答えました。見ると、その数は多くありません。「これ以上はないのですか?」と私は尋ねました。老人は、「ありません」ときっぱり言いました。

 私は困惑しました。その枚数で言うと、カレンダーの終わりは、マヤの暦で地球が滅亡すると言われている2012年よりは多かったのですが、2桁しかなかったからです。

 枚数は今もはっきり憶えています。決して口外してはならないと老人に言われたので、誰にも教えることはできません。老人との約束を守って、私はそのときに見た枚数を妻にさえ話していないのですから。

<自分がリンゴだったら、野菜だったらと考えてみる>

・自然栽培には、マニュアルがありません。作物の特性を生かして、それぞれに合う土壌作りをするのが自然栽培の基本です。そのためには、作物を見て土を見て天候を見て、その場その場で自分自身が判断していくしかありません。

 自然栽培は、畑に何も手を加えない「自然農法」とよく勘違いされます。

 自然農法は福岡正信さんが唱えた農法で、私がリンゴの無農薬栽培を思い立つきっかけとなりました。この農法は、耕さない、肥料や農薬を与えない、除草しないなど自然のままの状態で作物を育てます。

 しかし、私が実践する自然栽培は、ただ何もせず放っておくだけではありません。畑の様子を見極め、ときには草刈りをしたり、剪定をしたりして、作物が一番気持ちいい状態に調整していきます。リンゴを実らせようと試行錯誤するなかで、自然のままに放置するのではなく、「自然を生かす工夫」をすることが大切だと気づいたのです。

 また、自然栽培は、「有機農法」とも違います。

・いろいろな意見があるので、これはあくまでも私個人の考え方ですが、有機栽培は化学肥料の代わりに有機肥料(堆肥)を与え、無農薬で栽培する栽培法です。しかし、有機JAS法では、石灰ボルドー液と呼ばれる農薬など、昔から使われている農薬の使用を認めているので、完全な無農薬とは言えません。

 一方、自然栽培は農薬代わりに食酢を使うだけです。食酢は法律上、特殊農薬として指定されているので、厳密には、無農薬とは言えないかもしれませんが安全です。

<人はヤドカリと同じ>

・こんなふうに思うようになったのは、「あの世」に行く体験をしたからかもしれません。重いインフルエンザにかかり、高熱を出して家でひとり寝込んでいたときのことでした。

 思っていたよりも重症化していたようです。意識がもうろうとして、眠ったとも気を失ったともわからない状態になりました。ふと目を覚ますと大きなシャボン玉のようなものが降ってきて、私は自然とそのなかに入っていきました。

 フワフワと浮くシャボン玉のなかで、ふと下を見ると、知らない誰かが横たわっています。

 私自身なのですが、それが自分だという感覚はありません。上へ上へと昇っていくシャボン玉に身を委ねながら、自分は死んであの世へ行くのだなと思いました。

・外を見ると、私と同じようにシャボン玉に入って昇っていく女性が2人見えました。この人たちもあの世へ行くのだと漫然と思っていました。

 気がつくと、シャボン玉から出て、私は暗闇の中にひとり立っていました。怖いとも悲しいとも思いません。ただ、いつもの自分ではないような、普段とは変わった感覚がありました。何かに誘われるように、私は歩き始めました。

 どこへ向かっているのかわかりません。でも、目指す方角は知っているような気がしました。砂の上を歩いているような歩きにくい道を、ひたすら進んでいきました。

・ふと「死んだじさま(じいちゃん)とばさま(ばあちゃん)は、どうしているのだろう」と思った瞬間です。目の前に2人が現れました。

 「じさま!ばさま! わぁ(俺)だよ。秋則だよ」

生きているときそのままの姿で現れた2人に、呼びかけました。

返ってきた言葉は、「なぁ(お前は)誰だ」でした。

悲しくなって、自分の名前を繰り返し告げました。でも、2人は困惑して不機嫌な顔のまま立っているだけです。そのうち2人は、現れたときと同じようにパッと消えていなくなりました。

 よく。「あの世で会おう」「あの世で待っているから」と言います。でも、「あの世」では、生きているときの感情はないのだなと、そのとき思いました。

・2人が消えたあと、しばらく歩いていると少し明るい場所に着き、山や建物が見えてきました。そこで、案内人のような2人連れが現れました。その2人に促され、大きな建物の前に行くと、平屋建ての家がたくさんあり、その家に出入りを繰り返している人や、行列して山へ向かう人たちの姿が見えました。私以外はみんな同じ白い服を着て、性別もはっきりせず、似たような姿形、年齢でした。生まれ変わるために、人が川を下っていく様子も案内人が見せてくれました。

 そのうち、地響きのような大きな音が聞こえてきました。それは、何度も鳴り響きます。よく聞くと、自分の名前のようです。

・「誰かに呼ばれている。どうすればいいのだろう」と思った瞬間、私はまた大きなシャボン玉のなかに入っていました。

 気がつくと私はシャボン玉に入ったまま、自分の家の天井あたりで部屋を見下ろしていました。布団のなかに寝ているのは私ですが、そのときもそれが自分自身だとはわかりません。妻でさえも誰だかわかりません。

・魂が自分の肉体に戻るとき、どんなふうに戻るのかおわかりでしょうか?

 よく漫画などで魂が煙になって口や鼻から入る場面がありますが、実際には違っていました。寝ているときと同じ姿勢を取り、上から重なるようにして戻ります。そのようにして自分の体に戻り、一番先に見えたのが、妻の顔とヘルメットを被った救急隊員の顔でした。

 「この世」に戻って、私は思いました。肉体を抜け出し魂だけになった世界と、今の自分という肉体を借りて住んでいる世界とでは、まったく考え方が違うのだなと。「自分」はなく、何も感じない世界。家族同士の愛や絆もない世界。私が見た「あの世」は、そんな世界でした。それは、今でも鮮明な感覚として残っています。

 そこには、天国も地獄もありませんでした。「あの世」へ行ってみて、生きている「今」が、天国であり地獄だと感じます。

<小さな改革から大きなうねりへ>

・ソクラテス似の老人が教えてくれたカレンダー。その枚数は誰にも言わないと誓いました。しかし、その枚数が終わる日、地球が滅びるとか、大災害が起きるとは思いません。その日に始まるのは、心の革命、意識革命ではないかと考えています。

<●●インターネット情報から●●>

<岩木山>

<光り物、雲>

1571121日夜、光り物が岩木山から出て、東の方へ飛び移った。雷のごとき大音がした。22日夜と23日夜も同じだった。

1605220日午後8時頃、岩木山の南の肩から大きな光り物が出て、空中に輝いたが、まもなく北の方へ飛んで、赤倉の沢へ入った。

このとき、周辺が昼のごとく明るくなって、草木の色まで見分けられ、

堀越城や近辺の村々からも見えた。

1613918日朝、光り物が西から東へ飛び、鳴り渡った。

1624429日夜、光り物が西から東へ飛んだ。

1685223日午後9時頃、雷のような音とともに、光り物が西から東へ飛んだ。31日まで毎夜続き、人々は安堵できなかった。

1730623日夜、西の方から東のかたへ光り物が飛んだ。

その形は雁のようで、色は白銀によく似ていた。

17641016日朝6時すぎ、西の方から南の方へ光り物が飛んだ。大きさは約2メートルほど。流星のごとく発して南の空へ入り、その後白い雲になった。

1770614日午後4時頃、岩木山の上空に、甲冑を着た人形のような雲が立った。また2日前の昼頃には、山頂の上に船に乗ったような人形の雲が見えた。

1772319日夜8時過ぎ、光り物が西から東へ飛び、花火を散らしたように御城西坂上の松林に落ちた。形は丸く火の色で、尾はカブの実の色のようだった。

178722日夜、岩木山から光り物が2つ飛び出した。

大きな爆音がして、百沢付近に住む人々は家を捨てて戸外へ逃げ出した。

『輪廻転生を信じると人生が変わる』

山川絋矢   ダイヤモンド社   2009/9/11

実はすべてが計画されている

・こちら側では、多くの精霊や天使たちが一生懸命活動して、人々に覚醒をうながしています。

・私たちの導きによって、すべてがとり行われているのです。

・世の中の動きは、実はすべてが計画されているのです。

<自分に起こることは、全部自分が引き起こしているのです>

<私たちの生は壮大な宇宙の計画の一環>

・あなたの人生のシナリオにそう書いてある。

・そこから何かを学ぼうとして、魂が事を引き寄せている。

・本当の「引き寄せの法則」は、エゴやお金や物を引き寄せるという技術ではありません。「自分のところに来たものは、すべて自分が引き寄せた」と知ることです。シンプルな宇宙の秘密。

・本当の自分は自分の運命を知っている人です。

・本気で思ったことは実現する。

<人生に間違いは一つもない>

・あなたは、自分のすべきことを今この瞬間もしている。

・人はみんな、いつの時点でも、その時にしなければならないことをしています。

・あなたがそこにいるだけで、あなたの人生に起こって来ることが変わる。

「引き寄せの法則」が意図することなく、自動的に働き始めます。宇宙が応援してくれます。

・「幸せであることを日々、感謝するだけ」なのです。あなたは、特に意図しなくても回りの人を自然に変えていきます。

『新 天使クラブへようこそ、天国はここにあり』

山川紘矢    ダイヤモンド社   2010/6/18

私たちが体験できる最も美しいものーぼくが「天界」に行ったときのこと

・さて、いよいよ夢の中で、ぼくが天界に行ったときのことをお話ししましょう。

・トイレの壁をぼんやりと見ていたのですが、そのトイレの壁がスーッと動いてゆくではありませんか!「あれって」と思っているうちに、ぼくの体をトイレからスーッと、どこかへ運ばれていったのです。

―そこはもう、広々とした別世界でした。全体が明るい水色の世界で、白いギリシャ風の柱が立っている大広間みたいなところに着きました。

 そして何人もの白いローブのようなものをまとった人たちが三々五々、楽しそうに談笑しているのです。中には竪琴を持った人もいて、天界のようでした。

・ぼくはズボンをおろしたままの姿ですから、すっかりあわててしまい、ひざを少しまげて前を隠していました。

そこにいる人たちは、おしり丸出しのぼくを見て、みんなして楽しそうに大笑いをしているのです。声は聞こえませんでした。テレパシーの世界のようでした。

 ぼくははずかしくて、やっとズボンをたくしあげたのです。ざわめきが一段落すると、向こうのほうから、とても威厳に満ちたレオナルド・ダ・ヴィンチのような素晴らしい風貌の男性が現れました。ぼくに会いに来たようです。

 彼はぼくの顔をじっと見つめました。その目は、慈愛に満ちているという表現がぴったりです。しかし、なぜかぼくに同情するような顔つきでした。

 ほんの何十秒間のことだった気がします。ふと気がつくと、ぼくはベッドの上に座っていました。トイレに入っていたのも、現実のことではなかったのです。

・あのレオナルド・ダ・ヴィンチのような方は、誰だったのか、あれはいったい、何の体験だったのかー。今でも忘れることができません。

・それから、ぼくはひどい病気を3年間やりました。先ほども書きましたが、ゼンソクです。そのために、とうとう公務員を辞めなくてはならなかったほどでした。発作が起こると動けなくなるのです。いつもベッドの上でうめいていました。


■■■ 私が思うこと、聞いたこと、考えること ■■■

・平田篤胤は江戸時代にすでに幽界や霊界・パラレル・ユニバース(並行宇宙)の存在を予感していたようです。「霊界ははるか遠いところにあるのではなく地上1メートルのところにある」そうです。「物質地球とともに、肉体の死を迎えた存在のために霊界もつくられた。輪廻転生のシステムも始まった」と語られています。眼に見えない世界は、「感じる」ことのできるチャネラーやコンタクティにとって、リアルですが、その他の人々にとっては「荒唐無稽、奇妙奇天烈、支離滅裂、眉唾物で疑念がわく」世界です。しかしながら、現代では「映像の世界」になり、幽霊のようなものが「監視カメラ」に撮られるようになりました。ボーッとした映像ですが、幽霊の存在を予知させてくれるようです。平田篤胤が、天狗少年が修行したという「岩間山」に行かなかったのも、幽界の本質をよく理解できたからでしょう。この世に現れた人間の姿をとる天狗と、異次元の「あの世」の天狗世界は、現代人にとっても理解不能のようです。テレポーテーションが理解できないからのようです。物質化、非物質化ができた超テクノロジーを持つ宇宙人は、誰も理解できないようです。「幽霊のハンス」にしても、物を投げると体を通り抜けるそうです。「テレポート(瞬間移動)は、人間にとり奇跡ですが、宇宙人にとっては、それほど難しくないテクノロジーだ」といわれます幽霊現象や心霊現象も「宇宙人現象」と理解すればかなり分かるようです。アストラル界の住人が地上にも出てくることは秘密結社の最高機密だそうです。アストラル・トリップの現象も現代の科学者ですら、よくわかりません。「日本に最初に降り立ったのは、シリウス人で、彼らは東北地方の青森県を中心に、下北半島、津軽半島、十和田湖周辺から秋田県の一部に展開した」そうですが、青森県にはさまざまな異人や異星人の伝承があったようです。『竹内文書』の内容で特筆すべきは天皇家の先祖が、宇宙の彼方、シリウスから飛来したと記されていることであるといわれます。

現代では、世界で初めて無農薬・無施肥のリンゴ栽培に成功した津軽の木村秋則さんの不思議な話があるようです。恐山のイタコの口寄せも不思議な現象のようです。

・「天狗」はオリオン星人系列の宇宙人だったのかもしれません。天狗も詳細な区分があったそうです。「嘴のある烏天狗」は、オリオン座の有翼のドラコ族だった可能性もあります。天狗は、人間の感覚や感情と大きく異なり、当時から「子分にはなるべきではない」といわれていたようでした。欧米イルミナティは、日本のイルミナティは竜座人階層の下等な種の末裔であると主張しているといわれます。リゲル人と爬虫類人の交配人種が築いた国が現在の日本と中国であるといわれます

・天狗界の大ボス・杉山僧正のもとで修業した天狗小僧こと仙童寅吉は、異界が存在することの生き証人となりました。杉山僧正のような山人を世間では十把一絡げに「天狗」と見なしているが実際は「生きたる神」であったと語られています。「とにかく、その話の内容が尋常ではない。寅吉によれば、常陸の岩間には杉山僧正という天狗の大ボスがいる。配下の13天狗を引き連れて、日々神業に明け暮れている。この天狗のボスは、人間なら40歳ほどの年齢に見えるが、彼の属する山人界(仙界)では、7歳で、杉山僧正の1歳は人間の600歳に当たるからすでに4000年以上生きている勘定になる。ちなみに、天狗はいずれも神通力を備えているとはいえ、境涯は人間より低く卑しい、せっかく人身に生まれながら、天狗に憧れるのは愚の骨頂だ」と寅吉は戒めていたと語られています。


・日本に最初に降り立ったのは、シリウス人で、彼らは東北地方の青森県を中心に、下北半島、津軽半島、十和田湖周辺から秋田県の一部に展開したといわれます。青森県等の東北地方には、シリウス星人の遺伝子を持つ人々(末裔)が多いのかもしれません。平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔といわれます。ある意味では、神々のコンタクティやチャネラーが少なくないようです。リンゴで有名な木村さんも青森の津軽での宇宙人のコンタクティのようです。

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)からみますと「木村 藤子(きむら ふじこ、1947 - )は、霊視・透視能力者。元信用金庫職員。青森県むつ市在住。地元で有名な霊能者だった母親のもとで育つ。30代のとき神の声を聞き、霊視・透視能力を授かる。以来、日々多くの人の悩みを救っている。全国的にその名が知れわたり、『青森の神様』『ヘビの神様』といわれるきっかけとなったのが、1990年の「ヘビ騒動」。地元で行方不明になったニシキヘビが現れる場所・時間を、警察の要請で透視によって言い当てた。その騒動を聞きつけたマスコミが殺到し、全国的な話題となった」とのこと。Amazonに「木村藤子」といれますと65件の書籍が分かります。

青森県新郷村(しんごうむら)戸来(へらい)という村にキリストの墓があるというオカルト説が昔から言われております。キリストの出身星はアプ星だったそうですが、アプ星人は国際連合の設立に尽力したという話もあるようです。その昔、アプ星人でも飛来していたのでしょうか。アプ星人は現代では南米にも飛来しているようです。霊能力者の語る神々の世界もさまざまな描写があり、木村藤子さんの神々の世界は平安時代のようなイメージですが。また超近代的な神々の世界の報告もあるといわれます。神々の世界は時空を超えて、変貌自在のようです。パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の植民星が地球だといわれます。

・岩木山には農業の神さまの伝承があるといわれます。また鬼伝説の鬼神社の伝承もあり、インターネットによると「現在の「鬼沢」が「長根派(ながねはだち)」という地名であった頃、岩木山周辺は阿曽部(あそべ)の森と言われ、弥十郎という農夫が岩木山中の赤倉沢で大人(オオヒト=鬼)と親しくなり、力比べをしたり、相撲をとって遊んでいました。

 弥十郎は大人(鬼)に度々仕事を助けてもらっていました。ある日、弥十郎は、水田を耕しているが、水不足で困っている事を大人(鬼)に話しました。それを聞いた大人(鬼)は、「私が何とかしますから、私の仕事をしている所を見ないでください」と言いました。そして、大人(鬼)は、一夜にして堰(水路)を造り、水田に水を引いてくれました。村人は喜び、この堰を「鬼神堰(キジンセキ)」や「逆堰(サカサセキ)」と呼び、大人(鬼)に感謝しました」という伝説が残っています。

木村秋則さんがあった小柄な宇宙人は、グレイの一種のようです。「ビーガン。シリウスA人の遺伝子から作られたグレイ」といわれる小柄なビーガンかもしれません。木村秋則さんのように「不思議な体験」をしている日本人は多いのかもしれません。しかし、なかなか本になるような段階にまでいくのは難しいようです。「沈黙のコンタクティ」も非常に多いのかもしれません。誰にでも幽霊体験やUFO目撃体験がある確率が高いのかもしれません。やはりメディアに載らないと、誰も注目できないようです。木村秋則さんのYou Tubeの動画も見れますので、「百聞は一見にしかず」の便利な「映像の時代」になったものです。木村秋則さんの本は当ブログでも数冊扱っています。木村秋則さんは「自然栽培のリンゴの開発者」として有名になった人ですが、宇宙人との「不思議な体験」も密接不可分な関係があったようにも思われます。木村秋則さんは宇宙人とのコンタクトによって「変性」「変容」を受けた可能性もあるようです。それにしてもネット動画では真偽の混じった膨大な情報が流れているようです。

・米国でもアブダクション(誘拐)を受けた人間は、数百万人ともいるという奇説があったようです。米国におけるアブダクション(誘拐)やキャトルミューテレーション(動物虐殺)の騒ぎは、どのような結果になったのでしょうか。米国でもメディアがアバブ・トップシークレットの政府の政策に協力しているようです。エルダーとよばれる天使のような人間タイプのオリオン星人が小柄なグレイと共に飛来したそうです。米国が秘密協定を結んだのはラージノーズグレイというオリオン星人といわれています。オリオン星人は人類に5万年進化しているといわれ、「人間の魂の交換」ができるようです。ゲイ(LGBT等)などの「人格転換」をしている異次元の宇宙人はオリオン星人なのかもしれません。

・グレイは、さまざまな種類が報告されているようです。グレイには、「ビーガン。シリウスA人の遺伝子から作られたグレイ」、「ゼータ・レティクリ1。地球人監視のためリゲル人が作ったグレイ」、「ゼータ・レティクリ2。遺伝子操作で作られたグレイ。爬虫類人に奉仕」が報告されているそうです。「岩木山のUFO」については、インターネット情報によると、16世紀から多く観察されているようです。現代ではカメラに撮られた写真もあるようです。彼らは時空を超越したテクノロジーを持っているといわれます。異次元移動も容易にできる驚異の超テクノロジーのようです。

日本に最初に降り立ったのは、シリウス人で、彼らは東北地方の青森県を中心に、下北半島、津軽半島、十和田湖周辺から秋田県の一部に広まっていったといわれます。ですから、木村秋則さんがリンゴ畑で遭遇した「グレイ」は「ビーガン」の種族系統なのかもしれません。とてつもなく進化している種族のシリウス星人のバイオロボットと遭遇したのかもしれません。「ビーガン」の超能力もとてつもないもののようです。青森など東北地方には、宇宙人との繋がりのある現象が何か残っているのかもしれません。イタコなどは、ある意味では宇宙人現象(霊現象)なのかもしれません。「シリウス人は、別の非物質的存在の集団であるオハル評議会の創造物である」といわれます。青森県新郷村(しんごうむら)戸来(へらい)という村にキリストの墓があるというオカルト説が昔から言われております。どうやら青森県は、シリウス星人との繋がりが太古からあったようなのです。「源平合戦はハム系とセム系のオリオン、シリウスと北極星、北斗七星の戦いということになってくる」と述べられています。

・「シリウス星からやってきた宇宙の神である彼らは、今もなおオリオン座との絆を大切にしています。それはひとえにオリオン座が、彼らの祖先である太陽族の故郷であるからです」とも語られています。シリウスのレベルは、もうすでに非物質のレベルです。「シリウスのテクノロジーは、アヌンナキによって地球にもたらされた」そうです。「世界の王はサナット・クマラと共に金星から降りてきた。この神人の一団はシリウス星と繋がりがある」といわれます。金星の神々は地球に到着するやいなや、イニシエーションのためのフリーメーソン本部を設けた、といわれます。イスラエル政府と契約の「宇宙の商人」がシリウス星人だそうです。平氏の“平”がヘライ(ヘブライ)に由来すると考えると平氏はセム系、ユダヤ系ということになってくる。源平合戦はハム系とセム族の争いともいわれます。平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔だそうです。そういえば源義経と鞍馬の天狗や陰陽師の鬼一法眼の不思議な伝承があります。

・「ゼータ・レチクル星人のグレイと、オリオン座のリゲル人の長身のグレイ、オリオン座の有翼のドラコ族、恐竜から進化した地球のレプトイド(恐竜人)等がダルシ―基地やエリア51等のアメリカの秘密基地で活動しているともいわれます。エリア51で白鳥座61番星の異星人とコンタクトしていた日本人科学者もいたといわれます。「その彼らは地球から68光年離れた惑星クイントニアに住む宇宙人で母星から「エリア51」まで45分で移動できる」と述べられています。「エイリアン・テクノロジー・リバース・エンジニアリング(宇宙人科学技術工学)」は米国の一人勝ちでしょうか。

・「透明人」とシリウスA星人が創造し、りゅう座(ドラコ)に配置した爬虫類人が想像を絶する進化をしているようです。「竜座人(ドラコ)が遥かに進化しており、このレプティリアン型生物の交雑種がイルミナティである。交配人種であるイルミナティが地球を管理している」ともいわれます。イルミナティの空飛ぶ円盤はタイム・トラベルができ、「米軍の将軍が同乗していた」ともいわれます。また牛神がテクノロジーで龍神を圧倒し「低層4次元」に追い払ったともいわれています。太古、地球には「龍神」と「牛神」の2種類の神が来て、人間を創ったそうです。旧約聖書の神が「龍神」で、新約聖書の神が「牛神」といわれます。

木村秋則さんの「幻想」の中で会った「ソクラテスのような人」は「神人」なのでしょうか。また、山川紘矢さんのイルージョンである「威厳に満ちたレオナルド・ダ・ヴィンチのような素晴らしい風貌の男性」とは「神人」だったのでしょうか。「神人」の世界からは「この世」は、すべて分かるようです。「あの世」の動きが時間を経て「この世」に起こってくるともいわれます。「あの世」も私たち一般人には、訳の分からない奇説だそうです。あの世とこの世が交錯する体験は誰でもが、無意識的にかまたは意識的にも、経験しているのかもしれません。

・「霊界ははるか遠いところにあるのではなく地上1メートルのところにある」そうです。従って、「神人」の世界はパラレル・ユニバース(並行宇宙)で、目に見えないが、すぐ隣にあるといわれます。パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の植民星が地球だそうです。パラレル・ユニバース(並行宇宙)は「幽界」のように「この世」に似ている世界ですが実際は非常に大きく違うアストラル界のような世界のようです。

・「引き寄せの法則」は、自己啓発書では大変人気のある「宇宙の法則」のようです。つまり、「感謝するだけで、あなたの人生は変わる」そうです。「アファメーション」という手法は米国では、人気のあるビジネスマンの瞑想法のようです。そして「引き寄せの法則の書籍」も大変多いようです。「夢の中でアストラル・トリップ(幽体離脱)をして、クリスタル・シティでキリストに会った」という欧米のチャネラー(霊的交流者)が多いそうです。キリストの出身星はアプ星だったそうですが、アプ星人は国際連合の設立に尽力したという話もあるようです。「キリスト(アプ星人)の一族が地球を管理している」という奇説もあるそうです。夢の中で神のような人物に会っても、必ずしも運命が劇的に好転しないのは皮肉な話かもしれません。

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・ブログ名称: UFOアガルタのシャンバラ

日本は津波による大きな被害をうけるだろう

・第2のブログ名称:UFOパラレル・ワールド

「神の国か?」「人類の原郷か?」 「天上のエルサレムか?」・・・・・・・・・

「パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の殖民星が、地球か?」、「ネガティブのシリウス星人の地球支配があまりにも巧妙なので、しょっちゅう戦争が起こるのだろうか?」

「金髪碧眼のノルディックが住んでいたアガルタのシャン発表しましたバラ情報の集大成を目指す・・・・・・・・・・」「金星蛇人と火星霊人の戦争はその後どのように展開したのだろうか」
「日本民族の神話の原郷『高天原(たかまがはら)』は、『都市型の超巨大宇宙船』なのか!?」「平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔なのか」
「小人族のグレイの母船に同乗する金髪碧眼のノルディックは、”悪魔の王””ルシファー”なのか?!」

「円盤は神人や異人、悪魔の乗り物なのか!?」「天使は神の秘密諜報員なのか」「神は最初のフリーメーソンなのか」

UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象なのか。UFO問題とは、人間にとっての死の問題を解くことなのだろうか。UFOはフリーメーソンの創作なのか」

「全宇宙を創ったという“虹の神々”も地球に来ているのだろうか」

「イルミナティなどのフリーメーソン組織に入ると神に会えるのだろうか」「金星の神々は地球に到着するやいなや、イニシエーションのためのフリーメーソン本部を設けたのだろうか」

「国際連合の設立に動いたキリストの星、アプ星人とは」

「人は皆、記憶喪失の異星人だろうか」

「はるかに進化した天使のような宇宙人は、人間の守護霊や背後霊なのだろうか」

「セドナ上空に見えないエーテルのシティが滞空するのだろうか」

グーグルのブロガーにも書いています→UFOパラレル・ワールド


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by karasusan | 2018-01-28 14:56 | その他 | Comments(0)

『怪異を歩く』  怪異の時空

今井秀和、大道晴香、一柳廣孝  青弓社   2016/9/30

なぜ平田篤胤は天狗に会いにいかなかったのか

・同じ江戸時代の後期の人であっても、鈴木桃野とは好対照の判断をした人物もいる。国学者・平田篤胤(1776―—1843)である。1820年に有名な天狗小僧寅吉と会見した篤胤は、寅吉少年が語る異界探訪談に夢中になった。

・江戸時代には常磐線がなかったから東京(江戸)から日帰りで、というわけにはいかなかったにしても、行って行けない距離ではない。それなのに、彼は自らが現地に赴くか、信頼できる誰かを派遣して調査させてもいいような気もするのだが、そうはしていない。

 これはいったいどういうことか。篤胤自身も岩間山がどういうところかについて、現地を知る人々に尋ねて、そこが天狗信仰の山であることなどの情報を得ていた。それならば、寅吉少年を弟子にした天狗(山人)とは、何者か、現地に行って確かめてみようくらいのことを思い付かないほうが不思議だ。

おそらく、篤胤が信じる他界観が関係している篤胤は『霊の真柱』(岩波文庫)で、冥府すなわち幽世・幽冥界は、現世・顕世である日常世界と違う場所にあるのではなく、いま・ここ、この世と同じ場所にあるのだが、あたかも明暗によって空間が隔てられているように「現世とは隔たり見えず」とする。暗い場所が幽冥界なのではない。明るいところにいる人が、暗いところをよく見ることができないように、「見える」と「見えない」という基準で現世と幽世は分割されている私たちが日常生活を営んでいるこの同じ空間に、私たちに見えていないものたちが存在し、それら見えないものたちで構成されるもう一つの世界が、私たちに見えているものたちで構成される世界とオーバーラップしている。

 だから篤胤は幽冥界研究に現地探訪を組み込む必要がなかった岩間山に行ってみたところで、そこにあるのはただの山だろう。だが、寅吉が経験してきた数々の不思議はただの山と同じ場所にある見えない世界、幽世の出来事なのだ見えているものしか見えない人間にはただの山としか見えなくとも、見えない世界を見る寅吉にとっては、そこにただの山であると同時に幽世なのだだから、幽世の実情を知るには、見えないものを見てきた人間の言葉を通して知るしかないのだ、と篤胤は考えたのだろう。

岡本太郎とイタコ ―—<神秘>というまなざし   大道晴香

1960年代、日本は空前の「イタコ」ブームを迎えていた。

 イタコとは、青森県から秋田県北部・岩手県北部にかけての地域で活躍してきた、死者の言葉を伝える宗教的技法「口寄せ」をおこなう在野の巫女である。戦前は日本全国に散見された「口寄せ巫女」だったが、社会環境の変化を背景に急速な衰退をみた結果、彼らの存在は巫俗の調査が本格化した1950―—60年代の段階で、既に日本列島の南北両端に片鱗を残すばかりとなっていた。すなわち、「口寄せ巫女」がもはや身近な宗教者ではなくなった世で、イタコには希少性に基づく新たな価値が生じていたことになるだろう。

・岡本の日本文化論に関しては、これまでにも人文系の学問分野を中心に議論が展開されてきた。ただし、彼の才能と人間性から生じる求心力のためだろうか、それらの論述は、著者自体に焦点を当てた「岡本太郎論」に偏っている感が否めない。しかしながら、岡本の日本文化論もまた同時代的な言説空間の一端をなすものであったことは、当時の大衆文化に介在した「日本再発見」の潮流、そして何よりイタコへの言及が如実に物語るところだろう。したがって、岡本の日本文化論を評価するのは、同時代的な言説との比較が不可欠といえる。

≪イタコ≫ブームと岡本太郎

イタコの“発見”

現状、表象上では癒着している「イタコ」と「恐山」だが、民俗文化の実態に目を向けた場合、平素のイタコは自宅を構える地域を主要な活動域とし、恐山を訪れるのは年2回の祭典期間中に限られる。要するに、「恐山での口寄せ」は多岐にわたるイタコの巫業の一つにすぎないのであって、両者の結び付きは決して強固ではない。にもかかわらず、大半の記事が恐山を通じて《イタコ》を発見しているという事実は、地域社会に溶け込んでしまえば把握が難しい在野の宗教者が可視化されるに際し、開かれた場の存在が不可欠だったことを物語っている。

 とはいえ、恐山が戦前の時点で一定の認知を得ていた点に鑑みた場合、当地が1950年代になってマス・メディアの目に留まった状況には、一考の余地があるだろう。

こうした1950年代の黎明期を経て、《イタコ》は60年代を迎えると一大ブームの様相を呈するようになる記事の件数は60年になると前年比の3倍まで増加し、以降、当該表象は複数のメディアを経由しながら、60年代を通じて再生産され続けていく運びとなった。

 岡本太郎のイタコ論は、一連のブームのなかに誕生した言説である。ただし、彼が生み出した“まなざし”は、あまたの言説がイタコに向けていた視線とは一線を課すものであった。そこで鍵となるのは、同時代の《イタコ》表象に内在していた「自己」と「他者」との対立構造である。

「非合理」な「他者」としての「地方人」

岡部冬彦「三途川の向こう岸

ホントに死人のタマシイが出てくるなら、あれこれ知人の霊を呼び寄せて見ようと、心ヒソカに楽しみにして来たのだが、イタコの口寄せはすべてかくの如く大同小異。(略)残念ながら骨折り損の終わった次第である。

 もっとも中にはイタコのいうことを聞きながら、「アラマア、あんなことをいって、ズブンのことをズブンで分かんねえのかなア」としごくもっともなことをツブヤイていたオバサンがいたし、東京から見物に来たという女子大生の「なにか形かモノを見せてくれなきゃ、ゼンゼン信用できないワ」という、いたって合理主義的な二人連れもいた。

 しかし、タマシイがあるかないかとなると、我々及びその他少数の人を除いては、恐山に来た人々はタマシイがワイワイいたのを体験した人達ばかりなのでありましょう。

・「死霊を呼び出す恐山の巫女

 信仰者にとっては、たとえ霊媒が東北弁しかしゃべれないインチキであっても、確かに亡夫に話しかけられたと感ずるし、そのことで心がサッパリしこの農村の精神衛生に役立っていれば、それはそれでいいのです。いうなれば、巫女たちは魔術師ではない。その魔術的な雰囲気の中で、人々の精神に捌け口を与える一種の“カウンセラー”というわけでしょうね。

・ただし、いずれの方策が取られるにせよ、《イタコ》の非合理性は「我々」ではなく、「他者」の領域に帰されたのであって、そこには超えることができない確固たる「自/他」の区別が存在していた。岡本太郎の新規性は、この二者を隔てる壁の突破に求められる。

「神秘」というまなざし

・岡本は単行本の出版時に付した「後記」のなかで、「神秘」について次のように述べている。

 民族は固有の暗号をもっている。同質の生活的感動、いわば秘密のようなものだ。それによって、言葉なくお互いが理解しあう。それは隣人愛だとか同胞意識などというような、単純な枠で割り切れない、もっと繊細であり、根深い神秘なのだ。

 それは見えない暗号でありながら、また生活的には、形となったり色となって表現される。(略)

 一見もろく、非論理的で、今日の世界に適用しにくい。しかし現代日本人の思考、モラルを深い底で動かしているのは、やはりそれなのである。

「我々」=「合理」が体をなさない岡本の輪において、もはやイタコの交霊術が「科学的に証明が可能か否か」は評価基準となりえない。そこで重視されるのは、むしろ、そうした非合理的なものが生きて人間存在を規定している事実である。宗教事象の社会的ないし実在的機能を評価する点では、前節で述べた「「他者」の文脈から事象を読み解く」とも似た印象を受けるが、ここでの機能は「他者」にとっての価値を帯びているのではない。それは「我々」にとって価値を持つ、「日本人らしさの発露」として解されるのである。

・霊が存在するか、しないか。そして霊媒なるものが本当にそれと通じているのかどうか(略)繰り返し繰り返しされる情熱的な課題だ。そしてとかく、本当かウソか、白か黒か、などと分けたがる、どちらにしても同じように素朴だ。

・このように、「神秘」というまなざしは、対象の非合理性を民族性へと変換する装置の役を果たしていたのであって、ゆえに、死者や神といった超自然的次元で認められたイタコの非合理性は、人間存在の非合理性へと読み替えられ、「日本人」を冠したアイデンティティーとしての価値を得ることになった。

 では、岡本が「暗い神秘」と表現した、イタコに見る「日本人」の特異なありようとは、いったいどのようなものだったのか。彼が提示した「神秘」は2つ。1つは浄/不浄から成る2元的な人間観。もう1つは、抑圧の歴史のなかで育まれた女性の内なる呪力である。

・岡本は、旅の終わりに本作のタイトルにもなっている民俗神・オシラサマと出会い、そして、この「幾重にも布片でおおいかぶされ、眼も鼻も口もとざされた」神に、「かつての女の姿」と同じ「呪力」を見ている。そもそも今回の旅の原動力となっていたのは、かつて盛岡の博物館で彼がオシラサマに覚えた、ほうこ人形と同質の感動であった。東北全体の自然を「オシラの気配」が覆っているとの実感を得て、岡本は「東北の神秘への憧れは正しかった」との確信に至るのである。

「神秘の世界」としての東北

・非合理性としての「神秘」は、「日本人」を形作る“見えない”暗号と位置づけられていた。しかし同時に、民間信仰などの生きた現象として、「神秘」は我々の眼前に立ち現れてくるものでもあった。岡本は、まさにこうした「非合理」の顕在化を通じて「日本人」の生き方を探ろうとしていたわけだが、ここで一つ看過できないのは、彼が非合理の顕在化した状態を「地方」という空間と接合させて認識していた点である。

 岡本は未踏の地・青森に「埋れ、うずくまり、忘れられた「日本」を直観」する。イタコ、そしてオシラサマのような「素朴で、原始的な民間信仰」を抱える本州最北の地は、岡本にとってまさしく「神秘の世界」にほかならなかった。

<柳田国男の「学問」>

<柳田論からの影響>

柳田は『遠野物語』(1910年)をはじめとしてオシラ神に関する論考をたびたび発表していて、実際にオシラ神を譲り受けてもいた1928318日には八戸のイタコを招いてオシラ祭をおこなっており、招待を受けた鏡花がその開催日を1年誤って柳田邸を訪れたのは有名なエピソードである。鏡花は柳田との親交とその著作を通し、オシラ神に関する知識を得たのだろう。「山海評判記」執筆時に鏡花が目を通したと考えられるのは「巫女考」(郷土研究社)、「オシラ神の話」(文藝春秋)、「人形とオシラ神」(民俗芸術の会)だが、実際作中に登場する多くのモチーフにこれらの柳田論考の影響が見られる。

<柳田論との差異とその意味>

このように柳田論考の要素を作中にちりばめた鏡花だったが、オシラ神と白山信仰を結ぶ論理もまた、柳田の学説を反映したものだった。

矢野は相良が見た「生首」を「姫神」の「御神体」とし、その神が「オシラ神」であると説明する何よりここで注目したいのは、「出羽奥州一体」といった東北を中心に信仰されてきたオシラ神の「本地本領」を加賀・白山の姫神とする説が打ち立てられる点である。オシラ神と白山信仰を結ぶ発想は「山海評判記」の核となっていて、これもまた柳田が「巫女考」で提示した説だった。

しかしここで考えなければならないのは、柳田は191314年の「巫女考」ではオシラ神と白山信仰を結び付けているが、『山海評判記』が発表された時期にはこの説を改めていたということである。

 本作品発表時、オシラ神は民俗学者の間で高い関心を集めており、柳田と歴史学者・喜田貞吉による「オシラサマ論争」はその現れといえる。「オシラサマ論争」で焦点が当てられたのは、その起源についてであった。かつてオシラ神の起源を白山信仰とした柳田だったが、19289月に発表された「オシラ神の話」では「オシラ神は東北地方では決して蚕を養う者ばかりの拝む神ではない。広く農作人事の全般にわたって、家々の吉凶を論し調え、人をして眼に見えぬ広い国土と遠い年代を、尊崇し愛慕せしむる力の源であった」としてこれを家の神に結び付ける。これに対し喜田は「オシラ神に関する23の憶説」で、オシラ神はアイヌの宅神と「同一起源の物」と発表し、「オシラサマを日本信仰史のなかで普遍化させようと試みた柳田とのあいだに深い断絶」が生じた。日本を一つの共同体とする認識を強めていた柳田にとって喜田の論が受け入れられるはずはなく、翌年4月「人形とオシラ神」では喜田を痛烈に批判している。

心霊スポットとはどんな場所なのか

平田篤胤のような霊界肯定論者や、逆に怪異を全否定する現代の科学主義者は、いずれも現地探訪の必要性を感じないだろう。結論は肯定と否定で正反対だが、確かめるまでもないという点では両者の姿勢は共通している。

 しかし、心霊スポット探訪は鈴木桃野のような半信半疑の姿勢でなければ意味がない。

地縛霊説の限界

心霊スポットは、日本全国にある。ひとしきり話題になって忘れ去られてしまう場所もあれば、幽霊や妖怪を神として祀る寺社ができて伝説を偲ぶ名所になっているところもある。

 従来、心霊スポットの条件は、通俗読み物を通して流布された「心霊学」的知識によって、地縛霊という観念で説明されてきた。すなわち非業の死を遂げた者の霊魂が、命を落としたその場所に思いをとどめている状態を地縛霊と呼び、地縛霊が憑いている場所が心霊スポットである、という説明である。

 ところが、広島市と長崎市には原爆によって非業の死を遂げた者が無数にいるわけだから、街中に心霊スポットが点在していてもおかしくはないのに、そうした話はあまり聞かない。方で、沖縄の戦跡にはたくさんあるのだそうだ地縛霊についての説明は、あたかも自然現象が起きる条件についての説明のようになされるが、地域差があるということは、非業の死イコール死亡現場への憑依という図式では語れないことは明白である。

異界との境界

しかし、地縛霊という考え方が登場した事情についてはよく理解できる。本章では現代風に心霊スポットと呼んでいるが、聖地、霊地、または魔所と呼ばれてきたような、何やら俗世とは異なる雰囲気を漂わせ、奇跡や怪異が起きたと伝えられる場所は確かにある。

 そこで地縛霊説を超える心霊スポットの説明理論として注目されたのが、民俗学系妖怪学の境界説である。境界説とは何か、宮田登『都市空間の怪異』にその要約ともいえる文章があるので引いておこう。

 妖怪の出現にあたっては、その場所性というものが、強く影響していることはこれまでも指摘されてきた。具体的には、三辻とか四辻といった道が交差する地点あるいは橋のたもとであるとか、橋の中間部、坂の頂上とか、坂の中途などに独特な境界がある。それは私たちが無意識のうちに伝えている民間伝承の累積として定着している民俗空間の中に位置づけられている。

 ここでは交差点、橋、坂が例に挙げられているが、境界とはそれらだけに限定されるものではない。宮田の意図を忖度するなら、ある空間の内側から見たときの外部と内部を隔てると同時に連絡するような場所が、この世とあの世(異界)の接点と重ね写しされて意識されるときに、その場所が「境界」と理解すべきだろう。

 実際、世の中で知られている心霊スポットのほとんどに境界説が当てはまるのである。実話として伝えられる妖怪の現場を訪ねてみると、そこにはたいてい橋があったり坂があったり、または町外れだったりした。しかしながら、境界説の説明が十分であるなら、その逆も真なりで、その条件を満たしている場所には必ず怪異が起きるかというとそうでもない。この点については地理学者の内田忠賢の批判が既にある。

<●●インターネット情報から●●>

ウェブサイトの「黄昏怪奇譚」から引用

今回は、江戸中期、寛保三年(1743)に刊行された『諸国里人談(しょこくりじんだん)』という書物から「天狗にさらわれた少年」の話を。

(『日本史怖くて不思議な出来事 中江克己著(PHP文庫)』要約)

江戸で「天狗小僧寅吉」とか、「仙童寅吉」と呼ばれる超能力少年が評判になった。寅吉というのは、文化三年(1806)12月晦日、年も月も日も「寅」に生まれたため、名付けられたという。

 文化九年(1812)四月、寅吉が七歳のときのことである。江戸上野の池之端(現・東京都台東区)、五条天神の境内で遊んでいたところ、奇妙な薬売りの老人が仕事を終えたのか、道端に並べていた薬を片付けるところだった。

 じっと見ていると、老人はすべてのものを小さな壺に入れ、みずからも壺のなかに姿を消して、いずこともなく飛び去っていった。

 寅吉は腰を抜かさんばかりに驚いた。しかし、好奇心が旺盛だったから、再び境内にきてみると、例の老人がいた。老人は寅吉に「わしと一緒に壺に入らぬか」と誘った。寅吉は好奇心に駆られ、老人と一緒に壺に入ると、常陸国(現・茨城県)の南台丈という山へ連れていかれた(この山は、いつの間にか岩間山愛宕山と呼ばれ、獅子ガ鼻岩という岩が突き出ていることで知られてる)

 こうして寅吉はたびたび老人に連れられ、各地へ飛行した。やがて常陸の岩間山へ飛び、その山中で諸武術、書道、祈祷術、医薬の製法、占術などを四年間にわたって修行した。

 その間、岩間山と家とを往復しながら、超能力を身につけていった。

 しかし、何度も家を留守にするので、世間では天狗にさらわれた少年ということになり、「天狗小僧寅吉」とか「仙童寅吉」と呼んだ。実際、失せ物を探し当てるなど、占術では異能を発揮したという。

 その後、寅吉は文政三年(1820)から江戸下谷長者町(現・東京都台東区)の薬種問屋長崎屋に身を寄せ、暮らすようになった。それというのも主人の新兵衛が超能力に興味を抱いていたからである。

 新兵衛は自宅で、しばしば超能力会を開くようになったが、そこには幕府祐筆を務めた国学者屋代弘賢、その友人の国学者平田篤胤、農政学者佐藤信淵らが顔をそろえていた。彼らが感心を抱いたのは、超能力少年の寅吉だった。

 寅吉はまだ15歳の少年である。しかし、とくに寅吉の話を聞きたがったのは、平田篤胤だった。色々話を聞くうちに、いっそう「仙界」(仙人の住むとされる世界)への興味をつのらせた。

 やがて長崎屋での研究会だけでは飽きたらず、寅吉を自分の家に招き、寅吉が訪れたという「仙界」について質問を繰り返し、文政五年(1822)平田篤胤は、『仙界異聞〜仙童寅吉物語』を発表したのである。

 その後、寅吉は二十代後半になると、仙人から授かった異能は消え失せ、平凡な人物になり、晩年は風呂屋の主人になったという。

寅吉が修行したとされる岩間山(愛宕山)〜今も天狗の修行場として知られている。

 天狗と接触し、神隠しにあったり、連れて行かれて修行をさせられたりと、色んな話が各地にはあるようで、この寅吉の話もそのうちの一つです。

 しかし、平田篤胤ら、この時代の著名人たちが興味を抱くだけのものがこの少年にあったということは注目に値すると思います。

 平田篤胤はこの寅吉から仙人界に住む者たちの衣食住や祭祀の仕方、彼らの修行、医療、呪術など詳しく質問を繰り返し、その内容を、『仙境異聞』(2)という書物にまとめました。

この平田篤胤は他にも、『勝五郎再生記聞』という、臨死体験をして前世の記憶を取り戻したという少年の取材の話なども出版しています。

 この1850年代から1900年代初頭までの時代は、西洋でも心霊主義(スピリチュアリズム) が流行りました。しかし、それに先駆けて日本で死後の世界や不思議な話などを調査したり研究しようという流れが先駆けのように起きていることは大変興味深いなと思います。

 江戸時代の文献には面白い話が沢山あります。

『幸せの風が吹いてくる』

木村藤子    主婦と生活社  2013/8/2

<霊能の世界>

・拝殿で長年、いろんな方のお話を聞いて感じることは、「霊能の世界」「透視能力」という見えない世界に対して、多くの人が、誤解や誤った想像をしてしまっているということです。

 その原因は、他人にはあまり触れられない「家庭」という閉ざされた環境にあります。

戦後の日本は、科学や経済の発展においては、実に目覚ましいものがありました。しかしその反面、スピリチュアルの研究、理解、発展は置き捨てられたがごとく、まだまだ足りない部分が多いのです。

・霊能や透視の世界というものは、普通は目にみえませんから、誤解がまかり通ってしまっていたのは当然といえば当然のことで、仕方がないことも多かったのでしょう。

・そして、私は透視能力者であってカウンセラーではありません。多くの時間をかけて相談者の悩みを聞く必要はないのです。

・透視能力というものは、お話を事細かに詳しく聞く必要がなく、

相談の要点のみお聞きすればよいということが、なかなか理解していただけないのです。

・この世は修行の場、善があれば悪がある。この世の修行として自分の「心の修行」をするとき、あなたのそばに必ず、「善」と「悪」が一緒に存在する。

・私たちが生きていかなければいけないこの人の世は、よいこと、よい人、よい出会いだけではなく、悪いこと、悪い人、悪い出会いも同時にあるのです。それゆえに、この世は修行の場となります。

「運命」と「カルマ」の関係

・みなさんが透視能力者と会ったとき、まず真っ先に知りたいと思うのは、ご自分の「運命」のことではないでしょうか。

 実際、私が相談者の方を迎え入れているこの拝殿の前で、「運命」という言葉を耳にしない日はありません。

・「人それぞれ、生まれながらに定められた運命がある」といえるのですが、この「運命」について語るうえで、どうしても欠かすことのできないものに、「カルマ」というものがあります。

・というのも、この「カルマ」は、悪いものだけではなく、よい「カルマ」と悪い「カルマ」の両方があるからです。

 ですから、ここでは「カルマ」の意味をもう少し具体的で、わかりやすい言葉で説明したいと思います。いわば「カルマ」の意味とは、「自分が行ったよい行いと悪い行い」そして、この「カルマ」がどう動くかを説明するなら、「カルマ(つまり、自分が行ったよい行い、悪い行い)にふさわしい出来事が未来において起こり、体験することになる」と、いえるわけです。

要するに、私たちの運命を形作っているおおもとが、この「カルマ」にあるということなのです。「カルマ」が、現世で体験する出来事や出会う人物などを引き寄せているということです。

・つまり、その人が作った「カルマ」は、まるでピタッとハンコで押されたように、神の世界にしっかりと記録されるのです。

 たとえるなら、「カルマ」のすべて、つまり、よい行いと悪しき行いのすべてを記録する台帳のようなものがあり、それが神によって管理されているようなものです。

 たとえ、どんなに小さな「カルマ」であっても、その人の言動、思考(心の声)が、そのつど台帳に書き込まれていく、といえばわかりやすいでしょうか。

いずれにせよ、早いか遅いかは別にして、あなたがしたことは、必ずあなたに還ってくる、ということだけは、揺るぎのない事実なのです。

「カルマ」と「霊障」の違い

・これまで説明してきた「カルマ」について、特に誤解が多いものに、「霊障」というものがあります。私のところに相談にいらっしゃる方の中にも勘違いをされている方が多く、いわく、「カルマと霊障の違いがわからない」とおっしゃるのですが、そんな誤解を耳にするたびに、私は神の部下として、正しい知識をみなさんに伝えていきたいと思っています。

・「霊障」というのは、みなさんが思っているほど頻繁に起こるものではありません。このことを踏まえ、何か予想外のことが起こったときには、まず“これは「カルマ」によって自らが引き寄せたものなのではないか”という考えを持ち、現実をしっかり見つめて、「カルマ」の清算に励んでいただきたいと思います。

天から与えられたお役目

・わかりやすく説明するなら、その人のカルマに合ったお役目として、仕事が与えられているのです。

・というのも、透視能力者として生きていくことは、私が望んだことではなく、神から授けられた使命であり、私のカルマが引き寄せたお役目だということに深く気づくまでには、それ相応の時間がかかったからなのです。

・その日、私は、神からご利益(=霊的な力)を授けていただけることを、あらかじめ母から伝えられていたので、「ご利益をいただいた暁には、どうぞ怠りませんように」と念じながら、拝殿に向かって神に祝詞をあげていました。

 すると、十分ほどたった頃でしょうか、突然、視界の右側のほうからスーッと女性が現れたのです。その女性は笏を持ち、おすべらかし(平安時代の貴族の女性の髪型)の長い髪を垂らし、深紅の十二単をまとっていました。平安時代の女性のような姿、といえばわかりやすいでしょうか。そのような姿恰好をした女性が歩いてくる姿が見えたのです。

 すると今度は、突然、女性の顔だけが、映画のワンシーンのようにクローズアップになって見えます。その女性はとても美しい顔立ちで、純粋なまなざしをしています。

「ああ、なんて美しいんだろう」と思っていると、その女性が私自身であることを神が教えてくれました。

「いやいや、私はこんなに美しくない」と心で否定するものの、まぎれもなく、その女性は私であるということがわかって、唖然としたのを覚えています。

 神は、私の持っている魂を見せてくれていたのでしょう。いわば、魂の世界にいる私の姿、といえるのかもしれません。

そのようにして、いったい、いくつのふすまが開いたのでしょうか。やがて大広間に出ると、あまたの神々が両脇に控え、部屋のいちばん奥に、男性の神がいらっしゃったのです。

 その神は、私が来るのを心待ちにしてくれていたようでした。まことに畏れ多いことですが、十二単をまとった私は、神を見ても、ただただ懐かしいばかり、怖気づくようなこともなく、まるで、故郷の父親に会ったような気持ちでした。

 すると、その神は私に向かって、「この日を待っていたぞ。もっと近くに来るがよい」と、あたたかいお言葉をかけてくださったのです。その優しい声は、今でもしっかりと私の耳に残っています。そして、私にさまざまなご利益を授けてくださいました。

・神からいただいたご利益は、透視や除霊の際に必要な勾玉や古代の巻物、弓矢、大小の剣などですが、神はそれらの取り扱い方をひとつひとつ丁寧に説明してくださいました。

・このときに授かった弓矢や剣は、除霊をする際に身を守るためのものなのですが、これをいただいたおかげで、私はこれまで数多くの除霊をしてきましたが、霊障を受けたことは一度もありません。

<赤い糸のご縁>

・運命として決まっているものにさまざまなものがありますが、人と人とのご縁というのもそのひとつです。

 夫婦になる男女のことを、俗に「赤い糸で結ばれた運命の相手」などという言い方で表しますが、まさしく、特別なご縁があるからこそ、その一組の男女は出会い、夫婦になるといっていいでしょう。

また、難病で生まれる子供の親になるために夫婦になるなど、カルマを共有しているご縁というものもあります。

『幸せの絆』

木村藤子   主婦と生活社 2013/6/27

<運命の出会いとは?>

・今になって考えてみると、神のいわれた通り、主人と結婚してよかったと思っています。寛大に、この大変な仕事をする私を見守ってくれています。本当にそのことには感謝しています。若いころに好きで別れた人もいますが、好きになった人だけが縁ではなかったのです。生活をしてみて、いかに協力し合えるか、理解し合えるか、それが大切なのです。

 運命の赤い糸は誰しもが持っているもの。1本ある人もいれば、2本ある人もいる。あせって結婚を急ぎすぎると、間違って黄色い糸を取ってしまう人もいるかもしれませんね。しかし、いくら赤い糸の相手でも、あまりワガママが過ぎると、せっかくの縁を破ってしまうことにもなりかねません。

<スピリチュアルは万能薬ではない>

・でも、そうではありません。多くの場合、不幸を招いているのは、その人自身。私は、その人のどこに問題があるか、そのヒント、気づきのヒントを伝えているだけなのです。そうした気づきをどう生かすか。生かすも殺すも、それもすべて、その人自身の問題です。自らのいたらなさを知って、謙虚に反省し、親や周囲の人から学ぶ。それによって、当たり前の品性や礼儀を身につければ、幸せはおのずと得られるものです。

スピリチュアルは死ぬまで勉強するもの

・汚れた生き方をしてしまった場合も、何十年もの歳月をかけて、ゆっくり、ゆっくり変えていくのです。その心なくして、スピリチュアルを学んでも同じことのくり返しです。

・そして、誤解が多いのは、スピリチュアルカウンセラーと透視を混同していること。スピリチュアルカウンセラーはとても大切な仕事ですし、大きな役割を持っています。しかし、一部にはスピリチュアルカウンセラーとは、透視や先祖霊を見ることだと思っている方もいます。それは大きな誤解で、透視ができる方は詳しい話は聞きません。聞くよりも前に、神から見えることをズバリといいます。あまりにもストレートに、ズバッといってしまうので、時には反感をいだかれることもありますが………。

・しかし、この私たちが暮らしている人間の世は、神が人間を修行の場として送り出してよこすところなのです。

・私の透視能力は、魔から人間を守るために授けられた力です。その道では、時には厳しい霊との戦いもあります。しかし、私は霊障を受けたことは一度もありません。霊障を受けるような人では除霊できないのです。

「気づく」ことでカルマは変えられます。>

・私は当たる当たらないではなく、神から与えられたことを、神の部下として忠実に行動していかなければいけないと思うのです。

「神と私の約束と責任において………」

 そんな神との交流の仕事をする中で、たくさんの苦しみを抱えた方に出会ってきました。そして、何百回、何千回と必ずいってきたことがあります。

 それは「気づく」ことと、過去の自分の行いの中に今の状態を作り出してしまった原因はないか、「振り返ってみなさい」ということです。

・「神が、なぜ私に透視能力を与えたのか」

 私は長い年月その意味を心の中でずっと考えていました。私の母の場合は、透視能力、除霊力を神から授かりました。そして、私も同じように透視能力、除霊力を与えられました。

 

・幸せになっていただきたい。カルマを変えていただきたい。ただそれだけが私の願いです。

『新・気づく力』

木村藤子   主婦と生活社   2014/6/20

<気づき>

・私達はみな、一生懸命“良かれ”と努力して生きている。しかし、気づかなければいけないことに気づいたつもりが—―、“気づけないでいる自分――に”気づかなければいけない“ことさえ”気づけないで苦しんでいる。

・私が事あるごとにお伝えしてきました“気づき”というものは、不幸を生み出す根源である“自分を変える”ということです。

 自分が変わることで、新たに見えてくる世界があります。私たちが認識する世界はひとつだけではなく、自分自身が変わっていくことでいかようにも変容していきます。

・そうした自分の経験や、人々からのアドバイスを聞き入れて直すべきところは直していかなければ、自分の人生だけではなく、子どもの人生、孫の人生まで自分と似たようなものになります。なぜかというと、子どもというのは似たカルマの親のお腹に宿ります。つまり、似たような運命を背負っているので、自分の悪いカルマを解消していかなければ、自分では要領よく生きているつもりが、自分の人生、子どもの人生、孫の人生をも幸福にすることはできないのです。

・完璧にできなくても、善と悪が55のところを、努力をもって6473にしていくことは十二分に可能なことで、そうすることで人生をまったく違うものに変えていくことができます。

愛という言葉の意味とは

・私は透視能力者として、神との会話の中で、それによる気づきをもたらすことをお役目としてきたわけですが、常に感じているのは、神はあらゆる人に分け隔てなく愛を注いでくださっているということです。

・逆に、心を清め、魂を磨けば(悪いカルマの解消)、愛が常にそこにあるということを理解でき、感じることができるようになっています。

愛情の反対は何か

・「愛情の反対は憎しみではなく、無関心」

 なぜ無関心なのでしょうか。

 憎しみとは、特定の相手に対し憎悪を募らせることです。宗教や人種差別といった思想的、盲目的な憎しみは別として、人を憎むにはそれ相応の「理由」があるはずです。

<駄目な人と思われ、人目に止まる人こそ我が師なり>

・「あの人はなんて愚かなんだろう!」と、心の中で人を見て笑っていてはいけない。そういう人からこそ学ぶべきことがたくさんあり、自分の師となります。そうした心を持たない限り、いつまでたっても気づきの道に入れないままでいてしまいます。

・時間を巻き戻して過去を変えることはできませんが、未来の選択はあなたの心次第で自由に進路を変更することができるのです。過去の失敗をバネにして、根気強く一歩一歩進んでいくのです。


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by karasusan | 2018-01-28 14:55 | その他 | Comments(0)

『怪異を歩く』  怪異の時空

今井秀和、大道晴香、一柳廣孝  青弓社   2016/9/30

なぜ平田篤胤は天狗に会いにいかなかったのか

・同じ江戸時代の後期の人であっても、鈴木桃野とは好対照の判断をした人物もいる。国学者・平田篤胤(1776―—1843)である。1820年に有名な天狗小僧寅吉と会見した篤胤は、寅吉少年が語る異界探訪談に夢中になった。

・江戸時代には常磐線がなかったから東京(江戸)から日帰りで、というわけにはいかなかったにしても、行って行けない距離ではない。それなのに、彼は自らが現地に赴くか、信頼できる誰かを派遣して調査させてもいいような気もするのだが、そうはしていない。

 これはいったいどういうことか。篤胤自身も岩間山がどういうところかについて、現地を知る人々に尋ねて、そこが天狗信仰の山であることなどの情報を得ていた。それならば、寅吉少年を弟子にした天狗(山人)とは、何者か、現地に行って確かめてみようくらいのことを思い付かないほうが不思議だ。

おそらく、篤胤が信じる他界観が関係している篤胤は『霊の真柱』(岩波文庫)で、冥府すなわち幽世・幽冥界は、現世・顕世である日常世界と違う場所にあるのではなく、いま・ここ、この世と同じ場所にあるのだが、あたかも明暗によって空間が隔てられているように「現世とは隔たり見えず」とする。暗い場所が幽冥界なのではない。明るいところにいる人が、暗いところをよく見ることができないように、「見える」と「見えない」という基準で現世と幽世は分割されている私たちが日常生活を営んでいるこの同じ空間に、私たちに見えていないものたちが存在し、それら見えないものたちで構成されるもう一つの世界が、私たちに見えているものたちで構成される世界とオーバーラップしている。

 だから篤胤は幽冥界研究に現地探訪を組み込む必要がなかった岩間山に行ってみたところで、そこにあるのはただの山だろう。だが、寅吉が経験してきた数々の不思議はただの山と同じ場所にある見えない世界、幽世の出来事なのだ見えているものしか見えない人間にはただの山としか見えなくとも、見えない世界を見る寅吉にとっては、そこにただの山であると同時に幽世なのだだから、幽世の実情を知るには、見えないものを見てきた人間の言葉を通して知るしかないのだ、と篤胤は考えたのだろう。

岡本太郎とイタコ ―—<神秘>というまなざし   大道晴香

1960年代、日本は空前の「イタコ」ブームを迎えていた。

 イタコとは、青森県から秋田県北部・岩手県北部にかけての地域で活躍してきた、死者の言葉を伝える宗教的技法「口寄せ」をおこなう在野の巫女である。戦前は日本全国に散見された「口寄せ巫女」だったが、社会環境の変化を背景に急速な衰退をみた結果、彼らの存在は巫俗の調査が本格化した1950―—60年代の段階で、既に日本列島の南北両端に片鱗を残すばかりとなっていた。すなわち、「口寄せ巫女」がもはや身近な宗教者ではなくなった世で、イタコには希少性に基づく新たな価値が生じていたことになるだろう。

・岡本の日本文化論に関しては、これまでにも人文系の学問分野を中心に議論が展開されてきた。ただし、彼の才能と人間性から生じる求心力のためだろうか、それらの論述は、著者自体に焦点を当てた「岡本太郎論」に偏っている感が否めない。しかしながら、岡本の日本文化論もまた同時代的な言説空間の一端をなすものであったことは、当時の大衆文化に介在した「日本再発見」の潮流、そして何よりイタコへの言及が如実に物語るところだろう。したがって、岡本の日本文化論を評価するのは、同時代的な言説との比較が不可欠といえる。

≪イタコ≫ブームと岡本太郎

イタコの“発見”

現状、表象上では癒着している「イタコ」と「恐山」だが、民俗文化の実態に目を向けた場合、平素のイタコは自宅を構える地域を主要な活動域とし、恐山を訪れるのは年2回の祭典期間中に限られる。要するに、「恐山での口寄せ」は多岐にわたるイタコの巫業の一つにすぎないのであって、両者の結び付きは決して強固ではない。にもかかわらず、大半の記事が恐山を通じて《イタコ》を発見しているという事実は、地域社会に溶け込んでしまえば把握が難しい在野の宗教者が可視化されるに際し、開かれた場の存在が不可欠だったことを物語っている。

 とはいえ、恐山が戦前の時点で一定の認知を得ていた点に鑑みた場合、当地が1950年代になってマス・メディアの目に留まった状況には、一考の余地があるだろう。

こうした1950年代の黎明期を経て、《イタコ》は60年代を迎えると一大ブームの様相を呈するようになる記事の件数は60年になると前年比の3倍まで増加し、以降、当該表象は複数のメディアを経由しながら、60年代を通じて再生産され続けていく運びとなった。

 岡本太郎のイタコ論は、一連のブームのなかに誕生した言説である。ただし、彼が生み出した“まなざし”は、あまたの言説がイタコに向けていた視線とは一線を課すものであった。そこで鍵となるのは、同時代の《イタコ》表象に内在していた「自己」と「他者」との対立構造である。

「非合理」な「他者」としての「地方人」

岡部冬彦「三途川の向こう岸

ホントに死人のタマシイが出てくるなら、あれこれ知人の霊を呼び寄せて見ようと、心ヒソカに楽しみにして来たのだが、イタコの口寄せはすべてかくの如く大同小異。(略)残念ながら骨折り損の終わった次第である。

 もっとも中にはイタコのいうことを聞きながら、「アラマア、あんなことをいって、ズブンのことをズブンで分かんねえのかなア」としごくもっともなことをツブヤイていたオバサンがいたし、東京から見物に来たという女子大生の「なにか形かモノを見せてくれなきゃ、ゼンゼン信用できないワ」という、いたって合理主義的な二人連れもいた。

 しかし、タマシイがあるかないかとなると、我々及びその他少数の人を除いては、恐山に来た人々はタマシイがワイワイいたのを体験した人達ばかりなのでありましょう。

・「死霊を呼び出す恐山の巫女

 信仰者にとっては、たとえ霊媒が東北弁しかしゃべれないインチキであっても、確かに亡夫に話しかけられたと感ずるし、そのことで心がサッパリしこの農村の精神衛生に役立っていれば、それはそれでいいのです。いうなれば、巫女たちは魔術師ではない。その魔術的な雰囲気の中で、人々の精神に捌け口を与える一種の“カウンセラー”というわけでしょうね。

・ただし、いずれの方策が取られるにせよ、《イタコ》の非合理性は「我々」ではなく、「他者」の領域に帰されたのであって、そこには超えることができない確固たる「自/他」の区別が存在していた。岡本太郎の新規性は、この二者を隔てる壁の突破に求められる。

「神秘」というまなざし

・岡本は単行本の出版時に付した「後記」のなかで、「神秘」について次のように述べている。

 民族は固有の暗号をもっている。同質の生活的感動、いわば秘密のようなものだ。それによって、言葉なくお互いが理解しあう。それは隣人愛だとか同胞意識などというような、単純な枠で割り切れない、もっと繊細であり、根深い神秘なのだ。

 それは見えない暗号でありながら、また生活的には、形となったり色となって表現される。(略)

 一見もろく、非論理的で、今日の世界に適用しにくい。しかし現代日本人の思考、モラルを深い底で動かしているのは、やはりそれなのである。

「我々」=「合理」が体をなさない岡本の輪において、もはやイタコの交霊術が「科学的に証明が可能か否か」は評価基準となりえない。そこで重視されるのは、むしろ、そうした非合理的なものが生きて人間存在を規定している事実である。宗教事象の社会的ないし実在的機能を評価する点では、前節で述べた「「他者」の文脈から事象を読み解く」とも似た印象を受けるが、ここでの機能は「他者」にとっての価値を帯びているのではない。それは「我々」にとって価値を持つ、「日本人らしさの発露」として解されるのである。

・霊が存在するか、しないか。そして霊媒なるものが本当にそれと通じているのかどうか(略)繰り返し繰り返しされる情熱的な課題だ。そしてとかく、本当かウソか、白か黒か、などと分けたがる、どちらにしても同じように素朴だ。

・このように、「神秘」というまなざしは、対象の非合理性を民族性へと変換する装置の役を果たしていたのであって、ゆえに、死者や神といった超自然的次元で認められたイタコの非合理性は、人間存在の非合理性へと読み替えられ、「日本人」を冠したアイデンティティーとしての価値を得ることになった。

 では、岡本が「暗い神秘」と表現した、イタコに見る「日本人」の特異なありようとは、いったいどのようなものだったのか。彼が提示した「神秘」は2つ。1つは浄/不浄から成る2元的な人間観。もう1つは、抑圧の歴史のなかで育まれた女性の内なる呪力である。

・岡本は、旅の終わりに本作のタイトルにもなっている民俗神・オシラサマと出会い、そして、この「幾重にも布片でおおいかぶされ、眼も鼻も口もとざされた」神に、「かつての女の姿」と同じ「呪力」を見ている。そもそも今回の旅の原動力となっていたのは、かつて盛岡の博物館で彼がオシラサマに覚えた、ほうこ人形と同質の感動であった。東北全体の自然を「オシラの気配」が覆っているとの実感を得て、岡本は「東北の神秘への憧れは正しかった」との確信に至るのである。

「神秘の世界」としての東北

・非合理性としての「神秘」は、「日本人」を形作る“見えない”暗号と位置づけられていた。しかし同時に、民間信仰などの生きた現象として、「神秘」は我々の眼前に立ち現れてくるものでもあった。岡本は、まさにこうした「非合理」の顕在化を通じて「日本人」の生き方を探ろうとしていたわけだが、ここで一つ看過できないのは、彼が非合理の顕在化した状態を「地方」という空間と接合させて認識していた点である。

 岡本は未踏の地・青森に「埋れ、うずくまり、忘れられた「日本」を直観」する。イタコ、そしてオシラサマのような「素朴で、原始的な民間信仰」を抱える本州最北の地は、岡本にとってまさしく「神秘の世界」にほかならなかった。

<柳田国男の「学問」>

<柳田論からの影響>

柳田は『遠野物語』(1910年)をはじめとしてオシラ神に関する論考をたびたび発表していて、実際にオシラ神を譲り受けてもいた1928318日には八戸のイタコを招いてオシラ祭をおこなっており、招待を受けた鏡花がその開催日を1年誤って柳田邸を訪れたのは有名なエピソードである。鏡花は柳田との親交とその著作を通し、オシラ神に関する知識を得たのだろう。「山海評判記」執筆時に鏡花が目を通したと考えられるのは「巫女考」(郷土研究社)、「オシラ神の話」(文藝春秋)、「人形とオシラ神」(民俗芸術の会)だが、実際作中に登場する多くのモチーフにこれらの柳田論考の影響が見られる。

<柳田論との差異とその意味>

このように柳田論考の要素を作中にちりばめた鏡花だったが、オシラ神と白山信仰を結ぶ論理もまた、柳田の学説を反映したものだった。

矢野は相良が見た「生首」を「姫神」の「御神体」とし、その神が「オシラ神」であると説明する何よりここで注目したいのは、「出羽奥州一体」といった東北を中心に信仰されてきたオシラ神の「本地本領」を加賀・白山の姫神とする説が打ち立てられる点である。オシラ神と白山信仰を結ぶ発想は「山海評判記」の核となっていて、これもまた柳田が「巫女考」で提示した説だった。

しかしここで考えなければならないのは、柳田は191314年の「巫女考」ではオシラ神と白山信仰を結び付けているが、『山海評判記』が発表された時期にはこの説を改めていたということである。

 本作品発表時、オシラ神は民俗学者の間で高い関心を集めており、柳田と歴史学者・喜田貞吉による「オシラサマ論争」はその現れといえる。「オシラサマ論争」で焦点が当てられたのは、その起源についてであった。かつてオシラ神の起源を白山信仰とした柳田だったが、19289月に発表された「オシラ神の話」では「オシラ神は東北地方では決して蚕を養う者ばかりの拝む神ではない。広く農作人事の全般にわたって、家々の吉凶を論し調え、人をして眼に見えぬ広い国土と遠い年代を、尊崇し愛慕せしむる力の源であった」としてこれを家の神に結び付ける。これに対し喜田は「オシラ神に関する23の憶説」で、オシラ神はアイヌの宅神と「同一起源の物」と発表し、「オシラサマを日本信仰史のなかで普遍化させようと試みた柳田とのあいだに深い断絶」が生じた。日本を一つの共同体とする認識を強めていた柳田にとって喜田の論が受け入れられるはずはなく、翌年4月「人形とオシラ神」では喜田を痛烈に批判している。

心霊スポットとはどんな場所なのか

平田篤胤のような霊界肯定論者や、逆に怪異を全否定する現代の科学主義者は、いずれも現地探訪の必要性を感じないだろう。結論は肯定と否定で正反対だが、確かめるまでもないという点では両者の姿勢は共通している。

 しかし、心霊スポット探訪は鈴木桃野のような半信半疑の姿勢でなければ意味がない。

地縛霊説の限界

心霊スポットは、日本全国にある。ひとしきり話題になって忘れ去られてしまう場所もあれば、幽霊や妖怪を神として祀る寺社ができて伝説を偲ぶ名所になっているところもある。

 従来、心霊スポットの条件は、通俗読み物を通して流布された「心霊学」的知識によって、地縛霊という観念で説明されてきた。すなわち非業の死を遂げた者の霊魂が、命を落としたその場所に思いをとどめている状態を地縛霊と呼び、地縛霊が憑いている場所が心霊スポットである、という説明である。

 ところが、広島市と長崎市には原爆によって非業の死を遂げた者が無数にいるわけだから、街中に心霊スポットが点在していてもおかしくはないのに、そうした話はあまり聞かない。方で、沖縄の戦跡にはたくさんあるのだそうだ地縛霊についての説明は、あたかも自然現象が起きる条件についての説明のようになされるが、地域差があるということは、非業の死イコール死亡現場への憑依という図式では語れないことは明白である。

異界との境界

しかし、地縛霊という考え方が登場した事情についてはよく理解できる。本章では現代風に心霊スポットと呼んでいるが、聖地、霊地、または魔所と呼ばれてきたような、何やら俗世とは異なる雰囲気を漂わせ、奇跡や怪異が起きたと伝えられる場所は確かにある。

 そこで地縛霊説を超える心霊スポットの説明理論として注目されたのが、民俗学系妖怪学の境界説である。境界説とは何か、宮田登『都市空間の怪異』にその要約ともいえる文章があるので引いておこう。

 妖怪の出現にあたっては、その場所性というものが、強く影響していることはこれまでも指摘されてきた。具体的には、三辻とか四辻といった道が交差する地点あるいは橋のたもとであるとか、橋の中間部、坂の頂上とか、坂の中途などに独特な境界がある。それは私たちが無意識のうちに伝えている民間伝承の累積として定着している民俗空間の中に位置づけられている。

 ここでは交差点、橋、坂が例に挙げられているが、境界とはそれらだけに限定されるものではない。宮田の意図を忖度するなら、ある空間の内側から見たときの外部と内部を隔てると同時に連絡するような場所が、この世とあの世(異界)の接点と重ね写しされて意識されるときに、その場所が「境界」と理解すべきだろう。

 実際、世の中で知られている心霊スポットのほとんどに境界説が当てはまるのである。実話として伝えられる妖怪の現場を訪ねてみると、そこにはたいてい橋があったり坂があったり、または町外れだったりした。しかしながら、境界説の説明が十分であるなら、その逆も真なりで、その条件を満たしている場所には必ず怪異が起きるかというとそうでもない。この点については地理学者の内田忠賢の批判が既にある。

<●●インターネット情報から●●>

ウェブサイトの「黄昏怪奇譚」から引用

今回は、江戸中期、寛保三年(1743)に刊行された『諸国里人談(しょこくりじんだん)』という書物から「天狗にさらわれた少年」の話を。

(『日本史怖くて不思議な出来事 中江克己著(PHP文庫)』要約)

江戸で「天狗小僧寅吉」とか、「仙童寅吉」と呼ばれる超能力少年が評判になった。寅吉というのは、文化三年(1806)12月晦日、年も月も日も「寅」に生まれたため、名付けられたという。

 文化九年(1812)四月、寅吉が七歳のときのことである。江戸上野の池之端(現・東京都台東区)、五条天神の境内で遊んでいたところ、奇妙な薬売りの老人が仕事を終えたのか、道端に並べていた薬を片付けるところだった。

 じっと見ていると、老人はすべてのものを小さな壺に入れ、みずからも壺のなかに姿を消して、いずこともなく飛び去っていった。

 寅吉は腰を抜かさんばかりに驚いた。しかし、好奇心が旺盛だったから、再び境内にきてみると、例の老人がいた。老人は寅吉に「わしと一緒に壺に入らぬか」と誘った。寅吉は好奇心に駆られ、老人と一緒に壺に入ると、常陸国(現・茨城県)の南台丈という山へ連れていかれた(この山は、いつの間にか岩間山愛宕山と呼ばれ、獅子ガ鼻岩という岩が突き出ていることで知られてる)

 こうして寅吉はたびたび老人に連れられ、各地へ飛行した。やがて常陸の岩間山へ飛び、その山中で諸武術、書道、祈祷術、医薬の製法、占術などを四年間にわたって修行した。

 その間、岩間山と家とを往復しながら、超能力を身につけていった。

 しかし、何度も家を留守にするので、世間では天狗にさらわれた少年ということになり、「天狗小僧寅吉」とか「仙童寅吉」と呼んだ。実際、失せ物を探し当てるなど、占術では異能を発揮したという。

 その後、寅吉は文政三年(1820)から江戸下谷長者町(現・東京都台東区)の薬種問屋長崎屋に身を寄せ、暮らすようになった。それというのも主人の新兵衛が超能力に興味を抱いていたからである。

 新兵衛は自宅で、しばしば超能力会を開くようになったが、そこには幕府祐筆を務めた国学者屋代弘賢、その友人の国学者平田篤胤、農政学者佐藤信淵らが顔をそろえていた。彼らが感心を抱いたのは、超能力少年の寅吉だった。

 寅吉はまだ15歳の少年である。しかし、とくに寅吉の話を聞きたがったのは、平田篤胤だった。色々話を聞くうちに、いっそう「仙界」(仙人の住むとされる世界)への興味をつのらせた。

 やがて長崎屋での研究会だけでは飽きたらず、寅吉を自分の家に招き、寅吉が訪れたという「仙界」について質問を繰り返し、文政五年(1822)平田篤胤は、『仙界異聞〜仙童寅吉物語』を発表したのである。

 その後、寅吉は二十代後半になると、仙人から授かった異能は消え失せ、平凡な人物になり、晩年は風呂屋の主人になったという。

寅吉が修行したとされる岩間山(愛宕山)〜今も天狗の修行場として知られている。

 天狗と接触し、神隠しにあったり、連れて行かれて修行をさせられたりと、色んな話が各地にはあるようで、この寅吉の話もそのうちの一つです。

 しかし、平田篤胤ら、この時代の著名人たちが興味を抱くだけのものがこの少年にあったということは注目に値すると思います。

 平田篤胤はこの寅吉から仙人界に住む者たちの衣食住や祭祀の仕方、彼らの修行、医療、呪術など詳しく質問を繰り返し、その内容を、『仙境異聞』(2)という書物にまとめました。

この平田篤胤は他にも、『勝五郎再生記聞』という、臨死体験をして前世の記憶を取り戻したという少年の取材の話なども出版しています。

 この1850年代から1900年代初頭までの時代は、西洋でも心霊主義(スピリチュアリズム) が流行りました。しかし、それに先駆けて日本で死後の世界や不思議な話などを調査したり研究しようという流れが先駆けのように起きていることは大変興味深いなと思います。

 江戸時代の文献には面白い話が沢山あります。

『幸せの風が吹いてくる』

木村藤子    主婦と生活社  2013/8/2

<霊能の世界>

・拝殿で長年、いろんな方のお話を聞いて感じることは、「霊能の世界」「透視能力」という見えない世界に対して、多くの人が、誤解や誤った想像をしてしまっているということです。

 その原因は、他人にはあまり触れられない「家庭」という閉ざされた環境にあります。

戦後の日本は、科学や経済の発展においては、実に目覚ましいものがありました。しかしその反面、スピリチュアルの研究、理解、発展は置き捨てられたがごとく、まだまだ足りない部分が多いのです。

・霊能や透視の世界というものは、普通は目にみえませんから、誤解がまかり通ってしまっていたのは当然といえば当然のことで、仕方がないことも多かったのでしょう。

・そして、私は透視能力者であってカウンセラーではありません。多くの時間をかけて相談者の悩みを聞く必要はないのです。

・透視能力というものは、お話を事細かに詳しく聞く必要がなく、

相談の要点のみお聞きすればよいということが、なかなか理解していただけないのです。

・この世は修行の場、善があれば悪がある。この世の修行として自分の「心の修行」をするとき、あなたのそばに必ず、「善」と「悪」が一緒に存在する。

・私たちが生きていかなければいけないこの人の世は、よいこと、よい人、よい出会いだけではなく、悪いこと、悪い人、悪い出会いも同時にあるのです。それゆえに、この世は修行の場となります。

「運命」と「カルマ」の関係

・みなさんが透視能力者と会ったとき、まず真っ先に知りたいと思うのは、ご自分の「運命」のことではないでしょうか。

 実際、私が相談者の方を迎え入れているこの拝殿の前で、「運命」という言葉を耳にしない日はありません。

・「人それぞれ、生まれながらに定められた運命がある」といえるのですが、この「運命」について語るうえで、どうしても欠かすことのできないものに、「カルマ」というものがあります。

・というのも、この「カルマ」は、悪いものだけではなく、よい「カルマ」と悪い「カルマ」の両方があるからです。

 ですから、ここでは「カルマ」の意味をもう少し具体的で、わかりやすい言葉で説明したいと思います。いわば「カルマ」の意味とは、「自分が行ったよい行いと悪い行い」そして、この「カルマ」がどう動くかを説明するなら、「カルマ(つまり、自分が行ったよい行い、悪い行い)にふさわしい出来事が未来において起こり、体験することになる」と、いえるわけです。

要するに、私たちの運命を形作っているおおもとが、この「カルマ」にあるということなのです。「カルマ」が、現世で体験する出来事や出会う人物などを引き寄せているということです。

・つまり、その人が作った「カルマ」は、まるでピタッとハンコで押されたように、神の世界にしっかりと記録されるのです。

 たとえるなら、「カルマ」のすべて、つまり、よい行いと悪しき行いのすべてを記録する台帳のようなものがあり、それが神によって管理されているようなものです。

 たとえ、どんなに小さな「カルマ」であっても、その人の言動、思考(心の声)が、そのつど台帳に書き込まれていく、といえばわかりやすいでしょうか。

いずれにせよ、早いか遅いかは別にして、あなたがしたことは、必ずあなたに還ってくる、ということだけは、揺るぎのない事実なのです。

「カルマ」と「霊障」の違い

・これまで説明してきた「カルマ」について、特に誤解が多いものに、「霊障」というものがあります。私のところに相談にいらっしゃる方の中にも勘違いをされている方が多く、いわく、「カルマと霊障の違いがわからない」とおっしゃるのですが、そんな誤解を耳にするたびに、私は神の部下として、正しい知識をみなさんに伝えていきたいと思っています。

・「霊障」というのは、みなさんが思っているほど頻繁に起こるものではありません。このことを踏まえ、何か予想外のことが起こったときには、まず“これは「カルマ」によって自らが引き寄せたものなのではないか”という考えを持ち、現実をしっかり見つめて、「カルマ」の清算に励んでいただきたいと思います。

天から与えられたお役目

・わかりやすく説明するなら、その人のカルマに合ったお役目として、仕事が与えられているのです。

・というのも、透視能力者として生きていくことは、私が望んだことではなく、神から授けられた使命であり、私のカルマが引き寄せたお役目だということに深く気づくまでには、それ相応の時間がかかったからなのです。

・その日、私は、神からご利益(=霊的な力)を授けていただけることを、あらかじめ母から伝えられていたので、「ご利益をいただいた暁には、どうぞ怠りませんように」と念じながら、拝殿に向かって神に祝詞をあげていました。

 すると、十分ほどたった頃でしょうか、突然、視界の右側のほうからスーッと女性が現れたのです。その女性は笏を持ち、おすべらかし(平安時代の貴族の女性の髪型)の長い髪を垂らし、深紅の十二単をまとっていました。平安時代の女性のような姿、といえばわかりやすいでしょうか。そのような姿恰好をした女性が歩いてくる姿が見えたのです。

 すると今度は、突然、女性の顔だけが、映画のワンシーンのようにクローズアップになって見えます。その女性はとても美しい顔立ちで、純粋なまなざしをしています。

「ああ、なんて美しいんだろう」と思っていると、その女性が私自身であることを神が教えてくれました。

「いやいや、私はこんなに美しくない」と心で否定するものの、まぎれもなく、その女性は私であるということがわかって、唖然としたのを覚えています。

 神は、私の持っている魂を見せてくれていたのでしょう。いわば、魂の世界にいる私の姿、といえるのかもしれません。

そのようにして、いったい、いくつのふすまが開いたのでしょうか。やがて大広間に出ると、あまたの神々が両脇に控え、部屋のいちばん奥に、男性の神がいらっしゃったのです。

 その神は、私が来るのを心待ちにしてくれていたようでした。まことに畏れ多いことですが、十二単をまとった私は、神を見ても、ただただ懐かしいばかり、怖気づくようなこともなく、まるで、故郷の父親に会ったような気持ちでした。

 すると、その神は私に向かって、「この日を待っていたぞ。もっと近くに来るがよい」と、あたたかいお言葉をかけてくださったのです。その優しい声は、今でもしっかりと私の耳に残っています。そして、私にさまざまなご利益を授けてくださいました。

・神からいただいたご利益は、透視や除霊の際に必要な勾玉や古代の巻物、弓矢、大小の剣などですが、神はそれらの取り扱い方をひとつひとつ丁寧に説明してくださいました。

・このときに授かった弓矢や剣は、除霊をする際に身を守るためのものなのですが、これをいただいたおかげで、私はこれまで数多くの除霊をしてきましたが、霊障を受けたことは一度もありません。

<赤い糸のご縁>

・運命として決まっているものにさまざまなものがありますが、人と人とのご縁というのもそのひとつです。

 夫婦になる男女のことを、俗に「赤い糸で結ばれた運命の相手」などという言い方で表しますが、まさしく、特別なご縁があるからこそ、その一組の男女は出会い、夫婦になるといっていいでしょう。

また、難病で生まれる子供の親になるために夫婦になるなど、カルマを共有しているご縁というものもあります。

『幸せの絆』

木村藤子   主婦と生活社 2013/6/27

<運命の出会いとは?>

・今になって考えてみると、神のいわれた通り、主人と結婚してよかったと思っています。寛大に、この大変な仕事をする私を見守ってくれています。本当にそのことには感謝しています。若いころに好きで別れた人もいますが、好きになった人だけが縁ではなかったのです。生活をしてみて、いかに協力し合えるか、理解し合えるか、それが大切なのです。

 運命の赤い糸は誰しもが持っているもの。1本ある人もいれば、2本ある人もいる。あせって結婚を急ぎすぎると、間違って黄色い糸を取ってしまう人もいるかもしれませんね。しかし、いくら赤い糸の相手でも、あまりワガママが過ぎると、せっかくの縁を破ってしまうことにもなりかねません。

<スピリチュアルは万能薬ではない>

・でも、そうではありません。多くの場合、不幸を招いているのは、その人自身。私は、その人のどこに問題があるか、そのヒント、気づきのヒントを伝えているだけなのです。そうした気づきをどう生かすか。生かすも殺すも、それもすべて、その人自身の問題です。自らのいたらなさを知って、謙虚に反省し、親や周囲の人から学ぶ。それによって、当たり前の品性や礼儀を身につければ、幸せはおのずと得られるものです。

スピリチュアルは死ぬまで勉強するもの

・汚れた生き方をしてしまった場合も、何十年もの歳月をかけて、ゆっくり、ゆっくり変えていくのです。その心なくして、スピリチュアルを学んでも同じことのくり返しです。

・そして、誤解が多いのは、スピリチュアルカウンセラーと透視を混同していること。スピリチュアルカウンセラーはとても大切な仕事ですし、大きな役割を持っています。しかし、一部にはスピリチュアルカウンセラーとは、透視や先祖霊を見ることだと思っている方もいます。それは大きな誤解で、透視ができる方は詳しい話は聞きません。聞くよりも前に、神から見えることをズバリといいます。あまりにもストレートに、ズバッといってしまうので、時には反感をいだかれることもありますが………。

・しかし、この私たちが暮らしている人間の世は、神が人間を修行の場として送り出してよこすところなのです。

・私の透視能力は、魔から人間を守るために授けられた力です。その道では、時には厳しい霊との戦いもあります。しかし、私は霊障を受けたことは一度もありません。霊障を受けるような人では除霊できないのです。

「気づく」ことでカルマは変えられます。>

・私は当たる当たらないではなく、神から与えられたことを、神の部下として忠実に行動していかなければいけないと思うのです。

「神と私の約束と責任において………」

 そんな神との交流の仕事をする中で、たくさんの苦しみを抱えた方に出会ってきました。そして、何百回、何千回と必ずいってきたことがあります。

 それは「気づく」ことと、過去の自分の行いの中に今の状態を作り出してしまった原因はないか、「振り返ってみなさい」ということです。

・「神が、なぜ私に透視能力を与えたのか」

 私は長い年月その意味を心の中でずっと考えていました。私の母の場合は、透視能力、除霊力を神から授かりました。そして、私も同じように透視能力、除霊力を与えられました。

 

・幸せになっていただきたい。カルマを変えていただきたい。ただそれだけが私の願いです。

『新・気づく力』

木村藤子   主婦と生活社   2014/6/20

<気づき>

・私達はみな、一生懸命“良かれ”と努力して生きている。しかし、気づかなければいけないことに気づいたつもりが—―、“気づけないでいる自分――に”気づかなければいけない“ことさえ”気づけないで苦しんでいる。

・私が事あるごとにお伝えしてきました“気づき”というものは、不幸を生み出す根源である“自分を変える”ということです。

 自分が変わることで、新たに見えてくる世界があります。私たちが認識する世界はひとつだけではなく、自分自身が変わっていくことでいかようにも変容していきます。

・そうした自分の経験や、人々からのアドバイスを聞き入れて直すべきところは直していかなければ、自分の人生だけではなく、子どもの人生、孫の人生まで自分と似たようなものになります。なぜかというと、子どもというのは似たカルマの親のお腹に宿ります。つまり、似たような運命を背負っているので、自分の悪いカルマを解消していかなければ、自分では要領よく生きているつもりが、自分の人生、子どもの人生、孫の人生をも幸福にすることはできないのです。

・完璧にできなくても、善と悪が55のところを、努力をもって6473にしていくことは十二分に可能なことで、そうすることで人生をまったく違うものに変えていくことができます。

愛という言葉の意味とは

・私は透視能力者として、神との会話の中で、それによる気づきをもたらすことをお役目としてきたわけですが、常に感じているのは、神はあらゆる人に分け隔てなく愛を注いでくださっているということです。

・逆に、心を清め、魂を磨けば(悪いカルマの解消)、愛が常にそこにあるということを理解でき、感じることができるようになっています。

愛情の反対は何か

・「愛情の反対は憎しみではなく、無関心」

 なぜ無関心なのでしょうか。

 憎しみとは、特定の相手に対し憎悪を募らせることです。宗教や人種差別といった思想的、盲目的な憎しみは別として、人を憎むにはそれ相応の「理由」があるはずです。

<駄目な人と思われ、人目に止まる人こそ我が師なり>

・「あの人はなんて愚かなんだろう!」と、心の中で人を見て笑っていてはいけない。そういう人からこそ学ぶべきことがたくさんあり、自分の師となります。そうした心を持たない限り、いつまでたっても気づきの道に入れないままでいてしまいます。

・時間を巻き戻して過去を変えることはできませんが、未来の選択はあなたの心次第で自由に進路を変更することができるのです。過去の失敗をバネにして、根気強く一歩一歩進んでいくのです。


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by karasusan | 2018-01-28 14:54 | その他 | Comments(0)